春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

明け方の空に残る星・アケボノソウ、小川町・青麻三光宮

2018-09-12 23:57:55 | 社寺

 

1833年、上州花輪彫刻集団の花形、
石原流2代目石原常八主信が、
手掛けた埼玉県、小川町の「八宮神社」本殿。
この神社の宮大工棟梁が林兵庫正尊
外国船が日本に来たら「容赦なく蹴散らすように!」と、
不穏な時代。
天候も今年のように容赦なく、
民は、徐々に食すら満足に摂れなくなっていく。
飢饉のさなか、1842年、本殿の傍にこじんまりした、
「青麻三光宮本殿」が建てられています。
この仕事を請けたのが、
「八宮神社」の棟梁・林兵庫正尊
彫物大工の鑿の冴え、
向拝柱のデザインは、常八主信の諸作品にはないもので、
本殿にはない、斬新な感覚が伺え、
彫物大工、誰なのか?
新しい確証が欲しいところです。

👇八宮神社・拝殿 

 


👇青麻三光宮本殿」
本来は入れないのでしょうが、
鍵がかかっていなかったので、つい入ってしまった。
戸車の音が、軽快だった♫

 

☝ 👇 向拝柱の彫り、とにかく興奮してしまいました。

 

 

 

☝ 👇 ツリガネニンジン

 

 

 

アケボノソウ

 

 


八宮神社の全景は、
男の艶、掌の鑿。2代目常八。

 

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秋雨に、苦手な本を手にしました。

2018-09-10 23:50:58 | 社寺

 

本を読むのは苦手、読まなくて済むなら、
その分、ぼんやりしていたい。
「晴耕雨読」4文字の言葉が無くならないように、
雨の八王子、
『宮大工棟梁・西岡常一「口伝」の重み』西岡常一著
『宮大工の人育て・木も人も「癖」があるから面白い』
西岡さんの弟子、菊池恭二さん書物を、
「古建築修復に生きる・屋根職人の世界」と、
同時に読み始め、どの冊子も、職人の世界の厳しさ、
慧眼の深さに、背筋が伸びる思い。

来週初めまでは、仕事に時間を割き、
嬉しいことですが、
一日がどうして24時間しか無いのかと、
冷えたコーヒーカップの中をのぞいてます。





 

 

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ほっこり、八雲神社。

2018-09-08 23:29:17 | 社寺

 

彫物大工、飯田仙太郎が箭弓神社の社殿を完成させたのは、
1835年。68歳で亡くなる前年。
大里群明戸の彫物大工と後世に伝えられ、
武州人といわれるけど、
仙之助、生まれは、上州花輪宿。
渡良瀬渓流の流れを見て育ち、
2代目石原吟次郎の門下で彫物大工の素養を、
開かせた温厚な性格の彫物師!
息子岩次郎が生まれ、
兄、河明戸で大工棟梁、飯田和泉藤原金軌の元、
早くから移り住み、武州での仕事が多く、
上州での彫物が見あたらない。
箭弓神社の仕事をしながら、仙之助、
息子岩次郎、岸又八、
小久保仙五郎の門人の3人に、
砂利道2キロ先の、八雲神社の本殿を彫らせている。
その八雲神社👇
(岸又八は、娘に3代目石原鶴八主利の腕のいい3男を迎えたが、
腕がいいばかりに、28歳で不幸な事件に巻き込まれてなくしている)






 

👇丸く渦を巻く龍の作図は、仙之助の兄弟子、小林源八の息子、
小林源太郎、榛名神社の双竜門などに引き継がれ、
初代石原吟次郎の流れが見えます。


鋭利な鑿さばきを排して、丸く、
貧困の農民が、飢えを凌ぎ、餓死者も出た時代、
彫物師たちの住民への優しい心情がうかがえる。
目立たないけど、心に残る逸品。

 





 

隣には上沼公園、八雲神社ルート66。

写真 2018.8.17 東松山市








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東松山 箭弓神社で

2018-09-05 23:55:50 | 社寺

 クレームがついた。花輪集団の彫師たちの、
絵を作れと。
インターネットで、見ているのですが、
自分で探してると、見つけられない。
独りよがりと反省し、作ったのが👇



文字が細かくて見ずらい!
関口文治郎を語るのに、
系統図は作っていたけど、
インターネットや神社の看板を見ると、違いがあった。
看板は群馬県と埼玉県の2社にあり、
どちらも、👇赤線、飯田仙之助の系統は、
初代石原常八になっていたもの。
そこで、約1か月ばかり、刑事捜査一課ばり、
緻密に裏どりにはしって、
ふらり寄った埼玉県東ヒントをいただいたのが、
東松山市の箭弓神社。
ここで「飯田仙之助は、吟八郎の門下です」
ここでその言葉の裏付けにまた、あっちでおろおろ・・・。
箭弓神社、1835年
100年前の社殿を重建したもので、
その時の本殿の扉は石原吟八郎が彫ったという。
さらに1844年,吟八郎の師、
高松又八の師である島村俊元の4代目俊正が、
絵馬を彫っている(後日投稿)
吟八郎の流れなのでしょう。
確信して出来たのが👇のピンクに塗ったヶ所。



飯田仙之助(1768~1836)が死の前年まで懇親を込めて、
彫り上げた箭弓神社。
川越の藩が資金を出しただけに、造りは壮大。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 



写真 2018.7.16 東松山市

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灰とニラの花

2018-09-03 23:53:42 | Extra

 

かまどの薪の灰を持たされて「ニラ~採ってきて」
おふくろの好きな「ニラのおひたし」の隣には
「茄子の味噌煮びたし」があってトマト。

ニラをほうばるたびに、口の中が、
きゅっ、キュッと鳴っていた記憶に、
主夫、スーパーで買おうかと思うけど、
いつも忘れ、食べる機会を失くしている。

花が咲くとは思わなかった。
この年になるまで。
あの時、刈った後、
灰を巻かずに野放図にしていたら、
こんな花が咲いたのだろうか?

いまだピンとこない。
こんな、思い出が浮かんだときは、
ニラを撮らせてくれた畑に感謝して、
机から離れましょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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