春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

お色直し真っ最中、榛名神社・・。

2020-01-14 18:06:47 | 関口文治郎/神社仏閣






















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榛名神社に渾身の気迫。(2-1)

2020-01-12 17:10:34 | 関口文治郎/神社仏閣

仕事の合間の日、春の陽ざしが欲しいと、
高尾山に降りそうな雲を眺める河童。

👆長い祈りは、賽銭箱から、後からの方のために、と、
移動して、手を合わせる姿は微動だにせず、

祈りの気迫が・・・。
軽井沢から榛名神社へです、と。

1731年、小さな村で生まれた、彫刻師。
神道流で武術にたけ、
護身法印相の免許皆伝を持ち、
山賊さえ、後ずさりしたという、彫刻家。
関口文治郎。
彫り物に鑿を入れる前は、必ず、
冷水で禊をしてからのルーティンを欠かさず、
生涯、孤高にして、人々の生活をも、
目に焼き付けた彫刻師。

自然災害に困窮して、神頼み「祈り」に、
日参する人たちに、神社の彫刻も、
救いのひとつと、渾身の思いをかけ、彫る男。
「孝」を持つて、「世」とばかり、
中国の故事を彫った。

群馬県榛名神社。
すでに、1500年の歴史を持つ、神社。
1806年、拝殿、幣殿、本殿が、創建される。
長いこと、埼玉三峰神社と行き来しながら、
建築にも関わった、彫刻師・関口文治郎。

そして、文治郎がかかわった彫物に、
氏子たちが用意したた金子を
そっくり、返して、
困窮する村人への、最高のプレゼント。
翌、1807年、黒保根村の上田沢で77歳を閉じます。


































関口文治郎の彫刻が、1700年後半から、明治の初めまで、
北関東の寺社彫刻を手掛ける人たちに、
さらに、大きな影響を与えました。

コメント (7)
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文治郎、最後は「岩井堂」

2020-01-08 23:03:03 | 関口文治郎/神社仏閣

雨上がり、
ベランダから,碧い丘陵の稜線を見ている河童。


幻に終わるのか、訪れたかった社。
「岩井堂」
1962年群馬県の彫刻師、
「関口文治郎」が、31歳の時に彫った神社。
榛名山の南の麓、
こじんまりした岩山を一部くりぬいて、
陽が射す小高いところに朱の屋根。
地元・渡良瀬川田沢の、
医光寺の欄間や、
妻沼の聖天院を手掛けた人物とは思えない程質素。

文治郎さんの手掛けた彫物の最後は、
くしくも、文治郎さんの奈良県生駒市に住む、
子孫が書いた冊子の一行で、訪れた場所。

河童、日当たりのいい場所で、
持参したむすびを頬ばり、

258年前、半纏姿の、
「彫物師・人間・関口文治郎」を心の中に、

スケッチした一時間余・・・。





























👇扉の中には、文治郎さんが彫った、
観音様が・・・?

開けてみたい!



















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見つけられなかった、神社を訪ねて、榛名・平井堂

2020-01-07 09:42:33 | 関口文治郎/神社仏閣

👆 榛名湖、日暮れの湖畔道路はアイスバーン。
今季初めての路面に、湖に落ちないようにと・・・。

花輪彫刻集団、私が選んだ「関口文治郎」が、
榛名山の麓へ赴いたて彫った、「平井堂」
ここ👇の神社までたどり着くまで3年かかりました。
住所が曖昧で、幾度足を運んだか・・・。
これで「関口文治郎」が手掛けた寺社の彫刻の拝観は、
すべて済みましたが、
直接、文治郎さんが彫ったかを、見極めることは、
まず、私にムリ・・・・。
できれば、文治郎人間のほかに、彫った作品を見極める作業・・・・、
う~ん・・・やっぱり無理、無理 ,ム~リ

河童の散歩・昨日は高崎市に泊まり、
今日は、星野甚右衛門さんとお父さん、
政八さんの墓参りをし、早めに帰宅します。

👇平井堂・平井堂の土手に咲いてた  ❛ 花 ❜












👇榛名湖の稜線






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 群馬県川場村。武尊神社・胡粉下地。

2020-01-06 08:23:51 | 関口文治郎/神社仏閣


八王子今日も晴れてるけど、明日からは雨が降るという。
我が家の河童、4日からの仕事で、
頭の皿の水がもう蒸発しかけています。
たつた2日の仕事で悲鳴。
「俺も年取った」

👆この彫刻の作者が判った「武尊神社」
大工        群馬郡荒井村の人で、松岡出雲正、他二名。
彫刻師  花輪村の星野甚右衛門
石屋  茂吉
屋根屋  伝七
長押金具 鍛冶佐吉
天井絵 法眼探雲

ただ、1804年に完成した時、
彫刻師 星野甚右衛門は、25~26歳の頃。
桐生の延命寺の欄間も完成させているので、
資料の出所がどこか判らないので、
胸を張って、星野さんの彫物とは言い切れない。

星野甚右衛門さん、
親父の名は、星野政八さん。
政八さんは、
関口文治郎の元で、関東では、三峰神社や、
昭和村の「千賀戸神社」
足を延ばして、長野県伊奈町の「熱田神社」を手掛け、
文治郎さんは腕を買っていたよう。

星野甚右衛門さんの本名は「星野慶助」
慶助さんは、絵も上手く「星野東渓」の名で、
子孫の方が画集も作り保存をしている。
群馬県・渡良瀬川、花輪近く萩原村で、オギャアと産声。













塗りは胡粉下地に彩色の、
色落ちしたところが、なんとも言えません。














👆深雲を探幽と間違え、
行年八〇歳の墨書に思考回路は、
泥沼に敷かれた線路。外れっ放し。
気づいたのは昨日。
👇作者の狩野法眼(ほうげん)探雲は、
甘楽郡野上村(現群馬県富岡市)の生まれで、
本名・佐藤守照。
江戸に出て狩野派に学び、
江戸城西の丸普請の際には障壁画の製作に従事したという。
晩年は七日市藩の御用絵師を勤め、
世に「上野(こうずけ)探雲」と称され、
1812年、88才の長寿を全う。

法眼探幽は何しろ1600年代の方ですから・・・。









土台が朽ちかけ、少し傾き、
保存の手入れが、待たれます。

群馬県川場村、

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