八王子今日も晴れてるけど、明日からは雨が降るという。
我が家の河童、4日からの仕事で、
頭の皿の水がもう蒸発しかけています。
たつた2日の仕事で悲鳴。
「俺も年取った」
👆この彫刻の作者が判った「武尊神社」
大工 群馬郡荒井村の人で、松岡出雲正、他二名。
彫刻師 花輪村の星野甚右衛門
石屋 茂吉
屋根屋 伝七
長押金具 鍛冶佐吉
天井絵 法眼探雲
ただ、1804年に完成した時、
彫刻師 星野甚右衛門は、25~26歳の頃。
桐生の延命寺の欄間も完成させているので、
資料の出所がどこか判らないので、
胸を張って、星野さんの彫物とは言い切れない。
星野甚右衛門さん、
親父の名は、星野政八さん。
政八さんは、
関口文治郎の元で、関東では、三峰神社や、
昭和村の「千賀戸神社」
足を延ばして、長野県伊奈町の「熱田神社」を手掛け、
文治郎さんは腕を買っていたよう。
星野甚右衛門さんの本名は「星野慶助」
慶助さんは、絵も上手く「星野東渓」の名で、
子孫の方が画集も作り保存をしている。
群馬県・渡良瀬川、花輪近く萩原村で、オギャアと産声。
塗りは胡粉下地に彩色の、
色落ちしたところが、なんとも言えません。
👆深雲を探幽と間違え、
行年八〇歳の墨書に思考回路は、
泥沼に敷かれた線路。外れっ放し。
気づいたのは昨日。
👇作者の狩野法眼(ほうげん)探雲は、
甘楽郡野上村(現群馬県富岡市)の生まれで、
本名・佐藤守照。
江戸に出て狩野派に学び、
江戸城西の丸普請の際には障壁画の製作に従事したという。
晩年は七日市藩の御用絵師を勤め、
世に「上野(こうずけ)探雲」と称され、
1812年、88才の長寿を全う。
法眼探幽は何しろ1600年代の方ですから・・・。
土台が朽ちかけ、少し傾き、
保存の手入れが、待たれます。
群馬県川場村、