春. 夏. 秋. 冬. 河童の散歩

八王子の与太郎河童、
つまづき、すべって転んで、たちあがり・・。
明日も、滑って、転んで・・。

小野小町と共に、南明山・清瀧寺 ②-② 土浦市小野。

2021-10-09 20:46:36 | 坂東札所


👇土浦市小野、
小野小町が筑波峠を越えて訪れた町、
墓所があり五輪塔もあり、町までの橋の親柱には、
小野小町の像が・・足を止めました。


👇全国に小町を知ってもらえるよう
「小町の館」を建て、

地域のコミュニティーの場所として・・・、
訪れたのは月曜日で、館には入れませんでした。
そば処の広場には、15~6人が、掃除をしていて、
そのあと輪になって、体操をして、
そのあと、何やら規則ごとの説明を
皆さん聞いていました。




👇地元の小町の史跡めぐりのハイキングコースがあり、
相方を待っていた青年が・。






👇ろうそくの火で、
昭和44年火災に遭った、木造の獅子、



👇光明真言二億供養塔・・・23の梵字からなる、
「大日如来よ、智慧と慈悲をたれて、御救いください」
の意が含まれ、これを読誦すると、
一切の罪障が除かれるとされるため、
100万遍、200万遍と唱えた記念に供養塔を建てる・・
それが2億の唱え・・とは・・です!













👇賽銭箱には黒にんにくが、



👇回廊には、段ボールいっぱいの銀杏が、
誰のいない納経所、巡礼者への心遣いが、
清々しい心地にさせてくれました。







下山します。
階段の傍ら、地元の人たちが添えた、
小野小町が詠んだ和歌を、竹の短冊にして。

ふきむすぶ風は昔の秋ながら
  ありしにもあらぬ袖の露かな



おろかなる涙ぞ袖に玉はなす
  我はせきあへずたぎつ瀬なれは

山里のあれたる宿を照らしつつ
     幾夜へぬらむ秋の月影




色見えで移ろふものは世の中の
     人の心の花にぞありける


あやしくも慰めがたき心かな 
     姥捨山の月もみなくに



天才、孤高の歌人、美人と云われ、
旅先の一人、小野小町が老いを感じても、
詠みの意欲を失わない姿に、
小野地区の人たちもきっと、誇りに思ってるのだと・・。

小町の館の広場には、地元の人たちの、
選ばれた俳句・和歌の石碑があちら、こちらに・・。
清々しくも、穏やかになって・・清瀧寺でした。





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小野小町を伝える町民が建てた、清瀧寺 山門 ① 土浦市小町。

2021-10-07 20:45:04 | 坂東札所

👆柿畑の坂を登れば、
鬱蒼と繁る木立、ここは8時で朝ぼらけ。
👇無人の南明山・清瀧寺、坂東札所26番。
真言宗豊山派の寺院。
山号は南明山で院号は慈眼院です。

山門をくぐるので右の小道を・・。


👇筑波山の神が訪れ、
喉が渇き天の矛 ほこで地を刺したら、
清水が湧いた水は枯れることなく・・!





👇御朱印帳を開いて、御詠歌
我が心 今よりのちは濁らじな 
      清滝寺へ まいる身なれば
唱えながら、
天保年間・1830~1843年に再建された山門へ。











朝露に濡れた小坊主が👇



👇横浜から来た巡礼?の方も迎えてた。










小野小町が越えたとされる、
峠道や墓と伝えられる五輪塔など、
数々の小町伝説を残す町民が、
浄財を集めて昭和52年に建てた清瀧寺👇
すがすがしい朝の風景でした。
次回も・・・・。

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助さん黄門様の傍に、西山荘。常陸太田市。

2021-10-05 20:18:58 | 坂東札所

土の中でねぐらを整え戸を閉めて・・・さて・・
寝酒一杯、冬ごもりの虫・・
額に怒りマークを付けて、

ばたん!閉めた戸をまた開ける!
10月というのに、この暑さ!
河童久しぶりの草むしり、蚊に刺され・・!





花桃がつつじが、紫陽花が、
花菖蒲の季節にはたくさん花見客が訪れる、
西山荘。
常陸太田市の佐竹寺から5分ばかり処。
佐竹の領地に、水戸の御隠居水戸光圀さんが、

肩身を狭くして63歳、隠棲場所に選んで、
人柄良く、地元の農家の人たちも、
よく遊びに来てたと・・。
今は1200円を払わなければ、
遊びに行けないのが残念!





👇熊野杉の向こうに門が、




こんなところで鶏飼って・・
いいなぁ~そんな風景を浮かべて・・。











👇寝室と学問の部屋で、


👇部屋の広さは3畳だと・・
テレビや映画の黄門様の活躍の姿が強烈で、
実際の黄門様のことは、よくわかりませ~ん!
ここの西山荘に隠棲して、この部屋で、
国史編纂を書いていたとはです。










テレビでは女好きで剣は達人の助さん、
格さんの渥美格之進さんより17歳年上で、
黄門様73歳で亡くなるまで、
各地の資料を集めに貢献するも、
べらんめぇで、黄門様、格之進の悪口を言い、
バレる、愛すべき性格の、住んでいた家の跡地が、
不老池のもみじ回廊の奥に・・・。





👇西山荘の「御前田」で園児が稲刈り 常陸太田

 




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優雅に裳階(もこし)の佐竹寺。常陸太田市。

2021-10-03 21:44:33 | 坂東札所

コロナ感染の宣言解除に・・・気が抜けて・・。
ジョキングの人がやたら、多くなった日曜日、
腑抜けの河童の皿から、

もうもうと、のろしが舞い上がったのは、
水戸黄門様の隠匿居住地がある、

常陸太田市の佐竹寺。



坂東札所第22番 妙福山 佐竹寺(北向観音)
真言宗豊山派で本尊を十一面観世音菩薩として、
創立985からの歴史を今、荒廃と繁栄を繰り返して、
1200年半ばごろまでは、
新羅三郎昌義が本領としてた領地という。
その後、初代佐竹昌義 から、

佐竹氏が500年の歴史を作る中、
1546年、佐竹18代義昭が再建した本堂、
後秋田県の藩主になった、佐竹氏の苗字は、

初代がこの地、佐竹郷を領地にしたとき、
この寺で見た、
両手を広げて20回分の長さの竹に、
節がひとつしかないのは「出世」の前兆と、
この地の
佐竹を頂いたのだと・・。

誰が詠んだか👇



👆見ゆるむらまつ
今も佐竹寺から、
村松山虚空蔵堂へ通じる、巡礼の坂道。
茨城県那珂郡東海の、村松宿。
15キロばかり処の宿。

👇仁王門には、佐竹の紋、五本骨扇に月丸が。
建物は火災後、昭和に建てたものでも、
仁王像は江戸時代、1700年初めのものと・・。









👇今、令和の年号  うう、うん?
石像の👆足元には大正時代の、
50銭やら10銭硬貨が・・・!


風雨から構造物を保護するために付けられた
 屋根の下にもう一重、
屋根をかけた裳階 もこし が、
佐竹寺をさらに優雅に・・!




















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秋明菊に日輪寺。茨城県久慈郡。

2021-10-01 19:30:06 | 坂東札所

坂上田村麻呂が建立したという、
面影はどこにあるのか、
福島、栃木、茨城にまたがる八溝山脈1022m、
昔は金が採掘されて、遣唐使の費用に充てたという。
どの案内書にも、
八溝知らずの偽坂東
坂東の八溝知らず・・と語られる、
坂東札所の最難関、
ここだけはまだ打ち終えてないという巡礼も多いと・・。
獣道、熊笹が繁る道、
今は車道ができていて、それでも大変でした。

👆案内書から拝借

長袖でも寒く、小雨が降り始めて、
しばらく車内で待機してましたが、
携帯は通じなく止むのを待って、

👇八溝山・日輪寺、坂東札所21番、
創立は673年で、山岳信仰の師、役の行者とあります。
天台宗で11面観世音菩薩。






👇賽銭箱があって、鰐口、
この鰐口は、1832年、廃仏運動で、
一時は福島県白河に避難させたものです、と。






👇崩れかけている石塔が、
歴史を感じさせます、
ここに室町時代、
16間の総欅の造りの大伽藍があったとは、
想像もつきません。
八溝山の原生林、
1537年には堂舎の修理の際に
梵鐘が寄進されたとあります。
度々の火災、水戸藩の廃物運動の法の難にもあい、
八溝山観光に訪れる人たちはいても、
立ち寄れない奥地の日輪寺は、こじんまりとして・・。
秋明菊が・・・。


















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