源平の戦いで西上した武者たちは
西国三十三観音札所を見聞して信心を深め
それが契機となり 鎌倉時代初期、
坂東にも三十三観音札所が整えられて
東京では唯一の札所でもあります
坂東にも三十三観音札所が整えられて
東京では唯一の札所でもあります
源頼朝は浅草寺を 戦い必勝の寺とし
坂東札所13番とします
中央
川端龍子かわばたりゅうし 画「龍之図」
👇👇堂本印象どうもといんしょう 画「天人之図 」
浅草寺は江戸が膨れて次第に飲まれ
江戸庶民は浅草寺あたりを
参拝 歓喜 行楽の目的として
江戸庶民は浅草寺あたりを
参拝 歓喜 行楽の目的として
奇術、辻講釈師や、居合抜きなどの見世小屋に
こぞって足を運び 歓喜し
現代
私たちも映画や小説やテレビで
その繁栄ぶりは 一喜一憂しながら
楽しんできました
楽しんできました
👇朱印所 影向堂
影向堂須弥壇中央に
聖観世音菩薩を祀り
その左右に千手観音 虚空蔵菩薩 文殊菩薩、
聖観世音菩薩を祀り
その左右に千手観音 虚空蔵菩薩 文殊菩薩、
普賢菩薩 勢至菩薩 大日如来
不動明王 阿弥陀如来を祀り
黒光りの像は 観音堂では
感じない畏怖に近い空間です
感じない畏怖に近い空間です
👇薬師堂
六角堂
16世紀 室町時代の建立とのこと
宝篋印塔ほうきょういんとう
1000人近い 信者が寄進したもの
明治40年に再建された塔
1618年
石橋しゃっきょう
今は無い東照宮が造営したときに
参詣のための神橋だったと 看板に
阿弥陀如来像、
慈悲の光で世界をあまねく照らし
1693年から
慈悲の光で世界をあまねく照らし
1693年から
庶民を救って
写経供養塔
建立は最近 平成6年
金龍権現堂
天から百尺ばかりの金の龍が舞い降り
公徳を讃えて観音様をお守りしたという
左 金龍権現
浅草寺の山号は 金龍山でそのいわれ
右は九頭竜権現
公徳を讃えて観音様をお守りしたという
左 金龍権現
浅草寺の山号は 金龍山でそのいわれ
右は九頭竜権現