新笠通信 奄美電信版

 Copyright (C) 2010 shinkasatsushin All Rights Reserved.

過不足なくね

2007-12-02 18:13:35 | Diaries
タイのニューハーフ
やるねえ
中途半端さのないところがいいですね
やるならとことんやらなきゃね

容姿がよい女性を見ると対抗心が湧き上がってくるのはわたしだけでしょうか
おいこらちょっと待て
ぜんぜんなっとらん
と講釈をはじめてしまいそうです

今日は旧住用村で行なわれたわんぱく相撲大会へ用安出身の姉妹が観戦に行った模様です

成長期には男女という違いから生じる女性的な魅力が強調されない容姿が好まれます
セーラー服着用には女性らしさの否定という意図が若干含まれています

ですがノーメイクに制服着用という統一された条件下では容姿の個体差が逆に際立たされてしまいます

メイクで過不足なしを実現する

素じゃあかん

自分の顔のことをよく知っていなければなりません

人気上位のニューハーフの容姿は何を物語っているか

万人に受けることです

しかも男性という属性すべてが対象となっています

目的意識をはっきりさせよう

ということです

日常生活では男性すべての注意をひくことが意識されたメイクアップをしてはいけません

いちいち今ひとり?これから何かあるの?とスケジュールをたずねるのが面倒だからです

じゃなくって

トップクラスのニューハーフの容姿でうろついていたら生活しずらいです

ボディーガードをつけておかないとさらわれてしまう場合もあるので危険です

満員電車の中だとさわってくれといっているようなものです

満員電車にはちかんがいるということを知らない人もいるでしょう

痴漢はごく普通に存在するということを

痴漢にねらわれたということは

痴漢に頭悪そうだと判断されたということです

瞬時に騒いでしまいそうな人をねらうことはまずないのです

いたずらしても泣き寝入りするだろうと判断してから犯行に及ぶのです

捕まらないという確信があるから痴漢できるのです

捕まることがわかっていて痴漢するものはいません



男の人の女性観がわかっていないと
わたしは今日すきだらけです
ガードを緩めてます
と勘違いされてしまいます

今日はメイクで過不足なしを実現するの日です
メイクでトップクラスのニューハーフをこえようの日ではないのです

まず男性がメイクから受ける感じなどどうでもよいのです
メイクによって同性である女性が違和感を感じていないかどうかです

男性受けが強く意識されていると感じるようなメイクの人とはなかなかお仕事になりません
仕事しにきているのではないと言わんばかりではありませんかということです

仕事といっても例外はあります
自分が今どういう仕事をしているのかがわかっていればよいわけです

時と場所にふさわしい、女性受けするメイクをすればよいわけです

次に男性の勘違いを防ぐメイクアップということになります

勘違いをさせるのかさせないのかをはっきりしましょうということです

時代によって男性好みの容姿というのは変化していきます

男性に人気のある芸能人の容姿に近づけていくのか遠ざけていくのかということになります

目的意識がはっきりしていれば

受けている顔立ちに近づけていくのか遠ざけていくのかを選択することができます



もともとメイクによって勘違いさせるわけですから勘違いを防ぐといってもよくわからないでしょうが

顔色のよくない状態などを気づかせないようにしつつ部分的なチャームポイントをベストの状態にまで際立たせないということです

ベストをつくしたらトップクラスのニューハーフになってしまうということです

わたしみたいなのが大挙して大騒ぎしてしまうようになるわけです

ニューハーフの元が男性であるから安心して大騒ぎしているわけです

それが本当の女性であったりするとたちまち切実な問題となってしまいます

素でぎがかわゆすだった場合日常生活に居場所を求めることはとても困難なことになります

何かあったのというぐらいの端麗な人が団地前の公園で子供を遊ばせていたら違和感があります

同じく幼稚園の送り迎えに毎日来ていたり授業参観に来たり入学式や卒業式に来た場合です

対応に困ったあげく、ちょっとあんた目障りなんだけど

と言ってしまう役の人が必要になってきます



団地街にある公園で子供を遊ばせる
シリーズ に移ります

団地街では公園はとても重要です
住まいの外に行動の場を求めることを考えると
徒歩圏内では公園ぐらいなものでしょう

公園を快適に利用できるかどうかということは重要な問題です
インターネットの世界も公園みたいなもんです
快適に利用できなくなるとはどういうことでしょうか
公園デビューという言葉がなくなる日はこないと思います
公園を利用する常連さんの存在が大きいということです

インターネットでは公園を利用する常連さんの理解に苦しむ言動を
ちょっと聞いてよーあの公園の主がさー、今度は・・・
という感じで展開していくことが可能になります

少し休憩をはさみます

たま「さよなら人類」