中部地区には犬山城をはじめとして城址と言われる戦国時代の遺構が多い!
時に利あらず敗軍の将となった「明智光秀」の出生地と言われる里を訪ねてみました。
出生は謎とされれる光秀、この地明智一族の一人ではと言われてます。
大手門脇にある天龍寺、城山を借景とした紅葉です。
此処に悲しい歴史に翻弄された一族の墓がひっそりと・・・。
それぞれの名前は判りません。ただ小さな石仏が所狭しと並べられています。
城址への石畳の脇に満天星つつじが真っ赤に色づいてました。
斎藤竜興に滅ぼされるまでの250年、明智一族の城址
最後の城主が11代明智光秀?その後放浪して織田家に仕え天下統一の夢破れた武将
反逆した明智一族ということで長年口をつぐみ、忍んでひっそり暮らした地元の方々
せめてもの供養だったのでしょう。
悲しい歴史を持つ明智一族、生きた痕跡はほとんど消し去られたのでしょうか?
謎の多い武将 悲しい歴史を持つ明智光秀の安眠の地なのでしょう。