「渡り合うイエス」 ヨハネによる福音書 10章31~42節
迫害の時代を生き抜いたキリスト者たちは、苦しみや試練によって傷ついたり、強められたりもしました。イエスさんも、石で撃ち殺されそうになったとき、「わたしは父が与えてくださった多くの善い業をあなたたちに示した。その中のどの業のために、石で撃ち殺そうとするのか。」と問い返し、迫害する者たちと渡り合いました。迫害する者たちは、「善い業のことではない、神を冒涜したからだ。」と言い、規則を縦にして屁理屈を並べました。
迫害とは、単にいじめられるということではありません。善い業が評価されず、屁理屈を並べて相手を陥れようとするのが迫害なのです。神さまは、権力を持った者に抑圧され、弱くさせられた人たちを深く憐れみ、助けられるお方です。イエスさんは、弱くさせられた人たちに善い業を行いました。その善い業を無視し、規則を縦にして屁理屈を並べて石で撃ち殺そうとすることの方が、よっぽど神を冒涜しているのです。挫けてしまうことが多い世の中ですが、愛の業を追い求め続けるようでありたいと思います。