JRで高松へ戻ってから、高松城へ。
高松城は高松藩12万石のお城で、松平頼重公以来の徳川親藩である。初代藩主頼重公は水戸徳川家の祖、徳川頼房公の長男で、水戸のご老公こと水戸光圀公の兄に当たる人である。また高松藩2代藩主頼常公は光圀公の子供であり、水戸徳川家とも深い関係のある藩である。その高松藩主の居城である高松城は日本でも珍しいお堀に海水を引いている城で、城内の堀には水門を通って入ってきた貝や海水魚が生息している。
城跡は玉藻公園として一般開放されており、江戸時代の建物も保存されている。その城跡を囲むようにことでんの線路が敷設されており、櫓とお堀と電車を撮ることができる。しばらくお堀の橋の上で電車の撮影。
ことちゃんラッピングの電車も。こちらは讃岐うどんをすすることちゃんのラッピングである。
こちらは三の丸にある披雲閣。江戸時代には書院風の建物があり、藩主などの住居となっていたようであるが、明治時代に老朽化により取り壊され、現在残る建物は大正時代に松平家高松別邸として建てられたもので、現在は高松市が管理し、貸会場として利用されているらしい。残念ながら中の見学はできなようであった。
本丸は内堀に囲まれており、橋で接続されている、かつてはここに天守が建っていたが、明治時代に老朽化により撤去されてしまった。しかし高松市により天守の復元構想があるようで、この天守台も近年修復されている。
天守台の近くには梅の木が植えられ、紅梅が花を咲かせ始めていた。
高松城をぶらりと散策したあとは高松駅へ戻り、コインロッカーの荷物を回収してことでんバスに乗り、瓦町駅近くにあるホテルにチェックインした。
丸亀1125ー高松1154 1012M特急いしづち12 8204 四マツ
*宇多津まで12M特急しおかぜ12号併結
丸亀から高松行き特急に乗り高松へ戻る。昼間の特急で比較的混んでいたが、自由席に空席を見つけてなんとか座る。高松到着が丁度お昼前だったので、駅構内にあった連絡船うどんでうどんを食べる。連絡船うどんとは瀬戸大橋開通まで宇野と高松を結んでいた国鉄宇高連絡船のデッキで販売されていたうどんで四国へ向かう人、四国から出る人が賞味していたうどんで、現在は高松駅構内でかつての連絡船のうどんが供されている。
うどんを食べてから高松築港駅へ。再びことでんの旅である。
高松築港1228ー長尾1306 1215 琴電長尾線
長尾ゆきの電車は先ほどと同じ元京急700形の1200形。琴平線ではスピードも結構出ていたが、長尾線ではのんびりとしたスピードで走ってゆく。心地よい電車の揺れについついうとうとしてしまう。30分ほどで長尾に到着。
長尾1328ー瓦町1400 1301 琴電長尾線
瓦町1426ー琴電志度1500 626 琴電志度線
長尾では四国霊場八十八カ所の第87番札所長尾寺をちょっとだけ見てから、再び長尾線にゆられ瓦町へ。瓦町で今度は志度線に乗り換える。
志度線の電車は元名古屋市営地下鉄1800形の600形電車だった。こちらは名古屋市営地下鉄名城線で活躍していた電車で、第三軌条集電からパンタグラフを屋根にのせて架線集電に改造されている。さらに冷房装置は京王線や小田急線の廃車からの流用で、とにかくいろんなものを寄せ集めて改造している感じだ。
この編成は「ことちゃん源平号」となっており、ことでんのICカードIruCaのキャラクター、ことちゃんが沿線の屋島での源平合戦の故事に扮している。ちなみにこのことちゃん。ご当地キャラ総選挙2013で見事3位を勝ち取っており、駅にはポスターが貼られていた。そのポスター、1位は「あの梨」、2位は「あの40代」とぼやかされており、さらに写真には「著作権」と書かれた目隠しがされており、不覚にもちょっと笑ってしまった。この電車に乗り琴電志度へ。ことでんで一番海沿いを走っているので、海岸線を通る場所もあった。
志度1516ー高松1532 3018D特急うずしお18 四カマ
琴電志度の目と鼻の先のJR志度駅から特急うずしおに乗り高松へ戻る。2両編成でそこそこ混んでいたが、なんとか自由席に座席を確保。しかし車内は暑い位暖房が効いている。高松までわずかな乗車なので上着を脱がずに過ごす。列車を降りるときに壁についている温度計を見ると25℃の表示。ホームに下りると涼しさを感じた。
四マツ JR四国松山運転所
四カマ JR四国高松運転所