*当記事の外出は感染症対策を行った上、新しい生活様式に準じた行動をしています。
国府多賀城1524発の仙台ゆきに乗るのですが、途中駅で人立ち入りとかで7分遅れで運転しているようです。仙台駅で30分ほどの余裕があるはずでしたが、だんだんと時間がなくなっていく感じです。JR東日本アプリで運行状況をチェックしながら待ちます。結局7分遅れのまま到着して、仙台には8分遅れとなりました。
一度改札を出て、エスパル仙台東館の中華惣菜店でお弁当を買い、菓匠三全の店舗で仙台銘菓「萩の月」を買ってホームへ戻ります。
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ホームへ降りるとちょうど乗車する列車が、仙台車両センターから回送されてきたところでした。隣のホームに入線する仙山線の電車とともに。
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乗車するのは常磐線・上野東京ライン経由品川ゆき特急ひたち26号です。東日本大震災前までは上野から特急スーパーひたち号が仙台まで走っていましたが、この3月14日からはひたち号の3往復が仙台まで直通してきています。スーパーひたちもいわきから4両編成だったので10両編成の特急電車は非常に長く感じます。しかしながら仙台駅にやってくる久しぶりの特急電車です。
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仙台駅に停車するE657系電車。震災がなければE653系によるいわきー仙台間のローカル特急が走っていたはずなので、まさか10両編成のE657系がやってくるとは思いもよらなかったことでしょう。
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東京までおよそ4時間の行程なので、グリーン車を奮発しました。
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3月14日のダイヤ改正から常磐線が全通し、特急ひたち号も直通運転を開始したので、仙台駅の柱には常磐線の見どころ紹介がありました。飲み物を買って乗り込むと1611定刻に発車。ホームには仙台駅で特急電車を初めて見る子供たちが、お見送りをしていました。
岩沼まで東北本線を走り、岩沼で左にカーブして東北本線から離れていきます。いよいよ常磐線に入ると思い気を引き締めます。ご承知の通り、常磐線は東日本大震災の津波とその後の福島第一原子力発電所事故により、最後まで不通区間のある路線でした。そして2020年3月14日に最後まで不通だった浪江ー富岡間が開通し、震災関連の路線が全て復旧をしました。
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津波被害を受け、E721系電車が津波に流され破壊された映像が印象に残っている新地駅は、旧駅より内陸部に移転されています。その新地駅で下り特急ひたち13号と行き違い。この新地駅を含む浜吉田ー駒ケ嶺間は内陸部へ線路が移設され旧線は廃線になっています。廃線といえど廃線跡は津波に流されてしまったので残っていないのが実情です。しかし沿線では山元町のいちごハウスなど復興へ向けた息吹を感じられました。
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しかし、原ノ町を過ぎて福島第一原発の20km圏内に入ってゆくと、草に覆われた田んぼが広がってくるようになります。街も家が解体され更地になっているところが目につくようになります。
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そんな光景に目を奪われていると1725に浪江駅に到着。浪江駅から先は帰還困難区域にはいり、最後まで不通だった区間です。浪江駅周辺も一見すると普通の駅前のようですが、あちこちで家の解体と、更地化されブロック塀だけが残った場所が目につきます。
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浪江駅の駅舎には線量計が設置されていました。除染したとはいえこの日は0.243μSv/hの線量が計測されています。ちなみに南側の富岡駅では0.06μSv/hでした。
浪江駅を発車するといよいよ帰還困難区域に入ってゆきます。車窓には一見すると普通の景色が広がっているように見えますが、人気の感じられない景色にあるのは、あの日のまま壊れている家々が草木に埋れていっている姿でした。2011.3.11まで人々が生活していた痕跡が家のガラス越しに垣間見られますが、それ以上に9年という歳月は長く、人工物が自然へ飲み込まれつつありました。人気もなく無の景色の中を特急電車が走る。なんだか不思議な感覚に囚われます。
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次の双葉駅は帰還困難区域内ですが、駅前や周辺は特定復興再生拠点区域に指定されて、避難指示解除区域になっています。が、駅から見える景色は駅前とは思えない廃墟感が漂っています。
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さらに次の大野駅も帰還困難区域内ですが駅周辺は避難指示解除区域になっています。が、駅前の街並みにはバリケードがしっかりと置かれ、ここが帰還困難区域であることを見せつけています。かなり衝撃的な光景でした。いつのまにか報道も少なくなってしまいましたが、9年たってもこの状況には慄然としました。
ツツジが彩りを与えることで有名だった夜ノ森駅のツツジも除染によって抜かれてしまいましたが、それでも小さ苗木が植えられて数年後の彩りが楽しみになっています。富岡駅で今回の震災で最後まで開通できなかった区間は終わります。が、この先も津波被害を受けているので、被災地の風景は続きます。しかし、田んぼには苗が植えられ、生活感の感じられる光景になります。その光景になんだか少しホッとしました。ホッとしたところでお腹が減ったので仙台駅で買ったお弁当で夕ご飯にします。夕ご飯を食べ終わるといわき。いわきからは特急らしい走りとなります。
普段であれば湯本、高萩、日立、常陸多賀、東海と停車するとビジネスマンが乗ってくるのですが、時節柄ほとんど乗降はなく水戸へ。水戸からも乗車はなくガラガラのまま列車は水戸から上野までノンストップで走ります。こちらもそろそろ乗り飽きてきた感じだったので少し寝ます。うとうとしてふと目をさますと列車は藤代のデッドセクションを通過する頃。喉を潤してしばし夜の景色を眺めます。
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江戸川を渡って地下鉄千代田線との接続駅綾瀬と通過する頃に降りる支度をそろそろ始めます。上野に停車して東京に2043に到着。数少ない乗客が下車して列車は終点品川へ向けて発車してゆきました。京葉線に乗り換えれば1日目は終了。舞浜駅からバスに乗って自宅へと帰りました。
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