新・空と鷹と鉄の間に

ヒコーキ、ホークス、鉄道好きのブログです。

京都鉄道博物館〜6

2018-05-17 20:17:55 | 鉄道

本館から外のトワイライトプラザへ出ると、3両の機関車と3両の24系寝台客車が保存されています。

まずはEF58形電気機関車。旅客用電気機関車として終戦後すぐの1946年から1948年にかけて初期型が製造されました。当初は従来の電気機関車と同様のデッキ付き車体でしたが、1948年に30両製造されたところで一度発注が止められ、1952年に別形式とも言えるほどの大改良を施して量産され、最終的には172両が登場しました。旧型電気機関車の部類に入りますが、流線型の車体と相まって鉄道ファンの間でも人気の高い機種で、「ゴハチ」の愛称で親しまれました。
保存機は150号機で国鉄時代の1985年にいったん車籍抹消されましたが1986年に車籍復活してそのままJR西日本に継承され、宮原総合運転所に配置され、西日本の直流区間でイベント用として使われていましたが、老朽化のために2011年に再び車籍抹消となりました。車籍復活後はぶどう色2号に塗装されていましが、保存にあたり青とクリーム色の警戒色の一般色に塗装されています。

EF58形と24系客車オロネ24形を挟んだ反対側には、国鉄直流電気機関車のスタンダードであるEF65形電気機関車が連結されています。EF60形に続く平坦線直流電化区間で貨物列車牽引用に開発され1965年から製造されています。当初は故障も多かった機関車ですが改良を重ねて安定した走行が得られるようになり、その実績から寝台特急牽引や高速貨物列車牽引にも抜擢され、改良された500番台、さらには重連運転ができるように貫通扉をつけた1000番台と製造され続け、1979年まで308両が製造されました。ある一定の年代の方であれば東京口のブルートレイン牽引機としておなじみかと思われます。
保存機のEF65 1号機は1965年に製造された初号機で、吹田第二機関区に新製配置されてから吹田を離れたことがなく、1987年の分割・民営化直前に廃車となりましたが、JR西日本宮原総合車両所で保存され続けていました。EF65は現役機もあり、博物館前の線路を走ったりしているので、それらとの比較も面白いでしょう。


EF65をベースに交流区間、直流区間双方を走れるようにしたのがEF81形電気機関車です。主に日本海縦貫線(北陸本線・羽越本線・奥羽本線)で運用されるように、直流・交流50ヘルツ・交流60ヘルツと3電源に対応しています。その運用範囲の広さから寝台特急牽引もこなしており、「トワイライトエクスプレス」「北斗星」「カシオペア」「北陸」「あけぼの」「日本海」「つるぎ」「はくつる」など日本海縦貫線や東北特急を牽引していました。また関門トンネル区間にも一部が投入され、九州特急を関門間でワンポイントリリーフ的に牽引していました。
保存されている103号機は敦賀機関区に配置され、トワイライトエクスプレスを牽引する用に改造されている機関車で、特に列車牽引時の衝撃防止のために、連結器周りに衝撃緩和策が施されています。上のEF65と比べると連結器周りがゴツくなっているのがわかるかと思われます。
このEF81 103号機は京都鉄道博物館入りする際に金沢総合車両所松任本所で整備されてから京都へ回送されましたが、京都に到着した際に運転台を開けると、運転台には花かごが置かれていたそうです。長年整備を担当してきた金沢総合車両所松任本所の職員さんたちのはなむけだったのでしょうか。それほど現場に愛されていた機関車です。

このトワイライトプラザではやはりトワイライトエクスプレスの24系客車を外すわけにはいきません。A寝台個室車のスロネフ25形と食堂車「ダイナープレヤデス」のスシ24形が展示されています。スロネフ25形は大阪方の緩急A寝台客車で2人用A寝台個室「スイート」1室と1人用A寝台個室「ロイヤル」が4室のみ設置されていました。特にスイートは車端部に設置され、後面展望が楽しめるようになっていて、プラチナチケット化していました。窓越しですが個室の様子が見学できるようになっています。


京都鉄道博物館〜5

2018-05-13 20:19:19 | 鉄道

かつて貨物列車のしんがりを務めていたのが車掌車。ヨ5000形車掌車です。モノリンク式の軸箱支持のヨ3500形を2段リンク式に改造して最高速度を上げた車両です。保存されている5008号車は1959年に改造され、同年より汐留貨物駅ー梅田貨物駅間で運転を始めたコンテナ特急貨物列車「たから」号に連結されていました。そのためコンテナ車に合わせてうす緑色と赤色に塗装され、さらには貨物列車としては異例の電照式テールマークを取り付けていました。
このたから号は汐留ー梅田間を10時間55分で結び、現在のコンテナ列車の礎となった列車です。当時は最高速度85km/hでしたが、現在は110km/hのコンテナ車が使われ、かつてのブルートレイン並みの速さで走っています。

次はEF66形電気機関車です。高速貨物列車専用機として1968年から製造され、10000系貨車で組成された高速貨物列車を牽引して東海道・山陽線を上下していました。1985年からは牽引定数の増加により東京発着のブルートレインの牽引機に抜擢され、以降「富士・はやぶさ」号廃止の2009年までブルートレイン牽引機の座を守り続けていました。
保存されているのは35号機で、JR貨物に所属して長年貨物列車を牽引してきた機関車です。延命・更新工事が施されていましたが、保存展示に際して原型に復元されています。さくら号のヘッドマークをつけていました。

こちらはDD51形ディーゼル機関車。国鉄ディーゼル機関車のスタンダードとも言える機関車で、全国各地の非電化区間で活躍していました。そのスタンダードさから、寝台特急も数々の列車を牽引しており、山陰線の出雲や北海道で北斗星・トワイライトエクスプレス・カシオペアを重連で牽引していたのは記憶に新しいところです。
1962年から製造されたディーゼル機関車で、凸型の車体を持った形態は全国で活躍したことからスタンダードな形となっています。保存機は重連総括制御装置を搭載した重連形と呼ばれるタイプです。JR貨物からEF66とともに譲渡されました。出雲号のヘッドマークをつけて展示されています。

この奥にある引き込み線は営業線とつながっていて、法令上は営業線扱いであり、線路終端標識なども整備されています。平時はトワイライトエクスプレスの電源車カニ24と、サロンカーのオハ25、旧型客車のオハ46形が展示されています。イベントなどで現役車両などが展示されることもある場所です。

会津の休日

2018-05-08 20:54:49 | 日記
今年もGWは会津でのんびりと過ごしていました。とはいえどこへも行かないのはなんなので、ドライブをしつつ鉄活動をしていました。

一ノ戸川橋梁ではSLばんえつ物語号を狙いました。この写真を撮った時には晴れていましたが、SLばんえつ物語号通過の時間になるとにわかにかき曇り、雨の中の撮影となりました。
この一ノ戸川橋梁では日曜日の早朝に車を走らせて四季島を狙いに行きました。

道の駅巡りをしつつ寄った道の駅尾瀬街道みしま宿では、近くの山から只見線の第一只見川橋梁が見渡せるのでお手軽に撮り鉄。

そして宿泊したホテルの近くの通称川桁カーブには何度か行き、残り少なくなった719系電車を狙いました。

今年は福島でも桜の開花が早かったようで、GW中に見頃になる猪苗代町観音寺川の桜もすっかり緑の若葉になっていました。
撮影した画像はのちほどアップいたします。お待ちください。

TRAIN SUITE SHIKI-SHIMA 1周年

2018-05-04 19:05:42 | 鉄道

JR東日本のクルーズトレイン四季島が走り始めて1年が過ぎました。1周年を迎えた3泊4日コースを去年と同じく新潟県の新津駅で迎えます。

運行開始時と違い大混雑とまではいきませんが、そこそこの混雑でした。

四季島を出迎えた人たちとSLばんえつ物語号に乗る人で混雑するホームを歩いて撮影をします。運行開始から1年。3泊4日の走りの汚れも出ていますが、きちんと整備されているらしく、美しい姿を保っています。

駅でお出迎えの人にもれなく特別なしおりが配布されていました。四季島の到着する1番ホームに下りてくる人にJR社員が寄って行って配布していました。

裏には四季を走り抜ける四季島の写真がデザインされています。夏は磐梯山のふもと、猪苗代ー川桁間での撮影でしょうか。

今年からSLばんえつ物語号が、新潟駅高架化の影響で新潟駅始発になっているので、SLばんえつ物語号と四季島と撮影に忙しいです。新津運輸区に入庫する四季島を待ってSLばんえつ物語号が発車なので、雨の中SLばんえつ物語と四季島のわずかな出会いを撮影。SLばんえつ物語号運転日と四季島の到着日が一致しないと見られません。
四季島に見送られてSLばんえつ物語号は会津若松へ向けて発車してゆきました。

京都鉄道博物館〜4

2018-05-01 20:10:45 | 鉄道

続いて現れるのがEF52形電気機関車。大正時代の東海道線、横須賀線の電化では欧米から電気機関車を輸入していました。しかし輸入電気機関車の中には信頼性に欠けるものもあり、また国産電気機関車の製造にも目処が立ったことから、国産電気機関車標準機として1928年に製造されました。
旧型電気機関車らしくデッキが付いており、軸配置は2C- C2と後々まで大型電気機関車の標準となる軸配置となっています。
当初は東海道線で列車牽引をしていましたが、1949年からは阪和線や中央東線へ転じ、最終的には竜華機関区(現在の大和路線久宝寺駅周辺)に集結して阪和線で運用されていました。1973年からEF58に置き換えられ始め、1975年まで活躍していました。本機は廃車後奈良運転所で保管されたあと1978年から交通科学館で展示されていました。2004年に鉄道記念物に指定されています。

1800形蒸気機関車です。勾配区間の介在する京都ー大津間(現在線ではなく、旧逢坂山トンネルや奈良線京都ー稲荷間を経由する旧線)で使用するためにイギリス・キットソン社から輸入した機関車で、高性能の割に石炭消費量も少ないので、現場では好評だったようです。
保存されている1801号は1881年に輸入され、1893年に40号に、1909年の称号改正で1801号になりました。1930年に高知鉄道に払い下げられ、1940年から1964年まで東洋レーヨン滋賀工場で活躍していましたが、1964年に国鉄に寄贈されて交通科学館でほぞんされていました。2004年に鉄道記念物に指定されています。京都では1883年の時の40号として保存されています。

続いてはキハ81形。初の特急型気動車で1960年に登場し上野ー青森間の特急はつかりに使われました。その独特な形状から鉄道ファンからは「ブルドッグ」とよばれました。はつかり電車化以降は「つばさ」「いなほ」「ひたち」と転用され、1972年には和歌山に転じ特急「くろしお」に使われました。しかし、老朽化と使い勝手の悪さから1979年までに全車廃車となり、最後まで残った3号車が保存されています。京都鉄道博物館入りする際に修繕が行われ、開かずのボンネットが開けられるようになりました。

展示位置としてはかなり後ろの方にひっそりといった感じで100系新幹線電車がいます。100系新幹線V編成グランドひかりとして1989年に登場した車両で16両編成に2階建車両が4両連なる編成でした。新幹線の食堂車としては最後まで営業をしていましたが、高速化の波には勝てず、2000年から編成を短縮してこだま号で活躍をしました。
保存車は122-5003でK54編成の東京方先頭車です。この位置から見るとあまりわかりませんが、ちょっと高いところから見ると、クーラーキセが外されていて、クーラー本体が剥き出しになっています。搬入の際に嵯峨野線高架橋に支障するために外されてそのままになっているようです。下から見るぶんには目立たないのでまあいいですが、細かいところにも気を配って欲しかったと思わざるを得ません。