新・空と鷹と鉄の間に

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京都鉄道博物館〜4

2018-05-01 20:10:45 | 鉄道

続いて現れるのがEF52形電気機関車。大正時代の東海道線、横須賀線の電化では欧米から電気機関車を輸入していました。しかし輸入電気機関車の中には信頼性に欠けるものもあり、また国産電気機関車の製造にも目処が立ったことから、国産電気機関車標準機として1928年に製造されました。
旧型電気機関車らしくデッキが付いており、軸配置は2C- C2と後々まで大型電気機関車の標準となる軸配置となっています。
当初は東海道線で列車牽引をしていましたが、1949年からは阪和線や中央東線へ転じ、最終的には竜華機関区(現在の大和路線久宝寺駅周辺)に集結して阪和線で運用されていました。1973年からEF58に置き換えられ始め、1975年まで活躍していました。本機は廃車後奈良運転所で保管されたあと1978年から交通科学館で展示されていました。2004年に鉄道記念物に指定されています。

1800形蒸気機関車です。勾配区間の介在する京都ー大津間(現在線ではなく、旧逢坂山トンネルや奈良線京都ー稲荷間を経由する旧線)で使用するためにイギリス・キットソン社から輸入した機関車で、高性能の割に石炭消費量も少ないので、現場では好評だったようです。
保存されている1801号は1881年に輸入され、1893年に40号に、1909年の称号改正で1801号になりました。1930年に高知鉄道に払い下げられ、1940年から1964年まで東洋レーヨン滋賀工場で活躍していましたが、1964年に国鉄に寄贈されて交通科学館でほぞんされていました。2004年に鉄道記念物に指定されています。京都では1883年の時の40号として保存されています。

続いてはキハ81形。初の特急型気動車で1960年に登場し上野ー青森間の特急はつかりに使われました。その独特な形状から鉄道ファンからは「ブルドッグ」とよばれました。はつかり電車化以降は「つばさ」「いなほ」「ひたち」と転用され、1972年には和歌山に転じ特急「くろしお」に使われました。しかし、老朽化と使い勝手の悪さから1979年までに全車廃車となり、最後まで残った3号車が保存されています。京都鉄道博物館入りする際に修繕が行われ、開かずのボンネットが開けられるようになりました。

展示位置としてはかなり後ろの方にひっそりといった感じで100系新幹線電車がいます。100系新幹線V編成グランドひかりとして1989年に登場した車両で16両編成に2階建車両が4両連なる編成でした。新幹線の食堂車としては最後まで営業をしていましたが、高速化の波には勝てず、2000年から編成を短縮してこだま号で活躍をしました。
保存車は122-5003でK54編成の東京方先頭車です。この位置から見るとあまりわかりませんが、ちょっと高いところから見ると、クーラーキセが外されていて、クーラー本体が剥き出しになっています。搬入の際に嵯峨野線高架橋に支障するために外されてそのままになっているようです。下から見るぶんには目立たないのでまあいいですが、細かいところにも気を配って欲しかったと思わざるを得ません。