岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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ノモンハン事件の歌:坪野哲久の短歌

2012年03月18日 23時59分59秒 | 私が選んだ近現代の短歌
・ノモンハンにうち重なりて斃れしを日本の兵と豈(あに)いはめやも・

「桜」所収。1940年(昭和15年)刊。

先ずは語註から。「豈(=どうして・・・出来ようか」「めやも(=・・・しない。反語表現)」。

 歌意「ノモンハンに戦死した者たちを、どうして日本の兵と言えようか。(いや言えるものか)」。

 ノモンハンは満州とソ連の国境にある。ここで1939年(昭和14年)5月、日本とソ連との軍事衝突が起った。すでに国家総動員法が定められ、産業・文化・思想の統制が行われ米の配給制も始まっていた。この年、アメリカは日米通商条約の廃棄を日本に通告。日米の軍事的緊張は高まっていた。

 この戦時色濃厚な時期に詠まれた歌ということに注目しておきたい。次に軍隊の性格。このブログで何度も取り上げたように、日本軍は「皇軍(=天皇の軍隊)」だったことにも注意する必要がある。

 そこを押えると作品の重さがわかる。兵士は「天皇の名」のもと死んでいったのだ。「うち重なりて」が痛々しく、切迫している。戦争の行方をも暗示しているようである。あるいは、戦死者に敵味方などない、という意味か。後者の意味あいが濃厚だが、両方を暗示した表現であることも否定できない。戦時下の思想統制の厳しい時期だ。

 この坪野の「桜」という歌集を「集成・昭和の短歌」(編集・岡井隆)は次のように言う。

「『桜』は戦時下における沈鬱な心情を抽象化して把握。」

 第一歌集の「九月一日」は発禁となっており、坪野の反骨精神がわかる。

 この時期斎藤茂吉は鹿児島県に招かれ、鹿児島・宮崎で歌を詠んだ。その作品は「のぼり路」に収められている。

・高千穂の宮に軍(いくさ)の議(はかりごと)遂げたまひたることぞかしこき・

・高千穂の宮居(みやゐ)をしぬびたてまつり二たび見さくる山ぞ全(また)けき・

・天降(あも)りましし国の肇のいきほひを青年(わかびと)こぞりけふぞあふがむ・

・日の本の常稚国(とこわかくに)の血の脈(すじ)をいまに伝へて仕へまつらふ・

と天孫降臨の歌を詠んでいる。翌年は紀元2600年の「国民的行事」が行われこのことも歌に詠まれ「のぼり路」に収められている。これが戦意高揚と表裏一体なのはあきらかで、茂吉自身がかつて否定していた「ため」の短歌である。これについては岩波文庫「斎藤茂吉歌集」の「解説」に詳しい。

 またそのことと茂吉の資質(山岳信仰)との関係は、岡井隆著「茂吉の短歌を読む」で簡潔にまとめられている。




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