・鎌倉や御仏なれど釈迦牟尼は美男におはす夏木立かな・
「恋衣」所収。
与謝野晶子の作品のなかで人口に膾炙しているもののひとつ。難解・固い語句はなく、歌意もわかりやすい。鎌倉の大仏を「美男」と捉えたところが浪漫的な甘美さ、ある種のなまめかしさ、当時の女性としては思いきった表現である。いわば浪漫派らしい詩的把握だと言える。
しかし、「写実派」からは様々な異論がだされる。伊藤左千夫曰く、「釈迦牟尼を美男とは何事か」。怒りに近い声である。
またある歌人曰く、「鎌倉の大仏は釈迦牟尼ではなく、阿弥陀仏だ」。釈迦牟尼は釈迦如来のことで、釈迦は仏教の開祖。(正確にはシャカ族という貴族の一員で、釈迦如来とは「シャカ族出身で精神的悟りに達した者」。)奈良の大仏は蘆沙那仏で、すなわち釈迦如来。
それに対し阿弥陀如来は、西方浄土に住む「如来=悟った人」で、如来だからシャカとは同格。悟りを目指して修行中の菩薩の「上位」に位置する者。
とまあ釈迦如来と阿弥陀如来の違いを長々述べたが、「写実派」の歌人はそういう「事実」に引っ張られる。中でも伊藤左千夫の批評には、宗教的感情が絡んでいるところがあって、さらに問題を複雑にしている。
当時は「明星派=浪漫派」全盛で、「写実派」の方は機関誌の発行に苦心惨憺しながら根岸派を纏めなければならない苦しい時期だった。伊藤左千夫からすれば、是非ともここでアピールせねばならぬ事情もあったのだろう。
しかし、浪漫派の作品は浪漫派の作品として評価すればいいのである。絵画でいえば、水彩画の絵を油彩画の技法の基準で批評する人間はいない。
前の記事でも書いたが、浪漫派は浪漫派なのである。伊藤左千夫が与謝野晶子に異議を申し立てたのには、「浪漫派」と「写実派」の力関係が影響しているものと見える。
これが斎藤茂吉の時代になると立場は逆転する。茂吉の「写生の説」について、与謝野晶子は、「写生というなら、その場で是非とも歌を詠まなければならない。」と論難し、茂吉は「何年かたって読んでもいっこうに構わない。」と一蹴。余裕と自信を見せる。
「浪漫派」と「写実派」の間で、追いつ追われつの緊張関係があった訳だ。一方で、斎藤茂吉と北原白秋の「近さ」はたびたび言われるところである。
「旗幟を鮮明にしながら切磋琢磨する」と茂吉がいうような、良い意味での緊張関係だったと僕は思う。
今の歌壇にこうした「いい意味での緊張関係」は果たしてあるのだろうか、と時々思う。