・父として幼き者は見上げ居りねがわくは金色の獅子とうつれよ・
「金色の獅子」所収。
「幼き者」とは言うまでもなく作者の子どもでる。しかし、世の父親たちすべてと子どもたちすべてとして読むこともできる。
この歌を初めて読んだのが何時だったのかは忘れてしまった。上の句も長い間忘れていた。しかし改めて読むと、「子どもが羨望の眼で父親を見上げている場面」がありありと浮かぶし、長い間頭をはなれなかった。
父の日に引用されることが多いというが、これほど自信に満ちた「父の姿」をかくも凛々しく詠った歌を僕は知らない。明治の近代短歌草創のころ与謝野鉄幹が「ますらおぶり」を唱えた時期があったが、現代の「ますらおぶり」といってもいいと思う。
作者の率いる「心の花」は「おのがじし」を掲げているが、俵万智なども含んでしまう「守備範囲の広さ」を感じる。
正岡子規は「心の花」の誌上に作品を発表し、その死後に「根岸短歌会」と「竹柏会(「心の花」)」の合同話もでたが、「心の花」から異論がでて(おそらく「根岸短歌会」のほうからも)話は頓挫したと聞く。
それはある意味必然だったのだろう。この記事を書いていて気づいたのだが、「写実短歌」の「短歌の調べの説」と佐佐木幸綱の「短歌の響き説」の違いをこれほど感じさせる作品はないと思う。
しかしそれは抒情の質の問題とそれを如何に表現するかの問題であるから、どちらが優れているかということでないのは勿論である。