・焼山の高きなだりをおほひたる菜の花おぼろ春ふけにして・
「群丘」所収。1951年(昭和34年)作。岩波文庫「佐藤佐太郎歌集」111ページ。
佐太郎による自註。
「それから湯抱というところへ行った。斎藤茂吉先生が、< 鴨山考 >で人麿没処とさだめた鴨山のあるところで、先生を記念して毎年歌会が開かれたから出席したのである。山陰線の石見太田駅から山間の道を縫うように走って湯抱温泉に着くのだが、両側の山はさして高山というのではないがきびしくそそり立っている。或る山は木を伐採したあとに火を放ち、そこに菜種をまいて、それが頂上にかけておぼろに黄に咲いていた。来年はそこに木の苗をうえるのだろう。深山で変った残春にあったのである。第四句< おぼろ >と名詞でちょっと切れている。だから連体形の結句が安定している。」(「作歌の足跡-海雲・自註-」)
山焼きのあとの斜面を覆うように菜の花が群れ咲いている。それがおぼろに見えるのだという。春霞のせいか、それとも遠くだからはっきり見えないのか。おそらく佐太郎は言うだろう。
「そう見えたのだ。」
この客観と主観の微妙な関係性が佐太郎短歌の特徴のひとつだ。特に「おぼろ」の一言が効いている。「春ふけにして」は季節を表現したものだが、ここにまで作者の主観がはいり込んでくるようである。上の句の情景描写が適格で、それが下の句の主観表現の呼び水となっている。「おぼろ」で小休止しているという「息づかい」のやわらかさが、春の情景を表現して余りある。
このように客観(事実・具体)にもとづきながら、主観を読み込むのは、伊藤左千夫にも島木赤彦にも見られない。とくに島木赤彦は極端に「主観語」をきらった。
冒頭の佐太郎の作品には「主観語」がはいっていないが、下の句が主観である。こういう傾向は、伊藤左千夫から「理想派=空想派」と呼ばれた斎藤茂吉の作風を進展させたものといっていいだろう。
「何かを暗指する抒情味で、天然に存在する複雑な葛藤をば、一面では落ち着いてあらはして居り、一面ではその葛藤と同化して思ふ存分詠嘆してゐる。」(「長塚節の歌」)・・・岩波文庫「斎藤茂吉歌論集」200ページ。
佐太郎の作品の「おぼろ」に見えてという表現も何か暗示的である。