・信濃路はいつ春にならん夕づく日入りてしまらく黄なる空のいろ・
「柿蔭集」所収。(大正15年)刊。大正15年作。
故郷の諏訪で病気療養中の作である。アララギの編集発行人は齊藤茂吉に交代していた。交代したまさにその年が大正15年であり、同年3月には永眠しているから「辞世」と考えていいだろう。
歌意「この信濃の国はいつになったら春がやって来るのだろう。遠い西空に日没後の余光がしばらく残っている。しみじみと春が待たれることだ。」
島木赤彦の絶詠としては、「隣室に書(ふみ)よむ子らの声きけば心に沁みて生きたかりけり」が有名だが、掲出の作品の方が、初句と二句が心情の表現、三句目以降が叙景という工夫・二句切れの強みがあるように思う。
ともあれ静かな切実さが、景に象徴的に託されている。静かなるがゆえに一層こころを打つ。
ほかの写生派・写実派歌人の「絶詠」「老いの歌」と比べてみよう。
・いちはつの花咲きいでて我目には今年ばかりの春行かんとす・(正岡子規)
病床にありながら庭の景色を凝視している。下の句が主情的で子規としては珍しい。
・今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべて幽けき寂滅の光(伊藤左千夫)
左千夫晩年の心境があらわれている。晩年の心労がこの歌を生んだとも言われる。
・茫々としたるこころの中にゐてゆくへも知らぬ遠のこがらし・(斎藤茂吉)
意識朦朧。塚本邦雄は秀歌として選んでいない。写実派との評価の違いが際立つ。
・杖ひきて日々遊歩道ゆきし人このごろ見ずと何時人は言ふ・(佐藤佐太郎)
きびしく自分を客観視している。佐太郎短歌の特徴である。