今回の特集は論考五人、河野裕子のボキャブラリーの背景についての写真とエッセイが二人。娘の永田紅と息子の永田淳だった。
:高野公彦・河野裕子の文体と語彙:
「(河野裕子は)ずっと文語・口語の入り混じった文体である。だが、ゆるやかに文語主体から口語主体へと変貌してゐるやうだ。」
「口語と言っても、いろいろな歌がある。テーマがシリアスだからである。」
(=口語を短歌に取り入れるのは意外と難しい。高野公彦はその難しさを論考の後段で、いくつか指摘している。的を得た指摘だと僕は思う。)
:伊藤一彦・河野裕子のオノマトペ:
「くしゃくしゃ・ふんふん・ざわっ・きゅっ・ぎゅうぎゅう」(河野裕子のエッセイ)
「胸から上は、ざわっと着て、腰から下はきゅっと締める」(河野裕子のエッセイ)
「河野裕子河野裕子はオノマトペで歌い、生きた歌人だったと思う。」
(=オノマトペを多用しながら軽くならない。河野裕子は余程の工夫をしたか、或いは天性のものだったのか、どちらかだろう。オノマトペを使うときに心掛けたいことだ。)
:栗木京子・上方風歌ことばの魅力:
「つまり、河野は関西独特の言葉の粋やしらべの妙味を充分に意識して歌に反映させつつも、ナマな形で導入しようとはしなかった。」
「文語の格調と口語の軽妙さを同時に生かすために、上方風のウ音便や『さびしやな』『悪かろか』『よろし』などの芝居がかった語調が選ばれて、河野の感性と絶妙の相性の良さを見せたに違いない」
「一般的な文語とも口語とも一味違う、河野特有の『上方風歌ことば』の魅力をそこに感じるのである。」
(=河野裕子のオノマトペを音便と「上方風歌ことば」と言う切り口での論考は新しい河野裕子像を浮かび上がらせたと僕は思う。)
:光村裕樹・歌人のパレット:
「ふと、色についての語彙を拾いつつ、河野裕子の歌の世界を振り返ってみようと思った。」
「(拾った色にといての語彙)赤・紅・黒緋(くろあけ・深い緋色)・赭(あか・赤錆色に近い)・青・あを・群青・飴いろ・枇杷色・白黒(モノクロ)」
「ひとりの歌人を喪うということは、ひとつのパレットを完全に失うことでもある。」
(=色彩語の豊富さは塚本邦雄の「水銀伝説」がよく知られているが、河野裕子についての論考は初めてだろうと思う。興味深く読んだ。)
:梨木香歩(作家)・発見する力:
「くつろぎ、冗談も言い合う、日常の舞台である「家庭」、けれどそこにあるある種のおかすべからざる「聖性」が存在する、そのことを彼女は発見し、もしかしたら最初から知っていて、そしてその象徴たる『眸(め)のしづかな耳のよい木』を、倦まず弛先ず育ててー言語化してきた。」
(=先月の「小さな発見を歌う」の特集の内容とオーバーラップする。まず「何をどう発見するか」で短歌の素材は決まる。そしてこれが意外と重要なのだ。)
そのあとの、永田紅と永田淳による写真と文章は河野のボキャブラリーの背景を知るうえでの注目点だった。つまり、河野のボキャブラリーは自然に豊かになって行ったのではなく、生活の裏付けがあったのだ。ボキャブラリーは無為に過ごして習得出来るものではないという事だ。