岩田亨の短歌工房 -斎藤茂吉・佐藤佐太郎・尾崎左永子・短歌・日本語-

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塔の上のひとひらの雲の歌:佐佐木信綱の短歌

2010年04月20日 23時59分59秒 | 私が選んだ近現代の短歌
・ゆく秋の大和の国の薬師寺の塔の上なるひとひらの雲・

 「新月」所収。1912年(明治45年)作。

 旧派から出て短歌革新の一翼を形成した作者。本林勝夫による鑑賞をまとめると次のようなものだ。

1.古典的調和感においてすぐれた作品が多い。

2.「明星」派の影響を思わせろ作品も少なくないが、堅実なよみ口と破綻の少ない表現はいかにも信綱らしい。

3・「・・・の・・・の」の重複によるリズム感。

4.「ゆく秋の」とやわらかく詠み起こし、体言止めで一首をひきしめている。


 万葉学者として著名な作者である。特に「万葉集・岩波文庫」はロングセラーである。僕も最初に万葉集を詠んだのは、この本だった。アララギの歌人たちも「万葉集」を積極的に研究し、島木赤彦・斎藤茂吉・土屋文明も万葉集に関する著作を残しており、「万葉調」を旗印とした。

 「短歌史の考察」でも述べたが、アララギ系の歌人たちと佐佐木信綱では「万葉集」の受け取り方に違いがあったようで、根岸短歌会との合同話は立ち消えになったが、斎藤茂吉の歌論を読むと「佐佐木博士」と敬意をこめて呼んでいる。

 「アララギ」が「写生」を万葉集の中に見、「心の花」(当時「心の華」)は「自由奔放さ」を万葉集の中に見た。その辺りに両者の共通点と違いがあるようだ。これは悪いことではないと僕は思う。

 それぞれ一派を構えるからは、旗印は鮮明なほうがよい。「おのがじし」もまた一つの「党派」である。政治の世界に「無党派」という「党派」があるのと同じであると思うが、いかがだろうか。




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