どうでもいいです、の話

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保守記事.108 消えますよ

2006-10-17 15:17:17 | 記事保守
メールの0.71~1.02%は「ただ消えて無くなる」~Microsoft研究者らが論文(INTERNET Watch) - goo ニュース
2006年10月17日(火)00:30

 送信されるメールの0.71~1.02%はただ消えて無くなり、相手の手元に届かないことが、15日に発表された論文により明らかになった。どのメールが消えてなくなるかは、送信者および受信者は関与・関知できないことから、この現実は重大な問題につながりかねない。

  この研究は、米Microsoftの研究部門であるMicrosoft Research所属の研究者とカリフォルニア大学バークレー校の研究者の計3人が共同で行なったものだ。これまでの先行する研究では、このようにただ消 えて無くなるメールの割合には大きな差があり、だいたい0.55%から5%の間であるとされてきた。今回の研究ではさまざまなバイアスを取り去り、精度を 高めるために工夫した結果として、メールが消えてなくなる割合を0.71%から1.02%の間であろうと推定している。研究者らは、この消失の主な原因が スパムフィルターであると考えている。

 研究では、この実験のために複数のメールアカウントを取得。メールコンテンツの内容もパラつくよ うにし、複数のシステムを使って送受信を行なった。メールアカウントは大学、商用のもの、企業ドメインをオーストラリア、カナダ、ニュージーランド、英 国、米国にある計46アカウントで利用した。メールのコンテンツにはいわゆる「エンロンコーパス」と呼ばれるエンロン裁判で公開された典型的なビジネス メールの文面を集めたメール約1,700通が利用された。
 その結果としていくつかのことが判明した。例えばGIFファイルを添付した場合にメールが消失する割合は特に通常の場 合と違わなかった。逆にHTML形式のメールは、より高い割合で消失した。また、メールの書き方によって消失する割合が変化することも判明した。メールが ビジネスの提案であったり、エンロン関連のニュース、あるいは特定の株式に関する情報である場合にはメールの消失率が急激に増加した。

  メールが消失する理由は主にスパムフィルターであり、それにも複数の理由が考えられる。多くの企業ではIPアドレスフィルタリングを使用しているため、受 信箱に届く前におよそ90%のメールが除去される。この場合、リレーSMTPサーバーが受信者のSMTPサーバーのホワイトリストに載っていない、あるい はブラックリストに載っているという理由で除去されることもあれば、ある一定量以上のメールが送信されているためにそのSMTPサーバーからのメールが除 去される場合もある。また、旅行先からのメールにおいては、ホテルのSMTPサーバーがホワイトリストに載っていないために除去されるということもあり得 る。こうした場合にはコンテンツに基づいてフィルタリングを行なうスパムフィルターの手元にさえメールが届かないため、受信者・送信者からすると「ただ消 えて無くなる」ように見えるという結果を招く。

 こうした事柄の結果として、メールがただ消えて無くなる場合と、スパムコンテンツフィル ターの双方によって消失するメールの割合は1.79~3.36%。スパムコンテンツフィルターによる消失割合を除くと、メールがただ消えて無くなる場合は 0.71~1.02%の間であると推定している。これは1日30通のメールを1年間送信するとして、3日分のメールがただ消えて無くなるということを意味 している。

 こうした問題はいずれもSMTPやスパム対策の問題であるとして、研究者らは「SureMail」というSMTPに基づいた新しいメールインフラを提案し、実装したことを論文の中で述べている。
関連情報

URL
  Microsoft Researchの論文(英文)
  http://research.microsoft.com/research/pubs/view.aspx?type=technical+report&id=1191


( 青木大我 taiga@scientist.com )
2006/10/16 12:11


保守記事.107 救う会を救うかい?

2006-10-17 10:28:35 | 記事保守
J-CAST ニュース : 2ちゃんねらーと 救う会が初の「対話」2006/10/16

   重い心臓病のため、米国での移植手術を希望している東京都三鷹市の上田さくらちゃん(4)を支援する「さくらちゃんを救う会」に対するネット上の批判が止まらない。「救う会」広報担当者のmixi(ミクシィ)日記にも、説明を求める声が殺到、そのせいもあって2ちゃんねらーと「救う会」幹部との直接面談が行われた。

   今回、「救う会」への面談を申し込んだのは、2ちゃんねるの 前身である匿名掲示板「あめぞう(98年開設)」時代から掲示板への書き込みを行ってきた、「がんだるふ」さんだ。がんだるふさんは、臓器移植や、それに ともなう募金活動の問題点を指摘し続けてきた。今回の「さくらちゃん」の件でも、mixi上で増殖する募金要請の書き込みに対して、「救う会」の活動のあ り方に疑問を投げかける書き込みを大量に行う「絨毯爆撃」をしたり、「救う会」の広報担当者のmixi日記に同様のコメントを書き込むなどした。

ネットに対する大きな「温度差」も浮き彫りに

   広報担当者の質問に対する返答が遅れ気味だったことに、がんだるふさんが「これではラチがあかない」と、直接の対話を申し込んだ。

   「対話」は、2006年10月15日、吉祥寺の2階建てアパートの1室にある「救う会」の事務所で行われた。参加者は、がんだるふさん、「救う会」代表の永田浩三さん、事務局広報担当の筧誠一郎さんの3人。ちゃぶ台を囲んで2時間半に渡って対話が行われ、J-CASTニュース記者も取材させてもらった。

   対話の多くの部分が、がんだるふさんによる、「ネット上で何が『救う会』の問題点として指摘、非難されているのか」の説明に費やされた。また、がんだるふさんと「救う会」の間の、ネットに対する大きな「温度差」も浮き彫りになった。例えば、がんだるふさんは

「ネットでは様々な意見がでるが、間違った書き込みには『それは違う』という別の書き込みが行われ、『自浄作用』のようなものが働く。多少荒れても、実害はない」

と主張するが、救う会の側は、そうは思っていないようだ。例えば筧さんは、

「『早く死ねばいいじゃん』と書かれたメールが届いた時は、どーんとへこみました。相当心が痛みます。ネット社会に耐性がない人間にとっては、仕事する気がなくなるくらいダメージを受けるものです」
「携帯の番号がネット上にさらされて、電話がくると、怖くて取れません」

などと語る。

   また、ネット上で指摘されている事に対する「救う会」の対応が後手後手に回っていることが、騒動が沈静化しない一因といえそうだ。例えば、さくらちゃんの両親がNHKの職員であることや、父親が職場では旧姓を使用していたことが「隠蔽」として批判が加速したことについて、永田さんは

「(さくらちゃんの両親が)NHK職員だということを隠したことはありませんし、地域では旧姓で通っていたので、会見でも使ったのです。でも、会見では、NHKでは旧姓を名乗っています、と言えば良かったです」

と話すが、これに対しても、がんだるふさんは

「この件についての説明がウェブサイトに掲載されるまで、(ネット上で批判の声が上がってから)1週間近くかかりました。このタイムラグが、ネットの社会では非常に痛いんです」

と、救う会のネット社会への不慣れさを指摘する。

剰余金はトリオジャパンに引き渡されることはない

   その他の、ネット上で指摘されている「疑惑」についてはどうなのだろうか。

   「救う会」に「不測の事態に備えて、剰余金は基金がそのまま管理する」ようにアドバイスしている、国際移植組織「トリオジャパン」に対して、ネット上では「剰余金がトリオジャパンに渡り、不透明な管理がなされるのではないか」という指摘が相次いでいる。特に同団体は、週刊女性(10月24日号)の取材に対し、

「難病の子供を抱えた親を温かい目で見て、お金の面でシビアに追求しないでほしい。受託した資金の使途は患者さんの支援や啓発活動に使っていますが、明細は公開できません。このままの状態で、活動を続けることを望んでいます」

と「不透明な管理」を続ける趣旨の発言を行い、火に油を注ぐ形になっている。このような状況の中、永田さんは

「7月以降トリオに色々なアドバイスをいただいていますが、情報の提供をしていただいている、ということです。こちらから何かを支払ったことは一度もあり ませんし、今後もありません。これは、お約束します。さくらちゃんのためにいただいているお金ですので、それ以外には使えないお金です」

と、剰余金はトリオジャパンに引き渡されることはないことを言明した。

   ただ、ネット上では注目されていた、さくらちゃんの両親の家の資産価値については、「公開したところで、『それを売れよ』という動きが加速するのではないか」として、「対話」の中では明らかにされなかった。

   「救う会」への募金は、10月16日集計分で1億1,496万9,110円に達している。



保守記事.106 ブラックジャックによろしく

2006-10-17 10:23:01 | 記事保守

<分べん中意識不明>18病院が受け入れ拒否…出産…死亡 (毎日新聞)


 奈良県大淀町立大淀病院で今年8月、分べん中に意識不明に陥った妊婦に対し、受け入れを打診された18病院が拒否し、妊婦は6時間後にようやく約60キ ロ離れた国立循環器病センター(大阪府吹田市)に収容されたことが分かった。脳内出血と帝王切開の手術をほぼ同時に受け男児を出産したが、妊婦は約1週間 後に死亡した。遺族は「意識不明になってから長時間放置され、死亡につながった」と態勢の不備や病院の対応を批判。大淀病院側は「できるだけのことはやっ た」としている。

 妊婦は同県五条市に住んでいた高崎実香さん(32)。遺族や病院関係者によると、出産予定日を過ぎた妊娠41週の8月7日午前、大淀病院に入院した。8日午前0時ごろ、頭痛を訴えて約15分後に意識不明に陥った。

 産科担当医は急変から約1時間45分後、同県内で危険度の高い母子の治療や搬送先を照会する拠点の同県立医科大学付属病院(橿原市)に受け入れを打診したが、同病院は「母体治療のベッドが満床」と断った。

 その後、同病院産科当直医が午前2時半ごろ、もう一つの拠点施設である県立奈良病院(奈良市)に受け入れを要請。しかし奈良病院も新生児の集中治療病床の満床を理由に、応じなかった。

  医大病院は、当直医4人のうち2人が通常勤務をしながら大阪府を中心に電話で搬送先を探したがなかなか決まらず、午前4時半ごろになって19カ所目の国立 循環器病センターに決まったという。高崎さんは約1時間かけて救急車で運ばれ、同センターに午前6時ごろ到着。同センターで脳内出血と診断され、緊急手術 と帝王切開を実施、男児を出産した。高崎さんは同月16日に死亡した。

 大淀病院はこれまでに2度、高崎さんの遺族に状況を 説明した。それによると、産科担当医は入院後に陣痛促進剤を投与。容体急変の後、妊娠中毒症の妊婦が分べん中にけいれんを起こす「子癇(しかん)発作」と 判断し、けいれんを和らげる薬を投与した。この日当直の内科医が脳に異状が起きた疑いを指摘し、CT(コンピューター断層撮影)の必要性を主張したが、産 科医は受け入れなかったという。

 緊急治療が必要な母子について、厚生労働省は来年度中に都道府県単位で総合周産期母子医療センターを指定するよう通知したが、奈良など8県が未整備で、母体の県外搬送が常態化している。

 大淀病院の原育史院長は「脳内出血の疑いも検討したが、もし出血が判明してもうちでは対応しようがなく、診断と治療を対応可能な病院に依頼して、受け入れ連絡を待っていた」と話した。

 一方、高崎さんの遺族は「大淀病院は、総合病院として脳外科を備えながら専門医に連絡すら取っていない。適切な処置ができていれば助かったはずだ」と話している。【林由紀子、青木絵美】

[毎日新聞10月17日]


[ 2006年10月17日3時00分 ]

保守記事.101-3 ぼくたちの将来は。。。

2006-10-17 09:57:59 | 記事保守
福岡、中2自殺 変わらぬ隠蔽体質 心の痛み共感できない学校(産経新聞) - goo ニュース
2006年10月17日(火)03:44
 福岡県筑前町立三輪中学校の2年生の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、同校校長は16日、1年当時の担任による言葉のいじめを認め、全校 集会が開かれた。文部科学省は過去のいじめ自殺で、いじめの定義を変更するなど、隠蔽(いんぺい)体質になりがちな学校の対応の変化をうながしてきたが、 いじめが原因の自殺はこの7年間、統計上ゼロ。子供の心の痛みを共感できない学校や教師に関係者からは批判の声がでている。

 《解明困難…「いじめ自殺7年連続ゼロ」》

 文科省は、いじめの定義について、(1)自分より弱いものに一方的に(2)身体的、心理的な攻撃を継続的に加え(3)相手が深刻な苦痛を感じている-としている。

 昭和61年、東京都中野区立中野富士見中2年、鹿川裕史君=当時(13)=が、担任教師まで加わった“葬式ごっこ”などのいじめを苦に自殺した事件を踏まえて定義されたものだ。

 さらに平成6年、愛知県の西尾市で市立東部中2年、大河内清輝君=同(13)=がいじめを苦に自殺。この事件後、同省はいじめの定義にあった「学校とし ていじめの事実関係を把握しているもの」の文言を削除。「遺書などで『いじめられた』と子供が訴えれば、具体的な事実関係を厳密に特定するまでもなく、い じめがあったと認定する」(同省)ことで、隠蔽されがちないじめに対する学校の対応の変化をうながした。

 文科省の統計では、小、中学、高校のいじめは年間約2万件以上。一方、児童生徒の自殺は年間100人以上で推移している。しかし、いじめを主たる理由とする児童生徒の自殺件数は、平成10年に千葉県成田市の中学2年生が自殺した事件を最後に17年までの7年連続ゼロだ。

 同省では「自殺の原因を学校で特定するのは、非常に困難だ。特にいじめの場合、教師の目を盗んで行われる場合もあり正直、遺書がなければいじめと特定することは困難」と話す。

 しかし、北海道滝川市のいじめ自殺では遺書にいじめの記述がありながら市教委と学校が「いじめがあったか確定できない」としていた。

 同省では、滝川市のケースで自殺の3週間前にも同クラスで修学旅行のグループ分けをめぐり3回にもわたって話し合いが行われたことについて、「自殺した 生徒にすれば、教師も加わっていじめられたように感じるだろう。福岡の担任にも言えることだが、校長でもいい、教委には指導主事もいる。なぜ、『指導とし ておかしい』と担任を正さなかったのか」と学校運営の問題点を指摘。ある文科省の幹部は「こうした事件が起きる学校は必ずといっていいほど『担任任せ』も しくは『校長排除』の空気がある。情報の風通しが悪く、組織一丸となった対応に鈍い」と話す。

                   ◇

 《校長、「いじめ」を「プレッシャー」と表現》

 福岡県筑前町立三輪中学校のいじめ自殺問題で、合谷(ごうや)智校長が16日朝の全校集会で、他の生徒によるいじめを「プレッシャー」と表現していたことが分かった。

 合谷校長は午後に町役場で開いた記者会見で「男子生徒に対するいじめがあった」との認識を改めて示した上、「子供たちの姿を見て、いじめという言葉が出てこなかった。わたしの弱さだ」と釈明した。

 全校集会は生徒の自殺を受け、午前8時半すぎから約30分間、報道機関に非公開で開いた。会見によると、合谷校長は生徒らを前に「君たちがプレッシャーを与えることはあった。そのことに対して『ごめんなさい』と謝る気持ちが大切です」と発言したという。

 不適切な発言でいじめたとされる元担任は、全校集会は体調不良を理由に欠席。合谷校長は学校側の非を認め、生徒たちに謝罪した上で、「これからは『先生、そんなこと言ったら傷つくよ』と話し、みんなで優しい人間になっていこう」と話したという。

 一方、合谷校長は「マスコミやインターネットで出ている学校と違うと知っているのは君たちとわたしたち。振り回されてはいけません」とも発言したとい う。会見では「ネットの書き込みに目を覆いたくなる内容があった」と述べ、「マスコミ」の問題を指摘した言葉は削除するとした。

 遺族が学校側の説明に納得していない点について、合谷校長は会見で「(原因究明への)情報収集で学校が遅れているなと思う。大変申し訳ない」と釈明。「経験したことのない事態で、今までの三輪中の組織力ではもう限界を超えている」と話した。

 一方、文科省は16日、福岡県教委に職員を派遣し、教諭の関与について調査に乗り出すことを決めた。

                   ◇

 埼玉県教育委員の高橋史朗・明星大教授の話

 「最大の問題は、子供と心のキャッチボールができず、心の痛みを共感できない教師の存在だ。教師に求められるのは知識・技術の伝達だけで、『時代が要請 する教師像とは何か』という視点が戦後教育からすっぽり抜け落ちていた。このため、子供を不用意に傷つける教師の言動が増えている。今、教育現場に問われ ているのは教師自身の人間力。望ましい教師像とは何かを改めて考え、教師の養成、採用、研修に努めるべきだ」

 プロ教師の会を主宰する河上亮一・日本教育大学院大教授の話

 「学校社会には、教師が教え、生徒が学ぶというある種の上下関係が必要だが、この関係を誤解する教師がいる。自分が偉いと思い込み、生徒に横暴に接する のだ。今回の事件も教師の側に問題があったことは否めない。ただ、教師や学校を非難するだけでは根本的な問題解決にならない。どんな学校にもトラブルやい じめは存在する。その現実から目をそらさず、家庭や地域も積極的に学校運営に関与すべきだ」


学校側会見 説明にぶれ 「もう少し情報得る必要」 福岡の中2自殺(西日本新聞) - goo ニュース

2006年10月16日(月)10:10

 いじめが原因で自殺したとみられる男子生徒が通っていた三輪中学校の合谷智校長らが16日未明、福岡県筑前町内で会見した。男子生徒の1年生時の担任教 諭(47)の不適切な言動と生徒の自殺との因果関係について「もう少し多くの情報を得て、もう少し丁寧に考えていかねばならない」と説明した。

  合谷校長は男子生徒の両親に対しては15日午前、「(自殺の)1番大きな引き金になった」と発言していたが、会見では「遺族の思いを聞くあまり、判断に冷 静さを欠いた」と説明。しかし、「教師の言動はいじめであり、自殺への誘因にはなっていた」「教師の言動によって男子生徒の人間像が形成され、子どもたち によるいじめを呼び起こした」とも述べた。

 合谷校長は、教師によるいじめが生徒によるいじめや男子生徒の自殺につながったことについて、「子どもの人格を形成する学校で逆の結果になり、申し訳ない」と陳謝した。


=2006/10/16付 西日本新聞朝刊=


前担任がいじめの発端? 福岡の中2自殺 頻繁に差別的発言(西日本新聞) - goo ニュース

2006年10月16日(月)10:10  福岡県筑前町の三輪中学校2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺したとみられる事件で、同中の合谷(ごうや)智校長は15日、1年生時の担任だった 男性教諭が男子生徒に対して不適切な対応や発言をするなど、「教師によるいじめ」があったとして、両親らに謝罪した。校長は男性教諭の対応が「(自殺の) 1番大きな引き金になった」「子どもたちによるいじめの大元になった」と述べた。

 合谷校長とこの男性教諭らが14日深夜と15日午前の2度、男子生徒の自宅を訪問した。両親は同校が事件後、全校生徒を対象に行ったアンケートへの回答や、弔問に訪れた同級生らから聞き取った内容を基に学校側を追及した。

  両親と学校側のやりとりによると、男子生徒が1年の時、早退してインターネットをしていたことについて母親(36)が担任に相談した内容を担任の男性教諭 が翌日、授業中に同級生の前で暴露。このため、男子生徒は差別的なあだ名で呼ばれるようになり、「学校に行きたくない」と言い出したという。

 今年9月には、男子生徒が運動会の騎馬戦の練習中に落下して腕を負傷。「手の骨が折れたかもしれない」と訴えたが、男性教諭は「おまえはまたうそをつきよる」と答えたという。

 男性教諭は両親に「(男子生徒は)からかいやすかった」と釈明。教諭の言動が生徒のいじめを誘発したとする両親らの追及に「その通りです」と答え、面談後、「一生(罪を)償っていきたいと思います」と語った。

 両親はこの男性教諭の差別的な発言として、生徒たちをイチゴの品種になぞらえ、成績順に「(高価な)あまおう」「出荷できないイチゴ」などと呼んだ‐などを指摘。西日本新聞の取材に対し、複数の同級生が一部、同様の証言をしている。

 父親(40)は「生徒を人間扱いしていない。一生、絶対に許せない」と怒りをあらわにしている。

 同中は15日午後8時から緊急の保護者会を非公開で開き、事件について説明した。


=2006/10/16付 西日本新聞朝刊=


福岡の中2自殺 級友の前で「偽善者」「うそつき」 担任、いじめ誘発(産経新聞) - goo ニュース

≪学校側認め、両親に謝罪≫

 福岡県筑前町で、町立三輪中学校2年の男子生徒(13)がいじめを苦に自殺した問題で、学校側は15日、「1年生時の担任にいじめを誘発する言動があっ た」として、生徒の両親に謝罪した。この日、いじめの有無などに関する調査の経過報告で学校幹部らが生徒宅を訪れた際、校長や当時担任で現在は学年主任の 教諭が、両親の追及に答える形で認めたという。

 両親は「教師が率先していじめていたとすれば、絶対に許すことができない。すべての真実が知りたい」と、さらなる調査と報告を求めた。

 父親(40)によると、1年生の時に男子生徒が自宅で見ていたインターネットの内容を両親が担任に相談したところ、担任は後日、相談内容を同級生に暴露 し、クラスで男子生徒に不本意なあだ名が付けられた。担任は級友の前で男子生徒を「偽善者」「うそつき」とからかったりもした。

 担任は学業成績をイチゴの品種に例え「(高価な)あまおう」「出荷できない」などとランク分けし生徒を呼んでいた。男子生徒は成績上位で「あまおう」と 呼ばれたが、父親は「親としては、こうした教師の格差意識が、いじめを助長したと受け止めている」という。担任は一連の言動を認めた際、自らの行為がいじ めを誘発したことを「自覚していた。からかいやすかった」と話し、両親に「一生をかけて償います」とわびた。

                    ◇

 町立三輪中学校の合谷智校長が16日未明、記者会見し「担任教諭の言動がいじめであるという認識に立ち自殺との因果関係を調べる」と述べた。


校長「パワハラ」、教諭自殺 千葉市立中学(朝日新聞) - goo ニュース

2006年10月17日(火)06:59

 千葉市立中学校の50代の男性教諭が9月に自殺し、原因を調査していた同市教育委員会は、校長による行き過ぎた指導が背景にあったと認定し、近く 校長を処分する方針を固めた。教務主任だったこの教諭は職場で、校長から繰り返し怒号を浴びせられるなどしていたといい、市教委はパワーハラスメント(職 権を背景とした嫌がらせ)に当たると判断した。

 市教委などの調査によると、教諭は9月6日昼、千葉市内の千葉外房有料道路の高架橋から地面に落ちて亡くなった。高架橋の上には本人の靴がそろえてあったという。

 遺書は見つかっていないが、市教委が同20日ごろ、知っている事情を書面で報告させたところ、多くの同僚が校長によるパワハラを原因として指摘したという。

 同校でも教諭の自殺について職員会議が持たれ、多くの教師から校長の責任を追及する声が上がったという。

 関係者によると、今春に同校に赴任した教諭は、夏休み前から集中的に校長の叱責(しっせき)を受けていた。生徒が8月下旬に外房地方の海でおぼれ て入院した後は、車で約2時間半かかる現地の病院に「毎日見舞いに行け」と迫られたり、教頭昇任試験に向け熱心に取り組むよう求められたりしていたとい う。

 校長は、教諭の遺族から葬儀への参列を拒まれた。遺族側は16日、朝日新聞の取材に「その件は一切お答えできない。そっとしておいて欲しい」と語った。

 校長は体調不良を理由に9月半ばから休養中。市教委は「校長に詳しい事情を聴き、事実関係をより詳細に明らかにした上で最終的な判断を下す」としている。

【過去記事】保守記事.101 ぼくたちの将来は。。。
保守記事.101-2 ぼくたちの将来は。。。


保守記事.105 まだまだ続く、お家騒動

2006-10-17 09:17:38 | 記事保守
一澤帆布“再建”営業再開も信三郎氏「外注してはダメ。もう“死んだ”」

 相続を巡る兄弟の対立で休業していた京都市東山区の老舗かばん店「一澤帆布工業」が16日、約7か月間の休業期間を経て旧店舗で営業を再開した。再オー プン初日は1時間待ちとなる大盛況ぶり。同社代表取締役・一澤信太郎氏(61)は笑顔を見せた。しかし、斜め向かいに「信三郎帆布」を開業している三男・ 信三郎氏(57)との溝は埋まらぬまま。信三郎氏も「うち(信三郎帆布)とは関係ない」と両者の関係は依然、冷え切ったままだ。

 午前10時。開店と同時に客が店へとなだれ込んだ。店内に陳列された25種類、約300個のかばんが飛ぶように売れていく。一番乗りは午前6時。入店ま で1時間待ちが続いた。「大変ありがたい。休業期間中も電話や手紙で励まされた。私どもの会社に愛着を持ってくれてるのでは」と信太郎氏は笑顔を見せた。

 実質的な経営者だった信三郎氏と袂(たもと)を分かったため、過去の取引先とは絶縁状態。そのため「一澤帆布」の再建は布地探しからイバラの道となっ た。かばん職人も全員が信三郎氏側に移籍。職人もすべて一から探さなければならなかった。経験者やテント作りの職人ら本社近くの工場に10人を採用。さら に、四国にある別法人の縫製工場に現地で18人の職人を採用し生産を委託するという。だが生産数の関係で当面は平日だけの営業になる。

 製品は以前の一澤帆布のコンセプトを守りたいという。信太郎氏は「信三郎帆布よりシンプルで丈夫」とアピール。そして花柄やキャラクターなどを使った弟の信三郎帆布の製品に対し「伝統的な一澤帆布のかばんとは変わってきている」と皮肉を込めて話した。

 この“本家”の自画自賛ぶりに信三郎氏は強烈な言葉で反撃した。「ウチとは関係ない」としながら「『一澤帆布』の名前を使うなら、(生産を)外注してはダメ。ただラベルをはっただけでは『一澤帆布』は死んだ…」。

 遺産をめぐる争いは最高裁で決着はしたが、両者の亀裂はますます広がるばかり。「信三郎帆布」は、信三郎氏の長女が設立した別会社「一澤帆布加工所」が 作っていたが、信太郎氏が商標侵害に当たるとして現在も係争中だ。この日、群馬県から来たという女性は、一澤帆布と信三郎帆布の両方の製品を購入。「普段 使いできそうなのは信三郎帆布かも。ワイドショーで兄弟げんかしてるのは知っている。競争してお互いにいい物を作って欲しい」とエールを送った。

 ◆一澤帆布(いちざわはんぷ) 1905年(明治38年)創業の京都の老舗かばん工房。帆船用の丈夫な帆布を使い、当初は職人が仕事道具を運ぶかばんや 牛乳配達用のかばんを製造していた。その後、京大の山岳部など大学生も使用し、80年代からトートバッグを中心に人気となりブレーク。最近では米人気モデ ルのナオミ・キャンベルさんが愛用していることでも有名。赤い糸に囲まれた店舗住所「知恩院前上ル(北側)」のタグがおなじみ。

 ◆一澤帆布「お家騒動」の経過  ▽2001年3月 先代の一澤信夫社長が他界。生前の97年12月12日付で作成された「第一の遺言状」では、実質的 経営者だった3男・信三郎氏と恵美夫人が株式の大半を相続する予定だった  ▽01年7月 信夫氏死去の4か月後、銀行員だった長男・信太郎氏が、信夫氏 から生前に渡されたという「第二の遺言状」を公表したため両者が対立。内容は「第一」と逆で、株式のほとんどを信太郎氏と四男・喜久夫氏が相続するとされ ていた  ▽04年12月 第二の遺言状の真偽をめぐり両者が裁判で争ったが、最高裁は「偽物とは言い切れない」として信太郎氏側が勝訴  ▽05年12 月 臨時株主総会で信太郎氏が信三郎氏の社長職を解任。反発した約70人の職人、スタッフ全員が信三郎氏と新会社を設立。  ▽06年4月6日 信三郎氏 のブランド「信三郎帆布」がオープン。道をはさんで斜め向かいの一澤帆布は職人不在で休止状態となる
(スポーツ報知) - 10月17日8時8分更新