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保守記事.61-3 歪み

2007-03-11 23:06:00 | 記事保守
人身取引、犠牲の連鎖 タイ人の同じ境遇の女性あっせん(朝日新聞) - goo ニュース

 タイ人女性を人身売買して売春させていたのは、かつては自らも同じ境遇にあった同胞の女たちだった――。人身取引の「負の連鎖」の実態が、千葉県 の売春クラブを舞台にした職業安定法違反事件の捜査で明らかになった。全国で人身取引に関与したとして摘発された外国人の9割は女性。警察当局は、被害女 性が日本に定住し、加害者側に回って被害を再生産しているとみている。

■240万円で売買

 「サクラ」と呼ばれていたタイ人女性(27)が千葉県船橋市の小さなアパートで、県警の捜査員に保護されたのは昨年5月。助けを求めたタイ大使館から、警察庁を通じて通報があった。

 旅券を取り上げられ、約490万円の借金を背負わされていた。コンドームを使わないように命じられ、3カ月間で約90人と売春させられた。生理でも休めず、「逃げたら故郷の親元に借金を取りに行く」と脅された。

 「日本に来るまで借金のことなんて聞いていなかったし、エイズにならないか怖くなった」

 サクラはタイ北部の寒村の出身。約240万円で売られ、昨年2月に日本に来た。買い受けたのは、船橋市内にある飲食店店長(38)と店員(35)で、どちらもタイ人の女だ。約120万円ずつ出し合った。

 2人は、知人のタイ人売春婦を通じて、サクラを市内の派遣型売春クラブにあっせん。サクラが売春で稼いだ約210万円から、クラブ側が約120万円を取り、約60万円は2人が受け取っていた。サクラは月約10万円の収入の中から、家賃や生活費を工面していたという。

■「成功者感覚」

 サクラに借金を負わせて返済を迫ったり、脅したりしていた2人の境遇もサクラと同じだった。

 2人は、89年と92年に来日して借金を背負わされた。東京・錦糸町の売春スナックや新宿のソープランドを転々としながら、体の不自由な母親や、 前夫との子どもに仕送りしていた。日本人男性と結婚した後の98年ごろからタイ人女性を買い受け、売春クラブなどへのあっせんを始めた。

 警察庁のまとめでは、昨年、人身取引事件で逮捕・書類送検された外国人は33人で、うち29人は女性だった。一方、日本人45人のうち、42人が 男性。東南アジアや中国の女性が売春スナックのホステスなどとして送り込まれ、借金完済後に日本人の男らと、人身取引に手を染める事例が多いという。

 警察当局は「被害女性に被害意識が薄い場合も多く、加害者側に回った人は自らをある種の『成功者』と考えている。被害女性にチャンスを与えてあげているという意識で、罪悪感が薄い」と背景を説明する。

■ブローカーも

 船橋市の売春クラブをめぐる事件では、県警がタイ人の女2人と、クラブを経営する日本人の男(48)ら、計6人を職業安定法や売春防止法、脅迫などの疑いで逮捕。昨年10月には、タイに捜査員を派遣するなどして、実態解明を進めてきた。

 いずれの容疑者も11月までに有罪判決を受け、12月下旬には、日本からの情報を元に、タイ国家警察がバンコクの送り出し組織の女ブローカー (41)を逮捕した。組織にはオーストラリア、ドイツなど、送り出し先ごとに担当者がおり、女ブローカーは日本担当として偽造旅券の調達もしていたとい う。

【過去記事】保守記事.61 弊害
保守記事.61-2 弊害

保守記事.131-3-3 今こそ、地域!

2007-03-11 23:00:04 | 記事保守
覚えていますか NPC運動 「夢の種」次は何まこう(西日本新聞) - goo ニュース
駆け足の春が6000本の梅林を淡いピンクに染め上げた。青空の下、山里にマーチングバンドの演奏が響き渡り、あちこちで花見弁当が開く。

 日田市大山町おおくぼ台で4日に開催された「梅まつり」。27回目となる今年も5000人の人出でにぎわった。梅園を営む森文彦さん(63)も一杯入り、ほんのり桜色に染まっている。

 「あん時代、大山がこげな観光スポットになるち、だれが思うたじゃろかい」

 森さんは1本の古木に近づいた。コケむした幹の太さは直径約20センチ、大きく枝を広げている。「ウメ、クリ植えてハワイへ行こう」で知られるNPC運動が始まった1961(昭和36)年、50アールの野菜畑をつぶして自ら植えた1本。

 「背丈が腰んあたりの赤ちゃんやったけど、今は人間でいえば70歳ぐらいかね。収量は落ちたが、まだよー働いてくれよる。切るにはむげねー(かわいそう)」

 61年といえば、岩戸景気に沸く高度成長真っただ中。坂本九さんの「上を向いて歩こう」がヒットした時代だ。あのころも都市と農村の「格差」が広がり、谷底で平地が少ない当時の大山村はまさに「限界集落」だった。

 ☆ ☆ 

 NPC運動は国が進めるコメ増産、規模拡大農業に反旗を翻し、果樹中心の少量・高収益農業を目指した。今よりも保守的であった農村で、なぜこんな大胆な運動が実現できたのだろうか。

 関係者の多くはまず、「強いリーダーの存在」を挙げる。村長と農協組合長を兼任し、運動を提唱した矢幡治美さん(故人)はいつもニコニコ、女性にもてたが「ここぞという時は機関車のような人だった」という。

 全国で初めて整備した有線放送を使って「これからは生産性を考える農業でなければなりません」と連日、住民に意識変革を求め、あきらめムードに沈む地域を引っ張っていった。その姿は「宮崎をどげんかせんといかん」と訴え、宮崎県知事になった東国原英夫氏の姿とも重なる。

 61年に県農業指導員として村に赴任した池永千年さん(82)の脳裏には、もう1つの矢幡像も刻まれている。

 「これからは魚ではなく肉中心の食生活になり、梅干しなどのアルカリ性食品が好まれる」「法改正で自家製リキュールが解禁され、梅酒の需要が増える」

 矢幡さんは村内ばかりでなく、九州各地の産地や市場を自分の足で回り、現状を分析しながら、時代の一歩先を読んでいた。2人は立場上、当初にらみ合っていたが、やがて意気投合。「新婚旅行」と称して視察に連れ立ち、ウメ、クリ増産による農村再生に取り組むことを決めた。

 現場主義、先見性、分かりやすいキャッチコピー、ムードづくり…。その手法は今も色あせることはない。

 ☆ ☆ 

 矢幡さんは「私はリーダーではない。シーダー(seeder=種をまく人)だ」と表現した。矢幡さんがまこうとしたのは「夢」ではなかっただろうか。

 梅まつりの会場。森さんたちの酒宴の席でそんな話をしたらアイデアがいっぱい出てきた。

 「しょうゆを搾る前の『しょうゆの実』っちゅうのがあるけど、あれを熱々のご飯に乗せるとうめー。お茶漬けにしてもいい」「葛(クズ)の根っこを使った葛根団子を最近はあまり見かけなくなったが、もう一度食べてーな」

 都会では決して買えない、食べられない、地域の「オンリーワン」。農家でつくり、地域で食べてもらうような地域循環を生み出せば、新たな農村の姿が見えてはこないだろうか。

  農家の高齢化もあり、NPC運動自体も曲がり角に立っているのも事実だが、その歩みは大山町ばかりではなく、合併後の新市の財産でもある。行財政改革の流 れの中、地方の事業や暮らしは削られるばかりだが、こんな時代だからこそ、夢の種を1粒まいてみませんか。 (日田支局・岩尾款)

■NPC運動

  ウメ、クリ栽培による所得向上を目指した第1期(1961年~)▽地域内のよりよい人間関係を築くための「人づくり」を軸とした第2期(1965年~)▽ 町内を8「団地」に分け、新たな農村共同体(コミュニティー)づくりに取り組む第3期(1969年~)と、3段階に分けて進められている。村や町、農協が 中核となり地域を挙げて運動に取り組み、県の「一村一品運動」にもつながっていった。九州農政局などによると、町内のウメ農家(約220戸)の年間生産高 は1億7000万円で、これまでに約1900人がハワイ旅行に行った。第1期は「New Plum and Chestnuts」▽第2期は「Neo  Personality Combination」▽第3期は「New Paradise Community」。

=2007/03/11付 西日本新聞朝刊=

【過去記事】
保守記事.131-3 地域は、必要なのか
保守記事.131-3-2 地域、とは?