政治家にこそ競争主義
2大政党制
マークス寿子さん
ねじれ国会は決して悪いばかりではないと私は思っています。どうしたらいいのか、政治家も、国民も学んでいくことが民主政治を学んでいく基本なん
ですね。連立の試みがあってもいいし、政界大再編という試みも出てくると思うが、簡単に直そうと思っても無理。時間がかかると思います。
うやむやに連立してしまうと、なれあいになってしまいます。「危機の状態だから一致してやろう」と国民の前に全部さらさないといけないと思います。もし連立するならば、その時期が終わったら、次の選挙では別々に戦える状況でなければいけません。
イギリスでは、大連立は危機的な状況の時だけです。戦争とか。大連立の前提には、与党と野党が共に力をもっていて、共通点もあって、いつでも野党が与党に代われるということがある。
2大政党制は大変難しい。イギリスでは1960年代から70年代終わりまで、労働党と保守党が政権を取り合ったけれど、労働党が「左」に行って、
保守党との差が大きくなりすぎて、政権を取るたびに政策が大転換してしまった。国民が混乱すると同時に非常にお金の無駄になりました。いわゆる英国病の原
因の一つになったのですね。これを繰り返し、有権者が我慢できなくなって、サッチャーの保守党政権が続くようになったわけでしょう。そこから労働党はいや
というほど学んでいます。
切磋琢磨
日本は「(衆院中選挙区制当時)同じ選挙区で同じ党の人間が争うのは、お金がかかる」という理由で2大政党(になりやすい選挙制度)に変えたわけ
ですからね。2大政党制が本当に必要なのかどうか。中選挙区制だってあるわけです。そういう国はいつでも連立ができる。それをやるというのも一つの手なん
ですよね。
日本で今まで不足していたのは与党が野党を育てなかったこと。自民党は「野党が何言ったって関係ないよ」という感じだった。今、民主党が反対した
ら(法案が)通らなくなって、自民党はいや応なしに真剣に議論しなくてはいけなくなった。真剣に議論することが野党を育てることになると思います。不一致
点を探し、どうするか話し合う。民主主義の基本をやっていく以外にない。
日本の政治家は切磋琢磨(せっさたくま)することもなくなっている。一番、競争主義が必要なのは政治家じゃないかと思います。イギリスで見ている
と、若い人が政治家になりたいと思ったら、自分の意見が一番近い政党の集まりに出て、自分の意見を訴える。候補者になるには、自分がいかに勉強しているか
をみせなければいけないわけです。アメリカの(大統領選における民主、共和両党の予備)選挙は自分の党の中で必死に競い合う。そうやって、強く、賢いリー
ダーができる。日本では、二世、三世の政治家が勉強もしないで世襲でなれる。二世、三世が全部いけないのではなくて、安易に「あの人のお父さんがこうだっ
たから、息子もこうしよう」としてきた有権者が反省しなければいけないですよね。
へこたれない
これからいろいろなことが待っていますよ。60年間の戦後の問題がすべて出てきている。そういうものを改めることによって、日本全体の回復があ
る。あわてないことでしょうね。私は「イギリスは英国病でひどい状態があって、どうやって立ち直ったのか」と聞かれるたびに言うのは「英国病で大変だと
言ったのは日本の人たちで、イギリス人はそう思っていなかった」ということです。良くなったり、悪くなったりすることもあるのだから、大あわてしなかった
ことがイギリスの特徴じゃないかと思いますね。日本も悲観論がありますが、先進国の中だってそうだし、まして途上国からみれば、日本くらい良いところはな
い。へこたれないことですよ。
イギリス人が当時、大変だと思っていなかったもう一つの理由は、「駄目だったら若者は海外に出ればいい」という気分があったからですね。(日本
の)若い人たちに外に出て行くことを教えてやりたいんですね。自分の国にいたら、駄目なことばかり見ていますから、非常にネガティブになります。閉塞(へ
いそく)的になります。外に出れば、日本の立場は良いのだとわかるし、もっと良くするにはどうすればいいかとか、力で日本が強い国になる必要があるかどう
か、家族をもっと大事にした生活をすべきじゃないかとか、さまざまな見方が出てくると思います。マイナスをプラスに転じていけることがたくさんあります。
(聞き手 田中隆之)
英国の労働党と保守党 |
労働党は労働組合などによって創設され、1924年に初めて首相の座を獲得。第2次大戦後、アトリー政権が福祉政策を拡充。一時党勢は
低迷したが、ブレア氏が97年から長期政権を築いた。現党首はブラウン首相。保守党の源流は17世紀にさかのぼる。チャーチル、サッチャー両元首相を輩出
するなど英国政治の主流を占めてきた。現党首はデビッド・キャメロン氏。 |
プロフィール |
マークス寿子 まーくす・としこ
1971年、ロンドン大研究員として渡英。76年に英国の男爵と結婚(その後離婚)。秀明大英語情報マネジメント学部長。著書に「ひ弱な男とフワフワした女の国日本」「盛りを過ぎてもへこたれない国イギリスに学べ」など。71歳。
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(2008年1月4日 読売新聞)