11月7日千秋楽の観劇記です。
~あらすじ~
舞台は都内湾岸地区の超高層マンション。その地区に古くから住む旧住民と超高層マンションの新住民は意識下で対立し、見えない壁で隔たれていた。バベルの塔のごとくそびえる建造物が生み出す影、そして闇。ワーキングプア、パラサイトシングル、”サカキバラ”…。不穏に蠢く都市伝説はさらなる闇を生み、住民同士を拒絶させる。ダーウィンの進化論さながらに展開される生き残りをかけた戦い。環境に適応できなければ滅ぶしかないのである。 (シアターガイドHPより)
今回も客席は左右のブロックに分かれていてその間に舞台があるという構造。舞台部分にはベビーベッドがあったり、電話が置いてあったり、長いす&テーブルが置いてあったりしていて、床には住宅販売とかでよく見る間取り図の線表示!それが描かれていました。セット自体が変わることはなく、場面ごとに各々の住人の部屋が入れ替わり立ち代り~という感じで……そうそう、真ん中に液晶テレビが3台、三方向に置かれていて(うちにあるのと同じメーカーだった~と変なところに目が行く自分って
)劇中に出てくる誘拐事件のニュース報道や登場人物が見るDVDの映像が映すのに利用していました。映像内のやり取りは舞台の端っこで実際に行われていて、それをカメラで撮っているのをテレビに映しているのですが、「カメラに撮る」という行為はこの作品では核心部分だし、「モニターを通して見る」というのも作品の空気を操る大事な部分。デジタルなご時勢、それが普通で特別なことではないと思って暮らしている現代人にはなかなか“スリリング”な演出ではなかったかな~と思いました。あと、、、いろんなものが飛びまくってました。開演前、最前列の人たちがビニールを膝にかけていたので嫌な予感
ブルーマンショー?川下り??USJのジョーズアトラクション???何げに突っ込みたくなったんだけど、中身の思いっきり入った缶ビールが飛び~の、スナック菓子飛び~の、小道具飛び~の、とにかく凄かったです。もちろんそこら辺の加減は役者さんたちも考えていると思うのですが、実際には何が起きるか分かんないのでね~~思わぬ方向からビールが服にかかって怒っていたお客さんもいたりして……観劇するまで知らないわけだし無理ないと思いますわ。じいは今回は2列目だったので助かったけど、前2作品の時のお席なら確実にビールかけだっただろうな~
冒頭から、、、ハハハ
テレビなら確実にモザイク
決定ね
そんなシーンから始まって、スカイタワーマンションの住人たちのゆがんだ日常を次々と露わになっていく。ワーキングプアやパラサイトシングルの男たち、彼らと刹那的な宴に溺れふとした隙にレイプされる大学教授の若妻(しかも放送作家?と不倫中)、その作家の妻はバリバリのキャリアウーマンだけど子供に恵まれず実はドラッグに手を出してるっぽい、若妻のダンナ・大学教授は世間では博識者と言われているが実はものすご~い選民思想の塊、DV夫と売れっ子アナウンサーの妻、その間にできた赤ちゃんは同性愛カップルに誘拐され……何だか今どこかでフツーに起きていることを集約したマンションでしたね~~ってか住みたくないよね、こんなとこ
ただ、これを見ても何の衝撃もなかったのが本音です。むしろ「今更こんな使い古したようなネタを素材に持ってくるなんて…」とか「ニュース素材的な価値はむしろ
よね」なんて思ってしまったわけなのですが、ふと思うに……これってじい自身が異常なことが起きても昔ほどは珍しくなくなった現代に飼い慣らされている証拠なのではないか?と……いや~~できるだけ感性は凸凹しとかなくちゃ
と思ってはいるんですけどね~~知らないうちに慣れてしまっている怖さ、マジにゾッとしちゃいましたわ
防犯設備が完全な超高層マンション、安全なはずの環境、実は一番危険なのは守られているはずの住人たち。妻の不倫とレイプの現場を押さえた盗撮カメラをしかけたのは夫の大学教授。結局、その犯人と間違えられてレイプ犯たちにベランダから突き落とされる身重の妻。誰の子供か?という話で不倫相手の放送作家ということになっていたんだけど、殺される前に「俺らの中の誰かの子じゃないのか?」と言われてて……いや、じいは最初からそっちを疑ってたんだけど真相は???そして、同じマンションの住人が犯人なことに気づかず防犯設備を強固にし監視カメラでがんじがらめにしようと奔走したのは自分の子供を誘拐された売れっ子アナウンサーの女性、そして彼女の“集客力”を利用しようとする人たち、、、これって今の時代の人たちを最も如実に表しているように見えたんですよね~~しかもある意味、自分たち一人一人の中にある構造みたいな感じにも見える。内部の闇に気づかないで防御だけに目がいくという。。。そして、いわゆる成功者や博識者と言われる人たちの真実……ちょっと前に負け組と勝ち組という言葉がもてはやされた時期がありましたが、じいはどこか違和感を感じたというか危うさや不信感を感じてたんですわ。特に例の何とかエモンとか言われてた人とかね……確かに新しい風を吹き込み既存のしがらみを破壊したことは評価できるけど信用はできなかったし~~それに他にもそういう形で成功した人たちの話とか聞いていると、この作品の中で放送作家や大学教授が終盤に言ったセリフ、、、成功するDNAを持った人間だけが生き残る、下界の人間とは違う、自分は頑張って成功してここにいる選ばれた人間、そういう人たちが世の中には必要だ、そんな感じのことを喋るところがあるんですよね~~現実的にそういう部分はあるし、もしかしたらこれからそうなっていくのかもしれない。中身は歪んでいても実際問題「勝ち組」に反論できる術や能力等々があるかと言えば悔しいけどそうできない様々な“現実”がある。それでもなお、そういう価値観には屈したくない……じいはそう思うんだけど、もしかしたら将来この世の中は~というところを描いていたんじゃないかな~と
でもね、、、何度も出てくる「このマンションからは空しか見えないのね」というセリフ。見えるのは人間の営みじゃなくて高くそびえる空だけ、まさにバベルの塔
そのバベルの塔がどうなったのか?それは超有名な話だけど、、、下ばかり見て上に昇ろうとしない生き方は嫌い。でも上を見過ぎるのもね~~きりがないという言葉では済まされない何かがあると思うの。身の丈を知って…というのもじいはこれまた嫌な方向なんだけどね~~
マンションの住人と対比して善人っぽく描かれていた古くからその地区に住む住民。でも決して彼らが善人とは思えなかったんですよね~~あ、金内さんの競馬ネタには爆笑したけど
防犯隊を組織しようとして旧住民とマンションに住む新住民との間に立って話し合ったり調整したりするわけですが、その運動の象徴
着ているTシャツに描かれた大きな眼
何だか20世紀少年に出てくるトモダチの目みたいな感じなんだけど、それは監視カメラと同じ目に見えて怖かったんですよね~~逆に人工的な監視カメラよりも怖いというか
よく地域社会がどーのこーのと言っている専門家とかいますけど、地域の目が果たす役割は大きいと思います。良い方向に働けばいうことはないけど、悪い方向に働けば人の生き方まで左右する凶器にもなり得ますから……と、これはまだ地域社会が生きている土地で生まれ育ったじいの実感も含む、ですが。結局どっちが良い悪いじゃないんですよね~~それがバランスよく描かれていたという点、そして、どちらか一方に、あるいは両極端にしか行動できない人間を描いていたという点が何とも心憎い良い作品だったな~と思いました
鐘下作品、もう少し心がドロドロするような感じなのかな?と思っていたら、ちょっと肩透かしをくらったような気はしたけど、こういう世界観……やっぱ嫌いじゃない