6月12日マチネの観劇記です。
今回はかなーり後ろから突き放しての観劇。でもこれが凄く良かったようで
前回の“至極の時”を踏まえてからの全体を観ることができたので更に深く味わうことができました
平日マチネなので年齢層&シルバーグレイ男性率が高め
こまつ座の公演お馴染みの光景ですが
笑い声も多めで……最後は妙に明るい雰囲気で自分だけしみじみとしちゃったような……もう少し余韻に浸りたかったなぁと
開演時間が若干遅れた
取り立てて台詞が流れすぎたり滑りすぎたりしたわけではなかったのですが、時間巻き巻き
間合いが忙しなかったように感じました。特に前半パートで洋子が伊三郎の言葉を借りながら息子を捨てた事情を語るところからの自己語り。「大粒の涙を流し血を吐いて生きてきた。その涙と血に流され生きてきたんだ、生きなきゃならなかったんだ」と感情むき出しになるところ、「覚悟の末捨てた息子が出世したからといってご対面と出かけていく母親なんかいるもんか」と泣き出すところ、「中丸のおじさん、みんな、頼みますよ。迫力で決めちまおうねー」と舞台に向かうところ、、、一呼吸置くような、自然に区切るような、そんな“間”がほしいなぁと思ったんですよね~~観る方も感情の整理が追いつかなくて落ち着かないので
でも伊三郎の出で立ちで泣き叫ぶ表情は(化粧のせいがあるのかもしれないけど)子供のようなストレートな感情
洋子自身の無垢な感情が表れていて胸が締め付けられました
後半も自分が見た前2回よりは巻き巻きだった印象ですが、後ろまで捉えて離さない空気感を放つのはさすがの内野さん
敢えてオペラは持っていかないで素の目だけで観劇したのですが全身から感情が伝わってきました。初日は作品自体を追っていくのに必死、前回は舞台上の照明の範囲内にいたので気づかなかったのですが、洋子・辰三それぞれが前口上の打ち合わせ&練習をしているところで客電インになるんですね
鏡の前で化粧をしている設定なので具体的に誰かに向かって喋っているわけではないのですが、客電が入る数分だけは我々観客が大衆演劇の客として作品に参加している形になっている。地方公演ではご当地ネタのサービスがあるのかな?と余計な妄想をしてしまいましたが
その口上の中で語られることは必ずしも本当のことではなかったりする。洋子や辰三が語ることも一座が演じる演目の中の話だったり自分の生い立ちだったり願望だったりで様々なものが混ぜこぜになっているんですよね~~事実、真実、嘘、建前、本音、ふと「虚実皮膜」という言葉を思い出したのですが、虚実とそれに伴う感情が入り乱れて不思議な世界を醸し出している作品だなぁと……洋子や辰三は自身演じている役と生い立ちに混同し、観客は彼らの語りに混同する。
辰三が「捨てられた」と言い続けた本当の事情を語る場面。「自分は間違ってこの世に生まれてきたんだと見定めがついたんだ。親がなくて幸せ、あって迷惑という札をおでこにピッタリ貼って芸の鬼になって生きてきたんだ」という辰三にジュール先生は「母さんはいない、そう思ったからこそ力が出た。母がいないからこそ母の力が表れたんでしょ」と諭す。辰三の話した母親の話だけを聞いていたらその言い分には納得できるような気はするのですが前半を踏まえるとまた違った思いが出てくる。あくまで辰三から投げかけられた感情であって、本当のところは違っているのかもしれないし母親の本心はまた別のところにあるのかもしれない。投げかけ方、受け取り方でそこに生まれる感情は変わってくる。自分の本心と相手の本心のすれ違い、ボタンの掛け違い、そこにもまた虚と実があるのではないかと感じました。
洋子は今さら捨てた息子が偉くなったからといって会いに行けるわけがないと言い、その息子を望んだ…ということにしておくかな~~テレビ番組的事情があるように思ったり
辰三の母親は客席に来ているけれどそこにたどり着くまでの道のりを思うと一筋縄ではいかないような……母息子のお互いがお互いを思う気持ちが“遭遇”するといいなぁ、遭遇できたかもなぁと思った今回の幕切れ。優しくもあり切なくもある気持ちになった観劇でした