2月9日マチネの観劇記です。
~あらすじ~
1940年代ドイツ。フルトヴェングラー(平幹二朗)は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として就任。時を同じくして台頭したヒトラーに寵愛を受け、ドイツ中の喝采を浴びていた。戦争が終わるまでは…
戦後、立場は一転、英雄から戦犯扱い、そして裁判の檀上へ引きずり出される。彼を取り調べることになったアメリカの少佐アーノルド(筧 利夫)はナチが憎い。ヒトラーが憎い。フルトヴェングラーはナチ党員だったかもしれない、と疑い始めたら怒りがエスカレートし、どうにもおさまらない。執拗なまでに審理を行い、夫がユダヤ人ピアニストだったザックス夫人(小島 聖)やナチ党員だったことを隠すベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者ローデ(小林 隆)らが参考人として証言を求められ、フルトヴェングラーは次第に追い込まれてゆく。だが、アーノルドのあまりの過剰さに、秘書のシュトラウベ(福田沙紀)やアシスタントのウィルズ中尉(鈴木亮平)は反発、フルトヴェングラーの方に心を動かされてしまう。テイキング サイド!! いったい君はどちらの味方なんだ!!!自分の信じるもののために闘う人々を描く物語。(公式HPより)
2時間30分の全2幕。セリフの応酬、ついていくだけで精一杯の歴史的背景 1幕は第三帝国時代で押さえとくべき重要人物の名前のオンパレードでひーひーふうふう 名前は聞いたことあるけど何した人だったっけ?→その昔習ったような~という古い記憶をひっぱり出して頑張るけど舞台上はどんどん進む~みたいな感じでオーバーヒートになるかと思いましたわ 観劇前に少し勉強しとけばよかった~とは思いましたが、まぁ歴史以上に大切なテーマがいくつも散りばめられた作品だったので楽しめました 久しぶりにズッシリ深いものを観た~~って感じ。ストプレならではの充実感ありデシタ。
お芝居は全てアーノルド少佐の執務室で展開されていきますが、舞台前方は荒廃した戦後の街中の設定になっていて、尋問に呼ばれた人たちがそこを通って執務室に入っていってました。2幕ではアーノルド少佐が見た悪夢としてホロコーストの映像がスクリーンで上映される場面もあり。目を背けたくなるような残酷な映像でしたが、映像を入れるタイミングと構成、それによって作品全体に醸し出される後味の悪い空気感……そうでした!脚本は「戦場のピアニスト」のロナルド・ハーウッドでしたね~~実は「戦場のピアニスト」という映画、作品自体に苦言を呈する気は全くないんだけど、見終わった後に二度と見たくないと思ったほど嫌いな映画なんです。何だか無責任に心を突き刺して散らかしておいて何の収拾も行わないように思えてね~~今回も似たような感じになった部分はあるけど、それでも凄いっ と唸らされた作品でした
登場人物の役割がホント上手~~く作り上げられているんですわ。フルトヴェングラーを執拗に追及するアーノルド少佐。最初の方はフルトヴェングラーがナチに協力せざるを得なかった当時の状況、それでもなおユダヤ人を助け音楽を守ろうと影で動いていた功績が語られることによってフルトヴェングラーの肩を持たせるようにしてあるんですよね~~まるで非ナチ化裁判で彼を擁護した人々のように。。。そして、秘書のシュトラウベやウィルズ中尉がアーノルド少佐の執拗な追及に反発していく場面!彼らの変化は観る者の心の動きと連動しているように見えて……。でも2幕で全てが覆されるんですよね~~敵対的存在だったアーノルド少佐の存在価値が発揮される。音楽に縁がないからある意味まっさらな目で偉大な指揮者に対して普通ならバカバカしいと思えるor失礼極まりない問いかけができる、、、だからこそ逆に音楽の素養がある人が気づかない、気づこうとしないことを前面に押し出して、まさにテイキングサイド、君はどっち側の人間なんだ?と頭をグルグル 観る者の内面にある“常識”への問いかけを引き出す存在になっていました。そして、、、アーノルド少佐の訴追方法→状況証拠&私生活までも利用して脅迫まがいのことまでやってのける正当性の無さは連合国主体の戦後処理問題を投影しているようにも思えたし、第2ヴァイオリン奏者のローデは人間の狡猾さと切なさを表していて自分ならどうしただろう?と“身近”に考えさせられる存在でしたね~~特に「自分の耳を検閲し、言葉を検閲し、頭を検閲し…」だったかな 自己検閲に関するセリフは心にずっしりと また、彼の境遇は当時ヨーロッパに蔓延っていたユダヤ人に対する嫉妬と迫害に繋がる説明にもなっていたし。でも、単なる戦争の善悪や責任論では終わらない、もっと深い部分?永遠のテーマ??それを自分ならどう考えるかな?と誘導してくれる人物の役回りだったと思いますね~~お見事
芸術と政治 この作品では音楽がテーマだったので個人的には実感として捉えやすかったです。フルトヴェングラーは芸術と政治は切り離されるべきものだという信念がある。表向きはナチに協力しているように見えてもそれはナチス統治下のドイツ音楽を守るための善行であり、結果的には音楽の独立を保持したし、それによって人々が欲する芸術と心の潤いを与えたとしている。現に秘書のシュトラウベやウィルズ中尉はフルトヴェングラーの指揮するベルリンフィルの音楽に感銘を受けたと言っているわけで……そして一方ではユダヤ人音楽家を庇護し亡命の手助けという“人道的行為”も行っているという。。。確かに厳しい戦時体制下における人々の心を掬うという意味での音楽は体制に対する静かな抵抗であり芸術家としての崇高なプライドだと思うんですよね。
・シュトラウベの父親のように行動するor亡命して正義を貫くだけが正義なのか?
・何らかの主張を目的とした芸術作品は有りなのか?戦時下の童謡唱歌とその作曲家についての類似点を感じる。
・戦争鼓舞する音楽の役割をフルトヴェングラーは自覚していたのか?
・指揮者は独裁者
・カラヤンとの確執……カラヤンを褒めた批評家を徴兵させた疑惑
・私生活で女関係、隠し子で問題あり
・最後の指揮を振る姿に音楽から逃れられないフルトヴェングラーの宿命や性を思った。
~あらすじ~
1940年代ドイツ。フルトヴェングラー(平幹二朗)は、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団の常任指揮者として就任。時を同じくして台頭したヒトラーに寵愛を受け、ドイツ中の喝采を浴びていた。戦争が終わるまでは…
戦後、立場は一転、英雄から戦犯扱い、そして裁判の檀上へ引きずり出される。彼を取り調べることになったアメリカの少佐アーノルド(筧 利夫)はナチが憎い。ヒトラーが憎い。フルトヴェングラーはナチ党員だったかもしれない、と疑い始めたら怒りがエスカレートし、どうにもおさまらない。執拗なまでに審理を行い、夫がユダヤ人ピアニストだったザックス夫人(小島 聖)やナチ党員だったことを隠すベルリン・フィルの第2ヴァイオリン奏者ローデ(小林 隆)らが参考人として証言を求められ、フルトヴェングラーは次第に追い込まれてゆく。だが、アーノルドのあまりの過剰さに、秘書のシュトラウベ(福田沙紀)やアシスタントのウィルズ中尉(鈴木亮平)は反発、フルトヴェングラーの方に心を動かされてしまう。テイキング サイド!! いったい君はどちらの味方なんだ!!!自分の信じるもののために闘う人々を描く物語。(公式HPより)
2時間30分の全2幕。セリフの応酬、ついていくだけで精一杯の歴史的背景 1幕は第三帝国時代で押さえとくべき重要人物の名前のオンパレードでひーひーふうふう 名前は聞いたことあるけど何した人だったっけ?→その昔習ったような~という古い記憶をひっぱり出して頑張るけど舞台上はどんどん進む~みたいな感じでオーバーヒートになるかと思いましたわ 観劇前に少し勉強しとけばよかった~とは思いましたが、まぁ歴史以上に大切なテーマがいくつも散りばめられた作品だったので楽しめました 久しぶりにズッシリ深いものを観た~~って感じ。ストプレならではの充実感ありデシタ。
お芝居は全てアーノルド少佐の執務室で展開されていきますが、舞台前方は荒廃した戦後の街中の設定になっていて、尋問に呼ばれた人たちがそこを通って執務室に入っていってました。2幕ではアーノルド少佐が見た悪夢としてホロコーストの映像がスクリーンで上映される場面もあり。目を背けたくなるような残酷な映像でしたが、映像を入れるタイミングと構成、それによって作品全体に醸し出される後味の悪い空気感……そうでした!脚本は「戦場のピアニスト」のロナルド・ハーウッドでしたね~~実は「戦場のピアニスト」という映画、作品自体に苦言を呈する気は全くないんだけど、見終わった後に二度と見たくないと思ったほど嫌いな映画なんです。何だか無責任に心を突き刺して散らかしておいて何の収拾も行わないように思えてね~~今回も似たような感じになった部分はあるけど、それでも凄いっ と唸らされた作品でした
登場人物の役割がホント上手~~く作り上げられているんですわ。フルトヴェングラーを執拗に追及するアーノルド少佐。最初の方はフルトヴェングラーがナチに協力せざるを得なかった当時の状況、それでもなおユダヤ人を助け音楽を守ろうと影で動いていた功績が語られることによってフルトヴェングラーの肩を持たせるようにしてあるんですよね~~まるで非ナチ化裁判で彼を擁護した人々のように。。。そして、秘書のシュトラウベやウィルズ中尉がアーノルド少佐の執拗な追及に反発していく場面!彼らの変化は観る者の心の動きと連動しているように見えて……。でも2幕で全てが覆されるんですよね~~敵対的存在だったアーノルド少佐の存在価値が発揮される。音楽に縁がないからある意味まっさらな目で偉大な指揮者に対して普通ならバカバカしいと思えるor失礼極まりない問いかけができる、、、だからこそ逆に音楽の素養がある人が気づかない、気づこうとしないことを前面に押し出して、まさにテイキングサイド、君はどっち側の人間なんだ?と頭をグルグル 観る者の内面にある“常識”への問いかけを引き出す存在になっていました。そして、、、アーノルド少佐の訴追方法→状況証拠&私生活までも利用して脅迫まがいのことまでやってのける正当性の無さは連合国主体の戦後処理問題を投影しているようにも思えたし、第2ヴァイオリン奏者のローデは人間の狡猾さと切なさを表していて自分ならどうしただろう?と“身近”に考えさせられる存在でしたね~~特に「自分の耳を検閲し、言葉を検閲し、頭を検閲し…」だったかな 自己検閲に関するセリフは心にずっしりと また、彼の境遇は当時ヨーロッパに蔓延っていたユダヤ人に対する嫉妬と迫害に繋がる説明にもなっていたし。でも、単なる戦争の善悪や責任論では終わらない、もっと深い部分?永遠のテーマ??それを自分ならどう考えるかな?と誘導してくれる人物の役回りだったと思いますね~~お見事
芸術と政治 この作品では音楽がテーマだったので個人的には実感として捉えやすかったです。フルトヴェングラーは芸術と政治は切り離されるべきものだという信念がある。表向きはナチに協力しているように見えてもそれはナチス統治下のドイツ音楽を守るための善行であり、結果的には音楽の独立を保持したし、それによって人々が欲する芸術と心の潤いを与えたとしている。現に秘書のシュトラウベやウィルズ中尉はフルトヴェングラーの指揮するベルリンフィルの音楽に感銘を受けたと言っているわけで……そして一方ではユダヤ人音楽家を庇護し亡命の手助けという“人道的行為”も行っているという。。。確かに厳しい戦時体制下における人々の心を掬うという意味での音楽は体制に対する静かな抵抗であり芸術家としての崇高なプライドだと思うんですよね。
・シュトラウベの父親のように行動するor亡命して正義を貫くだけが正義なのか?
・何らかの主張を目的とした芸術作品は有りなのか?戦時下の童謡唱歌とその作曲家についての類似点を感じる。
・戦争鼓舞する音楽の役割をフルトヴェングラーは自覚していたのか?
・指揮者は独裁者
・カラヤンとの確執……カラヤンを褒めた批評家を徴兵させた疑惑
・私生活で女関係、隠し子で問題あり
・最後の指揮を振る姿に音楽から逃れられないフルトヴェングラーの宿命や性を思った。