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日常

2011年のはじまり

2011-01-04 20:20:08 | 生活
2011年あけましておめでとうございます。

ことしは、社会人になってはじめて実家の熊本で年を越しました。

実家に帰ると大きい液晶テレビがお迎え。電気業界の思惑にうまく乗ってます。エコポイントの思惑です。年末年始は、目的もなく家族でテレビをダラダラ見ながら、テレビに向かってどうでもいい悪態をつきながら、だらだらと年を越しました。最高でした。家族みんな、テレビ・LOVEなのです。(姉は録画を2倍速で見てたりするので、その情報処理能力に驚嘆します。)


熊本では、お魚のブリが思いのほか美味しく、朝も昼も夜もブリを食べ続け、ブリ人間になるのではないかと心配しつつ。
時には食材の買い出しに。 小学生のころから知ってる近所のお肉屋さんで「おおきくなったねぇ。」「いやぁ。」なんていう会話をしながら、馬刺しを買い、馬刺しもついでに食べまくり。ブリ馬人間でしょうか。


馴染みのすし屋では「くじらのさえずり」という詩的な名前で呼ばれていた<くじらの舌>も食べさせてもらった。うまかったなぁ。はじめて食べました。東京でも食べれるのかいな。 今年はクジラ語も話せるようになるかもしれません。ブリ馬くじら人間です。


そうそう。
熊本では雪が降ったのです。東京でも見なかったのに。
天変地異の前触れでしょうか。

そうそう。
熊本は水がうまいから(熊本はすべてが地下水。蛇口からミネラルウォーターが出てくる唯一の県!)、お茶もコーヒーもうまい。家族は誰もお酒を飲まないため、緑茶とコーヒーを飲みまくり。利尿がついてきっとトイレにも行きまくりです。
水がうまいから、米を炊いてもうまい。やはり、米をとぐ時からうまい水でといでるからなんでしょうね。米に水が染み込むんでしょうな。米の炊けっぷりに、かなりの違いを感じた。 それは僕の腕のせいではないのです。


そうそう。順不同に記憶がよみがえる。
むかし、ブログもこんな風にまとまりのない感じで、ほんとうにダラダラと、『コタツにミカンにネコ』みたいなノリで書いてたのですよ。
正月気分のおかげで、そういう気分を思い出しました。
いつもむずかしいことばっかりブログに書いてるから、時にはこんな感じのを織り交ぜないと、こむずかしい人なんだと思われるかもしれない。でも、たしかにこむずしい人なのかもしれないし、ほんとは単純な人なのかもしれない。その辺はあまり考えてみた事は無いのでスルーします。


そうそう、思い出したって話の途中でした。
96歳でなくなった祖母の墓参りにも行ったのです。 
祖母のエピソードをあらためて聞く。杖も絶対につかわず、最後までひとにたよらず、高いモラルと美意識を持って亡くなったとのこと。 それは僕も見てたけど、なんか今になって改めて客観視できる。
そんな思い出話を聞いて、改めて大尊敬。 

そういえば、祖母は70歳から日本画始めたんです。96歳になって日本画の個展をして、それは熊本日日新聞(夕刊だったかも)にも載ったのです。
96歳にして若々しい姿が写真に載り(色つきのサングラスにベレー帽ですから。いや、これが似合うんですよ。)、「わたしも生きる元気が出ました」という高齢者の方々の手紙や、個展にも見に来てくれた方もおられて、そんなこんなで大満足しながら誇らしく、その年に亡くなったのですね。

熊本に帰って色んなことを思い出しちゃったなぁ。
あらためて、自分にとって祖母の生き方とか死にかたとかは、ひとつのモデルケースだなと思います。

70歳から絵を始める姿勢とか、その絵もなんとも言えない透明感に満ちた自然の絵で、いい絵なのですよ。あのモラルの高さも、いつも凛としててかっこよかったなぁ。いつも着物着てたし。96歳になっても、外出するときは最高のおしゃれして外に出てたし。
おっと。脱線しました。



2011年も良い年にしたいですね。

『2010年のまとめ』(2010-12-30)にもフライングして今年の抱負を書いてますが、「贈与」の精神を基本にして、頭でっかちにならないように、行動に移したほうがいいことは、自然に行動に移して生きていきたいと思います。あるがままに、てらいなく。
祖母の事を思い出したのもきっとそういうことでしょう。今は先端医療と在宅医療の両刀で頑張ってるわけですが、あらためて医療の原点に立ち返りなさいってう有難いお言葉なのだと、都合良く解釈する事にします。



直接お知り合いの方は、是非今年も仲良くしましょう。
直接お知り合いでない方も、何か縁があれば仲良くしてください。


今年もよろしくお願いします!

2 コメント

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よろしく! (Shin)
2011-01-06 00:54:38
軽快に読みました。

ここの箇所で、大笑いしました。

「いつもむずかしいことばっかりブログに書いてるから、時にはこんな感じのを織り交ぜないと、こむずかしい人なんだと思われるかもしれない。でも、たしかに...」

何を今さらw

さてさて、今年もどうぞよろしくお願いします。

すばらしいおばあさまがいていいですね。
そういうのって、きっと意識的に尊敬して自分の中に残っている部分と、無意識に前提としてしみ込んで、自分の成り立ちになっている部分の両方があるんだろうね。

すばらしいことです
その前提を土台とするいなば君の影響を受けた人も、また間接的におばあさまと関連していくだろうなあ。きっと、僕もそのひとりです。

では、もう一度、今年もよろしく!
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未整理の大量の生データ (いなば)
2011-01-06 09:26:34
>>>Shinさん
あけましておめでとう!

なんか最近のブログ読み返したら、<思索>とかのカテゴリーにはいることばっかり書き込んでたので、そういえば、こういう軽いタッチの文章は久しぶりだなぁ、と、われながら清清しく感じたものなのですよ。
たしかに、今さら!って感じです笑


そうなんですね。おばあさんからは、きっと無意識の領域でものすごい影響受けてたんだと今気づきましたね。
もちろん、自分の祖母のわけだから、あまり客観視してみたこともなかったし、同世代の高齢者と比較してみたりしたことなんて一度もなかったわけですが、最近は在宅医療とかで高齢者の方々から多くの示唆を受けて、とても励みになってたりして、そういう流れで、祖母のことも、お墓参りしながら思い出しました。

長く生きた高齢者のかたがたは、僕らとは年齢が数十年も違うわけで、それはある意味自分や人間の具体的な未来像として、イマ・ココにすでにあるわけですよね。でも、イマジネーションに欠けていると、そこに橋はかからずに、何か違う存在として感じてしまう。
でも、あるときにそこに連続性が生まれたとき、はじめて高齢者の方々が、今も生きているということの重みを、感じてしまうのだと思う。生きていることは、なんとすごいことだ。しかも、80年も90年も生きていると言うのは、それだけでなんとすごいことだ。ということですよね。


そんな自分の無意識の領域で大量にやり取りされた未整理の生データが、いま大量に統合されて再配置されているんでしょうね。
人間の記憶とか無意識って不思議なもんですよ。

だから、Shinくんとかと大学生時代にすごしたいろんな未整理の生データも、きっといずれ種となり、葉や茎や根となり、花となっていくんでしょうねぇ。不思議なもんです。

今年もよろしく! お互いいい年にしましょう!
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