日常

矛盾

2011-01-10 23:49:36 | 考え
人生の中で、時に訪れる障害、病い、離別、苦しみ・・・、いろんなものがある。

そういうものは、自分の人生から排除されるべきものと思われがちだけど、その中には「矛盾」という宝に満ちているのだと思うようになった。 


その中に矛盾が多ければ多いほど、大きければ大きいほど、その矛盾を自分の中に取り込むために、深く強い精神性が求められる。
それは、自分が跳躍したり、自分が成長したりすることのきっかけになるなのだと思う。

受け止めた矛盾の数だけ、その人の心は豊かになる。



自分がその矛盾を受け止めることができないときは、見ないふりをしてやり過ごすのだろう。
ただ、その矛盾を受け止めれれば受け止めるほど、その人の心は粘土のように練られ、柔らかくなっていく。  
そんな叩きつけたりこねたりするプロセスの中で、その粘土は何でも受け止めることができて、何でも包み込むことができる巨大な器へと変化していくのだと思う。



矛盾。
それは一時的には引き裂こうとする力のように働きかけてくるかもしれない。 
でも、適切な時さえ満ちれば、その矛盾は二つの極として自分の中に取り込まれ、むしろ接着剤のようにいろんなものをつなげる力になるんだと思う。

それは、長い目で見たときに、自分にとっての宝なのだと思う。



「矛盾」として感じられるもの。様々な障害。
そういうものが「宝」として感じられる時期はいづれきっと訪れる。
そのことを信じること。
それは、受け止め、受け入れる力を測るリトマス試験紙のようなものだ。



矛盾とか障害とか病いとか・・・
色んなものが雪崩のように降りかかっている誰かを見るとき、その矛盾が心の触媒として働きかけて、その人の心を強靭でしなやかなものへと変容させ始める時が満ちるまで、遠くも近くもない場所で見守り続けるしかないのだと思う。 



矛盾は、別の方向に向いたふたつの力として感じられる。 
その力が180度逆向きを向けば、その間で立ちすくみもするし、引き裂かれもするかもしれない。 
でも、そのふたつの力の向きが少しねじれるだけで、その力は平行四辺形の対角線の方向へと働いて、その力が推進力として運ばれていくこともあるのだと思う。




その人が逃げずに受け入れた矛盾の数だけ、心は深くなり、しなやかになり、優しいものになるのだと思う。
何でも受け入れることができて、包み込むことのできる、そんな器になるのだと思う。


矛盾に満ちた経験を経て深く強い精神性を持つようになった人と話した後に、そんなことをふと思った。