岐阜の中津川へ、明治座という芝居小屋を見に行く。
明治27年生まれの木造建築で、地元の方々の愛により大切に保存されている。今でも常に使える状態にされている。
毎年9月に行われる地歌舞伎公演では、地元の子どもが一生懸命に稽古をして、かぶく。素晴らしい文化が残っている。
2006年には明治座大歌舞伎として、十八代目中村勘三郎襲名披露公演も行われている。
芝居子屋からの窓からは緑が見える。田んぼが見える。
<芝居>とは、まさに<芝の上に居>て観ることも語源だと聞いたことがあるが、こうした自然の中で行われるものなのだろう。
自然と人間のつながりとして接点として、<芝居>というトポスはある。
東濃地方には芝居小屋が多数残っている。明治座以外にも、鳳凰座、白雲座、東座、常盤座、蛭子座など。
地方の生活や楽しみの中に、芸能をはじめとした古来の心を保存して受け渡しているのは素晴らしい。
芸能は、いつでも解凍保存できるように圧縮保存されている。
あとはちゃんと今生きている世代が、生きているうちにしっかり受け継いでいくことだ。
○明治座
→中津川市加子母(かしも)は檜(ひのき)と地歌舞伎の郷。かしも明治座は明治27年にできた、木造の芝居小屋。KASHIMO MEIJIZA THEATER
○スペシャルインタビュー 十八代目 中村勘三郎(2006年7月3日)
→明治座大歌舞伎 十八代目中村勘三郎襲名披露公演
○芝居小屋 - 地歌舞伎【JIKABUKI】- 岐阜自慢ジカブキ・プロジェクト
・・・・・・
旅行中は、宇多田ヒカルさんの「Fantôme」を何度も何度も聞いていたが、いのちは重なり合い響きあいながら継承されていくものだ。
光のように同じ場所に重なり合い、輝きを増していく。
わたしのこころのなかに あなたがいる
いついかなるときも
宇多田ヒカル「道」
→○宇多田ヒカル 「Fantôme」(2016-09-07)
→○NHK SONGSスペシャル「宇多田ヒカル」(2016-09-24)
■■■
岐阜の中津川には、90から100歳のおじいちゃんおばあちゃんがたくさんいて、みなさん朝から農業で汗を流していた。
自然と一体化する暮らしは、そう美しいものばかりではなく、過酷で大変なこともある。
ただ、人間の善悪や好き嫌いの感情を超えた場所で、へその緒を介していのちが自然とつながった暮らしには、大きな安心感と安定感があった。
アンチエイジングという浅薄な言葉では表現できない、人が自然の中で暮らしていく、その原型のような姿を見た。
そして、そこには仙人のような方もいて、その方に呼ばれて会いに行くことが旅のメインだった。
その方が高齢者のからだを別の面から見守っている。
あくまでも依存しないよう、自分の力で自分のからだを守る、そのサポート役として。
北風ではなく、太陽方式で。
いまの医療は北風方式だが、太陽のようなあり方をこそ、思い出す必要があると思う。
それは予防医学にもなるし、自然治癒を促進する効果もあるはずだ。体は常に全体性に向かって動いている存在だからだ。
太陽は、雨の日も曇りの日も、常に輝き続ける。
それは見ようとすれば雨の中でも見えるし、見ようとしなければ晴れの日であっても見えない存在だ。
太陽は無償に贈与し続ける定点でありながら、宇宙の視座で見守り続ける宇宙的な存在だ。
それは抽象的な存在ではなく、あくまでも具体的な存在として。
●Google Photo 中津川の旅 明治座
明治27年生まれの木造建築で、地元の方々の愛により大切に保存されている。今でも常に使える状態にされている。
毎年9月に行われる地歌舞伎公演では、地元の子どもが一生懸命に稽古をして、かぶく。素晴らしい文化が残っている。
2006年には明治座大歌舞伎として、十八代目中村勘三郎襲名披露公演も行われている。
芝居子屋からの窓からは緑が見える。田んぼが見える。
<芝居>とは、まさに<芝の上に居>て観ることも語源だと聞いたことがあるが、こうした自然の中で行われるものなのだろう。
自然と人間のつながりとして接点として、<芝居>というトポスはある。
東濃地方には芝居小屋が多数残っている。明治座以外にも、鳳凰座、白雲座、東座、常盤座、蛭子座など。
地方の生活や楽しみの中に、芸能をはじめとした古来の心を保存して受け渡しているのは素晴らしい。
芸能は、いつでも解凍保存できるように圧縮保存されている。
あとはちゃんと今生きている世代が、生きているうちにしっかり受け継いでいくことだ。
○明治座
→中津川市加子母(かしも)は檜(ひのき)と地歌舞伎の郷。かしも明治座は明治27年にできた、木造の芝居小屋。KASHIMO MEIJIZA THEATER
○スペシャルインタビュー 十八代目 中村勘三郎(2006年7月3日)
→明治座大歌舞伎 十八代目中村勘三郎襲名披露公演
○芝居小屋 - 地歌舞伎【JIKABUKI】- 岐阜自慢ジカブキ・プロジェクト
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旅行中は、宇多田ヒカルさんの「Fantôme」を何度も何度も聞いていたが、いのちは重なり合い響きあいながら継承されていくものだ。
光のように同じ場所に重なり合い、輝きを増していく。
わたしのこころのなかに あなたがいる
いついかなるときも
宇多田ヒカル「道」
→○宇多田ヒカル 「Fantôme」(2016-09-07)
→○NHK SONGSスペシャル「宇多田ヒカル」(2016-09-24)
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岐阜の中津川には、90から100歳のおじいちゃんおばあちゃんがたくさんいて、みなさん朝から農業で汗を流していた。
自然と一体化する暮らしは、そう美しいものばかりではなく、過酷で大変なこともある。
ただ、人間の善悪や好き嫌いの感情を超えた場所で、へその緒を介していのちが自然とつながった暮らしには、大きな安心感と安定感があった。
アンチエイジングという浅薄な言葉では表現できない、人が自然の中で暮らしていく、その原型のような姿を見た。
そして、そこには仙人のような方もいて、その方に呼ばれて会いに行くことが旅のメインだった。
その方が高齢者のからだを別の面から見守っている。
あくまでも依存しないよう、自分の力で自分のからだを守る、そのサポート役として。
北風ではなく、太陽方式で。
いまの医療は北風方式だが、太陽のようなあり方をこそ、思い出す必要があると思う。
それは予防医学にもなるし、自然治癒を促進する効果もあるはずだ。体は常に全体性に向かって動いている存在だからだ。
太陽は、雨の日も曇りの日も、常に輝き続ける。
それは見ようとすれば雨の中でも見えるし、見ようとしなければ晴れの日であっても見えない存在だ。
太陽は無償に贈与し続ける定点でありながら、宇宙の視座で見守り続ける宇宙的な存在だ。
それは抽象的な存在ではなく、あくまでも具体的な存在として。
●Google Photo 中津川の旅 明治座