日常

横尾忠則「死の向こうへ」

2012-08-07 19:22:45 | 
横尾忠則さんに猛烈にはまっています。めちゃくちゃ好きです。

横尾忠則さんの「死の向こうへ」光文社知恵の森文庫(2008/11/11) を読みました。


====================
<内容(「BOOK」データベースより)>
「ぼくが死を初めて意識したのは、二歳のときだった」
―子供の頃から頭にこびりついて離れなかった「死」に対する想いを綴る。
母の背で意識した死、三島由紀夫と死の影、リアルな擬似死体験、死に魅了された日々…
独自の「死生観」をエピソード的に語り、精神世界のイメージがほとばしる。
「死」は終わりのことではない。「生」は「死」を考えることから始まる。

<著者について>
美術家。1936年兵庫県西脇市生まれ。
72年にニューヨーク近代美術館で個展。
その後もパリ、ベネチア、サンパウロなどの各ビエンナーレに出品するなど世界的に
活躍し、06年パリのカルティエ現代美術財団、08年世田谷美術館、兵庫県立美術館、ニューヨークのギャラリー「フリードマンベンダ」で個展を開催。
同年、小説『ぶるうらんど』(文藝春秋)で第36回泉鏡花文学賞を受賞。
毎日芸術賞、紫綬褒章受章など多数受賞。
====================


医療を考えるとき、生だけではなく死に関する考察は避けて通れません。
小学生のころから、そういう謎に興味をもって考え続けているわけですが、「死」を考えることは「生」を考えることと鏡像関係にあると、常々思います。



■「常世」

自分は「常世(とこよ)」と言う言葉が好きです。
ちなみに、熊本高校の大先輩にあたる偉大な民俗学者である谷川健一さんの「常世論(とこよろん)―日本人の魂のゆくえ」講談社学術文庫(1989/10)と言う本も非常に刺激的な本でした。




常世(とこよ)とは、かくりよ(隠世、幽世)とも言われます。永久に変わらない神域や死後の世界を意味します。
常世は「常の世」で、永久や永遠という意味もあります。


あの世の「常世」に対して、この世を「現世(うつしよ)」と言います。
それは、あの世の方が永遠でほんとの世界であって、この世はあの世を鏡で写した「うつしよ(現世)」に過ぎない、ということを意味しています。それは、古来の日本人には当たり前のことでした。



「常世」を「常夜」と書くこともあります。
「常夜」は常に夜の状態であることを指しますが、これはまさしく宇宙の世界。宇宙は僕らが上を向きさえすれば常に広がっている世界です。そんな宇宙の日々包まれるように地球上の万物は存在しています。
宇宙そのものは常に真っ暗な夜の世界です。地上での昼のように、宇宙の全体が明るい時などありません。

太陽光を反射すると地球は表面だけが明るい。
宇宙の側から見たら夜の方が普通です。地球表面のような昼の状態の方が例外なのだと思います。
そんな夜の世界である宇宙は、永遠の世界と言っても支障がないほどの壮大さを感じます。

宇宙的な時間や宇宙的な空間を考えるとき、何か永遠性とつながるような眩暈を覚えますが、それは古代人が「常世」「常夜」として直感的にとらえていた永遠の世界(死もその一つの形)と同じなのかもしれません。




それはともかく。

以下は、横尾忠則さんの「死の向こうへ」の本の中で、とても印象的で感じ入った部分を紹介させてもらいます。


-------------------------
そのとき、ぼくは母の背中の温もりを通して、父と母の心がそのまま大きな愛となって伝わってくるのを感じた。
-------------------------
戦場に行って戦死するのは少しもこわくないと思った。ただ、遠い遥かなものと切り離されたままに死んでしまうのは恐ろしいと感じた。
-------------------------
今考えてみれば、ぼくはあの濁水の中の鯉と、想念を通じて一つになっていたのではないかと思う。
-------------------------
ぼくはいつの頃からか死後の世界があることを当然のように信じていた。
むしろ「ない」と言うことの方が信じられなかった。
だから臨死体験は当たり前で、その向こうに死後の世界があることも、僕の魂が知っていたので、一度も不思議に思ったことはなかった。
-------------------------
言葉を正確に使うとか、礼節を整えるということの中には、良い想念や悪い想念をどのようにコントロールすればよいか、という知恵が含まれていた。
言葉と礼節の形式には、霊性とリンクする部分が実に多い。
それを全部壊してしまえば、人間社会のなかに交錯する想念をコントロールする力が失われてしまう。そのコントロールの根本に言霊が関係しているからこそ、言葉づかいは慎重でなくてはならないということを一番重視しておられたのは三島さんであったろう。
-------------------------




-------------------------
「私」が抱えている問題があまりに複雑で大きすぎた。
「私」の探求は超常現象、古代文明、予言、神話、UFO、輪廻転生、宇宙、神、死などのオカルチズムや神秘主義への関心まで取り込んで拡大していった。未知なる対象はすべて「私」の探求のための装置であった。これらの未知なるものの解明が「私」の解明だと思ったのである。
-------------------------

→自分も、「わたし」という概念を考えてみることは全てに通じると感じています。
「わたし」の中には自我(ego)や自己(self)もあり、意識も無意識もある。
「わたし」の境界線をどこまでとるかで(横尾さんは宇宙全体まで含めて「わたし」と捉えていたのだと思いますが)、「わたし」の生き方は変わりうるものだと思います。
そのことは、古代インド人が直感的に捉えていた「梵我一如(宇宙原理ブラフマンと人間の内奥アートマンは一つ)」と近いかもしれません。
ちなみに、この「梵我一如」の概念をはじめて知ったのは、自分が小学生の時に諸星大二郎の「孔子暗黒伝」という、とんでもなくすごい漫画を読んだ時です。諸星先生も、横尾先生に負けず劣らずの大天才です。





-------------------------
生きながらに死んだ状態を理想とする仏教の教えがあるが、それは日常の中に死をひそかに持ち込む考えかもしれない。
-------------------------
僕の興味は、死んでからどう生きるか、ということである。
-------------------------

→能などの古典芸能でも、死んだ先人が自分の舞を空中から監視しているように自分の舞を観る(離見の見)、という極意があったように思います。


死者というのは価値判断もなくニュートラルな存在。損得などは考えないでしょう。
僕らは全ての物事を無意識に価値判断してしまう習性があり、何事もニュートラルに中立に見ることが難しくなっています。

そういう時、仏教で言うように「自分が死んだ存在であると仮定して色んな物事を観察してみる」ことの重要性を言っているのかもしれません。エゴを離れて、中立にニュートラルに、ありのままに観察してみる事。



-------------------------
死とエロスは、影と光、陰と陽、男と女、マイナスとプラスみたいにどちらか一方だけでは存在しないのである。そういう意味でバランスだ。対立する両極の概念を共存させることによって、そこに衝突から起こるエネルギーとパワーを発生させようとする無意識の欲求のような気がする。

五感が完全に解放すると、知性や思考を超えて、我々の肉体のなかに存在しているもう一つの身体のようなものの存在に気付くと言うことだ。
-------------------------

→自分もこの「第二の身体」(肉体的な身体だけではない、もうひとつの自分の身体のこと)というものには注目しています。
おそらく、これが解明されて理解の共有ができれば、神秘やオカルトや・・・とされている色んな不可思議の領域が分かるようになるのでは、と感じています。


補足。
「第二の身体」は、サトルボディsubtle body(エネルギーボディ)などと言われることもあります。
subtleは、微妙な、微細な・・・などの意味。微細な身体のこと。

ヨガや気功など・・・色々なボディーワークは、肉体的な身体ではなくもうひとつの身体のバランスや調和を作り出す側面があります。

ちなみに、村上春樹さんの作品には、この「第二の身体」(サトルボディ(エネルギーボディ))の話がとても多いと、自分は感じています。やはり、Spiritとも強く連関する世界だからでしょうか。例えば、自分が大大大好きな村上春樹さんの『スプートニクの恋人』に出てくる、ミュウが観覧車で体験する二重身(=目に見える自分の肉体と「第二の身体」の分離)のようなものとか。


この辺りは、自分の個人的な研究課題です。



-------------------------
この物質界である現界と異界である霊界や天界とは何らかのつながりがあるに違いない。そのサインはこの現実やわれわれの意識の中に常に働いているはずだが、それを無視し排除しているのはわれわれの科学知と合理主義に違いない。
-------------------------
現世にいる間から常に裸の自分と向き合う習慣をつけて、自分と鏡に映った虚の自分が同じ姿であることを願いたいものだ。
-------------------------
死後の世界を恐れながらビクビク生きるほど情けない生き方はないが、あちらの世界が本体であることがわかれば、生き方も変わる。
-------------------------
神秘はある意味で一時の避難場所でもある。
-------------------------
生と死は相対的である。生の世界は死の世界の雛形である。と同時に死は生の雛形である。つまり生と死は相似形で持ちつ持たれつの関係にあるのではないだろうか。
死者によって生者は守られ救われるが、同時に生者が死者を救うのである。
-------------------------


死や死者っていうと「幽霊」とか、すぐにオカルトめいた方に興味が惹きつけられやすいんですが、全然そうではないのです。
というのも、この世界では生きている人よりも過去に死んでしまった人の方が大多数なわけです。イメージしやすい縄文時代くらいから考えても、果たしてどれだけの人間や生命が死へと移行したでしょうか。天文学的な数字になると思いますが、そういう意味で死の方が普通な状態なのだと思いますね。それこそ、「常世(とこよ)」が永遠を指すというのはそういう事だと思います。

人はだれもが裸で生まれて裸で死んでいきますし、何も持たず生まれて、何も持たずに死んでいきます。
そのプロセスに秘められた巨大な謎を考えながら、1日1日を大切にしながら朗らかに生きていきたいものです。


横尾さんの絵からも文章からも、そういう生や死をすべて含んだ強大で宇宙的なエネルギーを感じます。そして大きな愛も感じます。
岡本太郎と並んで、日本人の偉大な芸術家だと思います。

10 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
すごくいいです! (amyjumy)
2012-08-22 16:36:55
『二隻の舟』に先にコメントさせていただいたamyjumyです。

読んでみます。
横尾さんの『死のむこうへ』等々。

精神世界の探索に、自分の嗜好では・・・お腹いっぱいになっていたので、新しい扉が開いた感じです。
うれしい。

ありがとうございました。
返信する
霊格者 (いなば)
2012-08-22 23:09:47
>amyjumyさま
コメント有難うございます。
横尾さんは最近はじめて読みましたが、あまりの異次元へのぶっ飛びぶりに笑えてくるほど爽快で気持ちよいです。
自分は、やはり中途半端な人より、貫通して突き抜けてる人が大好きなのだと気付きました。
出る杭はうたれる。出過ぎた杭は打たれない。
という感じですね。

横尾さんの本はどれも面白いですよ。対談本は特にお勧めです。横尾さんの人望を物語るかのように色々なすごい方と融通無碍に会話しています。とても刺激になります。また本をお読みになったら感想お聞かせ下さい。

美輪さんが、霊能者は単なる能力者なだけで、霊格者とは全然違う、と言ってました。横尾さんを霊格者だとして絶賛していたわけです。
ほんとその通りで、横尾さんは器もスケールも大きくて、真似できないかっこよさがありますね。自分もいろいろ本を購入しているので、続々と読んでいく予定です。
返信する
引き寄せ? (amyjumy)
2012-08-24 14:54:25
いなば先生

出る杭は打たれる。出すぎた杭は打たれない!!!!!
素晴らしい☆

魔女狩りされた過去を恐れて自分を失いかけてましたが、恐れずに探求進めます。
勇気いただきました。
横尾さん、ネットで注文しました。楽しみです。
自分が送った想念に宇宙が答えてくれた感じでワクワクしてま~す!
ありがとうございました。
返信する
「見えるものと観えないもの」 (いなば)
2012-08-27 00:50:37
>>amyjumyさん
横尾さんはすごいですよ。ぶっとびますよ。勇気出ると思います。ここまで突き抜ければ大丈夫なんだ、と思います。自分がはまるきっかけになった「見えるものと観えないもの―横尾忠則対話録」ちくま文庫(1997/1)は、新刊でもときどき売ってますが、お勧めです。
あとは、矢作先生の「人は死なない」(バジリコ)も、臨床医が書いた中では断トツに突き抜けてるんで、是非読んでほしいです。
返信する
実は・・・ (amyjumy)
2012-08-27 15:22:03
お勧めありがとうございます!
『今、生きる秘訣』は買ってみたんですよ。
『見えるものと観えないもの』も注文してみま~す。

実は・・・矢作先生3部作は既に。
現在、患者さん含む理解できそうな方々にお勧め中です。
私の母もなかなかホントの私(スピリチュアルな言動)のことを理解するのに苦しんでいたようですが、矢作先生の素晴らしい文章表現により『あなたが言うことと同じ事が、わかりやすく書いてあった』と納得。
私が、けして狂ってはいないことを理解してくれました。

実は、矢作先生とはfacebook上で友達承認いただきました。おそらくお優しいので拒否なさらなかっただけだと、わかっておりますが・・・。喜んでます。
先生はfbなさいませんか?

矢作先生のfbサイトから、いなば先生ブログにたどり着きましてヤッタ~!という感じです。
直感に従った自分をほめてやりたいし、8月12日に購入した『オレンジカルサイト』(石です)にもマンモス感謝です!背中を押してくれました。

私は先生とは違うルートを使って同じヤマを目指してるのかなと。(・・・と勝手に決めている、先生のような偉い方に向かってすみません)

シャーリー・マクレーンやハトホル、メルキセデク、山川鉱矢・亜希子さんご夫妻翻訳モノ、ワイス博士モノ・・・フラワーエッセンスや名前を言ってはいけないハーネマン開祖のアレ、音、石あたりから攻めてバーバラ・アン・ブレナンとかオーラソーマとかあたりを漂っておりまして。

バシャールとかへミシンク、シルバーバーチ、シュタイナー。エドガー・ケイシー、スウェ-デンボルグあたりは重なっておりますでしょうか?

横尾さんの本にかかれてた三島さんの死体写真。
今まさに、熊本現代美術館『写真力~篠山紀信展』で展示中です!展覧会初日、篠山さんに『こっちおいで』と手招きされてお隣で写真に納まった私の娘の件とあいまってワォ!という感じ。あの三島さんの写真とった頃の事がココに書かれてる~と昨日は叫んだワタシでした。
三島さんは『鬼籍』に分類されているようで、ヨカッタ~と思います。

公開のコメント欄では、すこ~し遠慮もありまして。
また、読破後の感想を近いうちに。
返信する
勉強中のひよっ子です。 (いなば)
2012-08-28 12:50:01
>>>amyjumy様
矢作先生、ご存知なんですね。3部作も読んでいただいているとは。
いま、また別の本を執筆中ですよ。この本は、東大教授ならでは、という愛国心あふれた本になるんじゃないかと思います。これもまた話題を呼びそうですが。(^^;


<見えない世界>をどう伝えるか、というのは、本当に表現手段によりますよね。
自分が好きな村上春樹さんもそうですが、適切に言語を配置していかないと、大きな誤解を受けることもありますし。
真理自体はシンプルで誰にも理解できるはずのものだと思いますが、伝えるときに色んな齟齬が出てくるんだと思いますし。
矢作先生の文章は、謙虚で真面目なお人柄がにじみ出てますよね。もちろん、ご本人はかなりぶっ飛んでますが。笑

矢作先生がfacebookされているとは驚きですが、自分はしていません。
なかなか面倒なもので、今はネットではブログとE-mailくらいです。
これで特に困ってないので、この感じで続けていこうと思ってます。


矢作先生のfacebookサイトに、自分のブログが紹介されているんですか?
自分はfacebookをしないもので、どういうふうになっているのかよくわからないんですが・・それはそれは恐縮です。矢作先生はいまや時の人ですからね。


amyjumyさんが名前を上げておられる方は、自分もひと通り読みました。
元々は矢作先生の話についていくために学んでいましたが、すごく面白いので、ほぼひと通り読み尽くしてしまった、という感じです。

バシャール、シルバーバーチ、シュタイナー。エドガー・ケイシー、スウェ-デンボルグ・・・やはりこの辺りの方々の言葉はすごい力がありますよね。正統の西洋哲学史の人たちは、やはり片手落ちだな、と感じてしまいます。
論理も神秘主義も、正しく理解していた哲学者はプラトン、スピノザ辺りでしょうか・・・。特にシュタイナーの仕事はもう数十年しないと理解されないかもしれませんねぇ。ヒトラーが最大にライバル視して毒殺した、という話もあるくらいですし。


熊本現代美術館でそんな面白いのやってるんですね。
篠山さんと娘さんと一緒に写真まで撮られているとは!流石ですね。

横尾さんは本当にすごいです。
美輪さんが霊格者だ、と言っていたのがよくわかります。
村上春樹さんと並んで、いづれお会いしたい方の一人です。

自分も精神世界やスピリチュアル領域はなにぶん勉強不足なもので、いろいろ教えて下さい。どの領域も、深めれば深めるほど自分の無知を自覚するばかりです。(^^;
返信する
横尾さんの作品発見! (amyjumy)
2012-08-29 21:25:54
毎日お仕事お疲れ様です。
急性期のの現場は、大変でしょう?

今日は、とてもいいことがありました。
熊本現代美術館に仕事後ふらり・・・と。
(息子が阿蘇へキャンプ☆夕食作りまでに少し時間ありラッキー☆)

何度見ても、篠山さんの写真展はスゴカッタですが、今日のお目当ては『横尾さん&三島さん』
三島さんを前回よりじっくり観察。
横尾さんの例の本からすると、横尾さんもまさか死体姿で?と思いましたが・・・ない。

BODYというカテゴリーの展示の中に異彩を放った写真!
タイトルがついてない(カタログにも横尾さんの名前は結局なかった)のですが、大変気になりまして。
幸い会場には私ひとり。(信じられないでしょ~?贅沢!)
スタッフに
『横尾さんの本で三島さんの死体写真の撮影状況かかれてたんですが、横尾さんの写真はないんですか?』
って伺いましたら・・・
『アレですよ!』と。
まさに気になった写真を指差されるではありませんか!唖然としながら・・・ことの説明に聞き入りました。
なるほど!納得デス!

フェルメールのポストカード買いながら、ミュージアムショップでお姉さんとに
『本物みたいなぁ~』
とおしゃべりしてたら
『フェルメールなら大宰府に今秋やってくるはずですよ!』との情報ゲット!
らっき~!
フェルメールときいてシュメールを思い浮かべる私は、少しイカレテますが。

またショップの店員さんから、9月の情熱大陸に篠山さん特集があり、娘と肩組んで撮ってくださった写真が放映されるかも?な~んていう怪情報も得て・・・大変嬉しい一日でした。

こういうのは、自分のブログに書けばいいんですよね。ホントは・・・。しょっちゅうお邪魔してすみませんと思いつつ。今はコメント欄しか使えないんですけど、そのうちメールができるようになります。

横尾さん・はにゃさん・村上さん読み進めるamyjumyでした
返信する
フェルメール (いなば)
2012-08-30 22:59:58
>>>amyjumy様
急性期の現場はなかなか大変ですね。
24時間265日ほとんど常にオンコール待機状態なので、自分の時間なんて全くありはしません。
今も先ほど緊急カテがありまして、それだけで3-4時間使いましたしね。
でも、カルマヨガのようなもので、そういう日々の利他行の中で自利行にもなっていくというか、そういう風に与えられた仕事を光栄に思って日々やっているところもあります。自分のような未熟な人間には、そういう行為を通して自分を律していかないといけない、ということなのだと理解しています。


篠山さん横尾さん三島さん・・・すごい方々は本当に互いに通じ合っているかのように交流がありますよね。すごくいろんな方々に愛されていて、人としての魅力がすごいんだろうなぁと思います。そういう方々を、遠くから実物で見るだけでもいろんなものを受けとれるような気がしますが(自分がユーミンを生で見たときも、ものすごいオーラとエネルギーを感じました。まさに太陽のようなエネルギーです)、そんな篠山さんご本人に会われているとはほんとうにうらやましいです。すごいです。


フェルメールの九州国立博物館に巡回するのは【ベルリン国立美術館展】の方ですよね。10月9日(火)~12月2日(日)が九州国立博物館のようです。自分の親も大宰府に見に行くって言ってました。

【ベルリン国立美術館展】は、ちょうど自分がベルリンに出張で行ってた時、フェルメールは入れ違いで見れなかったですが、レンブラントの絵がとても多くて、しかも見たことない絵ばかりだったのでかなり感動しました。あんな強烈なレンブラントの絵があるなんて知りませんでしたし。
上野、国立西洋美術館の【ベルリン国立美術館展】も9月17日(月・祝) までなので早くいかないと!と改めて気づきました。すぐ近所なのですが、仕事の合間に抜け出すのがなかなか困難なもので。


自分が見に行った「マウリッツハイス美術館展」のフェルメール「真珠の耳飾りの少女」は、9/29-2003/1/6まで神戸市立博物館のようですね。会期もなかなか長いので、熊本から新幹線で神戸まで行ってみるといいかもしれませんよ。とても素晴らしい絵でした。心の奥底を見つめられるようで。河合先生の「影の現象学」を思い出しました。



情熱大陸は毎週見てる番組です。篠山さん特集は楽しみですね。
この前のヴァイオリニスト木嶋真優さんは、 25歳の若さですごいレベルで仕事をしている方で、自分も真面目に頑張らないとなーと、いい刺激をもらいました。情熱大陸はいつもいい刺激を受けます。

amyjumyさんはご自身のブログもお持ちなんですか?もしあれば、是非お邪魔させてください。

横尾さんと村上春樹さんは、心の底から尊敬しています。いつかお会いしたい!日々口に出して願っていればいつか実現するかもしれないので、しゅっちゅうそういう風に念じてます。笑
返信する
神戸絶対いきます! (amyjumy)
2012-08-31 16:29:44
神戸情報ありがとうございました。
大宰府&神戸~☆
近未来の楽しみが、またひとつ。
ショップのお姉さんが大宰府に来るのは『フェルメールの片方』とおっしゃってた意味がようやくわかりました。

今年に入って、135度線にはいかなくちゃ!と思ってたんです。
大分→四国→淡路島→関西・・・と考えながら頭の中だけでポシャッて。
友人のお子さんが明石の病院に入院されたので、お見舞いをかねて私も?・・・これもハイ残念。
フェルメールがくるなら、大義名分そっち方面行けますね。ありがとうございました。

さて、緊急は日常茶飯事なのでしょう?
待ったなしですよね。本当に頭が下がります。
バイロケというわけにはまいりませんし・・・。
先生ご自身の時間は、無いも同然なのでしょう。
自分など救急病院での一年で白髪&帯状疱疹のパレードとなり、情けなく恥ずかしい限りでした。
そのようなご多忙な中、内面は広く深く探求を続けるお姿に、当方エネルギーをいただいております。
先生に癒される周囲の方々のためにも、なにとぞ今のままの先生でいてくださいね。

横尾さん&村上さんには、先生ならきっとお目にかかれますよ!大丈夫☆


返信する
内と外のバランス (いなば)
2012-09-04 18:43:06
>>amyjumy様
神戸は楽しみですね。
神戸は「神の戸」と書くところなので、淡路島が古事記で最初に作られた島であったりすることもあり、かなり気になっています。やはりそれなりにいわれのある場所なのではないか、と。

日本の地名には、そういうシークレットコードのように思える文字が多々あり、いろんな想像が膨らみます。


外的世界が忙しく広がる時、それに対応して内的世界も広く深いものにしていかないと、本当はバランスがとれないと思うのですよね。
外的世界へのペルソナばかりが強固になって、自我が肥大していきそうで。
自分の中でバランスをとるため、というところが大きいですね。
内的世界だけ膨らませると、ひとりの世界に閉じこもる傾向にありますし、外的世界だけ膨らませると、外面はよくても内的世界の支えがないといびつなことになりますし。

なんでもバランスですよね。
返信する