
岸見一郎,古賀史健「嫌われる勇気―自己啓発の源流「アドラー」の教え」ダイヤモンド社 (2013/12/13)
が予想以上に面白くて興奮・感動!
対話形式なのですごく読みやすい!!
アルフレッド・アドラーをもっと深く知りたいと思った。
一般書店でもベストラーになってるみたい。
タイトルが少し自己啓発本っぽいけど(失礼)、そうではないです。
すごく深く硬質で豊な内容がベースにあって、すごくすごくすんごく勉強になった。
自分が感じていたことを代弁してくれたような感じで、読んでいてうれしくなった。アドラーはすごいなぁ。
この前、古本屋で、Edward Hoffman「アドラーの生涯」金子書房 (2005/08)という507ページの大著もふと購入したけど、このことを予見していたみたい。
■
それはともかく。
アドラーで好きだな!と思ったのは「目的論」の重視。
科学は「因果論」で支配されている。
過去の原因検索をするだけででは、けっきょく決定論になる。
原因が「過去のトラウマ」と説明されて、納得したとしても、その過去にいけないのなら,それ以上どうにもできないお手あげ状態になってしまう。臨床的には、そういう考えは不完全といわざるをえない。
アドラーが強調するのは、今置かれていることに「目的」があるのではないか、と「目的論」を考えること。
たとえば。
原因論「不安だから外に出られない」
目的論「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」
と考える。
では、なぜ外に出たくないのか、不安という感情を作り出しているのはなぜなのか、そこから具体的に行動に移していく。
(おそらく、実際はこれが「メビウスの輪」のループを形成してると思うのですが。)
そういう風に、今の状況になることによって何か得をしているのではないか、そういう隠れた目的があるのではないか、と考えて、未来志向へとつなげていく。
だから、どう感じるかは「いま」の「主観」の話と考える。
過去にどんな出来事があっても、そこにどんな意味づけをほどこかかで現在の在り方は決まる。
過去がすべてを決定するなら、人生に何ら有効な手立てを打てなくなる。
人は過去の原因に突き動かされるのではなく、自らの定めた目的に向かって動いていく。
だからこそ、いまここでどういう判断や意味づけをしていくかを、自分の主観を大切に、自分の未来を大切にしながら考えて行こう、というのがアドラーの考え方。
**************************
アドラー
「大切なのは何を与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。」
**************************
という言葉に、アドラーのエッセンスが込められていると思う。
■
「悲観的な性格だ」よりも、「悲観的な世界観を持っている」に変えてみる。
性格には変えられないものだというニュアンスがあるが、世界観であれば変容させていくことも可能。
そうして、ライフスタイル、人生の在り方は、自ら選び取るもの。
実は、10歳前後に選択しているらしい。
問題は過去にあるではなく、現在の「いま、ここ」にあると考える。
アドラーの目的論は、「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない。」とする。極めてラジカルだ。
自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなた自身。
自らに対して「変わらない」という決心を常に下しているから。変わらない。
おそらく、そこには<本当は変わりたくない>という隠れた目的がある。
人は常に自らのライフスタイルを選択している。
だから、変わらない人も、ライフスタイルを変えないでおこうと、いう不断の決心をしている。
では、ライフスタイルを変えるには何が必要か。
アドラーは「勇気」が必要だと言う。
幸せになる「勇気」が足りていない。だから、勇気づけが大事なのだ、と。
このシンプルな言葉にはすごく深いものを感じた。
■
権威の力で自分を大きく見せている人は、他者の価値観に生き、他者の人生を生きている。
もしも自慢する人がいれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない。
本当に自信をもっていたら自慢はしない。
不幸自慢は、劣等感そのものを先鋭化させて特異な優越感にひたること。
不幸であることで特別であろうとし、不幸であるという点で人の上に立とうとする。特別な存在であろうとする。自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。
自らの不幸を「特別」であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とする。
人生は他者との競争ではない。
健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの。
競争の図式から出ると誰かに勝つ必要がなくなる。
負けるかも、という恐怖からも解放される。
他者の幸せを祝福できるし、積極的な貢献ができる。
ある人が困難に陥った時、いつでも援助しようと思える他者。それが仲間と呼ぶ存在。
「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方は違うものになる。
そうして、アドラーは他者を敵と考える思考から、仲間と考える思考への変換を促す。
それは、競争という構図から勇気を持って降りることを意味する。
■
アドラー心理学での行動面の目標は2つ
自立する事、社会と調和して暮らせること
行動を支える心理面の目標2つ
わたしには能力があるという意識、人々は私の仲間であるという意識
一緒に仲良く暮らしたいのであれば、互いを対等な人格として扱わなければいけない。
誰かの欠点を許せない、のではなく、
その人との対人関係を回避するため、嫌いになるという目的が先にあって目的にかなった欠点を後から見つけだしていると考える。
人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでもみつけだすことができるからだ。
そういう風に、様々な口実で人生のタスクを回避しようとする事態を
「人生の嘘」
とアドラーは呼んだ。
確かに、自分に正直に素直に生きれていない人生は、「人生の嘘」ということになるかもしれない。辛辣でストレートな言葉だと思った。
■
このタイトルにあるような「嫌われる勇気」というのは、他者の評価を気にせず自由になれ、ということのようだ。
比較すべきは他者ではなく、自分の中にいる理想の自分。
Egoではなく、自己Self(全体としてのわたし)とを比較せよ、ということだろう。
組織を飛び出してもほんとうの自由は得られない。
他者の評価を気にせず、嫌われることも恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないと、自分の生き方を貫くことはできない。自由になれない。
だからこそ、嫌われることを恐れるな。幸せの勇気には嫌われる勇気も含まれる、と本書では書かれていた。
そういう意味で、人の顔色をうかがう人生は、確かに「人生の嘘」になってしまうのだろう。結局は、その人だけのかけがえのない一回限りの人生なのだから(たとえ生まれ分かりがあるにしても、いまこの時代の人生は永遠に一回だけだろう)。
■
アドラーの考え方でいいな、と思ったのは「共同体感覚(social interest)」という考え方。
共同体は家庭、学校、職場、地域社会だけではなく、国家や人類も包括した全て。宇宙全体まで含んだすべて。
時間軸においては過去から未来。動植物も無生物までも含まれる。
文字通りのすべて、を共同体とした。
そして、その共同体感覚は、「自己受容」と「他者信頼」と「他者貢献」という3つのバランスが必要になる。という点。
まさに未来を先取りした考えだと思う!
■
あと、
「ゴルディオスの結び目」を断て。
という章もあってうれしかった。
しがらみを従来的な方法で解きほぐすのではなく、何かまったく新しい手段で断ち切らなければいけない。ということ。
小松左京の「ゴルディアスの結び目」ハルキ文庫(1998/4)という本を思い出す。(超名著!SFオムニバス集。以前感想も書いた。)
→小松左京「ゴルディアスの結び目」(2013-06-04)
ゴルディアスの結び目は、アレクサンドロスの伝説。
ひとつの現象を解き明かすのに、既存の思考法によるたったひとつの答えのみがあるのではなく、複数の次元から問題を解き明かす可能性がひそんでいることを例証するエピソード、それが「ゴルディアスの結び目(Gordian Knot)」の語源。
何かを本当に解決していくには、まったく違う次元からの解決法が必要だ。
それが「ゴルディアスの結び目(Gordian Knot)」を解くこと。
そういう風に生きていきたいものだ。
・・・・・・・・
他にも色々と示唆する対話がキラ星のようにたくさんあって、本当にいい本だと思った。
アドラーの深い心理学や哲学を損なわないように、すごく読みやすい対話形式で書かれていて、ものすごい名著だと思った。
是非読んでみてください!アドラーを好きになるのは間違いなし!(^^
**************************
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)
「私たちのいわゆる個人心理学は、実際のところ、対人関係の心理学である」
**************************
「どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを、毎日考えるようにしなさい。そうすれば憂鬱な気持など、吹き飛んでしまいます。反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいますよ」
**************************
「子供の教育について最悪の間違いは、親や教師が、誤った道にさまよっている子供らに向かって、悪い結末を予言してやることである」
**************************
「人生最大の危険は、用心しすぎることである」
**************************
が予想以上に面白くて興奮・感動!
対話形式なのですごく読みやすい!!
アルフレッド・アドラーをもっと深く知りたいと思った。
一般書店でもベストラーになってるみたい。
タイトルが少し自己啓発本っぽいけど(失礼)、そうではないです。
すごく深く硬質で豊な内容がベースにあって、すごくすごくすんごく勉強になった。
自分が感じていたことを代弁してくれたような感じで、読んでいてうれしくなった。アドラーはすごいなぁ。
この前、古本屋で、Edward Hoffman「アドラーの生涯」金子書房 (2005/08)という507ページの大著もふと購入したけど、このことを予見していたみたい。
■
それはともかく。
アドラーで好きだな!と思ったのは「目的論」の重視。
科学は「因果論」で支配されている。
過去の原因検索をするだけででは、けっきょく決定論になる。
原因が「過去のトラウマ」と説明されて、納得したとしても、その過去にいけないのなら,それ以上どうにもできないお手あげ状態になってしまう。臨床的には、そういう考えは不完全といわざるをえない。
アドラーが強調するのは、今置かれていることに「目的」があるのではないか、と「目的論」を考えること。
たとえば。
原因論「不安だから外に出られない」
目的論「外に出たくないから、不安という感情を作り出している」
と考える。
では、なぜ外に出たくないのか、不安という感情を作り出しているのはなぜなのか、そこから具体的に行動に移していく。
(おそらく、実際はこれが「メビウスの輪」のループを形成してると思うのですが。)
そういう風に、今の状況になることによって何か得をしているのではないか、そういう隠れた目的があるのではないか、と考えて、未来志向へとつなげていく。
だから、どう感じるかは「いま」の「主観」の話と考える。
過去にどんな出来事があっても、そこにどんな意味づけをほどこかかで現在の在り方は決まる。
過去がすべてを決定するなら、人生に何ら有効な手立てを打てなくなる。
人は過去の原因に突き動かされるのではなく、自らの定めた目的に向かって動いていく。
だからこそ、いまここでどういう判断や意味づけをしていくかを、自分の主観を大切に、自分の未来を大切にしながら考えて行こう、というのがアドラーの考え方。
**************************
アドラー
「大切なのは何を与えられているかではなく、与えられたものをどう使うかである。」
**************************
という言葉に、アドラーのエッセンスが込められていると思う。
■
「悲観的な性格だ」よりも、「悲観的な世界観を持っている」に変えてみる。
性格には変えられないものだというニュアンスがあるが、世界観であれば変容させていくことも可能。
そうして、ライフスタイル、人生の在り方は、自ら選び取るもの。
実は、10歳前後に選択しているらしい。
問題は過去にあるではなく、現在の「いま、ここ」にあると考える。
アドラーの目的論は、「これまでの人生になにがあったとしても、今後の人生をどう生きるかについて何の影響もない。」とする。極めてラジカルだ。
自分の人生を決めるのは、「いま、ここ」に生きるあなた自身。
自らに対して「変わらない」という決心を常に下しているから。変わらない。
おそらく、そこには<本当は変わりたくない>という隠れた目的がある。
人は常に自らのライフスタイルを選択している。
だから、変わらない人も、ライフスタイルを変えないでおこうと、いう不断の決心をしている。
では、ライフスタイルを変えるには何が必要か。
アドラーは「勇気」が必要だと言う。
幸せになる「勇気」が足りていない。だから、勇気づけが大事なのだ、と。
このシンプルな言葉にはすごく深いものを感じた。
■
権威の力で自分を大きく見せている人は、他者の価値観に生き、他者の人生を生きている。
もしも自慢する人がいれば、それは劣等感を感じているからに過ぎない。
本当に自信をもっていたら自慢はしない。
不幸自慢は、劣等感そのものを先鋭化させて特異な優越感にひたること。
不幸であることで特別であろうとし、不幸であるという点で人の上に立とうとする。特別な存在であろうとする。自らの不幸を武器に、相手を支配しようとする。
自らの不幸を「特別」であるための武器として使っている限り、その人は永遠に不幸を必要とする。
人生は他者との競争ではない。
健全な劣等感とは、他者との比較の中で生まれるのではなく、「理想の自分」との比較から生まれるもの。
競争の図式から出ると誰かに勝つ必要がなくなる。
負けるかも、という恐怖からも解放される。
他者の幸せを祝福できるし、積極的な貢献ができる。
ある人が困難に陥った時、いつでも援助しようと思える他者。それが仲間と呼ぶ存在。
「人々はわたしの仲間なのだ」と実感できていれば、世界の見え方は違うものになる。
そうして、アドラーは他者を敵と考える思考から、仲間と考える思考への変換を促す。
それは、競争という構図から勇気を持って降りることを意味する。
■
アドラー心理学での行動面の目標は2つ
自立する事、社会と調和して暮らせること
行動を支える心理面の目標2つ
わたしには能力があるという意識、人々は私の仲間であるという意識
一緒に仲良く暮らしたいのであれば、互いを対等な人格として扱わなければいけない。
誰かの欠点を許せない、のではなく、
その人との対人関係を回避するため、嫌いになるという目的が先にあって目的にかなった欠点を後から見つけだしていると考える。
人はその気になれば、相手の欠点や短所などいくらでもみつけだすことができるからだ。
そういう風に、様々な口実で人生のタスクを回避しようとする事態を
「人生の嘘」
とアドラーは呼んだ。
確かに、自分に正直に素直に生きれていない人生は、「人生の嘘」ということになるかもしれない。辛辣でストレートな言葉だと思った。
■
このタイトルにあるような「嫌われる勇気」というのは、他者の評価を気にせず自由になれ、ということのようだ。
比較すべきは他者ではなく、自分の中にいる理想の自分。
Egoではなく、自己Self(全体としてのわたし)とを比較せよ、ということだろう。
組織を飛び出してもほんとうの自由は得られない。
他者の評価を気にせず、嫌われることも恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わないと、自分の生き方を貫くことはできない。自由になれない。
だからこそ、嫌われることを恐れるな。幸せの勇気には嫌われる勇気も含まれる、と本書では書かれていた。
そういう意味で、人の顔色をうかがう人生は、確かに「人生の嘘」になってしまうのだろう。結局は、その人だけのかけがえのない一回限りの人生なのだから(たとえ生まれ分かりがあるにしても、いまこの時代の人生は永遠に一回だけだろう)。
■
アドラーの考え方でいいな、と思ったのは「共同体感覚(social interest)」という考え方。
共同体は家庭、学校、職場、地域社会だけではなく、国家や人類も包括した全て。宇宙全体まで含んだすべて。
時間軸においては過去から未来。動植物も無生物までも含まれる。
文字通りのすべて、を共同体とした。
そして、その共同体感覚は、「自己受容」と「他者信頼」と「他者貢献」という3つのバランスが必要になる。という点。
まさに未来を先取りした考えだと思う!
■
あと、
「ゴルディオスの結び目」を断て。
という章もあってうれしかった。
しがらみを従来的な方法で解きほぐすのではなく、何かまったく新しい手段で断ち切らなければいけない。ということ。
小松左京の「ゴルディアスの結び目」ハルキ文庫(1998/4)という本を思い出す。(超名著!SFオムニバス集。以前感想も書いた。)
→小松左京「ゴルディアスの結び目」(2013-06-04)
ゴルディアスの結び目は、アレクサンドロスの伝説。
ひとつの現象を解き明かすのに、既存の思考法によるたったひとつの答えのみがあるのではなく、複数の次元から問題を解き明かす可能性がひそんでいることを例証するエピソード、それが「ゴルディアスの結び目(Gordian Knot)」の語源。
何かを本当に解決していくには、まったく違う次元からの解決法が必要だ。
それが「ゴルディアスの結び目(Gordian Knot)」を解くこと。
そういう風に生きていきたいものだ。
・・・・・・・・
他にも色々と示唆する対話がキラ星のようにたくさんあって、本当にいい本だと思った。
アドラーの深い心理学や哲学を損なわないように、すごく読みやすい対話形式で書かれていて、ものすごい名著だと思った。
是非読んでみてください!アドラーを好きになるのは間違いなし!(^^
**************************
アルフレッド・アドラー(Alfred Adler)
「私たちのいわゆる個人心理学は、実際のところ、対人関係の心理学である」
**************************
「どうしたらみんなを喜ばすことが出来るかを、毎日考えるようにしなさい。そうすれば憂鬱な気持など、吹き飛んでしまいます。反対に自分のことばかり考えていたら、どんどん不幸になってしまいますよ」
**************************
「子供の教育について最悪の間違いは、親や教師が、誤った道にさまよっている子供らに向かって、悪い結末を予言してやることである」
**************************
「人生最大の危険は、用心しすぎることである」
**************************
ほんとにシンクロニシティーを感じてしまいます。。。私は、ここ最近「アドラー心理学」の本を読み、「勇気の科学」という本も読みました。
つい、先日、偶然知り合った漢方の医師に「漢方を何十年も飲んで自己免疫疾患が完治しないは、ついている医師が悪いのだ」といわれました。。。職業は明かさず、ただ患者として、その医師に出会いました。
それを言われて、瞬間的に感じたのは「ほんとうに治りたいのは私のほう!もっと体が自由だったら、もっとやりたいことがやれていたと思う。体が弱いからやりたいことがやれないという部分で、自分自身をずいぶん責めてきました。だからもう、これ以上自分を責めないようにしようと思っています」ということでした。
病気を手放したくないから、病気が完治しないかのように思われることもあるのですが、私の場合は半分あたっていて、半分違っています。。。 【ついつい好奇心が旺盛であれこれ、手をだしそうになる私のブレーキ役】をしてくれているところもあるのですから、体力の無い体に、ある部分では感謝しよう! 今は、そう思っています。私自身が、病気であること(もしかしたら、病気でいたいと思ったかもしれません)は、(幼い頃は)他者との関わり(他者をコントロール)だったかもしれません。 けれど今の私は、どちらかと申しますと、自分自身との関わりに原因があるように思います。自分の能力や限界を超えてしまうことに気づかない自分への戒めかもしれませんし、元気すぎると、人の気持ちを考えずに猪突猛進してしまうと思っているようです。
それと、もう一つ 自分のなかに驚くような感情がありました。「もしも、病気が完治して、一切 疲れやすさも気にせず、なんでも、好きなことを好きなだけやれるような体になったとしたら・・・。私は、どうやって時間を使い、体を使い、人生を楽しみ、そして社会貢献するべきか・・・。どのようにバランスをとればいいのか、、、どうしていいかわからなくなってします」でした。
☛いまから、これらのことをワークしようと思います。貴重な気づきをタイムリーにありがとうございます。m(_ _)m
そんなのは<トラウマに甘えている>だけ、なんですよね(笑)。
実は、みなさん、生きたいように生きている。
「不幸だ不幸だ」と言いながら同情を買い、他者をコントロールしようとする・・・そうすると自他ともによけい
疲れ、混乱するにが分からない。
本当は、まずは、欠点を含めて自己を受容し、そして<人は皆同じ><外から見ての美醜名誉地位、毀誉褒貶など無意味>と悟れば、心はいつも晴れやかなんですけど。
現代社会、心を病んでいる人が多すぎますね。
「勇気の科学」という本もなんだかおもしろいですねー。
人間のからだ、こころ、病との関係性・・・・
たしかにそう簡単な話ではないですよね。毛糸がもつれているようなイメージで、なかなかスッキリしないことも多いですが、とりあえず自分にできることは、そのもつれた毛糸を丁寧にほぐす、ということでしょうか。
そうしないと、織りたい編み物もおれないし、そもそも毛糸のもつれをほどくだけが目的になってしまいますしね。病を手掛かりにして、結局は自分がどちらの方向に動いていくのか、というロングスパンまでふくめて、今存在しているのだと思うことがあります。
バランス感覚は大事ですよねー。自分も、いつも人生は波乗りのような感じだなぁと思います。常にバランスをとり続けるって感じですねー。(^^
>是誰庵玉猫さん
そうですね。過去のトラウマっていうのは、多かれ少なかれ誰にでも普遍的にあるものかもしれませんが、それを創造的に生かした人、それにつぶされてしまった人がいますよね。その違いを見て思索をしたのがアドラーなのだと思います。貧乏だから、親の愛を受けれなかったから、殴られたから・・・・理由の程度もそれぞれですが、その体験で必ずしも同じ結末を人間が迎えるわけではない。そこにやはり人間の可能性を見たいな、と自分も思います。
そこに可能性を見るか、危険性と見るか。
未知のものに好奇心を持つか、おそれと見るか。。。。
そういうことでも、人間は無意識的にも意識的にも選択を繰り返しているような気がしますね。
そういう意味で、アドラーの考えは色々と示唆に富んでいて、自分はとても好きです。(^^