日常

イイものをイイと言う事

2008-11-29 01:24:28 | 考え
■イイ、ワルイに関する4分割

最近、色々考えててふと思ったんだけど、
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【1】:イイものをイイと言うこと
【2】:イイものをワルイと言うこと
【3】:ワルイものをイイと言うこと
【4】:ワルイものをワルイと言うこと
***********************************
という風に、イイ、ワルイに関する対応を、4分割にしてみて考えると面白いと思った。いろいろ喚起されることがあった。


■「処世術」、「大人の対応」、「お世辞」

何をイイとするか、何をワルイとするか、まあ難しい問題ですが、とりあえず主観的なものってことにしましょう。
実は、本当はこのこと(→イイものって何なんだろうか?)を考えていたんだけど、それより上に書いた4分割の事柄の方がよっぽど自分にとって面白くなってきたもんで・・・。少し路線変更。

イイもの、ワルイものは主観的なものって前提で話を進めます。それを前提にしても、自分的にはやはり
【1】(イイものをイイと言うこと)
でありたくて、最近はそういうことに意識的で自覚的でありたいって思ってる。これが結論。


というのも、やっぱり最初社会に出たときって、
【3】(ワルイものをイイと言うこと)
のパターンにならざるを得ないことって多くて、それは「処世術」であったり、「大人の対応」であったり、「お世辞」であったり・・・・・・、まあ色んな呼称があるんだけど、最近はそれを限りなくゼロに近いくらいの最小限にしたいなぁって思ってる。そういう状態ばかりの人を「世渡り上手」って称する言葉もあったりして、あまりいい意味は込められてないことが多い。いい意味じゃないってことは、だいたいみんな気づいてる。


■集団生活

【4】(ワルイものをワルイと言うこと)だけで突っ走るのって、場面によったらすごく大事なんだけど、集団生活を送っていく上では難しいこともあって、集団に溶け込めない可能性ある。排除されたり。
【4】であることは、それが正しく伝わらない可能性が高いときは、時には自分の心の内に秘かに抑えて蓄えておくことも大事な気もする。本当に言いたいことが捻じ曲がって伝わってしまって、意図せず人を傷つけたりすることもある。時には、伝えるときの繊細な技術が必要とされる気もする。


■子供のとき

子供のときって、まだ集団生活とかのルールが分かってなくて、【1】とか【4】の状態が基本的に多いと思うんですよね。
【1】(イイものをイイと言う)のような素直・無邪気の状態であり、【4】(ワルイものをワルイと言う)のような「王様は裸だ!」って言える素直さや無邪気さ。

成長するにつれ、【1】は何故か影を潜めてくるんですよね。
「嬉しい!ありがたい!」と思ったときに素直にありがとうと言えなくなってくる状態に近い気もする。何故なんだろうか。不思議だなぁ。自意識が強くなって自意識過剰になるとそうなっちゃうのかな?自意識過剰のプロセスって、成長する上では必ず通るプロセスでもあると思うから全然否定しない。
変な気恥ずかしさ?の正体って何なのだろうか。


生身の自分であることや赤裸々であること、生でライブ感のある感情を露呈することへの恥ずかしさなのかなぁ。
むき出しの自分っていう、何の飾りも装飾もない覆うものがない自分への気恥ずかしさ?この辺は一考の余地あり。
それはともかく、特に深い意味もなく、なんとなく【1】(イイものをイイと言う)感情って他のネガティブなものに抑圧されていってしまう気がする。


【4】も、やはり集団生活では誤解される場面もあったりして、表現にも繊細な気配りが必要だから、段々そこが面倒臭くなってくる。

社会性を帯びれば帯びるほど(学校→社会→・・・)、結果的に【2】とか【3】の状態って多いんじゃないかと思うんですよね。


■裏返したり破壊することだけの自己満足

鼻息荒かった若いときって、
【2】(イイものをワルイと言うこと)
とかってすごくよくあって、なんか既存の価値観をひっくり返すことで、自分が偉くなった気がしちゃうんですよね。ほんとは何も生んでないし、何一つイイ事してないんだけど、イイ事した自己満足を感じてる事って多い。でも、これってかなり空しい。空虚。


何かを議論したりする場でも、こういう人ってやっぱりいる。おそらく深い目的って全然なくて、単に人の考えを裏返してあげ足をとって、「それなりのことをやってやった!」って妙な自己満足に陥ってるような気がする。

これって単なる自意識過剰なんですかね。そこに他者への敬意はあまり含まれてない気がする。自分だけで閉じられた、他者不在の世界。


【2】(イイものをワルイと言う)も、【3】(ワルイものをイイと言う)も、日々の生活では「もうお腹いっぱい!」って感じになってきて、ゼロにするのは集団生活を送る上で難しいかもしれないけど、限りなくゼロにしていきたい。


■居心地がいい状態

そうなると、自分にとって一番自然で一番居心地がいい状態って、
・・・・・・・・・・・・・・・・
◎【1】:イイものをイイと言う事
・・・・・・・・・・・・・・・・
である気がするんですよね。
なんか、そこをためらう必要って全くないなーと思いまして。

今はこんな心境。

だから、ここ1週間の身近な例を考えても、
11/23にプロジェクト大山のダンスを見て感じたときも、11/25に通崎睦美さんのマリンバを亀有のリリリオホールに見て聞きに行ったときも、11/23に諸星大二郎の漫画の感想書いたときも、自宅でふと昔のごっつええ感じのDVD見てキャシー塚本とかの松本人志見たときも、風の旅人のバックナンバーをふと見直したきも、野町和嘉さんの「地球巡礼」っていう写真集をふと見返したときも、i podからCoccoとかミスチルとかサザンの音楽や歌詞がふと流れてきたときも、・・・・・・・・
この世にはイイモノってやっぱり無数に潜んでいるんだけど、【1】:イイものをイイ!ってためらわずに言い続ければいいんじゃないかと思った。

これ、当たり前?今更気づいてどうするの?って感じですか?笑


■人・他者・世界との呼応

人とか他者とか世界と呼応していくって、この心理状態(【1】:イイものをイイと言うこと)の延長線に成立するものだと思うんですよね。
なんか、大して難しいこと言いたいわけでもないし、新しいこと言ってる気も全然しないんだけど、なんか最近シミジミとそう思ってます。


■自分の軸

この世にイイものやイイ人って、数え切れないほど存在していて、そういうものをもっと「イイよね!」と言っていくこと。同じものを共有している人がいれば、その人と一緒に「イイよね!」っていう山びこをコダマしていくこと。
それは自分の軸を作っていくプロセスなんじゃないかと思ってます。

それは、なんか挫折しそうになったときとか、辛いときとか、「自分が尊敬するこの人ならどうするだろうか?」とか、何かしらの寄る辺を求めて考えることってあると思う。その寄る辺っていうのは自分の軸と言われるもの。自分の軸って普段は意識にあがってこないけど、そういうものなんじゃないだろうか。
その軸の要素って、自分が他者のどういう思いを引き継いできたかってことな気もする。


自分の軸の要素となる人が過去の故人である場合は、想像して偲び、鎮魂するしかない。
でも、自分の軸の要素となる人が現在同時代に生きている場合、お互いにイイ影響を与え合って、呼応していけばいいんじゃないかと思うんです。


そういう意味でも、自分にとってイイ!と思えるものをこの世からたくさん見出していくことは、自分の軸をしなやかで強靭で柔軟な、揺らぎのある多面体のようなものにしていくプロセスな気がしてきた。


・・・・・・・・・・・・・

なんか、そんなことが、ふと頭にドスンと浮かんだんですよね。

ま、ただソレダケの徒然なる随想なんですけど笑





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あとで思いついた補足
■「ポジティブシンキング」
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「ポジティブシンキング positive thinking」っていうのがあって、なんでもかんでもいい風にプラスに解釈しましょうね。って感じなんだと思うけど、昔からこれには違和感ありつつも、半分は共感できるなーと思ってました。
今ふと分かったのは、
「ポジティブシンキング」=『【1】:イイものをイイと言うこと+【3】:ワルイものをイイと言うこと』
の混在した状態だから違和感あるんだって気づいた!だから半分は「ポジティブシンキング」の精神に共感できたんだなーと気づきましたね。
単なる補足です。
あ、そんなの今更!って思いました?笑
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5 コメント

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『有限の世界の無限の可能性(仮)』 (Is)
2008-11-30 00:24:05
いくつか、助かることが…。
>【4】であることは、それが正しく伝わらない可能性が高いときは、時には自分の心の内に秘かに抑えて蓄えておくことも大事な気もする。
…これ、言っていただけると助かります。
>変な気恥ずかしさ?の正体って何なのだろうか。生身の自分であることや赤裸々であること、生でライブ感のある感情を露呈することへの恥ずかしさなのかなぁ。
…以前、朝日カルチャーの見田宗介の『芸術社会学』の講義で、20世紀前半パリから、20世紀後半ニューヨークにアートの中心が移ってからの作品は、「歌うことを禁じた」ことがアートをつまらなくしたのだ。というようなことをおっしゃってました。確かに、アートがインテリ化して、~それは建築とかもそうだけど~、単純で純粋な感情を抑圧したやつがかっこいいみたいなモードはあったと思います。(…ちなみに、手塚建築の魅力は、建築の持つ単純で純粋な魅力だけを、バカがつくほど愚直に出したところにあると思っています。なだらかな坂道を見ると座りたくなっちゃう(c.f.葛西臨海公園)から「屋根の家」。サークル上の屋根があったらグルグル回りたくなっちゃうから「ふじようちえん」。)
>社会性を帯びれば帯びるほど(学校→社会→・・・)、結果的に【2】とか【3】の状態って多いんじゃないかと思うんですよね。
【2】(イイものをワルイと言う)も、【3】(ワルイものをイイと言う)も、日々の生活では「もうお腹いっぱい!」って感じになってきて、ゼロにするのは集団生活を送る上で難しいかもしれないけど、限りなくゼロにしていきたい。
…全く、その通りです。かつて、ニーチェの「愛せない場合は通り過ぎよ」という言葉を聞いてから、生きるのが少しラクになったような気がします。変に空気に合わせたりしなくなった。礼節だけわきまえて、あとは流せるようになった。

>何かを議論したりする場でも、こういう人ってやっぱりいる。おそらく深い目的って全然なくて、単に人の考えを裏返してあげ足をとって、「それなりのことをやってやった!」って妙な自己満足に陥ってるような気がする。
…悪い意味でのポストモダン思想はまさにそれでしたね。出始めの頃の宮台真司が「論争に勝って、動機づけに負ける」と言われてたのを思い出します。イトイさんも言うけれど、結局、プロポーズしない人には票は入らない。そして、手を挙げるって、やっぱりリスクですよね。リスク犯さないもにはスマートかもしれないけど…ぼくもそんなスマートさは捨てました。
>この世にはイイモノってやっぱり無数に潜んでいるんだけど、【1】:イイものをイイ!ってためらわずに言い続ければいいんじゃないかと思った。
…結局それですよね。
で、ここから本家取りで、話を展開!
最初の、「イイもの…とりあえず、主観で」ってのを、こういうのもいいのではないかという提案。
先日の「軸の時代~いかに未来を構想しうるか?~」
http://blog.livedoor.jp/daiyoji/archives/65131229.html 
を受けてなんだけど、
新しい軸の時代の生き方を、
~成熟社会(宮台真司・藤原和博)、定常社会(広井良典)、動物化(東浩紀)、などいろんな呼び方あるけど~
インタビューとか対談して酩酊を起こさせるくらい集めて本(など)にする。
ずばり、タイトルは『有限の世界の無限の可能性(仮)』。
条件としては過渡期的な無限成長時代とは異なる生き方を模索してる人。
だから、ビックトゥモローなアイツ系の人は出ないのかな?
その辺、世間で受けてるから何でもとはならない。
(勝﨤さんとか世間では流行ってるけど、ここで言う軸とは異なる?)

かつて、
『13歳のハローワーク』
『社会学文献事典』
ギデンズの『社会学』
『環境危機をあおってはいけない』
とかに強い酩酊を覚えました。「世界は豊かだ!」と直感した。強く動機づけられた。生き方が変わった。
そんな本の理論編ではなくて、
生きたロールモデルで、Next Generationたちを動機づけたいですね。
…ちょっと、触発されて、思いついたことを書き連ねてしまいました。整ってないですが、こんなことしたい!

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Unknown (RYM)
2008-11-30 00:28:34
いいものをいいという、大事ですよね。

最近ですが、あまりに情報が溢れている今だからこそ、いい!というものに注力しようと思います。

いなばさん然り、Is、ShinKさん達と話しているときに、楽しいと思う要因のひとつは「ネガティブな話題や悪口でつながっていない」ということです。大体みんな、好きなことやおどろいたことについて話していますね。

この世に膨大な情報が溢れ、それらすべてに対していい、悪いを述べることは出来ない。
であれば、せめていいものに注目して、そのよさが何か、その良さを拡大したり利用したりイイトコドリしたりするにはどうしたらいいか話し合うほうが、よほどよほど生産的ですよね。

限られた時間や資源は、大事なモノに使って生きたいものです。そのためにも、自覚的かつ意図的に「イイものはいい」と言っていきたいですね。

※ウェブ2.0提唱者の梅田さんも同じようなことを指摘されてます↓
http://d.hatena.ne.jp/umedamochio/20070317/p1
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Unknown (RYM)
2008-11-30 00:42:30
自分の書き込みをチェックしたらIsが書き込んでいることに驚き。(数分のずれでほぼ同じ時間にいなばさんブログに書き込んでいるとはなんたるシンクロ!)

「手塚建築は素直さのあらわれ=恥ずかしさの取っ払い」であるという指摘は面白いです。
ニーチェの「愛せない場合は通り過ぎよ」もクールだけど真実をシンプルにいっててかっこいい。


新しい軸の時代に、己の生き方を貫いている人の話、聞いていて見たいですね。インタビュー然り、つぶやきのような独白然り。

Uてぃふの祭りも、そういう機能の一部ではありますよね>いなばさん

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自分たちの船を漕ぐ (いなば)
2008-11-30 12:22:54
●>>>>>>>>IS

あとで思いついた補足として、「ポジティブシンキングpositive thinking」を付け加えといた。

「ポジティブシンキング」=『【1】:イイものをイイと言うこと+【3】:ワルイものをイイと言うこと』
の混在した状態だから違和感あっただなーって自分でも気づいてからね。だからなんか違うなーって思ってたんだね。わしはpositive thinkingの中の【1】:イイものをイイと言うことだけにこだわっていきたいのよね。

【1】:イイものをイイと言うこと
【4】:ワルイものをワルイと言うこと
の違いって、やっぱ【4】は伝える技術とかタイミングってかなり重要だと思うんだよね。子供が言うと大人が傷つくことあるでしょ?笑
大人の技術と経験で【4】は化粧せんといかん。

でも、【1】は素直で無邪気でいいんだと思うのよね。

..................................
・「歌うことを禁じた」ことがアートをつまらなくしたのだ。
・単純で純粋な感情を抑圧したやつがかっこいいみたいなモード
・手塚建築の魅力は、建築の持つ単純で純粋な魅力だけを、バカがつくほど愚直に出した
..................................
ほんとそうだよね。妙な権威付けしちゃったのかな。まあそういう大きい振幅で一度は触れて、「行き過ぎちゃいました!」って揺り戻ってきて、あるがままのあるべきところに落ち着くんだろうね!
そういうプロセスって面白いよねー。
まあ人生も同じようなもんかな?あっちの壁にぶつかって、大きく揺れてこっちの壁にぶつかって・・・っていうプロセス。いい塩梅も、きっと不安定なとこでバランスとってるくらいのがいい塩梅なんだろうけどね。



..................................
・ニーチェの「愛せない場合は通り過ぎよ」
..................................
っておもしろいね!
礼節だけわきまえて、礼儀だけちゃんとしていればいいんだと思う。そこで自分を改変して変に踊らなくていいんだと思う。だから、他者への最低限の礼儀作法が結構大事なんだろうね。



..................................
結局、プロポーズしない人には票は入らない。
..................................
一周まわって、そういうリスクを踏み越えるのは大事だと思うよね。だから、わしはまずプロポーズ人に対して敬意を表することから共有して、そこを含めてそこから始めたいんだよね。プロジェクト大山の踊りの感想書いたときも、彼女らが踊りという分野で挑んでいること自体がとても素晴らしいと思ったし。



..................................
・過渡期的な無限成長時代とは異なる生き方を模索してる人
・世間で受けてるから何でもとはならない。
・「世界は豊かだ!」と直感
..................................
どんどん自由に勝手に本家取りしてください!笑 わしの文章もきっと喜びます。Is叔父さん!って慕ってくるよ。笑


今まではサイエンスとか医学の世界も、「分子生物学」のような、どんどん人間を最小限の分子レベルまで小さくして、その分子レベルから人間を理解していきましょう!っていう還元主義の動きが大勢を占めていた。

でも、絶対それだけじゃ人間の謎や迷宮や本質には迫れない!!
Is氏が提示しているような混沌とした全体性と部分性をうまいバランスで同居させなきゃならん。

俺が思うに、それをコツコツ真面目にやってるのは「風の旅人」とかもそう。

そうなると、もう有名とか無名とか、そんなのどうでもよくて、人間個体の幅として孤独に勝負していかないといかんのよね。ゼロ歳から150歳くらいまで広く知識や知恵を共有しないと。

今までは30-50台くらいの油ギュシュな狭い世界で自己満足してた感じ!



●>>>>>>>>Rym
..................................
・「ネガティブな話題や悪口でつながっていない」
・好きなことやおどろいたことについて話す
..................................

ワルイとかネガティブな世界、闇とかって恐ろしい吸引力があって、人を酩酊させる磁場があると思う。

そして、その闇に自分自体が毒されていく。
麻薬とかも同じじゃないかなぁ?

でも、そういう人間の弱さとか儚さを一回受け止めたうえで、次に踏み出したいよね。
それは「イイものはやっぱりイイでしょ!」っていう喝采と共にね。

ネガティブって癌細胞と同じでどんどんほかのエネルギー吸収して自己増殖するからね。


..................................
・せめていいものに注目して
..................................

そうなんだよねー!流石わしの真意を汲み取ってくれて。

【4】:ワルイものをワルイと言うこと
ももちろん必要。大事。

でもね、でもね。
この世には無数にモノや情報やヒトにあふれていて、悪しき平等主義でそういうのを同じ数だけ取り上げていってもしょうがないじゃない?っていうある種の有限性への諦め感があるのよね。
時間は有限だから、イイものに光を当てて、イイ!って言っていくプロセスをメインストリームにしていきましょうよ。ってことなんですよねー。

そのRymの「せめて」に込められている感覚がまさしくそういうことなんですわ。


ウェブ2.0提唱者の梅田さんは、少し上の世代だから、僕らにも伝わるように鼓舞するように言ってくれてるね。その愛情がうれしい。
いやー、でも同じこと言っててくれて嬉しいなー。

自分が忘れないためにも、手を変え品を変え、言い続けないといけないんだろうね。そして自分の血として肉としていかないと。


..................................
新しい軸の時代に、己の生き方を貫いている人の話、聞いていて見たいですね。インタビュー然り、つぶやきのような独白然り。
..................................

やりましょう!やりましょう!
もう舞台はだいたい揃ってますよ~!
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初投稿 (imura)
2010-08-28 02:05:27
こっそり始めて書き込みしてみようと思います。
僕も【1】:イイものをイイと言うこと、がほんと大事だと思います。まああんまり自分に自信がないものなんで、自分にとってイイ!けど他の人もそう思うかどうかはわかんないけどーって思ってます。以前t先生にも「感動できるのはプロ」と教えて頂いたのは、心に残っています。
でも、最近は【4】:ワルイものをワルイと言うこと、を会社では言ってますね。しかも、伝える技術とかタイミングを考えず、ストレートに。完全な子供です 笑 
ワルイと言うことは、
【2】:イイものをワルイと言うこと
【4】:ワルイものをワルイと言うこと
のどちらかですが、2だと空虚というか、申し訳ない気持ちになってしまいます。しかも自信がないから、間違ったこといわないようにもだまっていたのですが、外人たちの好き勝手さに呆れ果てて、最近は4という選択肢を取りながら戦っております。クビにしたいならすればいいさ~。
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