日常

みうらじゅん「マイ仏教」

2011-05-21 23:23:09 | 
みうらじゅんというひとは、本当に面白い人。昔からとても好きだ。
ちなみに、東京に出てきて初めて見かけた芸能人はみうらじゅんです。(当時は日テレが市ヶ谷にあった。そして、駿台予備校も市ヶ谷にあり、釣り堀も市ヶ谷にあり、カレーの「パク森」も市ヶ谷にあった。)
そのときは「すごい!東京に来ると、朝の通学のついでにみうらじゅんを見れるんだ!」と思ったものでしたが、そのとき以来一度も見かけていません。


ところで、5月14日に発売されたばかりの、みうらじゅん「マイ仏教」(新潮新書)を読みました。
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本の紹介より
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仏教が永遠のマイブーム! 人生で大切なことはすべて仏教に教わった・・・。
人生は苦。世の中は諸行無常。でも、「そこがいいんじゃない」と唱えれば、きっと明るい未来が見えてくる。
住職を夢見ていた仏像少年時代、青春という名の「荒行」、大人になって再燃した仏像ブーム。辛いときや苦しいとき、いつもそこには仏教があった。
グッとくる仏像、煩悩まみれの自分と付き合う方法、地獄ブームと後ろメタファー、ご機嫌な「菩薩行」・・・。
お坊さんの説法より面白い、M・J流仏教入門。
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みうらじゅんは本当に名言ばかり残しているし、ひとつひとつそれが面白すぎる。
新書なので2時間くらいで読める。相変わらずのみうらじゅん(M.J)節炸裂で面白かったー。



■「自分なくし」


小乗的な「自分さがし」ではなくて、大乗的な「自分なくし」をと。
みうらじゅんよると、「自分なくし」は生きるテクニック。仏教でいうところの諸法無我にあたると。

「自分さがし」はきっと自意識過剰につながる。
でも、「自分なくし」は自分中心の世界観を捨てるっていうことだと思う。
最近はそのことを身にしみて感じるようになった。30歳すぎて考えるようになると、なんだか自分が精神的に成長したような気がしたものです。


みうらじゅん「さよなら私」(講談社)「自分なくしの旅」(幻冬舎)も、同じ主題の本だと思う。(本屋で見かけないので読んではいない)

 



デカルトは「我思う故に我あり」と言った。
そこに付け加えて、「そう思う我もないよ」って畳み掛けるのが仏教。

MJによると、「自分さがし」ではない「自分なくし」の旅のはじまりは、誰かに「憧れる=その人になりたい!」って思うところから始まる。
あこがれて、その人になりたい!って思い続けると、「自分」はどんどんんなくなっていく。
そして、リスペクトするひとをどうしても真似できない余りの部分は「コンプレックス」と呼ばれる。絶対にその人になれないから。
でも、その自分なくしの結果、引き算として生まれてくる「コンプレックス」こそ「自分」!
という話は、とても仏教的で哲学的な感じで、それはやはりみうらじゅん的で、面白いと思った。



■「比較三原則」

みうらじゅんが提唱する「比較三原則」(「非核」三原則にもじってる)
それは、「他人と過去と親」、この3つと自分を比較してはいけないよ。とのこと。

でも、これは真実ですよね。
自分も、みうらじゅんの表現と少し違うけれど「他者と過去は変えられない」というのは、けっこう大事な原則なんじゃないかとよく思う。
若い時は、誰かを説得したりして変えようとしていた時期があったような気がするけれど、
最近は自分以外の誰かを変えようととかは決して思わない。
まあ、変えることができるとしたら自分とか、現在や未来くらいですよね。




■「そこがいいんじゃない!」

MJは、どんな時でも「そこがいいんじゃない!」という風に言葉で脳を洗脳していると。
そして、これは逆説的な意味での言葉からの解放だと言っている。

毎日そうして言葉で脳を洗脳することで、脳は言葉を介さずに自動的に日常的にそういう回路に入っていくことになる。
それは、その人にとってのマイ念仏になる。

漫画家の根本敬さんは「でも、やるんだよ!」というマイ念仏を持っていて、それはボブディランの「How does it feel?(どんな気がする?)」、アントニオ猪木の「元気ですか!」と同じだよ。って言う話も面白かった。

そして、不安が突然訪れたら、その瞬間「不安スタティック!」(ファンタスティックのもじり)と叫ぶようにしているとか。
そういう言葉遊びがほんとに面白い。ネーミングセンスが抜群。



みうらじゅんが言うと、単なるポジティブシンキングには聞こえないから、イイ。
自分を冷徹に突き放して自分を笑いの素材としていて、その上でそんなことも全部ひっくるめて「そこがいいんじゃない!」って全肯定しているように聞こえるから。
ユーモアとか笑いっていうのは、心の余裕というスペースが実体化されたようなもので、だからこそみうらじゅんは好きなんです。


改めて自分のマイ念仏は何かなぁと思うと、「なるようになるさ」「じんせい、いろいろ」「生きてる人生は一回きり」「人生は全部ひっくるめて修行」って感じの言葉になるのかもしれない。ときどき、追い詰められたらこういうことが脳の中を駆け巡っているような。笑



みうらじゅんの言葉を聞いていると、荘子ってこんな感じの人だったんじゃないかなぁと思う。
自分は荘子も好きだし、老子も好き。
自由に、軽やかに、楽しく朗らかに生きている人は、好き。


笑いなのか高尚な言葉なのか、ユーモアなのか哲学的なのか、冷めてる人なのか熱い人なのか、真面目なのか不真面目なのか、素直なのか頑固なのか、いい人なのかわるい人なのか・・・・なんだかよく分からないスレスレの言葉とスレスレの態度を保ちながらひとを幸せにして生きてる人は好きだ。
だから、みうらじゅんさんも好きなのです。

8 コメント

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みうらんじゅん大先生には (Is)
2011-05-24 22:54:21
僕も書店の新刊コーナーで
目について早速読みました。
みうらじゅん大先生の新作…しかも仏教とあれば読まずにはいられない。

そーなのです。
みうらんじゅんの、
あのポジティブともネガティブともいえない、
ふざけてるのか大まじめなのかも分からない、
あの独特の身の処し方、バランス感覚は、ホントに惹かれるし、学ばせていただき続けている。
これまでもはまってきた人は数知れないが…、意外と数年で「卒業」する。
みうらじゅんは、珍しく、卒業かなと思うと、先生の方が、新しいネタをひっさげて、変身してあらわれて、なかなか「用なし」にならない、不思議な人だ。

ぼくは、みうらじゅんが後世でどう評価されるのか楽しみです。

等身大のソクラテスを描いた漫画で、
山下和美『不思議な少年』
http://amzn.to/l5Xtiq
好きだけど、
きっと、「偉人」と呼ばれ歴史的に残っている人たちって、みうらじゅん的な感じ何じゃないかなってつくづく思う。ほとんどの大人や権威からはまともには相手にされてないけど、一部の若者からは独特の支持をされている。

ちなみに、僕のmy念仏は…
「禍福はあざなえる縄のごとし」
「人間万事塞翁が馬」
「努力は報われず、正義は亡び」(by秋山仁)
「人事を尽くして天命を待つ」
「全ては運です」(任天堂・山内博)
とかかな?
僕は、山内博まで、100%運と言いきれるほどには、まだ自我が捨て切れてない…「努力」好きだけど、
確かに、年々、自分の小ささを実感します。逆説的だけど、成長とは小さくなることなのかも知れない(そして、それは決して否定的なことではないと知ることなのかもしれない。)
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きっとISくんは読んでると思ってた! (いなば)
2011-05-25 12:20:07
>>>Isくん
なんだか久しぶりですね。
ブログも最近は更新されないから、仕事も大変そうで(震災の影響もあるよね)・・・
まあわしは最近書評ブログの様相を呈してますが笑。
読書も、せっかくだからどういう感想を得たかとか、ちゃんと残したいなぁとは潜在的に思っていたので、このブログと言うスタイルは、自分の本の感想を残すためにとてもいい道具です。


>みうらんじゅんの、
>あのポジティブともネガティブともいえない、
>ふざけてるのか大まじめなのかも分からない、

そうなんだよね。
なんだか酔拳を見ているような動きだよね。
酔っぱらっているようで、それでも意識は清明で・・という感じ。

いつ見かけても常に新しいテーマをひっさげて、個人的に追及しているし、あの姿はすごいよね。
誰もが光をあてないとこに、こそこそと光をあててマニアックに追及している姿。

「いやげもの」、「クソゲー」「マイブーム」「ゆるキャラ」「カスハガ(カス+絵葉書)」「•とんまつり(とんま+祭り)」・・・みうらじゅんが作り出した言葉は数知れず。
ぼくも、みうらじゅんが後世でどう評価されるのか、楽しみ。タモリさんも同じように偉大な人だよね。

山下和美さんは『天才柳沢教授の生活』で有名だよね。、講談社)
不思議な少年』って漫画、読んだことない。今度買って読んでみるよー。


>確かに、年々、自分の小ささを実感します。
>逆説的だけど、成長とは小さくなることなのかも知れない
>(そして、それは決して否定的なことではないと知ることなのかもしれない。)

そうそう。青春はどんどん自我がインフレーションしていくよね。宇宙誕生のビッグバンみたいに。
でも、あるところで定常状態になって、また収束していく感じで。
(完全にブラックホールに飲み込まれると単なる虚無状態だけれど。)



みうらじゅんの言葉で、グレート余生=「人生とは死ぬまでの暇つぶし」っていうのもある。そんな余生を有意義にするのがマイブーム、っていう風に一過性のブームとして言いきっちゃうのが、ほんとみうらじゅんのすごいとこだー。追い詰められた真面目な感じではなくて笑えるしね。
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ことばうなぎ。 (さ。)
2011-06-19 03:00:31

コレ、すいすいっと読み終わりましたー。
普段新書は殆ど読まないのだけれど、このすいすいっと読める感覚は独特だなと思った。かき氷っぽいというか。笑。シャリシャリという音と共に食べて、素早く口のなかでとける感じ。新書マイスターのIsくんの中では、どんな感じなのかなー。Isくんってひと月にどれくらい本読んでいるんだろう。。

考えてみると、本を読むことは、食べることとも似ていますね。一生で読める本って多分、数にしてみると、意外にすごく少ないのだろうけれど、家には、きっと読まずに積まれたままになるであろう本がたまってきています。汗。本は腐らないから、危機感があまりないです。
みうらじゅんさんの本は、初めて読んだけれど、面白かった。ことばの掴み方が、絶妙ですね。読んでいて、何故か、うなぎが思い浮かんで。。すいすいと泳ぐ、ことばうなぎを、みうらさんは、ひょいひょいっと、見事に掴みとっていくようで。ことばの持つ空間が、軽快でアソビがあるのだけど、それが、単なる
軽さ=軽々しさにはなっていないのがすごい。

うんうん唸って考えを絞り出すのではなくて、ズームアウトして、面白おかしく分かりやすく哲学してる感じが、軽快でいいデスネ。そこに現代に生きている醍醐味みたいなものを感じますね。演奏していても思うけれど、バロック、古典、ロマン派、近現代と色んな時代に色んな人が色んなものを作ってきて、それを知った上で、古典を弾く/読むことの、新しさや面白さって、あるなあと。そんな自分たちも、あんな時代があったよね、と未来の人たちに言われるのかなあと思うと、不思議な気分になるけれど。
そこがいいんじゃない!

ところで、近くの本屋さんのレジの横に、「本の旅人」という冊子が無料で置かれていて、「見仏記」を読んでいます。いとうせいこうさんとのやり取りが面白すぎ。。この冊子は、辛酸なめ子さん、榎本俊二さん、大島弓子さんの連載もあって、かなり面白いです。http://www.kadokawa.co.jp/mag/tabibito/




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みうらじゅんはカミサマです。 (いなば)
2011-06-19 23:57:07
>さ。さん
新書は、トークショーを本にしてもらったって感じですよね。
雑談に近い感じ。でも、面白い。
こういうのこそ、電子書籍で読むといいのかもしれない。
でも、自分は電子書籍はきっとやらないと思うけど。笑


特に、みうらじゅん大先生は言葉選びが最高に面白いから、特に読みやすいですよね。
真面目なのかふまじめなのかよくわからんんのがすごいとこです。
どっちでもないし、どっちでもある。という感じでしょう。

ただ、みうらじゅんのむかしの本は基本的に下品で下ネタが多いので、あまり女性には奨められません。笑
最近は、なんだかややまじめな内容が多くなった気がします。


「見仏記」は面白いよね。DVDは全部みました。
いとうせいこうとダラダラ仏像を見に行くだけのDVDなんだけど、まあ面白いんです。

辛酸なめ子さんもいいよね。この人も、まじめなのかふまじめなのか線引き不可能なひとです。
とにかく面白い。
この辺りの方々は、かなり親和性ありますね。もう唯一無二の存在感です。


みうらじゅんは漫画も書くんだけど、<アイデン&ティティ―>というのは、泣ける名作です。こういうのも書いちゃうのがすごいんだよなぁ。 宮藤官九郎の脚本で、映画化もされたのです。
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Unknown (Is)
2011-06-23 19:16:19
新書マイスターのIsです。
名前出してもらったので、登場!(笑)

この10年くらいで、
新書の位置づけって相当変わったと思う。
岩波・中公・講談社現代新書の頃は、
一定の質を一般の人へっていうのが
あったけど、
最近は、完全に雑誌(ないしTVのバラエティ番組)化してる気がする…。
700円の価値無いものが大半な気がする…
そんななかで、じゅん先生はいいよね!

この1年くらい、すっかり
本読まなくなってしまった…
家計のダイエット…。
震災で「予備」(またの名を「無駄」)
の大切さが言われたけど
…コンビニはストックがほとんど無いけど、昔ながらの酒屋さんとか裏に多くのストックがあったとか。
「知」にも無駄って大切だと
最近感じてます。
無駄知識サイコー!
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ブリコラージュ(Bricolage) (いなば)
2011-06-25 19:47:50
>>>Isくん
確かに、岩波・中公・講談社現代新書はいま読んでもクオリティー高いよね。

岩波新書は、やはり岩波ブランドがあるし作者にとっても書くことは名誉なことだと思う。
中公新書は学術書に近いものが多いよね。あの緑色のたたずまいは知性を感じさせる重厚感抜群。
講談社現代新書は、いまの図柄よりも、以前のイラストが載ってた図柄の方が好きだね。いまのデザインは、正直よくわからん。あまりセンスを感じませんね。単に色つきの丸で、イマジネーションが膨らまない感じ。

いづれにせよ、この岩波・中公・講談社現代新書ハードカバーと遜色ない本格的な内容が多いね。
あと、ちくま新書も好きだよ。というか、ちくまはちくま文庫もちくま学芸文庫も、視点がちょっと違ってて面白いよね。

いま溢れてる新書は、「活字にしないのはもったいない。対談とか雑誌だけにしとくのにはもったいない。」という、なんだかスケベ根性のある新書もあるし、ちょっと乱立しすぎかなぁと思う反面、まあ活字をみんなが読むっていうのは悪くないんじゃないか、と思うのもある。その辺は難しいとこです。
たしかに、700円の価値無いものが大半な気がするね。文庫の方が500円以内で古典も名作もあるし、文庫より心理的に手に取りやすいってだけな気が。


さすがのISくんも本を読む暇ないんだねぇ。
やはり結婚するとひとりだけの時間取れないのはしょうがないですよ。
わしもいま独身の内に散々本を読みまくろうと思ってます。

いまは、神秘思想家のY先生の影響で、神秘思想系、スピリチュアル系を・・・まったく読んだことなかったもんで、とりあえず偏見なく読んでます。
この世界は無邪気に面白いですね。文学テキストとして面白いのが多い。
こういう文を書く人って、実際会うとどんな感じなんだろうーとか妄想するとさらに面白いし。

予備とか無駄とかって大事よね。
レヴィストロースにも、「ブリコラージュ(Bricolage)」って概念が出てくるよね。

ブリコラージュ(Bricolage)は、寄せ集めて自分で作るって意味で、理論とか設計図で物を作る「エンジニアリング」とは対照的なもの。その場で手に入るものを寄せ集めて、あれこれトライ&エラーをしながら最終的に新しい物を作る。この重要性を言っている。
未開社会だと、ブリコラージュ(Bricolage)が当たり前だから、とにかく無駄か無駄かないかの選別をせずに、「何かに使えるはずだ」と思ってとっておくみたいだよね。

いまは、持ってるものとか知識とかをあまりにスリム化しようとしすぎてる気がする。
それって、結局自分の脳の中から出られないような気がする。
「想定内」っていうのはそういう自作自演な世界だと思う。自分で想定できる範囲の世界だけで、自分が主観的に無駄なものを切り捨ててるわけだから。想定外のものは最初から排除してるから、考えようとすらしないわけで。


ブリコラージュ(Bricolage)のためには、無駄(とされている)ものは大事なんです。何がどう使えるかわからん。何がどうつながるかわからんからね。スピリチュアルも神秘思想も、自然科学も哲学も宗教も心理学も文学も・・・この世に存在している物は何でも。きっと何かに役に立つと思うのです。自分でああだこうだ考えさえすれば、あっと驚く思いがけないものが飛び出てきそうで、自分の脳の現象でありながら、それは自分で楽しめる。
このブログも、ブリコラージュ(Bricolage)方式なので、スタイリッシュのかけらもない何でもてんこ盛りの全部載せの世界ですけど、こういうのが好きなんですよね。単なる趣味。野生の思考です。
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ブリコラージュについて一言だけ! (Is)
2011-06-26 21:37:18
すんません、何度も何度も(笑)
ブリコラージュ、ブリコラージュって、
何度も出てきたので、これだけ
(いつも通り、どうでもいいことですが)
言わせてくだされ!

僕が思うに、
「スーパーマリオ」の面白さの極意って、
「ブリコラージュ」だと思ったのね。
マリオはクリアに向けて、
その場その場で、目の前にある物を駆使して、ブロックだとか、カメの甲羅だとかを〈利用〉して進んでいく。
敵を倒すって言うのも、
クッパとか、そうだけど、
基本的に〈除ける〉ことで前に進んでいく。ファイアボールは唯一武器っぽいけど、大ボスには効かないし…。
それで、空飛んだりも(スーパーファミコンの『マリオワールド』)マントとか、風を利用してとなる。
で!で!
確か、僕の記憶だと、ゲームキューブ版のマリオだと思ったけど、
ここで初めて、背負うロケットみたいのが出てくるわけです…つまり、ブリコラージュからエンジニアリングの世界に行ってしまう。自分の意志で、使いたいときに、スイッチ入れて空飛べるようになる!…その結果、この辺でマリオが急激につまらなくなる。
…正直、その後は追ってないので分からないけど、…はたまた、内部のディレクションがどの程度機能してるとかも分からないけど。
基本的に任天堂のソフト=宮本茂大先生のDNAがほとんどに流れていると捉えていて、マリオだけに限らず、ゼルダや、他のゲームも基本的に、エンジニアリングではなくブリコラージュってのが任天堂ゲームの底流には流れていると思います。そこが、「野生の思考」(←レヴィストロースにちなんで)を呼び起こし、任天堂のゲームは独特の面白さがあるというのが、私の持論です。
…これだけは、言っておきたかった!いつか宮本茂大先生に国民栄誉賞が贈られる日を願って、アディオスです!
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任天堂LOVE (いなば)
2011-06-27 12:05:11
まさかブリコラージュ(Bricolage)で任天堂LOVEのスイッチを押してしまうとは思いもしませんでした。
さすがISくん、オリジナルなスイッチがあちらこちらにあるね。

任天堂LOVE!っていう思いが文字から浮き上がってくるようです。

でも、確かにその通りかもねー。
子供ごころに、エンジニア的な現実世界の要素が入ってくると興ざめな気が。
むしろ、僕らはSFやファンタジーみたいな虚構の世界に入って、そこで現実世界では満たされないものを満たしたいとしているはずなのに、そこに大人の論理を持ってきて、現実世界に似た世界をつくっちゃうと、それは楽しめないよね。

自分も「スーパーマリオ」は3までしかやってないかな。
3次元表示になった時点で、違うなーと思ってしまった。
これじゃ、単に現実世界をなぞってるだけじゃないか、って感じでね。

ああいうキノコを食べて大きくなってみたり、くりぼうとかカメとかヘルメットの生き物(名前忘れた)とか、ああおうファンタジー的な世界がよいわけでねぇ。


たしかに、クッパも別に倒すことを目的としてなくて、単によけて向こう側へ行きたいっていうのがよかった(しかも、それはとらわれのピーチ姫を助けるんだ!というシンプルでわかりやすい目的で)。別にゲーム世界で殺戮を学んでもなぁって思いますよね。


ゲームキューブ版のマリオはそもそもやってない。マリオって常に面白かったはずなのに、あるところから宮本茂大先生のスピリットが継承されなくなったね。残念だー。

宮本茂大先生に国民栄誉賞。自分も期待してます。わしもファミコン、ディスクシステム世代ですので。笑

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