大田俊寛さんの「現代オカルトの根源:霊性進化論の光と闇」 (ちくま新書)を読みました。
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<内容紹介>
多様な奇想を展開する、現代オカルト。その根源には「霊性の進化」をめざす思想があった。
19世紀の神智学から、オウム真理教・幸福の科学に至る系譜をたどる。
<内容(「BOOK」データベースより)>
ヨハネ黙示録やマヤ暦に基づく終末予言、テレパシーや空中浮揚といった超能力、
UFOに乗った宇宙人の来訪、レムリアやアトランティスをめぐる超古代史、爬虫類人陰謀論―。
多様な奇想によって社会を驚かせる、現代のオカルティズム。
その背景には、新たな人種の創出を目指す「霊性進化論」という思想体系が潜んでいた。
ロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人に始まる神智学の潮流から、米英のニューエイジを経て、
オウム真理教と「幸福の科学」まで、現代オカルトの諸相を通覧する。
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オカルトと聞くと、「じぇじぇじぇ!!」とどん引きする人も多いものです。確かに取扱い注意の劇薬・危険物の側面もありますが、とりあえず「よくわからんもの」の総称だとおおざっぱに考えてください。怪しいか怪しくないかは、それぞれのケースで理性的に判断するればいいだけの話です。
不思議な人に会ったことがない人にはいまいち実感がないかもしれませんが、あまり人目につかないだけで、不思議な人はこの世にたくさんいるのです。それと同じように、不思議で未知でよくわからない世界も同じようなものにたくさんあります。 それは理性が扱う範囲や射程距離の問題です。
■
作者の大田俊寛さんは、元々グノーシス主義を研究されていた宗教学者の先生。
グノース主義はとても興味深いです。自分も色々読みました。
『グノーシス』という言葉自体は<認識・知識>を意味しています。
自分の本質と真の神についての認識に到達(神との合一)することを求めます。神秘主義に近いですね。
グノーシス派は初期キリスト教の異端と言われることもありますが、おそらくキリスト教より前からグノーシス主義の人たちがいて、グノーシス主義がキリスト教を取り込んだ、と言う流れの方が正確なようです。この辺りはどちらを主語にするかで言い方が逆になるのかもしれません。
当時の原始キリスト教にとっては影響力が多くて脅威だったために、グノーシス派は徹底的な弾圧を受けて歴史の表舞台から長らく姿を消していました。ただ、1945年にエジプトのナグ・ハマディの修道院の遺跡からナグ・ハマディ文書が出てきて、そのことで「グノーシス派」という存在への研究が進んだのです。
グノーシス主義では、とにかくとにかく「二元論」の思想に特徴があります。
有名なのは善悪二元論。
世間的にはこの考え方は分かりやすいかもしれませんね。善と悪をはっきり分ける。
「悪」は「善の欠如した状態」ではなく、「悪」そのもの、です。
「悪」は「悪」そのもので「善」に反転することはありません。「善」に打ち勝つことも絶対に出来ないとします。
二元論は神さまにも適用します。
聖書の神さまも「旧約の神」と「新約の神」と二元的に区別し、別人であるとします。
しかも、旧約聖書の神は堕落の結果としての「物質」を作り出した存在なので、「神」ではなく<堕落した強大な天使の一人>と考える。衝撃的な考え方です。当時の人が感情的に「この人たちは異端思想だ!」としてしまったのも分からなくてもないです。
しかも、グノーシス主義の人たちは「旧約聖書の神」をデミウルゴスと名前を変えて呼び、『アイオーン』の善の光をさえぎる「悪」であるとさえ言ってしまう。(ちなみに、イエス・キリストはも肉体を持つ物質的な存在ではなく、霊的な非物質的な存在としてとらえていました。)
善と悪にきっぱり二つに分けるから、善でないものは神さまでも悪になってしまうのです。
このドライで二元論的な考えは、曖昧でふんわりした表現を好む日本人には「それはやりすぎでは・・」とびびってしまいますが。
ちなみに、『アイオーン』という叫び越えのような名前も、グノーシス主義では非常に重要な言葉であり重要な概念になります。
『アイオーン』(aeon/eon)は、古代ギリシア語で時間、時代、世紀、ある期間、人の生涯、・・・のような多義的な意味ですが(プラトンは「永遠」の意味で使った)、グノーシス主義では高次の霊、超越的な世界、善なる「至高者」に由来する神的な存在・・・などの意味で使われています。
物事は常に多義的で、それを言葉であてはめると意味がひとつのような印象で受け取ってしまいます。言葉を使う時にはそのあたりに常に注意が必要ですよね。話がかみ合わない時、たいていは「言葉」で喚起されるイメージの次元が全く違う時に起こるように思います。
グノーシス主義ではアイオーンこそは「真の神」で、ユダヤ教やキリスト教などが信仰している神は「偽の神」として攻撃します。こういう風に「本物」「偽物」の二元論で攻撃してしまうところがトラブルの元だったように思うのですが・・・。
ちなみに、その「アイオーン」は「プレーローマ」と呼ばれる超永遠世界で、男性アイオーンと女性アイオーンが対になって「両性具有」状態を実現しているとします。ここを心理学者ユングが気に入ったのではないかと思います。
ちなみに、心理学者ユングのユングコレクションの中にも「アイオーン」という本があります。グノーシス主義の研究者であったこともありますが、この「アイオーン」の考え方に共鳴してもいました。というのも、ユングは、人間の完全性を『精神的な両性具有』(男性性と女性性の結婚)の実現にあるとしていからです。
・・・・・
とまあ、脱線するのでこの辺で。
■
大田俊寛さんは
○「オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義」春秋社(2011/3)
○「グノーシス主義の思想―“父”というフィクション」春秋社(2009/11)
というすごく面白い本があるので興味を持っていたのでした。
(ちなみに、上記の本では宗教学者の中沢新一さんを真っ向から痛烈に批判していて驚きました。同業者を真っ向から批判するのは勇気がいることなのです。ただ、学問の世界ではとても大事な事だとも思います。)
○大田俊寛の研究室
○なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか? 『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く(2013年08月23日)
○オウム真理教とアカデミズム 大田俊寛 (2012年05月16日)
○オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー(2012年07月11日)
■
この本は、いわゆる「オカルト」とされる現代の流れを俯瞰的に捉えている本で、とても参考になりました。色々知らないこともありましたし。
「オカルト」関連本を楽しく読み進めるための補助線として「霊性進化論」という考えが特徴的のようです。
これは神智学(シュタイナーなど)などの流れから出てきているらしい。
ダーウィンが<生物が進化する>というように、<人間の霊性(Spirituality)も進化していく>という主張自体がすごく斬新で画期的だったとのこと。
確かに、精神世界全般では「魂の進化」を最終目標としていますし、それは分かる気がします。
「言葉」の問題は大きいですね。
「魂の進化(霊性の進化)」と言えば精神世界になり、「成功」と言えばビジネス哲学になり、「成長」「人格の向上」と言えば道徳や倫理の話になる。
似たようなイメージでも、指し示す「言葉」が違うだけで集まるグループが代わります。
「人間は何のために生きているのか」という問いがあるとき、「そんなの答えがあるわけないじゃない。そんな暇があったら仕事しろ!」と言われて、しっくりくるときもあれば、しっくりこないときもある。
そういう時、「人として成長するためですよ!」と言われると、確かにそうだと思える。
自分を磨こう、よりよく成長していこう、と納得して生きていく。
ただ、「人として成長するため」ということで納得できない人もいる。
「いくら成長しても、死んだら全部終わりじゃない。何のために成長するの?」と、一歩先に問いが残っている人もいる。
その人たちに対して、
「人間はこの世で死んでも終わりではないのですよ。何かが永遠に続いているのです。それは宇宙が続いていたり、物質がどんどん使いまわされていることからもわかるでしょう。石も水も空気もエネルギーも・・・宇宙の中で循環しているわけですから。人間の要素や核として循環して続いているものを「魂」という概念で仮に表現してみましょう。そうすれば、「魂」は永遠に続くと考えるのは普通の考えではないですか。そう考えた方が自然ではないですか。それは人間に限定してもしなくても納得できるのではないですか。そうであれば、「成長する」というのは、生まれる前も死んだ後もずっと連続している課題と、広い視野で捉えることが可能なのです。生まれる前や死んだ後・・・。それは単なる誰かにとっての時の区切り方にすぎません。何を尺度にするか、物差しの違いにすぎません。常識的な生や死の時間軸を外して「魂の進化(霊性の進化)」という観点から改めてこの世界をとらえなおしてみれば、今まで見落としていたことを発見できると思いますと。」
というようなことなのではないかと思います。
ただ、やはり「見えない世界」というのは、裏を返せば「どうとでもいえる世界」に反転しやすい。共通の土俵が作りにくい。もちろん、何を信じるか、何を主張するかは個人の自由意思に依存するので、そこまでは分からないし干渉できないし、干渉する必要もないと思うのですが。
結局、使い方次第です。
有用なものを善に使う人もいれば、悪に使う人もいる。無視する人もいる。
「見えない世界」を直感で感じ「見える世界」を理性で検証してみる。
そういう直感と理性のバランスをとりながら、古代の人々も大切にしていた精神性(それは文化や伝統・・・という別の形で残っていることが多い)を大切にしたいものだと思います。
■
この本の目次を読むと、興味がある人にはとても面白いテーマが並んでいると感じるでしょう。
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<目次>
オウム真理教の最終目的とは
ハルマゲドンと救済
霊性の進化と退化
神人か獣人か
第一章 神智学の展開 21
1 神智学の秘密教義──ブラヴァツキー夫人 22
ブラヴァツキーの経歴①──放浪生活から神智学協会の結成まで
ブラヴァツキーの経歴②──インド文化との接触
神智学の折衷的教義
アメリカ社会の状況
進化論と心霊主義の結合
『シークレット・ドクトリンの』宇宙論
七つの根幹人種の歴史
霊的進化と物質的進化の交錯
霊性進化論の中心的要素
2 大師のハイアラーキー──チャールズ・リードビーター 48
リードビーターの経歴①──インドでの修行
リードビーターの経歴②──クリシュナムルティとの邂逅
瞑想やヨーガによる霊能力開発
イニシエーションとハイアラーキー
「東方の星教団」の崩壊
3 キリストとアーリマンの相克──ルドルフ・シュタイナー 63
シュタイナーの経歴①──前半生の思想遍歴
シュタイナーの経歴②──神智学から人智学へ
宇宙の多層構造に基づく霊性進化
ルシファー・キリスト・アーリマン
近代におけるアーリマンの暗躍
4 神人としてのアーリア人種──アリオゾフィ 79
アーリアン学説と神智学
リストのゲルマン崇拝
秘教アルマニスムス
ランツの神聖動物学
『神智学とアッシリアの獣人』
新テンプル騎士団
ゲルマン主義結社からナチスへ
ユダヤ陰謀論の蔓延
『二十世紀の神話』と親衛隊
神々と獣たち
第二章 米英のポップ・オカルティズム 105
1 輪廻転生と超古代史──エドガー・ケイシー 107
ケイシーの経歴①──催眠時人格の出現
ケイシーの経歴②──前世の解読
ポピュラー化するケイシー思想
ライフ・リーディングのメカニズム
アトランティス滅亡の物語
現代文明の岐路
2 UFOと宇宙の哲学──ジョージ・アダムスキー 122
アダムスキーの経歴①──UFO以前
アダムスキーの経歴②──円盤に乗った金星人との邂逅
「王立チベット教団」の教え
スペース・ブラザーズと宇宙哲学
地球は「罪人の追放場所」
サイレンス・グループの暗躍
3 マヤ暦が示す二〇一二年の終末──ホゼ・アグエイアス 139
アグエイアスの経歴①──古代文明への憧憬
アグエイアスの経歴②──思想遍歴の時代
アグエイアスの経歴③──パカル・ヴォタンとの交信
銀河的マヤの探究
五一二五年周期と一三のバクトゥン
二〇一二年の終末
「ハーモニック・コンバージェンス」の儀式
偽りの時間による奴隷化
4 爬虫類人陰謀論──デーヴィッド・アイク 160
アイクの経歴①──サッカー選手から緑の党へ
アイクの経歴②──ニューエイジと陰謀論
レプティリアンによる人類家畜化
『議定書』の新解釈
人間の潜在エネルギー
ユダヤ陰謀論からアーリア陰謀論へ
戦後のオカルティズムからの影響
被害妄想の結晶化
第三章 日本の新宗教 179
1 日本シャンバラ化計画──オウム真理教 181
三浦関造の竜王会
本山博の超心理学
桐山靖雄の阿含宗
神仙民族とシャンバラ
教義と教団の拡充
社会との対立と終末論の昂進
陰謀論への推移
奇妙な戦争
2 九次元霊エル・カンターレの降臨──幸福の科学 206
浅野和三郎の心霊主義
高橋信次の霊体験
GLAの世界観
アメリカの新宗教からの影響
エル・ランティーを自称する高橋信次
立宗までの経緯
エル・カンターレ崇拝の確立
『太陽の法』の宇宙論
諸文明の変遷
神智学との共通性
神霊政治学とユートピア建設
悪魔論の発展
おわりに 239
主要参考資料一覧 246
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表の歴史だけではなく、裏の歴史を知ることも大事。
色んな物事は、人間の心によって生み出される。
「動こう」と頭で思えば身体が動く、これは当たり前のようだがすごいことだ。(病になった人を見ると再認識させられる。)
「心」はそういう強力で摩訶不思議な力を持っている。
過去に生きた人たちが織りなした表の歴史と、語られなかった膨大な裏の歴史。それも全部ひっくるめて「人類の歴史」だと思います。
甲野善紀さんの「表の体育 裏の体育―日本の近代化と古の伝承の間に生まれた身体観・鍛練法」(PHP文庫)(2004/03)と言う本からも、そういう情熱を感じました。
→甲野善紀「表の体育 裏の体育」(2013-07-09)
表と裏を両方知ることで、認識の次元は階層構造として一段上がるような気がします。
■
本書より
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『これまでいくつかの例で見てきたように、この世は不可視の存在によって支配されているというオカルティズムの発想は、楽観的な姿勢としては、人類は卓越したマスターたちに導かれることによって精神的向上を果たすことができるという進歩主義を生み出し、悲観的な姿勢としては、人類は悪しき勢力によって密かに利用・搾取されているいう陰謀輪を生み出す。』
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『古来、悪魔や悪霊と言った存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。
近代においてそれは前近代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなく、それらを生み出してきた人間の負の心性自体が根本的に消え去ったというわけではない。
そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。
一見したところあまりに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、「爬虫類型異星人」というその形象が、現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。』
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『近代においてダーウィンの進化論が及ぼした広範な影響力について認識しておく必要がある。
なぜなら、霊性進化論は、生物学的な進化論に対する共鳴と反発によって生み出された、その歪んだ「変種」とみなし得るからである。』
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■
この本は歴史の本に近いので、なかなか感想が書きにくいのですが、上に引用した内容が作者のスタンスを間接的に表現していると思います。総じてよくまとめられていて、個人的にすごく勉強になりました。
やはり知ることは大事ですね。
「恐れ」や「不安」は、たいてい「無知」に由来していることが多いもので。
コアな世界を取り扱っているだけに、作者の記載の仕方には色々批判が出るかもしれません。
どんなジャンルであっても、それぞれのジャンルにいる人たちの情熱は計り知れないものですし、あるジャンルを否定されたり批判されたりすることは、まるでそれを信じている人の人格までも批判されているように感じてしまうものだから。心にはそういう働きがあります。
でも、そもそも一人の人間の作者の視点で編み上げられているものが「本」の世界だから、作者の見解が濃度の濃淡はあれ、必ず浸透しているもの。そこは好意的に捉えたいものです。
自分はこの本で書かれているような「現代オカルトの歴史」を、現実世界に並行して存在しているパラレルワールドとして、現代史の裏面史として冷静に理性的に把握しておく必要があると感じています。
感情的にならず。頭はクールに、心は熱く。それが逆になるとよくないのです。
表の人には裏の人が裏に見えますが、裏の人には表の人が裏に見えるわけで。
表と裏をあわせて見れるように、認識の次元を上げたいものです。
それは。物理学の超弦理論(super string theory)で言うところの、<人間にとってカーペットは2次元だが、ノミには3次元に見える。カーペットの丸まった糸の方向は、サイズが違いすぎるだけで人間にとっては隠れた次元になっている。>という例えと似たところがあります。
→Superstring Theory by Newton 2013/1(2012-12-07)
たとえどんな素晴らしい考え方であっても、結局それは道具にすぎません。
考え方や主義主張に縛られるよりも、使い方のことを丁寧に考えた方がいい。思想や考えを悪用すればどうとでもできます。
思想や考えは、世界を救う事にも使えるし、世界を破滅することにも使えてしまうもろ刃の剣。使い方の目標で線路は二手に大きく分かれ、行先も遠く離れてしまうことがあります。
それは宗教や思想だけではなく、科学技術も先端医学同じようなもの。
科学技術の使い方を間違ってしまうと、世界を救うこともできるかもしれないけれど、その影響力が大きいだけに一瞬で世界を破滅させることもできる。原子力や核爆弾、水爆などはその極みでしょうね。
思想でもオカルトでも科学でも技術でも・・・、結局はそれをどう使うかということに、人間の知性が問われています。そのことが人類の未来と地続きなのだと思います。
だからこそ、人間は偏見なく学び続ける必要があるのでしょう。
その成長を霊性(Spirituality)のみに特化して表現すれば「霊性進化」という言葉になるのかもしれませんが、「成長」とは部分的に果たせるものではなく、色んな要素が連関しながら全体的に起きているものだと思います。
人間の「あたま」はすぐに情報などで洗脳されやすいものです。「自然」と分離しやすいのが「あたま」の特徴です。
「あたま」よりも「こころ」、「こころ」よりも「からだ」の方がより「自然」に近い存在です。
「あたま」の意見だけではなく、「こころ」や「からだ」の意見を平等に聞いて、素直に耳を傾ける必要があります。
「あたま」で無理矢理に解釈せず、「こころ」と「からだ」で感じた反応も同じように大切にすればいい。(『無理が通れば道理が引っ込む』とはよく言ったものです)
そういう自分の中に広がる広大な自然に沿うように注意すれば、「あたま」の暴走は避けれるんじゃないかと思っています。
「オカルト」は、そのための試金石でもありますし、この世界を構成する無視できないピースの一つでもあるのです。
・・・・
少しずれますが、この「オカルト」とされる領域を理性的に考えるには、ウィリアム・ジェイムズの「宗教的経験の諸相」(岩波文庫)と言う本がすごく面白いし参考になると思います。こちらも是非!
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ウィリアム・ジェイムズ「宗教的経験の諸相」より
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私たち自身が憂鬱をまったく免れているとしても、「健全な心」の見方が哲学的教説として不適切であることは疑いない。
なぜなら健全な心が認めることを拒否している(詐欺、策略、犯罪、戦争といった)根本悪の事実は、まぎれようなく実在しているからだ。
悲しみや悪に対してなんら積極的な注意を払わないでおこうとする「健全な心」の体系は、悪も世界の要素としてその領域内に取り入れようとする真摯な体系よりも不完全であるといわざるを得ない。
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高度の変質者というのは、単に多方面に敏感な感受性を持っている人間にすぎない。
このような人はその感情や衝動があまりに敏感すぎ、あまりに矛盾しあっているので、自己の軌道をまっすぐ走るのに非常な困難を感じるのである。
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「意識の場」という言葉が表わす事実は、意識の周辺がはっきりしていないということである。
私たちは意識の周辺部にはあまり注意を払わないが、それはあたかも磁場のようにそこに存在しているのであって、この磁場内で私たちのエネルギーの中心は意識の現在段階が次の段階に移行するにつれて、あたかも磁針のように回転する。
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いかなる宗教も、その時代の人間の立場から見て不適当なものを排除し人間に適したものが生き延びる、という原則が信仰にも適用されたものにほかならない。
わたしたちが歴史を率直に、偏見なしに眺めるならば、結局いかなる宗教もこれ以外の方法で確立されたことも維持されたこともないことを、わたしたちは認めざるをえない。
これは一切のドグマを拒絶する懐疑論ではない。
自分の考えがいつか是正されることがありうることを認めることと、気まぐれな懐疑の大海に乗り出し自らを見失うこととは、おのずから違っている。
もろもろの宗教はみな自己(という人間の全生活)を証してきたのだ。
きわめて重大なさまざまの生活上の要求に奉仕してきたのである。
一つの宗教がもろもろの要求をあまりにひどく侵害した場合は、その宗教は取って代わられたのである。
(イデオロギーの言う)「必然的確実性」のおかげで流布したなどという宗教は未だかつてない。
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目ざめているときの意識というものは意識の一特殊型に過ぎない。そのまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられている、それとは全く違った潜在的ないろいろな形態の意識がある。
例えば「すべての他者を自己のうちに吸収してしまっている完全な存在」というヘーゲルの全哲学を支配している “あの”感じは、一般人には意識下に潜在したままの神秘的気分であるが、ヘーゲルにとっては識閾の上でいつも優位を占めていた。
手術用麻酔の亜酸化窒素やエーテルは、“あの”感じ――形はさまざまだが、神の現前の感じを異常なまでに刺激する。
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潜在意識あるいは超意識の広大な領域から生ずるものは、一般感覚世界から来るものとまったく同じように篩い分けられ、経験全体との対決という試練を経なければならない。
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神秘的状態があるということは、私たちの合理主義的意識が意識の一種類にすぎないことを証明している。
私たちの感覚は事実のある状態をわたしたちに確信させているが、神秘家たちの神秘体験もかれらの直接知覚である。
彼らの(意識上の)五感は休止状態にあっても、その(意識下の五感の)認識論的な性質は、私たちの覚醒状態とまったく同じく感覚的なのである。
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<内容紹介>
多様な奇想を展開する、現代オカルト。その根源には「霊性の進化」をめざす思想があった。
19世紀の神智学から、オウム真理教・幸福の科学に至る系譜をたどる。
<内容(「BOOK」データベースより)>
ヨハネ黙示録やマヤ暦に基づく終末予言、テレパシーや空中浮揚といった超能力、
UFOに乗った宇宙人の来訪、レムリアやアトランティスをめぐる超古代史、爬虫類人陰謀論―。
多様な奇想によって社会を驚かせる、現代のオカルティズム。
その背景には、新たな人種の創出を目指す「霊性進化論」という思想体系が潜んでいた。
ロシアの霊媒ブラヴァツキー夫人に始まる神智学の潮流から、米英のニューエイジを経て、
オウム真理教と「幸福の科学」まで、現代オカルトの諸相を通覧する。
*******************
オカルトと聞くと、「じぇじぇじぇ!!」とどん引きする人も多いものです。確かに取扱い注意の劇薬・危険物の側面もありますが、とりあえず「よくわからんもの」の総称だとおおざっぱに考えてください。怪しいか怪しくないかは、それぞれのケースで理性的に判断するればいいだけの話です。
不思議な人に会ったことがない人にはいまいち実感がないかもしれませんが、あまり人目につかないだけで、不思議な人はこの世にたくさんいるのです。それと同じように、不思議で未知でよくわからない世界も同じようなものにたくさんあります。 それは理性が扱う範囲や射程距離の問題です。
■
作者の大田俊寛さんは、元々グノーシス主義を研究されていた宗教学者の先生。
グノース主義はとても興味深いです。自分も色々読みました。
『グノーシス』という言葉自体は<認識・知識>を意味しています。
自分の本質と真の神についての認識に到達(神との合一)することを求めます。神秘主義に近いですね。
グノーシス派は初期キリスト教の異端と言われることもありますが、おそらくキリスト教より前からグノーシス主義の人たちがいて、グノーシス主義がキリスト教を取り込んだ、と言う流れの方が正確なようです。この辺りはどちらを主語にするかで言い方が逆になるのかもしれません。
当時の原始キリスト教にとっては影響力が多くて脅威だったために、グノーシス派は徹底的な弾圧を受けて歴史の表舞台から長らく姿を消していました。ただ、1945年にエジプトのナグ・ハマディの修道院の遺跡からナグ・ハマディ文書が出てきて、そのことで「グノーシス派」という存在への研究が進んだのです。
グノーシス主義では、とにかくとにかく「二元論」の思想に特徴があります。
有名なのは善悪二元論。
世間的にはこの考え方は分かりやすいかもしれませんね。善と悪をはっきり分ける。
「悪」は「善の欠如した状態」ではなく、「悪」そのもの、です。
「悪」は「悪」そのもので「善」に反転することはありません。「善」に打ち勝つことも絶対に出来ないとします。
二元論は神さまにも適用します。
聖書の神さまも「旧約の神」と「新約の神」と二元的に区別し、別人であるとします。
しかも、旧約聖書の神は堕落の結果としての「物質」を作り出した存在なので、「神」ではなく<堕落した強大な天使の一人>と考える。衝撃的な考え方です。当時の人が感情的に「この人たちは異端思想だ!」としてしまったのも分からなくてもないです。
しかも、グノーシス主義の人たちは「旧約聖書の神」をデミウルゴスと名前を変えて呼び、『アイオーン』の善の光をさえぎる「悪」であるとさえ言ってしまう。(ちなみに、イエス・キリストはも肉体を持つ物質的な存在ではなく、霊的な非物質的な存在としてとらえていました。)
善と悪にきっぱり二つに分けるから、善でないものは神さまでも悪になってしまうのです。
このドライで二元論的な考えは、曖昧でふんわりした表現を好む日本人には「それはやりすぎでは・・」とびびってしまいますが。
ちなみに、『アイオーン』という叫び越えのような名前も、グノーシス主義では非常に重要な言葉であり重要な概念になります。
『アイオーン』(aeon/eon)は、古代ギリシア語で時間、時代、世紀、ある期間、人の生涯、・・・のような多義的な意味ですが(プラトンは「永遠」の意味で使った)、グノーシス主義では高次の霊、超越的な世界、善なる「至高者」に由来する神的な存在・・・などの意味で使われています。
物事は常に多義的で、それを言葉であてはめると意味がひとつのような印象で受け取ってしまいます。言葉を使う時にはそのあたりに常に注意が必要ですよね。話がかみ合わない時、たいていは「言葉」で喚起されるイメージの次元が全く違う時に起こるように思います。
グノーシス主義ではアイオーンこそは「真の神」で、ユダヤ教やキリスト教などが信仰している神は「偽の神」として攻撃します。こういう風に「本物」「偽物」の二元論で攻撃してしまうところがトラブルの元だったように思うのですが・・・。
ちなみに、その「アイオーン」は「プレーローマ」と呼ばれる超永遠世界で、男性アイオーンと女性アイオーンが対になって「両性具有」状態を実現しているとします。ここを心理学者ユングが気に入ったのではないかと思います。
ちなみに、心理学者ユングのユングコレクションの中にも「アイオーン」という本があります。グノーシス主義の研究者であったこともありますが、この「アイオーン」の考え方に共鳴してもいました。というのも、ユングは、人間の完全性を『精神的な両性具有』(男性性と女性性の結婚)の実現にあるとしていからです。
・・・・・
とまあ、脱線するのでこの辺で。
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大田俊寛さんは
○「オウム真理教の精神史―ロマン主義・全体主義・原理主義」春秋社(2011/3)
○「グノーシス主義の思想―“父”というフィクション」春秋社(2009/11)
というすごく面白い本があるので興味を持っていたのでした。
(ちなみに、上記の本では宗教学者の中沢新一さんを真っ向から痛烈に批判していて驚きました。同業者を真っ向から批判するのは勇気がいることなのです。ただ、学問の世界ではとても大事な事だとも思います。)
○大田俊寛の研究室
○なぜ人間はオカルトにハマってしまうのか? 『現代オカルトの根源』の著者、大田俊寛氏に聞く(2013年08月23日)
○オウム真理教とアカデミズム 大田俊寛 (2012年05月16日)
○オウム事件から「何も学ばなかった」日本の学者たち―宗教学者・大田俊寛氏インタビュー(2012年07月11日)
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この本は、いわゆる「オカルト」とされる現代の流れを俯瞰的に捉えている本で、とても参考になりました。色々知らないこともありましたし。
「オカルト」関連本を楽しく読み進めるための補助線として「霊性進化論」という考えが特徴的のようです。
これは神智学(シュタイナーなど)などの流れから出てきているらしい。
ダーウィンが<生物が進化する>というように、<人間の霊性(Spirituality)も進化していく>という主張自体がすごく斬新で画期的だったとのこと。
確かに、精神世界全般では「魂の進化」を最終目標としていますし、それは分かる気がします。
「言葉」の問題は大きいですね。
「魂の進化(霊性の進化)」と言えば精神世界になり、「成功」と言えばビジネス哲学になり、「成長」「人格の向上」と言えば道徳や倫理の話になる。
似たようなイメージでも、指し示す「言葉」が違うだけで集まるグループが代わります。
「人間は何のために生きているのか」という問いがあるとき、「そんなの答えがあるわけないじゃない。そんな暇があったら仕事しろ!」と言われて、しっくりくるときもあれば、しっくりこないときもある。
そういう時、「人として成長するためですよ!」と言われると、確かにそうだと思える。
自分を磨こう、よりよく成長していこう、と納得して生きていく。
ただ、「人として成長するため」ということで納得できない人もいる。
「いくら成長しても、死んだら全部終わりじゃない。何のために成長するの?」と、一歩先に問いが残っている人もいる。
その人たちに対して、
「人間はこの世で死んでも終わりではないのですよ。何かが永遠に続いているのです。それは宇宙が続いていたり、物質がどんどん使いまわされていることからもわかるでしょう。石も水も空気もエネルギーも・・・宇宙の中で循環しているわけですから。人間の要素や核として循環して続いているものを「魂」という概念で仮に表現してみましょう。そうすれば、「魂」は永遠に続くと考えるのは普通の考えではないですか。そう考えた方が自然ではないですか。それは人間に限定してもしなくても納得できるのではないですか。そうであれば、「成長する」というのは、生まれる前も死んだ後もずっと連続している課題と、広い視野で捉えることが可能なのです。生まれる前や死んだ後・・・。それは単なる誰かにとっての時の区切り方にすぎません。何を尺度にするか、物差しの違いにすぎません。常識的な生や死の時間軸を外して「魂の進化(霊性の進化)」という観点から改めてこの世界をとらえなおしてみれば、今まで見落としていたことを発見できると思いますと。」
というようなことなのではないかと思います。
ただ、やはり「見えない世界」というのは、裏を返せば「どうとでもいえる世界」に反転しやすい。共通の土俵が作りにくい。もちろん、何を信じるか、何を主張するかは個人の自由意思に依存するので、そこまでは分からないし干渉できないし、干渉する必要もないと思うのですが。
結局、使い方次第です。
有用なものを善に使う人もいれば、悪に使う人もいる。無視する人もいる。
「見えない世界」を直感で感じ「見える世界」を理性で検証してみる。
そういう直感と理性のバランスをとりながら、古代の人々も大切にしていた精神性(それは文化や伝統・・・という別の形で残っていることが多い)を大切にしたいものだと思います。
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この本の目次を読むと、興味がある人にはとても面白いテーマが並んでいると感じるでしょう。
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<目次>
オウム真理教の最終目的とは
ハルマゲドンと救済
霊性の進化と退化
神人か獣人か
第一章 神智学の展開 21
1 神智学の秘密教義──ブラヴァツキー夫人 22
ブラヴァツキーの経歴①──放浪生活から神智学協会の結成まで
ブラヴァツキーの経歴②──インド文化との接触
神智学の折衷的教義
アメリカ社会の状況
進化論と心霊主義の結合
『シークレット・ドクトリンの』宇宙論
七つの根幹人種の歴史
霊的進化と物質的進化の交錯
霊性進化論の中心的要素
2 大師のハイアラーキー──チャールズ・リードビーター 48
リードビーターの経歴①──インドでの修行
リードビーターの経歴②──クリシュナムルティとの邂逅
瞑想やヨーガによる霊能力開発
イニシエーションとハイアラーキー
「東方の星教団」の崩壊
3 キリストとアーリマンの相克──ルドルフ・シュタイナー 63
シュタイナーの経歴①──前半生の思想遍歴
シュタイナーの経歴②──神智学から人智学へ
宇宙の多層構造に基づく霊性進化
ルシファー・キリスト・アーリマン
近代におけるアーリマンの暗躍
4 神人としてのアーリア人種──アリオゾフィ 79
アーリアン学説と神智学
リストのゲルマン崇拝
秘教アルマニスムス
ランツの神聖動物学
『神智学とアッシリアの獣人』
新テンプル騎士団
ゲルマン主義結社からナチスへ
ユダヤ陰謀論の蔓延
『二十世紀の神話』と親衛隊
神々と獣たち
第二章 米英のポップ・オカルティズム 105
1 輪廻転生と超古代史──エドガー・ケイシー 107
ケイシーの経歴①──催眠時人格の出現
ケイシーの経歴②──前世の解読
ポピュラー化するケイシー思想
ライフ・リーディングのメカニズム
アトランティス滅亡の物語
現代文明の岐路
2 UFOと宇宙の哲学──ジョージ・アダムスキー 122
アダムスキーの経歴①──UFO以前
アダムスキーの経歴②──円盤に乗った金星人との邂逅
「王立チベット教団」の教え
スペース・ブラザーズと宇宙哲学
地球は「罪人の追放場所」
サイレンス・グループの暗躍
3 マヤ暦が示す二〇一二年の終末──ホゼ・アグエイアス 139
アグエイアスの経歴①──古代文明への憧憬
アグエイアスの経歴②──思想遍歴の時代
アグエイアスの経歴③──パカル・ヴォタンとの交信
銀河的マヤの探究
五一二五年周期と一三のバクトゥン
二〇一二年の終末
「ハーモニック・コンバージェンス」の儀式
偽りの時間による奴隷化
4 爬虫類人陰謀論──デーヴィッド・アイク 160
アイクの経歴①──サッカー選手から緑の党へ
アイクの経歴②──ニューエイジと陰謀論
レプティリアンによる人類家畜化
『議定書』の新解釈
人間の潜在エネルギー
ユダヤ陰謀論からアーリア陰謀論へ
戦後のオカルティズムからの影響
被害妄想の結晶化
第三章 日本の新宗教 179
1 日本シャンバラ化計画──オウム真理教 181
三浦関造の竜王会
本山博の超心理学
桐山靖雄の阿含宗
神仙民族とシャンバラ
教義と教団の拡充
社会との対立と終末論の昂進
陰謀論への推移
奇妙な戦争
2 九次元霊エル・カンターレの降臨──幸福の科学 206
浅野和三郎の心霊主義
高橋信次の霊体験
GLAの世界観
アメリカの新宗教からの影響
エル・ランティーを自称する高橋信次
立宗までの経緯
エル・カンターレ崇拝の確立
『太陽の法』の宇宙論
諸文明の変遷
神智学との共通性
神霊政治学とユートピア建設
悪魔論の発展
おわりに 239
主要参考資料一覧 246
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表の歴史だけではなく、裏の歴史を知ることも大事。
色んな物事は、人間の心によって生み出される。
「動こう」と頭で思えば身体が動く、これは当たり前のようだがすごいことだ。(病になった人を見ると再認識させられる。)
「心」はそういう強力で摩訶不思議な力を持っている。
過去に生きた人たちが織りなした表の歴史と、語られなかった膨大な裏の歴史。それも全部ひっくるめて「人類の歴史」だと思います。
甲野善紀さんの「表の体育 裏の体育―日本の近代化と古の伝承の間に生まれた身体観・鍛練法」(PHP文庫)(2004/03)と言う本からも、そういう情熱を感じました。
→甲野善紀「表の体育 裏の体育」(2013-07-09)
表と裏を両方知ることで、認識の次元は階層構造として一段上がるような気がします。
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本書より
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『これまでいくつかの例で見てきたように、この世は不可視の存在によって支配されているというオカルティズムの発想は、楽観的な姿勢としては、人類は卓越したマスターたちに導かれることによって精神的向上を果たすことができるという進歩主義を生み出し、悲観的な姿勢としては、人類は悪しき勢力によって密かに利用・搾取されているいう陰謀輪を生み出す。』
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『古来、悪魔や悪霊と言った存在は、不安・恐怖・怨念といった否定的感情、あるいは過去に被った心的外傷を、外部に投影することによって形作られてきた。
近代においてそれは前近代的な迷信としていったんはその存在を否定されたが、しかし言うまでもなく、それらを生み出してきた人間の負の心性自体が根本的に消え去ったというわけではない。
そうした心情は今日、社会システムの過度な複雑化、地域社会や家族関係の歪み、個人の孤立化などによって、むしろ増幅されてさえいるだろう。
一見したところあまりに荒唐無稽なアイクの陰謀論が、少なくない人々によって支持されるのは、「爬虫類型異星人」というその形象が、現代社会に存在する数々の不安や被害妄想を結晶化させることによって作り上げられているからなのである。』
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『近代においてダーウィンの進化論が及ぼした広範な影響力について認識しておく必要がある。
なぜなら、霊性進化論は、生物学的な進化論に対する共鳴と反発によって生み出された、その歪んだ「変種」とみなし得るからである。』
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この本は歴史の本に近いので、なかなか感想が書きにくいのですが、上に引用した内容が作者のスタンスを間接的に表現していると思います。総じてよくまとめられていて、個人的にすごく勉強になりました。
やはり知ることは大事ですね。
「恐れ」や「不安」は、たいてい「無知」に由来していることが多いもので。
コアな世界を取り扱っているだけに、作者の記載の仕方には色々批判が出るかもしれません。
どんなジャンルであっても、それぞれのジャンルにいる人たちの情熱は計り知れないものですし、あるジャンルを否定されたり批判されたりすることは、まるでそれを信じている人の人格までも批判されているように感じてしまうものだから。心にはそういう働きがあります。
でも、そもそも一人の人間の作者の視点で編み上げられているものが「本」の世界だから、作者の見解が濃度の濃淡はあれ、必ず浸透しているもの。そこは好意的に捉えたいものです。
自分はこの本で書かれているような「現代オカルトの歴史」を、現実世界に並行して存在しているパラレルワールドとして、現代史の裏面史として冷静に理性的に把握しておく必要があると感じています。
感情的にならず。頭はクールに、心は熱く。それが逆になるとよくないのです。
表の人には裏の人が裏に見えますが、裏の人には表の人が裏に見えるわけで。
表と裏をあわせて見れるように、認識の次元を上げたいものです。
それは。物理学の超弦理論(super string theory)で言うところの、<人間にとってカーペットは2次元だが、ノミには3次元に見える。カーペットの丸まった糸の方向は、サイズが違いすぎるだけで人間にとっては隠れた次元になっている。>という例えと似たところがあります。
→Superstring Theory by Newton 2013/1(2012-12-07)
たとえどんな素晴らしい考え方であっても、結局それは道具にすぎません。
考え方や主義主張に縛られるよりも、使い方のことを丁寧に考えた方がいい。思想や考えを悪用すればどうとでもできます。
思想や考えは、世界を救う事にも使えるし、世界を破滅することにも使えてしまうもろ刃の剣。使い方の目標で線路は二手に大きく分かれ、行先も遠く離れてしまうことがあります。
それは宗教や思想だけではなく、科学技術も先端医学同じようなもの。
科学技術の使い方を間違ってしまうと、世界を救うこともできるかもしれないけれど、その影響力が大きいだけに一瞬で世界を破滅させることもできる。原子力や核爆弾、水爆などはその極みでしょうね。
思想でもオカルトでも科学でも技術でも・・・、結局はそれをどう使うかということに、人間の知性が問われています。そのことが人類の未来と地続きなのだと思います。
だからこそ、人間は偏見なく学び続ける必要があるのでしょう。
その成長を霊性(Spirituality)のみに特化して表現すれば「霊性進化」という言葉になるのかもしれませんが、「成長」とは部分的に果たせるものではなく、色んな要素が連関しながら全体的に起きているものだと思います。
人間の「あたま」はすぐに情報などで洗脳されやすいものです。「自然」と分離しやすいのが「あたま」の特徴です。
「あたま」よりも「こころ」、「こころ」よりも「からだ」の方がより「自然」に近い存在です。
「あたま」の意見だけではなく、「こころ」や「からだ」の意見を平等に聞いて、素直に耳を傾ける必要があります。
「あたま」で無理矢理に解釈せず、「こころ」と「からだ」で感じた反応も同じように大切にすればいい。(『無理が通れば道理が引っ込む』とはよく言ったものです)
そういう自分の中に広がる広大な自然に沿うように注意すれば、「あたま」の暴走は避けれるんじゃないかと思っています。
「オカルト」は、そのための試金石でもありますし、この世界を構成する無視できないピースの一つでもあるのです。
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少しずれますが、この「オカルト」とされる領域を理性的に考えるには、ウィリアム・ジェイムズの「宗教的経験の諸相」(岩波文庫)と言う本がすごく面白いし参考になると思います。こちらも是非!
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ウィリアム・ジェイムズ「宗教的経験の諸相」より
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私たち自身が憂鬱をまったく免れているとしても、「健全な心」の見方が哲学的教説として不適切であることは疑いない。
なぜなら健全な心が認めることを拒否している(詐欺、策略、犯罪、戦争といった)根本悪の事実は、まぎれようなく実在しているからだ。
悲しみや悪に対してなんら積極的な注意を払わないでおこうとする「健全な心」の体系は、悪も世界の要素としてその領域内に取り入れようとする真摯な体系よりも不完全であるといわざるを得ない。
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高度の変質者というのは、単に多方面に敏感な感受性を持っている人間にすぎない。
このような人はその感情や衝動があまりに敏感すぎ、あまりに矛盾しあっているので、自己の軌道をまっすぐ走るのに非常な困難を感じるのである。
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「意識の場」という言葉が表わす事実は、意識の周辺がはっきりしていないということである。
私たちは意識の周辺部にはあまり注意を払わないが、それはあたかも磁場のようにそこに存在しているのであって、この磁場内で私たちのエネルギーの中心は意識の現在段階が次の段階に移行するにつれて、あたかも磁針のように回転する。
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いかなる宗教も、その時代の人間の立場から見て不適当なものを排除し人間に適したものが生き延びる、という原則が信仰にも適用されたものにほかならない。
わたしたちが歴史を率直に、偏見なしに眺めるならば、結局いかなる宗教もこれ以外の方法で確立されたことも維持されたこともないことを、わたしたちは認めざるをえない。
これは一切のドグマを拒絶する懐疑論ではない。
自分の考えがいつか是正されることがありうることを認めることと、気まぐれな懐疑の大海に乗り出し自らを見失うこととは、おのずから違っている。
もろもろの宗教はみな自己(という人間の全生活)を証してきたのだ。
きわめて重大なさまざまの生活上の要求に奉仕してきたのである。
一つの宗教がもろもろの要求をあまりにひどく侵害した場合は、その宗教は取って代わられたのである。
(イデオロギーの言う)「必然的確実性」のおかげで流布したなどという宗教は未だかつてない。
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目ざめているときの意識というものは意識の一特殊型に過ぎない。そのまわりをぐるっととりまき、きわめて薄い膜でそれと隔てられている、それとは全く違った潜在的ないろいろな形態の意識がある。
例えば「すべての他者を自己のうちに吸収してしまっている完全な存在」というヘーゲルの全哲学を支配している “あの”感じは、一般人には意識下に潜在したままの神秘的気分であるが、ヘーゲルにとっては識閾の上でいつも優位を占めていた。
手術用麻酔の亜酸化窒素やエーテルは、“あの”感じ――形はさまざまだが、神の現前の感じを異常なまでに刺激する。
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潜在意識あるいは超意識の広大な領域から生ずるものは、一般感覚世界から来るものとまったく同じように篩い分けられ、経験全体との対決という試練を経なければならない。
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神秘的状態があるということは、私たちの合理主義的意識が意識の一種類にすぎないことを証明している。
私たちの感覚は事実のある状態をわたしたちに確信させているが、神秘家たちの神秘体験もかれらの直接知覚である。
彼らの(意識上の)五感は休止状態にあっても、その(意識下の五感の)認識論的な性質は、私たちの覚醒状態とまったく同じく感覚的なのである。
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