日常

『ブッダ』手塚治虫

2009-02-03 19:42:28 | 
手塚治虫『ブッダ』

当直の夜中に、久しぶりに手塚治虫『ブッダ』全12巻を読んでみた。
久し振りといっても、多分5回目。
大学3年以降一度も読んでなかったので8年ぶりくらいになります。

手塚作品って、自分の成長とともに感じることが違うというか、これが偉大な漫画なんでしょうね。
自分の心境や成長に応じて、読み解けるものがどんどん変わって、深くなっていく。素晴らしい作品の「深み」とか「奥行き」が分かるようになる。

手塚漫画は昔からそこにあるんだけど、自分が変化して成長していくと、手塚漫画の奥深くに潜んでいる思いや祈りのようなものが多層構造で、かつ立体的に見えてくる。

世界はそのまま変わらないんだけど、自分の意識が変わることで、世界そのものが違う様相を呈して見えてくる。
意識が変わると世界が変わる。



ちなみに、また改めて別便で感想書きたいんですが、『風の旅人』 36号の<時と転>が届きました。
そこに書かれている編集長佐伯さんの巻頭言もまたすばらしかった。
=====================
世界が混沌に見えたり、秩序的に見えたりするのは、
どこを、どう切り取るかという意識次第である。
意識が変わると、視点が変わる。
視点が変わると、世界が変わる。
=====================
これはまた別便で。
◆◆◆◆◆◆
⇒⇒⇒2009/02/07に【『風の旅人』 36号 「時と転」】として書きました。
◆◆◆◆◆◆

■仏教

高校生くらいでブッダ読んだ時なんて、仏教のことなんて何一つ知らなくて、我が家も「いわゆる日本人的無宗教」で、仏壇もあり(仏教)、位牌もあり(儒教)、神社にお参りに行き(神道)、クリスマスはお祝いする(キリスト教)、日本人がよくやっていることを当たり前にやっている家だったので、あまり仏教とか勉強する必然性もなかった。キリスト教徒もイスラム教徒も新興宗教も周りにいなかったし。

でも、昨年うちの婆ちゃんが死んだとき、浄土真宗のお坊さんが来て葬式をやったのですね。お経は般若心経を読んでいたのを聞いて、婆ちゃんを弔うためにも、自分もその世界観(仏教とか般若心経とか)をちゃんと勉強しとこうとは思っていたのです。
思うだけだとそれで終わりなんだけど、今はそれが始まりとなって行動を伴い、ちょっとずつ学んでいる時期デス。



親鸞の歎異抄、道元の正法眼蔵、日蓮の立正安国論・・・宗教書というより、ほとんど哲学書に近い。原書に近いものを読むと自分がいかにイメージとか雰囲気で理解してたか痛感してます。あまり食わず嫌いせずに一つの古典として素直に読んでみると、かなり広大かつ深遠で、学ぶこと多し。
自分で読んで、自分なりに噛み砕いて理解した上で、イイとかワルイとか、自分に合うとか合わないとか、言わないといけないですね。
人からの伝聞は、伝言ゲームと同じで、原書からドンドン遠くなるのは必然だし。


■正法眼蔵「八大人覚」(はちだいにんがく)

今、『禅ZEN』っていう映画を中村勘太郎、内田有紀とかが出てやっているんで(面白いかどうかわからんけど、誰か見に行きません?)、にわかに『禅』の世界も注目されているのかもしれない。

例えば、道元の正法眼蔵に「八大人覚」っていうのがある。
「大人(だいにん・おとな)として覚り知るべき八つのこと」を意味していて、ブッダが最後に説いた遺教経の中にあって、涅槃に入る八つの仏則を説いた遺言のようなもの。


八大人覚
○少欲(しょうよく)
 一、あまり高い目標を追い求めすぎると、破滅する。
○知足(ちそく)
 二、欲をいい張ったらキリがない。限度を知る。
○楽寂静(ぎょうじゃくじょう)
 三、のどかで美しい景色眺めると、心が澄む。
○勤精進(ごんしょうじん)
 四、やりたいことを一つにしぼり、無駄を省く。
○不忘念(ふもうねん)
 五、心が修まっていれば、人目は気にならない。
○修禅定(しゅぜんじょう)
 六、うまく事が運ばなかったら、一歩退いて見る。
○修智恵(しゅちえ)
 七、前向きの話を聞いていれば、混乱しない。
○不戯論(ふけろん)
 八、無益な口論ほど、社会を乱すものはない。


同じ禅でも、道元の曹洞宗ではなくて、栄西の臨済宗系ではありますが、『妙心寺開山無相大師[かいさんむそうだいし]650年遠諱[おんき] 妙心寺』っていう展覧会も、3月1日まで東京国立博物館でやってる。ついでにこれも見に行きたいと思ってるとこです。





■鈴木大拙と西田幾多郎

浄土系思想と禅の思想の本質を発展させて、英語と日本語のバイリンガルで世界に紹介してきた鈴木大拙という偉大な方がおります。
彼の本は相当に深遠で含蓄深くて面白くて、元々はこの人の本の面白さを入り口にして仏教を大まかに勉強してみようと思ったのですね。

いつか、鈴木大拙の感想をまとめてブログに書いてみたいんですけど、(少し書くならば)、同時代で直接の親交もあった京大の哲学者:西田幾多郎と影響しあっているのですね。
仏教者の鈴木大拙と、哲学者の西田幾多郎、二人は合わせ鏡のようですごく面白い。
「同時代での呼応」ってまさしくこのことだと思う。

ちなみに、自分が最初にはまったのは岩波のこの二冊。
「新編 東洋的な見方」「日本的霊性」
いつかブログにまとめて書きたいですな。(覚えていればですけど)
他の本も素人にもわかりやすいし面白いですよ。

 



これはかなり脱線。
ブッダから生まれた同じ仏教系だけど、その子孫はそれぞれ面白いんですよね。


■10歳にも分かるかどうか

美内すずえが、『漫画:ガラスの仮面は10歳にでも分かるように、10歳をイメージして描いてる。』って言ってたのを聞いてすごく感動したんだけど、手塚のブッダも、10歳が読んでも、かなり凄い作品だっていう衝撃は伝わると思う。
10歳だと、まだ言語の学習過程なので、言語化された意味としては認知されないのかもしれないけど、意味以前の状態の、モヤモヤしたエネルギーの塊のような衝撃を感じるんだろうし、そういう風に感じた人、そして感じたことを忘れてない人は、きっと何年後かにふと読み直してしまうだろう。
そして、巡り巡って今の自分に舞い戻る。

仏教の『縁起』っていう概念がある。
「因縁生起」(いんねんしょうき)の略で、「因」は原因、「縁」は条件のことを指します。
意味としては、世界の全ては直接にも間接にも何らかのかたちでそれぞれ関わり合って消滅変化している。というようなニュアンスでしょうか。


そうして、若いときの過去の自分と、今の自分と出会うんだと思う。それは、本来は同じはずの自分でもある。
時間と共に色んなものを経て、感じて、経験して、変化してきているんだけど、芯とか軸とか幹とか根っこは変わってないはずの、過去の自分と今の自分とが出会う。
手塚作品を媒介にして、過去の自分と今の自分が否応なく出会う。



■生まれ 矛盾 感じること

インドでは、カースト制度があって、生まれつきのスードラ(奴隷)がいたり、漫画ブッダでの架空の人物であるタッタも、バリアっていうカースト以下の身分(不可触)出身で、そういう生まれた瞬間からどうしようもできない身分制度の中で生きている世界がある。

生まれたときから奴隷で、一生奴隷のままの人がいる。
漫画『ブッダ』の中でも悲惨な生涯として描かれる。家族も殺されたり、自分も殺されたりする。人間として扱われない非情な現実。
そういう悲惨な光景を手塚は遠慮なく当たり前のように淡々と描く。

当たり前のように矛盾に満ちた風景がある。
当時の人も本来何か感じていたはずだと思うけど、集団の論理は恐ろしい。そこで異議を唱えることは自分の安住の立場を脅かすことになる。
そこで、自分が感じたことを、感じないようように自分に嘘をついて蓋をする。そして、強固で閉じられた蓋に閉ざされた自我を作っていく。
そのことを何十年も続けていると、もう元には戻れないほど、自分の殻は厚くなるし、自分の強固な殻自体にも気付かなくなる。
それを、自我とか自意識とか言うのかもしれない。



■等身大の人間としてのシャカ

ただ、シャカは等身大で普通の人間であることを止めない。
王族に生まれて何の不自由もなく生まれて死んでいく運命にあるはずだったのだけど、その現実の矛盾に悩み苦しむ。
何かの超越者としてでなく、等身大の人間として当たり前のように悩み苦しむ。時には絶望する。
神のように全ての感情から超越された存在ではない。人間くさくて、人情味があって、思い悩み、うろたえて狼狽し、時には泣く。

その絶望の苦しみから、シャカは少しずつ着実に悟りを開いていく。

悟りをひらいたとき、シャカはブッダと呼ばれるようになる。
ブッダとは<悟りを開いたもの>という意味なのです。


人間・王族であるシャカから、悟りのブッダへと至るプロセス、それを描いているのが手塚治虫の『ブッダ』という漫画なのです。


この漫画は、かなりの人間が死ぬ。しかも悲惨な死に方をする。かなり不条理な世界で不条理な形で人は死んでいく。
ただ、それは過剰な演出ではなくて、そんな時代や世界は当たり前のようにあったし、今でもどこかであるんだと思う。同時並行にあるんだとも思える。それはテレビを見ていても自然に感じ取れる。

その不条理な世界において、世俗的な物質的なものではない、魂のような領域での救いをブッダは追求した。
追求して追求して追求して、ある一点に収束したとき、シャカはブッダと呼ばれるようになった。
手塚治虫は、それを漫画で、10歳にも伝わるように工夫された形で表現した。そんな漫画です。



名作とか、昔読んで心に響いた記憶がある作品を再度読み直すこと。

読書という行為は、小中学生時代は
『知らないものを知るために読む』
ものが大部分だった。ほとんどの世界が見たことも聞いたこともない世界で、自分の無知さを思い知る本ばかりだった。

30歳になると、完全に未知なる世界や、完全に未知なる感情というのは徐徐に少なくなってくる。 
読書も、『知識として頭では知った気になっているけど、本質を忘れそうになる大事なことを、再度噛み締めて確かめるために読む』
という行為に変化してきた気がする。
素晴らしい作品には、そういう新しい発見が必ずある。

自分がうすらうすらと大切さに気付いているんだけど、そのボンヤリした大切なものに、強く眩しい光を当てられるような感覚がある。

言い換えれば、
10台は予習。
20台は実習。
30台は復習。
こんな感じでしょうか。


漫画『ブッダ』の中で、巨人ヤタラ(→奴隷の身分で、幼い頃に両親を殺される)は、
『なぜ人は不幸なのか、不幸なのになぜ人は生きるのか!』
とブッダに聞く。
===============================
『木や草や山や川がそこにあるように、人間もこの自然の中にあるからには、ちゃんと意味があって生きてるのだ。
あらゆるものとつながりを持って。
そのつながりの中でおまえは、大事な役目をしているのだよ。
もしおまえが、この世にいないならば何かが狂ってしまうだろう』
===============================
と、ブッダは応じるのです。
『ブッダ』は、そんな漫画です。

11 コメント

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妙心寺 (KTM)
2009-02-03 23:40:40
住職の息子が中学高校大学大学院とずっと一緒のくされ縁。ロクでもない奴だけど今は副住職やってる。ちなみに弟はDJをやっていてDJミョーシンと名乗っています。
同級生のよしみでたまに妙心寺で年越ししますが、去年は除夜の鐘を突かせてもらった。
どうでもいい話でした。
因みにブッダは実家に全巻揃っていて、タッタが一番好きでした。
記事違いになりますがとめはねっ1も読んでます。ひよこのロゴのエピソードが好きです。
おやすみなさい。
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ミゲーラの人生は泣ける。 (いなば)
2009-02-04 08:40:16
妙心寺、HP見ると
『妙心寺は建武4年(1337)、花園法皇が自らの離宮を禅寺としたことに始まります。そして、開山(初代住持)として花園法皇によって迎え入れられたのが関山慧玄(無相大師)でした。』って書いてあって、600年以上続いてるのって相当スゴイよね。壊すのは一瞬なんだろうし、後をつがなければそれで終わりで、まあそういう寺とかもいっぱいあったんだろうけど、KTMの友人はなんだかんだで副住職で後継いでるみたいで、偉いよねー。僕らの仲間のT田くんなんかも、今だに寺を継ぐかどうか迷ってるくらいだし、男にとってもかなり大きな決断なんだと思うね。

でも、意外や意外に知りあいの知り合いってのも不思議な縁ですわ。禅の文化に興味持つなんて、昔は夢にも思わんかったからねー。

漫画『ブッダ』でのタッタ、いいよねー。マンガでの創作で、原書の仏典には出てこないみたいなんだけど。あの男気にあふれて一本気なとこがかっこいい。死に際が結構あっけないんだけど、感動を演出したりしないのはそこも手塚らしい。

タッタの妻になったミゲーラ、これも手塚の創作キャラだけど、釈迦と愛し合って一時恋人同士だったけど、身分がスードラで元盗賊の頭だったんで、目を焼かれて盲目にされたり、ひどい皮膚病になったり・・・ミゲーラのシーンも何度も泣けました。


とめはねっは、わしは望月さんが書き順間違って、その上で『母』の字を完成させるとことか好きです。
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『ブッダ』は偉大です (ShinK)
2009-02-05 01:44:06
『ブッダ』は、手塚マンガの中では『火の鳥』に次いで好きです。愛蔵版で所蔵してますね。
なんかここを読んでいたら、また読みたくなった。後数日で一時倉庫行き。

はじまりのウサギが神様のために身を捧げるところから、もう思いっきり引き込まれました。

生命観とか、人生観を直感的に伝わるようにこのマンガでは描かれているよう記憶があります。

しかし、当直中に一気に読み切るというもまたすごい!ぼくはあまりそう言う時間を経験したことがないけれど、当直とうのは緊張感があってあまり寝れなかったり、だからこそ何か集中できたりと独特の時間の流れをしているのかなあ。
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当直勤務は寝たくても寝れない。頭はさえてくる特殊な状態。 (いなば)
2009-02-05 08:47:44
>>>>>>>>>>>>>>>ShinK
個人的な手塚作品好き順だと、今まで『ブッダ』は普通のランクに位置してたんだけど、最近仏教をかじって、その上で読んでみたので、味わいがかなり深くなりました。間違いなく今の自分の中でランクアップです。


漫画『ブッダ』は、普通の偉人伝記漫画とは全然違うのよね。
こういう偉い人をテーマにした漫画って、史実を忠実になぞって、有名なフレーズとかを印象的な形で織り交ぜながら、教科書みたいに名言・名句を挿入していくパターンが多い。
でも、漫画『ブッダ』はあまりそういうことは意識してなくて、手塚流の味付けや解釈で、もともとはなかったキャラクターを織り交ぜながら物語を自由につくってるんだよねー。それが手塚作品のすごいとこ。感動を演出したりは絶対にしないから。

ウサギが神様のために身を捧げるところ、あそこはジーンと来るよね。
なんか活字で読むのと、手塚漫画で見るのは印象が全く違うよね。
ウサギもすごく切ない顔してたり、迷った顔してたり・・・動物の表情も神がかりに巧いんだよなー。


当直って、まあ普通に1時くらいに寝て7時くらいに起きること(いわゆる寝当直=結果的に病院で寝ただけだったってこと)も時にはあるんだけど、患者さんから具合が悪いからどうしたらいいかっていう電話対応とか、救急車で搬送してくる対応とか、もうあまり寝付けなくなることあるんですよね。
夜中に対応すると、目がギンギンになって目が冴えて寝れなくなる。

そういうとき、漫画を一気に読んで、疲れて眠くなったら寝よう!って作戦にするんだけど、面白いマンガ読んじゃうと、更に頭がさえて寝れなくなって、徹夜とか睡眠1時間くらいで翌日の仕事に突入すること多し。連続労働(36時間連続勤務?)はかなりつらいんだけど、もうそれも仕事だし、今の医者はそういう働き方多くて現状しょうがないのよねー。

ただ、漫画ではまり途中に患者さんから電話相談きたりすると、漫画『ブッダ』モードとかから頭切り換えるのも大変なんだけど笑
返信する
タイトルと言われても。。えっと。。。 (la strada)
2009-02-07 08:22:02
「ブッダ」は前々から気になっていた
漫画でしたが、この日記を読んで、
今すぐ本屋に飛んで行って、
買い求めたくなってしまいました。

そうもゆかず。ああ悲し。。


ドイツ語で本を読んでみようと
初めてこちらで買ったのが、
ヘルマン・ヘッセの
「シッダールタ」でした。
これも仏陀をモチーフにしていて、
まだ読み途中ですが、なかなか
面白いです。偶然日本語訳版が
手に入り気に入っていたフレーズを
少し読んでみましたが、やはり、ドイツ語で
読む時の感じとは随分違うものだと驚き、
やはり、まずはドイツ語で読んでみようと
決心しました。ドイツ語は、これほどまでに、リズムと流れと響きがある言葉だったとはと、
鮮やかな感動を覚えました。
日本語には日本語の美しさがあり。

言葉って面白いですね。


先日私も一時間睡眠で仕事に
いきましたが(日本のドラマを
一気に観てしまいました。。海外に
住んでいると、ああいうものに
想像以上に癒されたりするんですよね。)
心なしか弓を持つ手が震えましたが^^;、
そちらの世界では、命がかかっているの
だから、そんな呑気な事は言っておられない
のでしょうね。。 お疲れ様です。

返信する
ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」、買っちゃいました。 (いなば)
2009-02-07 10:36:45
>>>>>>>>>>>>>>>la strada

このわしのブログではお初?ですよね!
今年もヨロシクお願いします!

ドイツで日本の本を買うのってどうするんでしょうか。Amazonは流石に海外には送ってくれない?日本にいる人から郵送してもらわないといけないのかな?それも不便ですけどね。

今はワンクリックでアマゾンが郵送で家に本を送ってくれるし、関連本が無限に数珠つなぎで紹介されて出てくるから、こんなイイ時代はないなーって思ってます。
チョイ前は気になった本をメモして、それを本屋に探しに行くんだけど、本屋も出版社ごとに作家もバラバラに陳列されていて、探しにくいったらなかった!出版社で本買う人なんて今どき少ないだろうに、ああいう見せ方とか陳列にこだわらなかったのが、本屋がAmazonに敗北している要因の一つでもありそう。
あ、脱線。


「ブッダ」、いつか機会あればドイツに郵送しますよー。
わしは、手塚漫画に関してはありとあらゆる人や場所にばらまきながら生きてきているので笑、昔の職場とかバイト先とか・・あらゆる場所に寄付・寄贈と称してばらまいてます。
手塚漫画を買うお金はほんと苦にならないし、有意義なお金の使い方だなーって昔から思っております。

ヘルマン・ヘッセの「シッダールタ」、今Amazonで書評とか見たらかなり興味深かったんで、Amazonでワンクリックしちゃいました。ついでにヘルマン・ヘッセの本も色々頼んだので読んでみたい。すごく有名な人なのに、一冊も読んでないことに気付きました。


わしは一生ドイツ語を勉強する機会に恵まれないと思うんですけど(とは言っても人生何が起こるのかわからんので、語学への情熱が沸き起こるのかもしれません)、ドイツで生活して、文化に馴染んで、言語を習得して、バイオリンを仕事しても学んで・・・・という生活の中で、ドイツ語という言語の中に潜む色んなものがより深く味わえるようになるんでしょうね。
日本語も、わしも最近その深みを知るようになって、日本語とか漢字とかに、30歳になって初めて興味が向かっているとこです。


あと、睡眠って大事ですよね。慢性的に睡眠不足だと、どんどん思考も鈍って投げやりになっていい加減になってくる。心技体が充実した心持でいたいものです。

バイオリンの道も果てしない永遠の道だと思いますが、お互い道は異なれども、この永遠のプロセスを堪能したいものですね!
返信する
タイトルがやはり見つかりません。。 (la strada)
2009-02-07 11:33:03
こんにちは。まだ夜更かし中です。。
コメント返しが速いですね。驚!!
そして早速のご購入ありがとうございます。笑。何だか嬉しいです。

私も昔に車輪の下を読んだくらいでしたが、
ヘッセ好きの友達がいて、影響されました。
デミアン、荒野の狼を、最近読みましたが、
どちらも私には衝撃的でした。雰囲気が
悲劇的に暗い。笑。あの鬱屈した世界は、
ドイツでふと森に入った感じに似ています。
読み始めこそ抵抗がありましたが、
読み終わりのあの卵から抜け出る感じは、
たまりません。読んでしばらく何日かは
ふわふわしていました。二冊ともお勧めです。


その友人はゲーテも大好きで
ファウストも読みましたが、
あれはまさに大作で、強烈でした。
先日ゲーテが約50年住んでいた
ワイマールの家を見学してきましたが、
ファウストを書いた書斎がそのまま
残っていて、それはそれは大興奮でした。
好奇心の塊で、収集家であり、政治家であり、
家のあちらこちらに霊感が迸っていて、
あれだけの本を書く人物というものの、
一人間としての大きさを思い知りました。

と、話がそれました^^;

語学の勉強、私はもともと好きです。
ひとつの単語を調べると、そこから
鎖のようにどんどん世界がつながって
広がっていく感じが大好き。
そして、日本語は美しい言葉だと
あらためて思います。

ドイツ語の響きというもの、
ドイツ人の実際の言葉の響かせ方
というのは、奥行きがあって、
随分違うものなのだなぁ!と感じます。
それは、勿論、音への感覚そのものに
繋がっていて、音楽を勉強するのに、
大変重要なことですね。


こちらで日本語の本は勿論売っていませんが、
それこそ、ドイツ在住日本人同士で
貸し借りをしていたり、古本交換会などが
あったりします。読みたかった本に
そういう場で会った時は、奇跡のように感じて
喜びもひとしおです。

アマゾン、すごいですよね。
忙しい時に、特に便利ですね。
インターネットショッピングは、
例えば体が不自由な方々にとっては、
本当に便利なものになって、それは
素敵なことなんだろうなぁと想像したりします。 でも一方で、私は特に古本屋さんが大好きで、色んな人に読まれてきた本たちが並ぶあの感じや、偶然の出会いや、絶版にされた本との巡りあわせなども、とってもいいなぁと思います。夏に日本に帰ったりすると、古本屋でのバイトは無いものかと本気で思ったり。

ああいう種類の古い時間の匂いがする場所(古いレコード屋さんとか古い喫茶店とか)が、消えていくのはすごくさびしいことだと思います。


手塚本のばらまき人生。
なんて素敵な響きなのだろう^^。
いやー嬉しいです。でも、ドイツへの郵送は
結構高いし。。。親に色々また送ってもらう予定なので、その時に頼んでみると思います。
ありがとうございます!


睡眠大事ですね、本当に。
ということで、おやすみなさい!

こちらこそ
今年もよろしくお願いいたします。







返信する
うそをかきました。 (la strada)
2009-02-07 11:36:59
いやいや、よく考えたら、
ドイツでも日本語の本は買えます。
例えば、フランクフルトやデュッセルドルフなどの日本人が多い街は、書店がきちんとあります。ただ、値段は2倍ほど。。。

この前パリに遊びに行きましたが、
あそこには、なんとBook Offがあるそうです!
しかも一冊2ユーロとかで。。
何ともウラヤマシイ。


こっちに住んでいる人は皆少なからず
活字中毒になっているようで、
一時帰国すると皆大抵本屋さんでの
時間を楽しみにしているようです。
返信する
故きを温ねて新しきを知る (いなば)
2009-02-07 23:01:01
>>>>>>>la strada
日本時間だとAM11時ですが、ドイツでは夜更かしになるわけですね。不思議だー。ネットだとさらにその辺の時間感覚はゴチャゴチャになっちゃいます。

ゲーテのファウスト!!手塚漫画では読んで、文字でも読みたいなーとか思ってて、さくらばくんもすごくいい!って言ってたから、やはり読んでみよう。

自分の中で、周りの二人以上の人から薦められたら読む時期が来たと、勝手にそういうストーリー性を作っておるので、ファウストも読みます。
ちなみに、よしもとばななもそういう縁で読み始めて、猛烈にはまりました。30歳にしてよしもとばななの本にはまるとは思いませんでしたが、こういう出会いも縁だなぁと不思議な巡りあわせも感じるものです。会うべくして会うというか。


ドイツ語って、昔の医者はみんな勉強してたみたいなんですが、今は全部英語なんですよねー。少し前まではサイエンス全般は英語でも、医学だけはドイツ!って流れはあったけど、今は何でもかんでも英語文化発になっておる。
でも、医学用語でドイツ語の名残とか略語とかは結構残っとりますよ。

日本を離れると日本語も恋しくなりそうですねー。わしも日本大好き人間なので、海外に住まざるをえなくなっても、日本語の本は手離せないだろうなー。


古本屋さんは僕も大好きです。
神保町の古書世界はすごいですよね。迷宮ですよね。
岡本太郎の本とかは、古本屋でも買ったのも多くて、当時の岡本太郎の本の装丁は、だいたい岡本太郎のスケッチ画が表紙だから好きなんですよね。無駄に装丁が豪華な感じなのも、文庫本とは違う良さがありますね。
古い時間の匂いがする場所、わしも古いレコード屋さんとか古い喫茶店とか大好きデス!
匂いもなんか違うし、時間の強度を感じますよね。タイムスリップできるというか。

今は新しいもの、新しいものに追い立てられている気がしますね。本当に新しいものなんて、そう簡単には出てこないものだし、いにしえのものを丁寧に味わっていかないと、新しいものなんて絶対分からないし。そういう時間軸の延長として、「今→未来」って構想して生きたい!

論語の輪読会を周りでやっている最中なので、自分の中で論語ワードが勝手に頭を飛び交っているんですが、
【論語 為政第二 027】
『子曰わく、故きを温ねて新しきを知る、以て師と為るべし』
ですねー。

古典とかに目覚め出したのも、昔は一生読まないだろうと思っていたから、自分ではすごく不思議な感覚なんですけど、本当に読みたい!って心が叫んでくるまで、30年かかりましたー。
でも、今は広大な古典の海を少しずつ覗き始めていて、過去に存在していた大哲学者や大作家先生方の世界観のおこぼれに預かることができて、至上の幸福を感じております。
あんな大天才と、こうして本を通して対話できるなんて、それだけで嬉しいもんです。アリガタイ!

la stradaさんはバイオリンもやっている上に本とか哲学とか考えとか・・・教養に溢れててほんと尊敬してます!わしもコツコツと温故知新の精神で、故きを温ねて新しきを知っていきたいです。
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Unknown (la strada)
2009-02-09 01:10:29
>本当に読みたいと心が叫んでくるまで
これはとても大事な感覚ですよね。何かを学ぶときも、そうだなあと思います。要求/欲求が自然に湧いてきて、そこに「他」と絶妙にリンクして始めて、新しい感覚/自分が育っていくものですよね。強制されてやっていることというのは、吸収できないし、自分のものにならい。
…ということで本当に楽器を弾きたいと心が叫んでくるまで少し休み中(怠け中?!)です。
いやいや、そろそろ本気を出して練習せねば。。

ファウストは、出だしの会話だけでも、相当勉強になりました。原作は、所謂古文のような昔のドイツ語なので、ドイツ人にとっても簡単ではないそうですが、必ず学校で読まされる教材らしいですよ。

温故知新。
味わい深いですね。
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