本職の発表の関係で、愛媛の松山に初上陸してきました。
本職が忙しくてなかなかブログ書けんわー。
■路面電車があって移動しやすい。
■道後温泉が素晴らしかった。
■道後温泉で神の湯が400円、霊の湯が1200円。神の湯の方が安い。神の方が無償の愛?
■温泉の力は、Vibration(振動数、波動)の力であることを改めて感じる。例えば同じ42度という温度でも、自宅の浴槽と温泉ではまるで違う。科学で計測する温度の限界。水の振動数がまるで違うんだと思う。だから、振動数が早いものほど、体の奥や芯まで伝わる。それは長く残る。それは、愛と同じ。深い愛ほど、相手の奥に、深く、長く、届く。温泉と愛は同じ原理で浸透しているんだと思う。どちらも人間の「治癒」につながる。
■司馬遼太郎の坂の上の雲ミュージアム。よかった。「明治」という時代の前に、日本人は「国家」という意識がなかったこともよくわかった。細川藩とか、藩の集まりとして日本はできていて天皇は権威のシンボルとして徳で統治していた。明治のように幕府が「日本国」というまとまりをつくったのはごく最近のこと。
■明治ができたとき、全国に意見書を募集したらしい。そのとき驚いたのが、それまでは「長さ」が統一されていなかったということ。例えば尺貫法の「尺」という単位。「尺」という文字は親指と人差指を広げた形をかたどったものらしいし、尺骨の長さと同じらしい。確かに「人体」を基準に長さをはかるとわかりやすい。ただ、あくまでも主観的な長さで、客観的な長さではない。日本で、統一した長さはここ100年くらいでできた。
■「長さ」を統一したほうがいい、と提案したのは長野県佐久にいる一農民。その偉大な無名の農民は、私財を投じて江戸まで5日くらいかけて何度も往復した、長さの単位の統一に一生を費やしたらしい。偉大過ぎてひっくり返りそうになった。ネットも電話もない時代、全世界の長さの測り方を調べたらしい。明治の人間はすごい・・・。(明治で蒸気機関が初めて新橋‐横浜間を走った。)
■学制(がくせい)も1872年(明治5年)にできて、義務教育が始まった。当時の親たちの教育への情熱はすごく、ほんの1年くらいで全国に1万以上の学校ができたとのこと。しかも、それはすべて地元の人たちの寄付金だけで作られたとのこと。今は教育が当たり前に受けられるようになっている。当時、身分制度が残っていた時代には学問で身を立てれば「生まれ」で差別を受けることもなく能力で採用される時代になった。だから人々は死に物狂いで学問をした。そうした明治当時の熱気が伝わってきた。
■そんな感じで、司馬遼太郎の坂の上の雲ミュージアムから、「明治」という時代に関していろいろ学ぶことが多かった。改めて、以前ブックオフで100円という破格値だった、
〇『「明治」という国家』日本放送出版協会 (1989/09)
を読んでみようと思った。
■時宗の開祖「一遍」は踊念仏と言われる。念仏を唱えながら日本を遊行した高僧。道後温泉近くにある宝厳寺が、一遍上人の生誕の地とのこと。偶然あって立ち寄った。
■柳宗悦の名著『南無阿弥陀仏―付・心偈』でも、浄土思想(他力道)の中で法然→親鸞→一遍と発展したと。一遍上人を最高の到達点として激賞しているのを思い出した。
■法然→親鸞→一遍の3人の流れを「一者の内面的発展のそれぞれの過程において見たい」述べている。
〇柳宗悦『南無阿弥陀仏―付・心偈』岩波文庫 (1986/1/16)
■脱線。この本の目的を柳宗悦は3つ挙げられている。
第一「知識的な教養のある若い人たち―おそらく南無阿弥陀仏の言葉から一番遠くなっている人たちに、六字の意味をよく聞いてもらいたい」
第二「浄土思想に関心をもつ人に一遍上人の歴史的位置を、もっとよく知って貰うため。念仏の思想は、一遍上人を得てその最後の仕上げを遂げた」
第三「自力門と他力門との接触、宗派間の対話のため」
■生誕の地、はじまりの地に偶然寄れるとは嬉しい。道後温泉のような地球のエネルギーと人間は感応するのだろう。一遍上人は、熊野において熊野権現から衆生済度のため「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」との夢のお告げを受け、神がかりとなり、この時から一遍と称したとのこと。熊野にもそういうエネルギーが充満しているのだろう。
■ということで、短い時間でしたが楽しいひとり旅でした。今度松山に行くときは、松山城と、伊丹十三記念館と、坂村真民記念館(坂村真民(しんみん)さんは熊本県荒尾市出身だし!)に行きたい。時間がなくていけんかった。四国は他にも空海(弘法大使)の色んないわれのある場所があるし、そういうのも行ってみたいな。お遍路さんも熱い。
■讃岐うどん食べたいな、と思ったけど、どこ行っても「讃岐風うどん」しかなかった。やはり香川県に遠慮してるのかなぁ。だから、今日は東京の丸亀うどんでうどんを食べた。
宝厳寺 一遍上人の生誕の地
伊佐爾波(いさにわ)神社 (道後温泉)
道後温泉
坊ちゃん電車 風情ある
坂の上の雲ミュージアム横にある萬翠荘(ばんすいそう)。天皇陛下も泊まられたらしい。
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柳宗悦『南無阿弥陀仏―付・心偈』
「この一篇は「南無阿弥陀仏」という言葉が何を意味するかを、平たく語ろうとするにある。
今の若い人たちには、この六字は縁遠い呪文のように響くかも知れぬ。
また時代に合わぬ古くさい信心の形だとも思われよう。
しかし決してそんなものではなく、この言葉の発見こそは、人類の思想史における最も驚くべき出来事の一つだといってよい。
それに人間が考え得た宗教思想の一つの極致がここに見られるのである。」
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「凡夫たる工人からどうして成仏している品物が生まれてくるのか。
仕事を見ていると、そこには心と手との数限りない反復があることが分る。
有難いことにこの繰返しは才能の差異を消滅させる。下手でも下手でなくなる。
この繰返しで品物は浄土につれてゆかれる。
この働きこそは、念々の念仏と同じ不思議を生む。
考えると工人たちは識らずして称名をしながら仕事をしているともいえる。
焼物師がろくろを何回も何回も回すその音は、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏といっている音である。」
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「法然における念仏には、人に対する仏があり、仏に対する人があった。人と仏との交わりが念仏であった。
親鸞においては人から仏への考えは消え、仏から人への行が一切であった。だから廻向は仏から人への廻向のみなのである。
だが考えると、廻向の相手にはまだ人が残る。
だがこの人すらも消えるのが一遍の教えである。
かくして人もまた仏の中に跡を止めず、一切は仏から仏への行となってきたのである」
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本職が忙しくてなかなかブログ書けんわー。
■路面電車があって移動しやすい。
■道後温泉が素晴らしかった。
■道後温泉で神の湯が400円、霊の湯が1200円。神の湯の方が安い。神の方が無償の愛?
■温泉の力は、Vibration(振動数、波動)の力であることを改めて感じる。例えば同じ42度という温度でも、自宅の浴槽と温泉ではまるで違う。科学で計測する温度の限界。水の振動数がまるで違うんだと思う。だから、振動数が早いものほど、体の奥や芯まで伝わる。それは長く残る。それは、愛と同じ。深い愛ほど、相手の奥に、深く、長く、届く。温泉と愛は同じ原理で浸透しているんだと思う。どちらも人間の「治癒」につながる。
■司馬遼太郎の坂の上の雲ミュージアム。よかった。「明治」という時代の前に、日本人は「国家」という意識がなかったこともよくわかった。細川藩とか、藩の集まりとして日本はできていて天皇は権威のシンボルとして徳で統治していた。明治のように幕府が「日本国」というまとまりをつくったのはごく最近のこと。
■明治ができたとき、全国に意見書を募集したらしい。そのとき驚いたのが、それまでは「長さ」が統一されていなかったということ。例えば尺貫法の「尺」という単位。「尺」という文字は親指と人差指を広げた形をかたどったものらしいし、尺骨の長さと同じらしい。確かに「人体」を基準に長さをはかるとわかりやすい。ただ、あくまでも主観的な長さで、客観的な長さではない。日本で、統一した長さはここ100年くらいでできた。
■「長さ」を統一したほうがいい、と提案したのは長野県佐久にいる一農民。その偉大な無名の農民は、私財を投じて江戸まで5日くらいかけて何度も往復した、長さの単位の統一に一生を費やしたらしい。偉大過ぎてひっくり返りそうになった。ネットも電話もない時代、全世界の長さの測り方を調べたらしい。明治の人間はすごい・・・。(明治で蒸気機関が初めて新橋‐横浜間を走った。)
■学制(がくせい)も1872年(明治5年)にできて、義務教育が始まった。当時の親たちの教育への情熱はすごく、ほんの1年くらいで全国に1万以上の学校ができたとのこと。しかも、それはすべて地元の人たちの寄付金だけで作られたとのこと。今は教育が当たり前に受けられるようになっている。当時、身分制度が残っていた時代には学問で身を立てれば「生まれ」で差別を受けることもなく能力で採用される時代になった。だから人々は死に物狂いで学問をした。そうした明治当時の熱気が伝わってきた。
■そんな感じで、司馬遼太郎の坂の上の雲ミュージアムから、「明治」という時代に関していろいろ学ぶことが多かった。改めて、以前ブックオフで100円という破格値だった、
〇『「明治」という国家』日本放送出版協会 (1989/09)
を読んでみようと思った。
■時宗の開祖「一遍」は踊念仏と言われる。念仏を唱えながら日本を遊行した高僧。道後温泉近くにある宝厳寺が、一遍上人の生誕の地とのこと。偶然あって立ち寄った。
■柳宗悦の名著『南無阿弥陀仏―付・心偈』でも、浄土思想(他力道)の中で法然→親鸞→一遍と発展したと。一遍上人を最高の到達点として激賞しているのを思い出した。
■法然→親鸞→一遍の3人の流れを「一者の内面的発展のそれぞれの過程において見たい」述べている。
〇柳宗悦『南無阿弥陀仏―付・心偈』岩波文庫 (1986/1/16)
■脱線。この本の目的を柳宗悦は3つ挙げられている。
第一「知識的な教養のある若い人たち―おそらく南無阿弥陀仏の言葉から一番遠くなっている人たちに、六字の意味をよく聞いてもらいたい」
第二「浄土思想に関心をもつ人に一遍上人の歴史的位置を、もっとよく知って貰うため。念仏の思想は、一遍上人を得てその最後の仕上げを遂げた」
第三「自力門と他力門との接触、宗派間の対話のため」
■生誕の地、はじまりの地に偶然寄れるとは嬉しい。道後温泉のような地球のエネルギーと人間は感応するのだろう。一遍上人は、熊野において熊野権現から衆生済度のため「信不信をえらばず、浄不浄をきらはず、その札をくばるべし」との夢のお告げを受け、神がかりとなり、この時から一遍と称したとのこと。熊野にもそういうエネルギーが充満しているのだろう。
■ということで、短い時間でしたが楽しいひとり旅でした。今度松山に行くときは、松山城と、伊丹十三記念館と、坂村真民記念館(坂村真民(しんみん)さんは熊本県荒尾市出身だし!)に行きたい。時間がなくていけんかった。四国は他にも空海(弘法大使)の色んないわれのある場所があるし、そういうのも行ってみたいな。お遍路さんも熱い。
■讃岐うどん食べたいな、と思ったけど、どこ行っても「讃岐風うどん」しかなかった。やはり香川県に遠慮してるのかなぁ。だから、今日は東京の丸亀うどんでうどんを食べた。
宝厳寺 一遍上人の生誕の地
伊佐爾波(いさにわ)神社 (道後温泉)
道後温泉
坊ちゃん電車 風情ある
坂の上の雲ミュージアム横にある萬翠荘(ばんすいそう)。天皇陛下も泊まられたらしい。
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柳宗悦『南無阿弥陀仏―付・心偈』
「この一篇は「南無阿弥陀仏」という言葉が何を意味するかを、平たく語ろうとするにある。
今の若い人たちには、この六字は縁遠い呪文のように響くかも知れぬ。
また時代に合わぬ古くさい信心の形だとも思われよう。
しかし決してそんなものではなく、この言葉の発見こそは、人類の思想史における最も驚くべき出来事の一つだといってよい。
それに人間が考え得た宗教思想の一つの極致がここに見られるのである。」
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「凡夫たる工人からどうして成仏している品物が生まれてくるのか。
仕事を見ていると、そこには心と手との数限りない反復があることが分る。
有難いことにこの繰返しは才能の差異を消滅させる。下手でも下手でなくなる。
この繰返しで品物は浄土につれてゆかれる。
この働きこそは、念々の念仏と同じ不思議を生む。
考えると工人たちは識らずして称名をしながら仕事をしているともいえる。
焼物師がろくろを何回も何回も回すその音は、南無阿弥陀仏、南無阿弥陀仏といっている音である。」
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「法然における念仏には、人に対する仏があり、仏に対する人があった。人と仏との交わりが念仏であった。
親鸞においては人から仏への考えは消え、仏から人への行が一切であった。だから廻向は仏から人への廻向のみなのである。
だが考えると、廻向の相手にはまだ人が残る。
だがこの人すらも消えるのが一遍の教えである。
かくして人もまた仏の中に跡を止めず、一切は仏から仏への行となってきたのである」
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