日常

重松宗育「星の王子さま、禅を語る」

2013-01-29 22:50:51 | 
重松宗育さんの「星の王子さま、禅を語る」ちくま文庫(2013/1/9)を読みました。

重松宗育さんは臨済宗のお坊さんです。
英文学者でもあるお方で、他にも興味深い本書かれています。これらの本も文庫化してほしいですよね。

○「アリス、禅を語る (こころの本)」筑摩書房(1995/10)
○「モモも禅を語る (こころの本)」筑摩書房(1991/6)
*エンデの「モモ」に関しては、あまりに感動したので、しつこく何個か書きました。

エンデ「モモ」(2012-11-18)
「闇の考古学 画家エドガー・エンデを語る」(2012-11-21)
『「モモ」を読む シュタイナーの世界観を地下水として』(2012-11-26)





「星の王子さま、禅を語る」は、サン=テグジュペリ「星の王子さま」を題材に禅マインドを語った本。
とても興味深く読みました。まず、表紙の絵がいいですよねぇ。


この本の目次だけで、ほぼすべてが要約されていると感じました。
===================
第1章 不立文字
「肝心なことは、目には見えないんだよ。」「目では何も見えないよ。心で探さないとね。」

第2章 直指人心
「どんな大人だって、はじめは子供だった。でも、それを覚えている大人はほとんどいない。」

第3章 脚下照顧
「君の探しているものなら、たった一輪のバラの花にだって、一滴の水にだってあるのになぁ。」

第4章 主人公
「他人を裁くより、自分を裁くほうが、ずっとむずかしいものじゃ。」

第5章 色即是空(平等)
「ちょっと離れたところから見ると、それはもう、本当に素晴らしい眺めでした。」

第6章 空即是色(差別しゃべつ)
「おれにとって、あんたは、世界中でたった一人しかいない人間になるし、あんたにとっては、おれは世界中でたった一匹しかいないキツネになるのさ。」
「もう一度、バラの花を見に行ってごらんよ。あんたのバラが、世界中にたったひとつしかないことがわかるからね。」

第7章 一隅を照らす
「ばかばかしいと思えないのは、あの人だけだ。それは、たぶん、あの人が自分のことだけでなく、他人のことも考えているからだろう。」

第8章 自由
「もし53分を好きなように使っていいんだったら、僕はあの新しい水のわく泉のほうへ、のんびりと歩いていくのになぁ。」

第9章 仏性(ぶっしょう)
「「砂漠が美しいのはね」と王子様が言った。「どこかに井戸が隠されているからさ」」

第10章 一期一会
「最後の朝には、いつもやっていた仕事が、とても大切なことのように思われました。」
===================


目次は、鳥瞰図のように全体像が把握できるのが好きです。



以下に、気に行ったポイントを抜き書き。

-----------------
禅の特徴を3つの現代用語でいえば、Identity、Ecology、Lifestyle。
-----------------
鏡には二つのものが映っている。
目に見える自分の姿と、その姿の後ろにあって目に見えない自分の心との二つ。
-----------------

→「見えないもの」を大切にするのは、禅でも「星の王子様」でも同じ。


-----------------
仙がい「一円相画賛」

これくふて茶のめ
-----------------
円は「大円境智」
万物をうつす「無限大の円い鏡のような仏の智慧」
-----------------

→禅は知性だけではなくて、ユーモアが効いているのも好きなところ。
「白隠展 HAKUIN 禅画に込めたメッセージ」(2013-01-05)


-----------------
自然界の現象を、ただ科学的に突き放してみるのではなく人間的に見る。
目に見える自然現象を、すべて目に見えない人間の心の現れと見る。
ミカンが人間に向かって「見かけにとらわれるな」と語りきかけている言葉を聞き取る。
-----------------

→「心」を重要視するのは仏教の特徴。自分もその考えが好きだ。
心の働きは目に見えない。でも、それが一番大事なこと。
超能力でスプーンが曲がるのもすごいけど、思うだけで全身が動くことがすでにすごいし神秘的過ぎる。

心の思いが尊く美しいのは大事。結果は本質ではない。それはそれ、これはこれ。

どんなにすごい霊能力者でも、自分の心の中は自分にしか絶対に見えない。
それが自分が自分である意味。自分が自分の人生を生きている意味。
自分こそが、自分の主人公。
だからこそ、自分の心が大事。心の場所で自分を運転している。


-----------------
良寛
裏をみせ 表をみせて 散るもみじ
-----------------

→裏も表もなく、素直に正直に。

-----------------
生まれ子の 次第次第に 知恵つきて 仏に遠くなるぞ 悲しき
-----------------

→この場合の知恵とは、知性によって分別(分けて別れる)する能力のこと。
分離意識よりも統合意識で行きたい。分けるではなく、つなげる。


-----------------
仏教語で大人は「大人(だいにん)」で「大丈夫人」。仏様のこと。真実の自己に生きている人のこと。
-----------------

→「7歳までは神のうち」と言いますが、子供だけではなくて、ほんとは大人も仏の心を持つ。
<山川草木悉皆成仏><一切衆生悉有仏性>


-----------------
八木重吉「ねがひ」

人と人とのあひだを
美しくみよう
わたしと人とのあひだをうつくしくみよう
疲れてはならない
-----------------
禅の重要なテーマは「己事究明」、つまり「自分は何者か」ということ。
-----------------
脚下照顧:まわりばかり見てないで自分の足元をよく見よ。
-----------------

→結局はすべて自分に跳ね返ってくる。



-----------------
百丈禅師
一日作(な)さざれば 一日食らわず
-----------------
正受老人(白隠禅師の師匠)
一大事とは今日只今(こんにちただいま)の心なり
-----------------
他人を見るといちち指図したくなるのは、一種の精神の病です。
-----------------

→なんだかんだで、自分がスタート。人のことをあれこれ気にするより、まず自分を整える。これはブッダも何度も言っている。



-----------------
無関門 瑞巌(ずいがん)和尚
毎日毎日自分自身に向かって「主人公」と呼びかけ、また自分でそれに「はい」と返事をした。
-----------------

→そのことが「主人公」という言葉の由来。自分の中にいる真実の自己のこと。

-----------------
陰徳を積むことは、余計な自意識に惑わされず、直接自分自身の「主人公」の声が聴ける。
-----------------

→美輪さんも「ああ正負の法則」で「陰徳」の効用を説いていました。

負と共に生きる知恵が大事。悪いことが起きても嘆き悲しむことはない。なぜなら悪いことは長く続かない。
でも、同様に良いことも長くは続かない。
だから、良いことがあったときは、施しをするなどして、そこそこの【負の先回り】を自分で意識してつくるといい。
そうすれば、予期しないものすごい負に襲われなくて済む。
と。
陰徳を積むことは、そのことにつながっています。


-----------------
仏教では、物事を「体(たい)」「相(そう)」「用(ゆう)」の観点から見る。
真実を、それぞれ本体、様相、働き、の3つの視点から見る。
真実は一如。切り離すことはできない。
-----------------
University、Individual、Vitalの3つの観点で禅を見る。
-----------------

→これは密教にも通じる。



-----------------
エーリッヒ・フロム「愛するということ」
『成熟した愛では、互いに結びつきながらも、自分自身、自分の個性を失うことはない。
愛は、人間に潜む能動的な力で、自分と他人とを隔てる壁を破り、自分と他人を結びつける力だ。
愛によって、孤独と孤立の感覚を克服し、自分自身を見失わず、自分の本文を守る。
愛するときには、二人は一つになりながら二人のまま、というパラドックスが起こるのだ。』
-----------------

→そうなんですよね。人間は常に矛盾を同居させているんですよね。言語で表現すると常にパラドックスが起きる。二つにして一つ。一つにして二つみたいに。不立文字、です。



-----------------
禅の自由は、「~からの」という限定的な自由ではなく絶対的な自由。
禅の自由は「自由自在」「自らによること」「自ら在ること」。
-----------------

→自分の人生のテーマも「自由」と「創造」なのです。


-----------------
白隠
『衆生本来仏なり
 水と氷の如くにて
 水を離れて氷なく
 衆生の外に仏なし』
-----------------
サン=テグジュペリ「人間の土地」
『本質を知るには、しばし人間一人一人の持つ相違を忘れる必要がある。』
-----------------

→「違う」は分別心を生む。禅では特に「分ける」とか「分離する」ことを嫌う。
自己も宇宙もすべてつながりあった一つ、としてとらえる。すべて「同じ」という観点を同居させる。





いい本でした。禅の教えを、分かりやすくとらえたい人にはお薦め。
文庫の発売日も自分の誕生日と同じなのは何たる偶然!
重松宗育「星の王子さま、禅を語る」ちくま文庫(2013/1/9)


重松宗育さんのこういう思いが、文章の底に流れているのを感じながら読みました。

-----------------
「秘められた仏性が愛となって現れ、慈悲の心を持つ人格となって働き出すとき、本当に人間として生きる喜びが生まれるはずだと私は信じます。」
-----------------

2 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
こんにちは (まーこ)
2013-01-30 16:25:55
おおお、星の王子ざま!確かに、禅ですね。
小6の時に読み、号泣。本を読んであんなに泣いたのは初めてだったような・・・(あ、「ごんぎつね」と、「泣いた赤鬼」も泣いたわ・笑。)
「星の王子様」と「幸福な王子」は、王子繋がりで、心の中の貴賓室にいます。
この二作品を、モーツァルトをバックにイギリス英語で朗読したCD,もちろん即買いでした。

=================

八木重吉「ねがひ」

人と人とのあひだを
美しくみよう
わたしと人とのあひだをうつくしくみよう
疲れてはならない

==================

八木重吉の詩って、なんでこんなにしみるのでしょうか。心の内角をねらいえぐりこむように打たれます。
高校生の時も、「細いガラス 細いガラスが ぴいん と われました」という詩にやられました。ちょうど、ぴいん、と割れそうな時期だったからかもしれません。
「人と人の間を美しく見よう 疲れてはならない」なんと的を得た一節なんでしょうか。そう・・・私のように人と会うことが生業で、日常的に繰り返されると(本当は繰り返しではないのですが、そんな錯覚に陥り)ふと気を抜くと疲れたような気になってしまう。この詩を見て、心で涙が流れました。座右の銘にしたいです。八木重吉詩集、買おうっと。
またまた学びの多い記事、ありがとうございました。(あ、今『ピダハン』読んでます。まだ途中ですが、レヴィ・ストロースが大好物で、民俗学と音声学に興味があるので、超面白いです!)
返信する
即今、当処、自己 (いなば)
2013-01-31 10:01:35
即今、当処、自己 (いなば)
2013-01-31 09:48:19
>>>まーこさん
星の王子さま、いいですよね!
むかし、あまりにハマりすぎて、その熱狂のさなか箱根のミュージアムに行ってしまいましたが、特に大して印象が残ってません。(笑)
http://www.tbs.co.jp/l-prince/

でも、そういう行動に駆り立てる何か、というのが大事なんでしょうね。そこで伝った何か。
自分も、思弁派(観念派)というより行動派の側面が大きいので、つべこべ考えずにやってみよう、と思う派なのです。ですから、とりあえずその人のゆかりの地に行ってみたりして、土地のエネルギーというか、場の雰囲気を感じに行くのを大切にしています。

もちろん、箱根はサン=テグジュペリの実家でもなんでもないのですが(笑)、すくなくともサン=テグジュペリを好きな人が集まっているのは間違いないので、そういう意味での愛は空中に微細な形で浮遊しているのではないか、と。



---------------------------------
サン=テグジュペリ「星の王子さま」より
---------------------------------
『ぼくはあの花を愛していたんだ。
ただあの頃のぼくには、花を愛するということが、
どういうことなのかわからなかったんだ』
---------------------------------
『空をごらんなさい。
そしてあのヒツジは、あの花を食べただろうか、と考えてごらんなさい。
そうしたら、世の中のことがみな、
どんなに変わるものか、おわかりになるでしょう・・・
そして、おとなたちには、だれにも、それがどんなにだいじなことか、
けっしてわかりっこないでしょう。』
---------------------------------
『「心の中に一輪の花を持っている」というものではなく、
「この世の中に花はたくさんあるけれど、
自分が大事にするたったひとつの花がある」』
---------------------------------
『花が、なぜ、さんざ苦労して、なんの役にもたたないトゲをつくるのか、
そのわけを知ろうというのが、だいじなことじゃないっていうのかい?』
---------------------------------
『ぼくは、あの星のなかの 一つに住むんだ。
その一つの 星のなかで 笑うんだ。
だから、きみが夜、空をながめたら、
星がみんな笑ってるように 見えるだろう。
すると、きみだけが、笑い上戸の星を見るわけさ。』
---------------------------------


「星の王子様」と「幸福な王子」をイギリス英語で朗読したCDもあるんですね。
確かにそういうので英語の勉強をした方がよさそう!

まーこさんは、確か同時通訳者でもあるのではなかったでしたっけ??
先日、アメリカに発表しに行って、そろそろ本腰入れて英語の勉強にとりかからなければ、と思い始めており、まずはリスニングから、と思っています。マーこさんはどういう風にして維持されていますか?やはり周りの外人と日常的に喋るのが早い??

とりあえず、Dale CarnegieのAudioBook『How To Stop Worrying And Start Living』を買ってみました。これ聞きながら寝ると睡眠学習になるかもしれない。ついでに自己啓発される!?(^^;




八木重吉さんの詩って素晴らしいですよね。
自分が尊敬する竹内整一先生が、時々引用していたので気になり始め、愛聴しております。

===============
<ひかる人>
私をぬぐうてしまい
そこのとこへひかるような人をたたせたい 
===============
<虫>
虫が鳴いている
いま ないておかなければ
もう駄目だというふうに鳴いている
しぜんと
涙がさそわれる
===============
<うつくしいもの>
わたしみづからのなかでもいい
わたしの外の せかいでも いい
どこにか 「ほんとうに 美しいもの」は ないのか
それが 敵であつても かまわない
及びがたくても よい
ただ 在るといふことが 分りさへすれば、
ああ ひさしくも これを追ふにつかれたこころ
===============

などなど・・・・。

日本語のうつくしさ、やわらかさも感じますし。

=================
「ねがひ」
人と人とのあひだを
美しくみよう
わたしと人とのあひだをうつくしくみよう
疲れてはならない
==================
→「疲れてはならない」のフレーズがなんともすごいですよね。
「疲れる」とは一体何なのだろうか、と自問自答してしまうというか。

ある意味、自分の理想を投影してしまうこと、そしてその投影と現実のギャップに勝手に振り回されてしまうことが「疲れてしまう」ことなのかもしれません。
そうなると、もう暝想のように、天地人のありようをあるがまま、そこにエゴを介入せずにあるがまま観照することが、ヒトとヒトとのあひだ(=つながり、ネットワーク、縁起・・・)の美しさを見ることができる態度なのかな、と思ってみたり。

八木さんの言葉が放つ多層のメタファー世界が素晴らしいです。Imagination掻き立てられます。ほんとに。





『ピダハン』、7割まで読んだところで、他の本の中に埋もれてしまい発掘できないでいます。(笑)

面白いですよね!
NHKで放映された、地球ドラマチック「ピダハン 謎の言語を操るアマゾンの民」
http://www.nhk.or.jp/dramatic/backnumber/296.html
も、活字ではなく映像で見ると、いろんな意味で衝撃でしたー。


言語そのものに過去形や未来形がない。
それは必要がない、ということですよね。特に困ってない。必要は発明の母?需要と供給のバランス?

今、ここ、を生きている。全員が禅僧です。

スピリチュアルでも常に「いま。ここ。」は強調されますし(エックハルト・トールさんとか、阿部敏郎さんとか、そういう本は多数あります・・・)、禅でも「即今、当処、自己」(いま、ここ、わたし、を考えなさい)と言われますしね。


田口ランディさんつながりで、3週間前くらいにグレートジャーニーの関野吉晴さんにお会いする機会があったのですが、そのときにピダハンの話を少しふりました。
南米のジャングルは同じように未来や過去の表現がない部族は多い、とおっしゃっていました。なかなか意味深い事実ですよね。


言語を発明すると、その「概念」について意思疎通できるようになる気がする。
でも、それはたいてい互いの「固定観念」をやり取りしているだけにすぎないことも多く、互いが同じ「概念」を共有しているわけではない。
それはCommunicationに関してしょっちゅう起きている事だと思います。
そうなると、言語って何だろうなぁ、と、またスタートに戻って考えてしまいます・・・

Communicationの根底に、「違う」(ふたり、又は複数)が、最終的に「同じ」(ひとつ)へといたっていくプロセスがあるとしたら、それを言語が触媒として介在させているとしたら・・・いろいろ、興味深いです。。。
返信する