
現場を見るために、土日に福島に行ってきました。
福島と言っても広い広い。
自分は川内村という村に行きました。川内村でさえもほんとうに広い。
東京のように、こんなにも狭いところに人間が密集しているのがにわかに信じられません。
この村は、福島第一原発から20km以内の警戒区域と、20kmから30km以内の緊急時避難準備区域とがあります。
実際、20km以内の境界線となる道路には、警官がいて中に入れないようになっていました。ものものしかった。

【2012年02月01日 河北新聞より】
現場の雰囲気を見て自分で体験するっていうのは大事なことですね。
現地の人といろいろ話していると、「テレビでほんとうのことなんて言えるわけがない、そんなの当たり前でしょ。」とのことで、実際の生々しい話をたくさん聞いてきました。
ひとりの人間の人生は有限です。
その有限な時間を、実際にどのように使うのか、使ったのか。
それがそのままその人の人生になるんだと思います。
時間をかけたものには深くかかわるし、時間をかけずサササッとやったものは、せいぜいその程度しか関わらないもので。
だからこそ、はるばる時間をかけて行ったりすることや見たり体験すること。
すでに時間をかけることそのこと自体に、そのひとにとっては既に意味があるのだと思うのです。
それは読書でもなんでも同じですよね。速読とかで高速で情報だけ拾い読みした読書は、せいぜいそういう情報として得られた知識にすぎません。
一文字一文字丹念に読んだ読書は自分の中に深く染み込んでいくものになるものです。
時間をかけたものが、そのままその人の人生になるんでしょう。
時間は有限で、個の人生は有限ですから。
だからこそ、時間をかけることにためらう必要はないのだと思うのです。
・・・・・・・・・・
福島のひとたちは、みなさん自然と共に生きていたように感じました。地に足がついていると思いました。
印象的だったこと。
一時は避難したけどやっぱり村に戻ってきた。という人の多くが
「共に生活していた動物(犬さんの場合もあり、ネコさんの場合もあり、ウサギさんの場合もあり、牛さんの場合もあり、・・家族でそれぞれです)を残して避難できない!」
という理由でした。そのことに何か温かく大事なものを感じました。
「動物は家族のようなもの、ではなく、家族なんです!」と言ってました。ほんと、文字通りの家族なんですよね。
ご自宅に上がり込んで自家製のたくわんや漬物を食べさせてもらいながら、ネコがごろにゃんと遊びに来る。ほんとに家族です。比喩ではない家族なんですよね。
生きとし生けるもので、そこに境界線を引かないところにとても惹かれましたしとても印象深かった。(もちろん、すべての家族がそうだとまでは言いませんが、僕が見た範囲内では多くの家族がそうでした)
・・・・・・
本当の意味で人の話を聞くというのはとても疲れるものです。
なんとなく流し聞きするのでも、自分の意見を言うのでもなく、ほんとうに相手の話を聞く。まるごと、ありのまま聞く。
ほんとうに聞いていると、ほかの人にはなかなか言えない本音がスルリと出てしまうもの。
そういう本当の声というのは時には重いものです。だから普段は重く下に沈んでいます。
だから、思いがけず深いかなしみをも共有することもあるし、深い歓びをも共有することもある。
これは、普段の仕事でも感じることです。
今回の原発の騒動で、地元の人は突然に「原発からの距離」に応じて線を引かれて分断されました。その上で避難も余儀なくされています。今までの仕事も生活も、続けることができません。
もともとがみんな仲良く(そりゃあ時には喧嘩もするでしょうが)生活していた生活者だったはずなのに、いつのまにかに被害者になり、その被害者の中でもさらに区別が始まってしまいます。
そして、次には保障と言う名目でお金の話が出てくる。あの人が多い、少ない・・・、得した、損した・・・の話にいつのまにかすり替わってしまいます。
そして、さらにその中でも差別が生まれたりして、問題は別の問題を生み、それは更に別の問題を生み、糸がからまるように複雑化していきます。
いろいろ聞いていると、究極的には人間だれしもが持つ差別心、人間のだれもが持つ「悪」や「影」のような問題、そういうものにまで通じているな、と直感的に感じました。
状況次第で、誰でもが差別する側に回り得るものですし、誰でもが非難し恨み、怒る側に回り得るものです。
極限状態とはそういうものです。
・・・・・・・・・・
藤原ていさんの「流れる星は生きている」(1949年)という本を読んでいます。

この本は、第2次大戦が終結し、日本は敗戦国となり、満州から女手ひとつで小さい子供3人を連れ、言語に絶する脱出行をして日本に戻ってきたすさまじいノンフィクションです。
ちなみに、藤原ていさんの夫が新田次郎さん。この本が戦後にベストセラーとなり、新田次郎さんは作家になる決意を改めたとのこと。そして、そのときに3歳だったお子さんが数学者の藤原正彦さんです。
この本には極限状態の生々しい人間ドラマがありのままに書かれています。
極限状態では、人間のすべてが出ます。人間には悪も善もすべてがある。だからこそ、ひとは善を選択して生きるべきのでしょう。それは、自分が選択し決めるべき事柄なのです。強制されるものではありません。
・・・・・・・・・・・・・
好意も善意も、少しやり方を間違うと、簡単に反転しちゃうんものですよね。
善は容易に偽善になり、善意や好意は容易におせっかいになる。
そんな極限のバランスを、一寸の狂いもなく針の穴を通すような言葉で通していかないと、相手には伝わらないのだろう、と改めて思いました。
まあ、これは普通の人間関係でも同じですよね。
特殊な状況では、鏡のようにいろんなものが見えるものです。
それにしても。
ふくしまで出会った方には、見ず知らずのよくわからないような自分にも、とてもよくしていただきました。感謝尽くし・・・という感じでした。
自分の肩書きなんかは赤ん坊の時はもともとないものですし、特殊な状況では基本的に自分の人間性だけが勝負になりますよね。
だからこそ、普段から言葉を整え、体を整え、考えを整え、つまりは自分全体を整えないといけないんでしょうね。
帰りの電車でそういうことを考えていたら、ふとブッダの言葉がいろいろ頭に浮かびました。
福島の方々には無条件にいろいろ親切にしていただいたので、このお礼を何らかの形でお返したいしたいな、と純粋に思います。
純粋な贈与には純粋な贈与を。
大自然は人間に対して純粋な贈与を与えています。だからこそ、人間も自然に対しても純粋な贈与でお返しする。それと同じようなものです。そうして万物は巡るのでしょう。
----------------------------
●里中満智子「ブッダをめぐる人びと」より
----------------------------
シリマー
『ブッダはいつもこうおっしゃっています。
「人は怒らないことによって怒りに打ちかつ」、と。
だからわたしは怒りません。
「善行によって悪に打ち勝ち、
布施をすることでものを惜しむ気持ちに打ち勝ち
真実の言葉を知ることで、偽りの言葉に打ち勝つ」、と。』
----------------------------
プンナ『師ブッダはいつもこうおっしゃっています。
「いつどこでどのように死のうと、それが天のみこころなのだ。
人は宇宙の中で小さな存在にすぎない。
人も動物も植物もみな 大きな天の下で生かされているのだ。
だからどんな運命も感謝して受けれ入れる
それが人としてのあり方だ」と。』
生まれてきたことも死んでゆくことも生命のさだめです。
死は平等にだれにでも訪れます。
だれもが行く道ですから、こわがることはありません。
慣れないことだから少し臆病になっているだけです。
この世で正しく美しい行いをしていれば、天は見てくれています。
そして来世で幸せを与えてくださいます。
そう信じて生きてみてください。
すべての出来事がよい行いをするチャンスに思えてくるはずです。』
----------------------------
『アーナンダよ。そのころもうわたしはこの世にいないが、真理を求める心を見つめれば道は見える。自分自身を光として歩め。
わたしにすがってはならない。
わたしは特別な存在ではない。
神のようにあがめてはいけない。
わたしは生命あるひとりの人間にすぎない。
生命ある身だからこそ 生命の意味を考えたのだ。
死ぬ身だからこそ、死を受け入れる大切さを知ったのだ。
アーナンダよ、悲しんではいけない。その悲しみは執着だ。
大げさな葬儀は行うな。
そんなことより善行に励みなさい。』
----------------------------
----------------------------
●スマナサーラ「「法句経」一日一悟」より
----------------------------
真理を語ること。
怒らないこと。
頼まれたら少しでも助けてあげること。
この三つを実践する人は、神々の世界に行くだろう。
----------------------------
------------------------------------
●中村元訳『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』より
------------------------------------
ものごとは心にもとづき、心を主とし、
心によってつくりだされる。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、
福楽はその人につき従う。
-影がそのからだから離れないように。
------------------------------------
実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの止むことがない。
怨みを捨ててこそ止む。これは永遠の真理である。
------------------------------------
まことであるものをまことであると知り、まことではないものをまことではないと見なす人は、
正しき思いにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。
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他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
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みずから悪をなすならば、みずから汚れ、
みずから悪をなさないならば、みずから清まる。
清いのも清くないのも、各自のことがらである。
人は他人を清めることはできない。
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怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
わかり合うことによって物惜しみにうち勝て。
真実によって虚言の人にうち勝て。
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その行いが親切であれ。何ものでも分かち合え。善いことを実行せよ。
そうすれば、喜びに満ち、苦悩を滅すであろう。
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実に自己は自分の主である。
自己は自分の帰趨(よるべ)である。
故に自分をととのえよ。
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ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、
苦しみはその人につき従う。
車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
------------------------------------
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、
福楽はその人につき従う。
影がそのからだから離れないように。
------------------------------------
自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれた言葉なのである。
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他人の過去を見るなかれ。他人のなしたこととなさなかったことを見るなかれ。
ただ自分のそれが正しかったか正しくなかったかを、よく反省せよ。
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福島と言っても広い広い。
自分は川内村という村に行きました。川内村でさえもほんとうに広い。
東京のように、こんなにも狭いところに人間が密集しているのがにわかに信じられません。
この村は、福島第一原発から20km以内の警戒区域と、20kmから30km以内の緊急時避難準備区域とがあります。
実際、20km以内の境界線となる道路には、警官がいて中に入れないようになっていました。ものものしかった。

【2012年02月01日 河北新聞より】
現場の雰囲気を見て自分で体験するっていうのは大事なことですね。
現地の人といろいろ話していると、「テレビでほんとうのことなんて言えるわけがない、そんなの当たり前でしょ。」とのことで、実際の生々しい話をたくさん聞いてきました。
ひとりの人間の人生は有限です。
その有限な時間を、実際にどのように使うのか、使ったのか。
それがそのままその人の人生になるんだと思います。
時間をかけたものには深くかかわるし、時間をかけずサササッとやったものは、せいぜいその程度しか関わらないもので。
だからこそ、はるばる時間をかけて行ったりすることや見たり体験すること。
すでに時間をかけることそのこと自体に、そのひとにとっては既に意味があるのだと思うのです。
それは読書でもなんでも同じですよね。速読とかで高速で情報だけ拾い読みした読書は、せいぜいそういう情報として得られた知識にすぎません。
一文字一文字丹念に読んだ読書は自分の中に深く染み込んでいくものになるものです。
時間をかけたものが、そのままその人の人生になるんでしょう。
時間は有限で、個の人生は有限ですから。
だからこそ、時間をかけることにためらう必要はないのだと思うのです。
・・・・・・・・・・
福島のひとたちは、みなさん自然と共に生きていたように感じました。地に足がついていると思いました。
印象的だったこと。
一時は避難したけどやっぱり村に戻ってきた。という人の多くが
「共に生活していた動物(犬さんの場合もあり、ネコさんの場合もあり、ウサギさんの場合もあり、牛さんの場合もあり、・・家族でそれぞれです)を残して避難できない!」
という理由でした。そのことに何か温かく大事なものを感じました。
「動物は家族のようなもの、ではなく、家族なんです!」と言ってました。ほんと、文字通りの家族なんですよね。
ご自宅に上がり込んで自家製のたくわんや漬物を食べさせてもらいながら、ネコがごろにゃんと遊びに来る。ほんとに家族です。比喩ではない家族なんですよね。
生きとし生けるもので、そこに境界線を引かないところにとても惹かれましたしとても印象深かった。(もちろん、すべての家族がそうだとまでは言いませんが、僕が見た範囲内では多くの家族がそうでした)
・・・・・・
本当の意味で人の話を聞くというのはとても疲れるものです。
なんとなく流し聞きするのでも、自分の意見を言うのでもなく、ほんとうに相手の話を聞く。まるごと、ありのまま聞く。
ほんとうに聞いていると、ほかの人にはなかなか言えない本音がスルリと出てしまうもの。
そういう本当の声というのは時には重いものです。だから普段は重く下に沈んでいます。
だから、思いがけず深いかなしみをも共有することもあるし、深い歓びをも共有することもある。
これは、普段の仕事でも感じることです。
今回の原発の騒動で、地元の人は突然に「原発からの距離」に応じて線を引かれて分断されました。その上で避難も余儀なくされています。今までの仕事も生活も、続けることができません。
もともとがみんな仲良く(そりゃあ時には喧嘩もするでしょうが)生活していた生活者だったはずなのに、いつのまにかに被害者になり、その被害者の中でもさらに区別が始まってしまいます。
そして、次には保障と言う名目でお金の話が出てくる。あの人が多い、少ない・・・、得した、損した・・・の話にいつのまにかすり替わってしまいます。
そして、さらにその中でも差別が生まれたりして、問題は別の問題を生み、それは更に別の問題を生み、糸がからまるように複雑化していきます。
いろいろ聞いていると、究極的には人間だれしもが持つ差別心、人間のだれもが持つ「悪」や「影」のような問題、そういうものにまで通じているな、と直感的に感じました。
状況次第で、誰でもが差別する側に回り得るものですし、誰でもが非難し恨み、怒る側に回り得るものです。
極限状態とはそういうものです。
・・・・・・・・・・
藤原ていさんの「流れる星は生きている」(1949年)という本を読んでいます。

この本は、第2次大戦が終結し、日本は敗戦国となり、満州から女手ひとつで小さい子供3人を連れ、言語に絶する脱出行をして日本に戻ってきたすさまじいノンフィクションです。
ちなみに、藤原ていさんの夫が新田次郎さん。この本が戦後にベストセラーとなり、新田次郎さんは作家になる決意を改めたとのこと。そして、そのときに3歳だったお子さんが数学者の藤原正彦さんです。
この本には極限状態の生々しい人間ドラマがありのままに書かれています。
極限状態では、人間のすべてが出ます。人間には悪も善もすべてがある。だからこそ、ひとは善を選択して生きるべきのでしょう。それは、自分が選択し決めるべき事柄なのです。強制されるものではありません。
・・・・・・・・・・・・・
好意も善意も、少しやり方を間違うと、簡単に反転しちゃうんものですよね。
善は容易に偽善になり、善意や好意は容易におせっかいになる。
そんな極限のバランスを、一寸の狂いもなく針の穴を通すような言葉で通していかないと、相手には伝わらないのだろう、と改めて思いました。
まあ、これは普通の人間関係でも同じですよね。
特殊な状況では、鏡のようにいろんなものが見えるものです。
それにしても。
ふくしまで出会った方には、見ず知らずのよくわからないような自分にも、とてもよくしていただきました。感謝尽くし・・・という感じでした。
自分の肩書きなんかは赤ん坊の時はもともとないものですし、特殊な状況では基本的に自分の人間性だけが勝負になりますよね。
だからこそ、普段から言葉を整え、体を整え、考えを整え、つまりは自分全体を整えないといけないんでしょうね。
帰りの電車でそういうことを考えていたら、ふとブッダの言葉がいろいろ頭に浮かびました。
福島の方々には無条件にいろいろ親切にしていただいたので、このお礼を何らかの形でお返したいしたいな、と純粋に思います。
純粋な贈与には純粋な贈与を。
大自然は人間に対して純粋な贈与を与えています。だからこそ、人間も自然に対しても純粋な贈与でお返しする。それと同じようなものです。そうして万物は巡るのでしょう。
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●里中満智子「ブッダをめぐる人びと」より
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シリマー
『ブッダはいつもこうおっしゃっています。
「人は怒らないことによって怒りに打ちかつ」、と。
だからわたしは怒りません。
「善行によって悪に打ち勝ち、
布施をすることでものを惜しむ気持ちに打ち勝ち
真実の言葉を知ることで、偽りの言葉に打ち勝つ」、と。』
----------------------------
プンナ『師ブッダはいつもこうおっしゃっています。
「いつどこでどのように死のうと、それが天のみこころなのだ。
人は宇宙の中で小さな存在にすぎない。
人も動物も植物もみな 大きな天の下で生かされているのだ。
だからどんな運命も感謝して受けれ入れる
それが人としてのあり方だ」と。』
生まれてきたことも死んでゆくことも生命のさだめです。
死は平等にだれにでも訪れます。
だれもが行く道ですから、こわがることはありません。
慣れないことだから少し臆病になっているだけです。
この世で正しく美しい行いをしていれば、天は見てくれています。
そして来世で幸せを与えてくださいます。
そう信じて生きてみてください。
すべての出来事がよい行いをするチャンスに思えてくるはずです。』
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『アーナンダよ。そのころもうわたしはこの世にいないが、真理を求める心を見つめれば道は見える。自分自身を光として歩め。
わたしにすがってはならない。
わたしは特別な存在ではない。
神のようにあがめてはいけない。
わたしは生命あるひとりの人間にすぎない。
生命ある身だからこそ 生命の意味を考えたのだ。
死ぬ身だからこそ、死を受け入れる大切さを知ったのだ。
アーナンダよ、悲しんではいけない。その悲しみは執着だ。
大げさな葬儀は行うな。
そんなことより善行に励みなさい。』
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●スマナサーラ「「法句経」一日一悟」より
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真理を語ること。
怒らないこと。
頼まれたら少しでも助けてあげること。
この三つを実践する人は、神々の世界に行くだろう。
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●中村元訳『ブッダの真理のことば(ダンマパダ)』より
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ものごとは心にもとづき、心を主とし、
心によってつくりだされる。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、
福楽はその人につき従う。
-影がそのからだから離れないように。
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実にこの世においては、怨みに報いるに怨みをもってしたならば、ついに怨みの止むことがない。
怨みを捨ててこそ止む。これは永遠の真理である。
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まことであるものをまことであると知り、まことではないものをまことではないと見なす人は、
正しき思いにしたがって、ついに真実(まこと)に達する。
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他人の過失を見るなかれ。他人のしたこととしなかったことを見るな。
ただ自分のしたこととしなかったことだけを見よ。
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みずから悪をなすならば、みずから汚れ、
みずから悪をなさないならば、みずから清まる。
清いのも清くないのも、各自のことがらである。
人は他人を清めることはできない。
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怒らないことによって怒りにうち勝て。
善いことによって悪いことにうち勝て。
わかり合うことによって物惜しみにうち勝て。
真実によって虚言の人にうち勝て。
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その行いが親切であれ。何ものでも分かち合え。善いことを実行せよ。
そうすれば、喜びに満ち、苦悩を滅すであろう。
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実に自己は自分の主である。
自己は自分の帰趨(よるべ)である。
故に自分をととのえよ。
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ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも汚れた心で話したり行ったりするならば、
苦しみはその人につき従う。
車をひく(牛)の足跡に車輪がついて行くように。
------------------------------------
ものごとは心にもとづき、心を主とし、心によってつくり出される。
もしも清らかな心で話したり行ったりするならば、
福楽はその人につき従う。
影がそのからだから離れないように。
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自分を苦しめず、また他人を害しないようなことばのみを語れ。
これこそ実に善く説かれた言葉なのである。
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他人の過去を見るなかれ。他人のなしたこととなさなかったことを見るなかれ。
ただ自分のそれが正しかったか正しくなかったかを、よく反省せよ。
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