幣立、高千穂、天草
場が持つ力というものがある。
日常では人間という場の中に生きている。
大抵の悩みや不安は、「人間という場」から生まれてくる。
同時に、自然や宇宙という場の中で生きている、生かされている。
大抵の悩みや不安は、「自然や宇宙という場」の中では消えてゆく。
地球や宇宙の自然エネルギー、普段は隠されている。
ただ、ときに顕在化している場があり、露出している場がある。
そこを人間は感知した。聖地として大切に守った。
それは人間でも動物でも、感覚器という受信装置(レシーバー)さえあれば、何かしら受け取ることができる。
都市生活では受信装置(レシーバー)を自ら遮断する人もいる。
ただ、圧倒的なものは、そこを超えてやってくる。
まず自然ありき。
自然が最初にあった。宇宙があった。
その自然の場の中で、何らかの意図をもって人類は生まれた。
人類が生まれた理由は、謎であり隠されている。
それは自然から人類に対する問いでもある。
地球や宇宙のパワーが溢れ出している場所は、自然も一種異様な形を帯びる。異様な体裁をとる。秩序と無秩序が同時に同居する。
人間はそこに恐れを感じる。ある時には畏怖を感じる。神聖なものを感じる。
ある場所には巨大な木が生える。少しずれると普通の木が生える。
その微妙な差異の理由が何なのか、人類の知性ではなかなか分からない。
ただ、自然は現象として答えを出している。
何かが、そこにある。
自然や宇宙の圧倒的なエネルギーを感知すると、
「人間は大いなるものに包まれながら生きているのだ。生きていると同時に、生かされているのだ。」
という当たり前の事実に、改めて気づかされることになる。
場は力を持つ。周囲のものに何らかの作用を及ぼす。それは時に治癒となる。
治癒は、人間を真っ当でまっさらな状態へと導く。ありのままに。あるべきように。
裸にする。正直にする。素直にする。謙虚にする。自由にする。
裸になる。正直になる。素直になる。謙虚になる。自由になる。
場が持つ力というものがある。
日常では人間という場の中に生きている。
大抵の悩みや不安は、「人間という場」から生まれてくる。
同時に、自然や宇宙という場の中で生きている、生かされている。
大抵の悩みや不安は、「自然や宇宙という場」の中では消えてゆく。
地球や宇宙の自然エネルギー、普段は隠されている。
ただ、ときに顕在化している場があり、露出している場がある。
そこを人間は感知した。聖地として大切に守った。
それは人間でも動物でも、感覚器という受信装置(レシーバー)さえあれば、何かしら受け取ることができる。
都市生活では受信装置(レシーバー)を自ら遮断する人もいる。
ただ、圧倒的なものは、そこを超えてやってくる。
まず自然ありき。
自然が最初にあった。宇宙があった。
その自然の場の中で、何らかの意図をもって人類は生まれた。
人類が生まれた理由は、謎であり隠されている。
それは自然から人類に対する問いでもある。
地球や宇宙のパワーが溢れ出している場所は、自然も一種異様な形を帯びる。異様な体裁をとる。秩序と無秩序が同時に同居する。
人間はそこに恐れを感じる。ある時には畏怖を感じる。神聖なものを感じる。
ある場所には巨大な木が生える。少しずれると普通の木が生える。
その微妙な差異の理由が何なのか、人類の知性ではなかなか分からない。
ただ、自然は現象として答えを出している。
何かが、そこにある。
自然や宇宙の圧倒的なエネルギーを感知すると、
「人間は大いなるものに包まれながら生きているのだ。生きていると同時に、生かされているのだ。」
という当たり前の事実に、改めて気づかされることになる。
場は力を持つ。周囲のものに何らかの作用を及ぼす。それは時に治癒となる。
治癒は、人間を真っ当でまっさらな状態へと導く。ありのままに。あるべきように。
裸にする。正直にする。素直にする。謙虚にする。自由にする。
裸になる。正直になる。素直になる。謙虚になる。自由になる。
『自然こそ人を生み出した母胎であり、
いついかなる時でも傷ついたひとを迎え、
慰め、癒すものであった。
それをいわば本能的に知っているからこそ、
昔から悩むひと、孤独なひと、はじき出されたひとは
みな自然のふところにに帰って行った。
聖賢たちも人生について悩んだ時、みな自然の
中に
ひとり退いたのであった。
自然には内も外もなく、出る出されるもないからである。
自然は、他人のように色々言わないで、黙って受け入れ
手を差しのべ、包んでくれる。
みじめなまま、支離滅裂なまま、ありのままで
そこに身を投げ出していることができる。
血を流している心にとって、これは何と言う安らぎであろうか。
何という解放であろうか。
そうして自然の中でじっと傷の癒えるのを待っているうちには、
木立の陰から、空の星から、山の峯から
声がささやいてくることもある。
自然の声は、社会の声、他人の声よりも
人間の本当の姿について深い啓示を与えうる。』
いなばさんが行かれたこの場所には
私もこれまでに何度心を救われたことでしょう。
皆さんに言いたいような、秘密にしておきたいような
不思議な場所ですよね。
私たちの中にきっと埋もれてあるはずの
遠い日の記憶を思い出す時
すばらしい融合がきっと起こると思っています。
いつも素敵な記事をありがとうございます。
神谷美恵子さんの文章、素晴らしいですねぇ。
うっとりします。
神谷さんは、精神科医で美智子皇后の相談役も勤めた方ですよね。
学生の時に「生きがいについて」(みすず書房)を読んで深い感銘を受けました。
確か当時すこしリバイバルしたような気がします。
神谷さんの文章のように、「自然を受け入れる」という感覚は、とても宗教的な感覚に思えます。
受け入れたりゆだねたりすることは、ある意味自分のエゴを放棄して委ねることなので、ある意味では危険なこともあります。人間相手の場合、その人間のエゴの中に取り込まれてしまうわけで。(そこがカルト宗教の一番危険なところだと思います。マインドコントロールも同様ですね)
ただ、相手が自然そのものであれば、そこには人間のような浅はかなエゴは存在しません。空から大気圏を突破して宇宙の果てまでつながる大自然が流転しているだけです。
ですから、自分は人間相手に委ねることには抵抗ありますが、大自然そのものには身をゆだねつつ、登山をしています。天地自然と一体化するような自然体験は、人間の浅はかなエゴを越える体験を伴うものですから・・・。
そういう意味で、自分は自然そのものを信仰しています。アニミズムとか、古神道とか、・・・いろんな名前はあるかもしれませんが、自分は自然そのものが法則(ダルマ)であり、真理や結果そのものであるような気がしていますね・・・。
人間の輪廻転生(生まれ変わり)の問題そのものも、自然や宇宙の循環の中に組み込まれたものだと思いますし。
・・・・・・・・
神谷美恵子さん、「本、そして人」(みすず書房)の中では、熱い情熱の人である一面もあることを知り、驚きました。勝手なイメージで、寡黙で静かなお方・・・という印象を持っていたもので。
神谷美恵子「本、そして人」(みすず書房)
『キュリー夫人伝を読んだ。
自分の生ぬるい勉強の仕方を省みて、ざんきの念に絶えない。
勉強と献身と。これは両立しうるのだ。
要は魂の問題なのだ。』
『自分が夢中でやらなかったら、
人の役に立つことも絶対にできないのだということを銘記せよ!』
『私もまた宗教の潜在する文学を書けぬものか!
つねにつねにバッハの音楽にインスパイアされたものを書けぬものか!
文壇的に何の縁もない、直接自分の魂を注ぎだしたものだけを書きたい!』
・・・・・・・・・
幣立神宮、すばらしいところです。
ある人に幣立の話をしたら、
「幣立というのは確かに不思議なところ。ここに行く時、何か全く異質なものがつながるときや、つなげようとするとき、行っているものなんですよねぇ。不思議なものですが。」
と言われました。
確かに、自分も異質なものをつなげるリンクの働きをすべきなのかもしれないな、とは常々思っています。この世界は分離されたものではないと思いますしね。蜘蛛の巣のように複雑な因果のネットワークで張り巡らされたものだと思いますし。
ブログやネット、現実の日常生活も同じです。
熊本は、阿蘇を含め、火山のエネルギーですごい場所が多いですよね。
昔、阿蘇山は富士山より大きかったけど、火山でふっとんで今の大きさになった、と聞いたことが有ります。阿蘇には世界一のカルデラがあるのを見ると、その可能性もなくはないのかなーと思いますね。
いつもコメントいただき有難うございます!
わたしにとって初めての九州でした^^
天安河原にも行ってきました。
いなばさんの写真の中にもありますよね
思い出してコメントいたしました
河の流れにとけこむ木漏れ日の光が美しすぎて
しばらく見入っていました。
人も自然の一部で、自然こそ神様で
すべての物に、すべての人に、神が宿っている。
そんなアニミズム的な感慨に浸ったりしました
行けてほんとよかったです
精神的にも学びの多い旅になり満足でした~
熊本と宮崎!!いいですねー、うらやましかです。
天安河原、ビリビリ感じませんでした?
階段を降り、右下に川の流れを感じ、上からは太陽の光を感じ、一歩一歩とことこ歩き、ふと角を曲がると巨大な口が岩壁に開いている!!
思わず、はっ、としました。あの瞬間は忘れられませんね。あそこから異界が始まっているというか、パラレルワールドの入り口というか、そういう次元がねじれるような奇妙な空間性を感じましたね。古代の人があそこを精緻にしたのはよくわかります。
高千穂に行くと、改めて日本の神話を学びたいなぁという気になります。
さらに神話への興味を違う次元の窓から眺めるには、だるまんシリーズがお薦めです!特に神社仏閣は火と金の章あたり。それでいて、もちろん木と土の章も外せません。。。
奈良でも日本神話を肌で体感しましたし、高千穂でも同様。そして、そういう有名どころではなくても、日本全国に様々な形で古代の歴史が残されていますよね。旅をしながら、そうして古代に思いをはせると、その瞬間は同じ次元に存在しているような気がするのが不思議なところ。
素晴らしい旅だったようで何よりです!!(^^