■山中伸弥先生
京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥先生、ノーベル医学生理学賞を受賞されましたね。素晴らしい!!
Pubmedで論文を検索してみると、CellとかNatureとかScienceとか・・すごい論文に常連のように載っている。
自分が一生かけても届かない世界!すごい!
Cell Stem Cell. 2012 Jun 14;10(6):678-84.
Induced pluripotent stem cells: past, present, and future.
Yamanaka S.
という総説を読んでみています。
おめでとうございます!
次は村上春樹さんのノーベル文学賞!
■二木あいさん(Ai Futaki)
情熱大陸で、二木あいさん(Ai Futaki)という、すごい女性を知りました。
→情熱大陸 2012年10月07日放送【二木あい】
=========
Ai Futaki
二木あい
フリーダイビング水中映像家
1980年石川県金沢市生まれ。
3歳より水泳をはじめ、高校卒業後、他の日本人と同じような進路を進むのは嫌だと考え世界へ。
そこで出会ったフリーダイビングに没頭し、昨年1月、フリーダイビングで長距離を泳ぐギネス記録を世界初のフィン無し、女性として世界初となるフィンあり両方で樹立。
海外生活が長く、英・仏・西・伊・タイ語など様々な言語を操るが、取材ディレクター曰く「肝心の日本語が出てこないこともしばしば・・」
ストイックな生活ながらも、食後のアイスクリームは欠かせない32歳。
=========
Youtubeに動画がある。
●Ai Futaki World Record "The Longest Distance in Cave with only ONE BREATH"
●Goddess of Grace
●FaustというサイトのInterview
番組を見ていて、いいな、と思った発言は、
「誰でもフリーダイビングはできる。何も考えず深い呼吸をするだけ。できないと、頭が自分に言い聞かせているだけ。」
というような発言。
人間とか自然と言うのは神の造形物だから、計り知れないほどの可能性がある。
だけれども、それを脳は安全防止弁として抑制している。
でも、実は人間は色んな思い込みや偏見や先入観から自由になれば、たいていのことはできる。
人間はもともと動物だし、生物は海から陸にあがってきたし、海にいた時代の記憶は身体に宿っている。
自分が専門にしている肺循環も、魚類が両生類、爬虫類、哺乳類として、海から陸にあがってきたときに獲得した新しい機能。
鰓呼吸の記憶も、海の記憶も、人間は持っている。
地上にいるとき、意識しないだけで常に重力の影響を受けている。
海にはいると、そこから自由になる。
そこで人体は海流の流れとひとつとなる。そこに美が生まれる。
二木さんの世界は、美を作ろうとしているのではなく、海には既に美があり、その海や海流や水そのものになることで、僕らが美を感じやすくしているのだと思う。
そこに美はある。自然は常に調和的で美だ。時に嵐や台風という形で調和は崩れるけれど、それは調和に向かうための不調和である。調和は、常にバランスを獲得しようと動いている。
二木さんが海の中で泳いでいる姿はとても美しいけれど、それはこしらえられた美ではなく、自然そのものの美であり、人体そのものの美である。
美は、常にここにある。気づかないだけ。というか、あまりに当たり前すぎて、脳がショートカットして無視しているだけだと思う。瞬間瞬間に、存在している。
魚と泳ぐシーンもあった。
魚の写真をとるために、まず魚と対話していた。友達になっていた。
相手の緊張が解け、人間も海の生態系とひとつになったとき、その状態の写真を撮っていた。
その魚の表情は、なんとも言えない愛らしい表情だった。愛らしいとは、そこに愛を感じるということだ。
とてもいい映像だった。
美はつくり出すものではなくて、そこにあるものを改めて見出すもの。
それは自然の中にもあり、人体の中にもあり、無意識の中にもある。そこに、あるもの。
■竹内洋岳さん
竹内洋岳さんは、日本人で初めて14座8000m峰の完全登頂を成し遂げたプロ登山家です。
先日、その記念講演会を聞いてきました。
二木さんと同じく、とても自然体だった。とてもお洒落だった。
無理をしていない感じ。飄々として登っている感じ。
昔の登山家はもっと野心的でギラギラしていた(山田昇さん、森田勝さん・・・。長谷川恒男さんとか植村直己さんとかはまた少し違いますが。)。
見た目からは想像できないほどの、中には強靭な精神力が広がっているはずで、その無限の広がりを夢想した。その内的強靭さがヒマラヤ世界につながっている。
生の人間から受ける影響って大きいですね。なかなか言語化できませんが、同じ登山をしている人間としては、正にスーパースターですから。
自分も時々登山に行くと、自分の中に潜む弱さと出会う。あきらめようか、と思う、そんな弱さと対峙する。
そんな弱さは、強さと手を組むことで、はじめてひとつになる。強さは弱さを必要とし、弱さはは強さを必要とする。
●登山家・竹内洋岳 公式ブログ
●「Hirotake Takeuchi 2012 | 地獄のトレーニング(アイランドピーク) 」
●「Hirotake Takeuchi | C2 camp at 6600m | Dhaulagiri 2012」
●FaustというサイトのInterview
■天野篤先生
いろいろ仕事で落ち込むこともあり、ビデオに撮っていたNHKプロフェッショナルの天野篤先生の番組を見た。天皇陛下の心臓執刀医の先生。
【2012年9月3日放送 NHK プロフェッショナル 天野篤】
なんとなく元気が出てきた。不思議なものだ。
でも、時には落ち込むことも大事だ、とも思う。
落ち込んで内省して反省する。否応なしに中を見る。
自分の中で何かバランスが崩れた状態ではなかったか、反省し、そこに甘さや甘えがなかったか、見直す。
どこかでオート作業のような甘えがあったかもしれない。再確認する。ひとつひとつをマニュアル操作で自覚的に生きることを再確認し、選択する。
脳はオートで身体を制御しようとしている。それは親切心であり老婆心のようなもの。そうして、意識は無意識の大海に放り込まれている。
脳は外部の情報の影響を受けやすい。だから、イメージもできるし、偏見もできる。
そうではなく、脳をマニュアルへと切り替える。
ひとつひとつの行動を、ひとつひとつの感情を自覚的に感知していく。意志と意識を持って一つ一つを選択する。
脳のオート制御と言う大海で酩酊するのではなくて、人間が人間であるために、知性と理性をもって自覚的に光を感知して選択する。
そんなことがうまくいかずナオザリになっているとき、何かしらの不調和が外に起こっている。そのことを受信し、感知しなければいけない。
自分の中の不調和が、外に不調和を生み出すのかもしれないし、外の不調和を引き寄せるのかもしれない。
だから、自分の中の調和を大事にする。そこがはじまり。その調整弁として、脳や思考や意識という手段を使っていく。それが人間であること。
そうこうしていると、生命の動きや営みを明晰に感知できる。
それは常に調和的で融和的だ。それは統合であり善であり美でもある。
京都大学iPS細胞研究所の山中伸弥先生、ノーベル医学生理学賞を受賞されましたね。素晴らしい!!
Pubmedで論文を検索してみると、CellとかNatureとかScienceとか・・すごい論文に常連のように載っている。
自分が一生かけても届かない世界!すごい!
Cell Stem Cell. 2012 Jun 14;10(6):678-84.
Induced pluripotent stem cells: past, present, and future.
Yamanaka S.
という総説を読んでみています。
おめでとうございます!
次は村上春樹さんのノーベル文学賞!
■二木あいさん(Ai Futaki)
情熱大陸で、二木あいさん(Ai Futaki)という、すごい女性を知りました。
→情熱大陸 2012年10月07日放送【二木あい】
=========
Ai Futaki
二木あい
フリーダイビング水中映像家
1980年石川県金沢市生まれ。
3歳より水泳をはじめ、高校卒業後、他の日本人と同じような進路を進むのは嫌だと考え世界へ。
そこで出会ったフリーダイビングに没頭し、昨年1月、フリーダイビングで長距離を泳ぐギネス記録を世界初のフィン無し、女性として世界初となるフィンあり両方で樹立。
海外生活が長く、英・仏・西・伊・タイ語など様々な言語を操るが、取材ディレクター曰く「肝心の日本語が出てこないこともしばしば・・」
ストイックな生活ながらも、食後のアイスクリームは欠かせない32歳。
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Youtubeに動画がある。
●Ai Futaki World Record "The Longest Distance in Cave with only ONE BREATH"
●Goddess of Grace
●FaustというサイトのInterview
番組を見ていて、いいな、と思った発言は、
「誰でもフリーダイビングはできる。何も考えず深い呼吸をするだけ。できないと、頭が自分に言い聞かせているだけ。」
というような発言。
人間とか自然と言うのは神の造形物だから、計り知れないほどの可能性がある。
だけれども、それを脳は安全防止弁として抑制している。
でも、実は人間は色んな思い込みや偏見や先入観から自由になれば、たいていのことはできる。
人間はもともと動物だし、生物は海から陸にあがってきたし、海にいた時代の記憶は身体に宿っている。
自分が専門にしている肺循環も、魚類が両生類、爬虫類、哺乳類として、海から陸にあがってきたときに獲得した新しい機能。
鰓呼吸の記憶も、海の記憶も、人間は持っている。
地上にいるとき、意識しないだけで常に重力の影響を受けている。
海にはいると、そこから自由になる。
そこで人体は海流の流れとひとつとなる。そこに美が生まれる。
二木さんの世界は、美を作ろうとしているのではなく、海には既に美があり、その海や海流や水そのものになることで、僕らが美を感じやすくしているのだと思う。
そこに美はある。自然は常に調和的で美だ。時に嵐や台風という形で調和は崩れるけれど、それは調和に向かうための不調和である。調和は、常にバランスを獲得しようと動いている。
二木さんが海の中で泳いでいる姿はとても美しいけれど、それはこしらえられた美ではなく、自然そのものの美であり、人体そのものの美である。
美は、常にここにある。気づかないだけ。というか、あまりに当たり前すぎて、脳がショートカットして無視しているだけだと思う。瞬間瞬間に、存在している。
魚と泳ぐシーンもあった。
魚の写真をとるために、まず魚と対話していた。友達になっていた。
相手の緊張が解け、人間も海の生態系とひとつになったとき、その状態の写真を撮っていた。
その魚の表情は、なんとも言えない愛らしい表情だった。愛らしいとは、そこに愛を感じるということだ。
とてもいい映像だった。
美はつくり出すものではなくて、そこにあるものを改めて見出すもの。
それは自然の中にもあり、人体の中にもあり、無意識の中にもある。そこに、あるもの。
■竹内洋岳さん
竹内洋岳さんは、日本人で初めて14座8000m峰の完全登頂を成し遂げたプロ登山家です。
先日、その記念講演会を聞いてきました。
二木さんと同じく、とても自然体だった。とてもお洒落だった。
無理をしていない感じ。飄々として登っている感じ。
昔の登山家はもっと野心的でギラギラしていた(山田昇さん、森田勝さん・・・。長谷川恒男さんとか植村直己さんとかはまた少し違いますが。)。
見た目からは想像できないほどの、中には強靭な精神力が広がっているはずで、その無限の広がりを夢想した。その内的強靭さがヒマラヤ世界につながっている。
生の人間から受ける影響って大きいですね。なかなか言語化できませんが、同じ登山をしている人間としては、正にスーパースターですから。
自分も時々登山に行くと、自分の中に潜む弱さと出会う。あきらめようか、と思う、そんな弱さと対峙する。
そんな弱さは、強さと手を組むことで、はじめてひとつになる。強さは弱さを必要とし、弱さはは強さを必要とする。
●登山家・竹内洋岳 公式ブログ
●「Hirotake Takeuchi 2012 | 地獄のトレーニング(アイランドピーク) 」
●「Hirotake Takeuchi | C2 camp at 6600m | Dhaulagiri 2012」
●FaustというサイトのInterview
■天野篤先生
いろいろ仕事で落ち込むこともあり、ビデオに撮っていたNHKプロフェッショナルの天野篤先生の番組を見た。天皇陛下の心臓執刀医の先生。
【2012年9月3日放送 NHK プロフェッショナル 天野篤】
なんとなく元気が出てきた。不思議なものだ。
でも、時には落ち込むことも大事だ、とも思う。
落ち込んで内省して反省する。否応なしに中を見る。
自分の中で何かバランスが崩れた状態ではなかったか、反省し、そこに甘さや甘えがなかったか、見直す。
どこかでオート作業のような甘えがあったかもしれない。再確認する。ひとつひとつをマニュアル操作で自覚的に生きることを再確認し、選択する。
脳はオートで身体を制御しようとしている。それは親切心であり老婆心のようなもの。そうして、意識は無意識の大海に放り込まれている。
脳は外部の情報の影響を受けやすい。だから、イメージもできるし、偏見もできる。
そうではなく、脳をマニュアルへと切り替える。
ひとつひとつの行動を、ひとつひとつの感情を自覚的に感知していく。意志と意識を持って一つ一つを選択する。
脳のオート制御と言う大海で酩酊するのではなくて、人間が人間であるために、知性と理性をもって自覚的に光を感知して選択する。
そんなことがうまくいかずナオザリになっているとき、何かしらの不調和が外に起こっている。そのことを受信し、感知しなければいけない。
自分の中の不調和が、外に不調和を生み出すのかもしれないし、外の不調和を引き寄せるのかもしれない。
だから、自分の中の調和を大事にする。そこがはじまり。その調整弁として、脳や思考や意識という手段を使っていく。それが人間であること。
そうこうしていると、生命の動きや営みを明晰に感知できる。
それは常に調和的で融和的だ。それは統合であり善であり美でもある。
ところで、医学賞は天野先生のような「手術の達人」といった人は候補にならないのですね。そういう医師のための賞を日本で作っても良いと思います。「赤ひげ賞」とか「ブラックジャック賞」でいかがでしょうか。
お久しぶりです。
そうですね。ノーベル賞はあくまでもシンボルですよね。
それぞれの分野での世界一があり、また尺度を変えれば違った形での世界一がありますよね。
心臓外科の天野先生のような、ひとりひとり症例が違う条件での手術などは、なかなか一概に測れるものではないのですが、間違いなく世界トップ集団のおひとりであると思いますね。ほかにも、テレビには出てこないけど、ものすごい実力者の先生は他にもおられますし・・。
「赤ひげ賞」とか「ブラックジャック賞」とかいいですねぇ。ただ、天野先生クラスになると、他者の評価より自分の評価が一番厳しいタイプなので、賞とかそういうのは一切興味ないんじゃないかと思いますね。一つ一つに全エネルギーを集中して全身全霊やるだけ。あとはその積み重ね・・。 そういう姿勢に、自分も大いに感化するところがあります。自分がたるんでいそうなとき、そういう気高い先生のことを思い出しながら、自分を奮い立たせるようにしています。
いなばさんの謙虚で日々勉強されているお姿をこのブログで拝見し「もし自分が心臓の手術を受けなければならない時になったら、ぜひいなばさんに施術していただきたいなぁー」と思いました(そんなことにならないよう健康でいたいですが…笑)
お久しぶりです。
いえいえ。とんでもないです。
なかなか道が険しくて。
偶然性をできうる限り排除しようと思いつつ、必然性の中で行うよう努力するわけですが、最後の最後で詰められない場所は必ず生まれて、そこはやはり偶然性に支配される世界なんですよね。人事尽くして天命を待つ、のような心境で、日々過ごしています。天命を待つ、と言うくらいですし、天に見離されないよう味方にしてもらえるよう、謙虚に精進しています・・・。