佐藤正久オヂシャルブログ2018-03-08 09:02:29「憲法改正:緊急事態条項について」を受けて緊急事態条項の考察を行います。
>3月7日(水)、憲法改正推進本部において、緊急事態対応を議題として、活発な議論が成された。
>大災害や外国からの攻撃があった際に、政府への権限集中やある程度の私権制限を含めた緊急事態条項を規定すべきかどうか。または、緊急時に選挙が実施できない場合に、国会議員の任期を特例で延長する根拠規定が必要ではないか。こういったことについて、国会議員間で議論された。
>佐藤は福島出身、7年前の東日本大震災発災後に、現場を実視しました。その際、災害緊急事態を宣言せず、かつ私権を制限しなかった為に人命救助等の活動に支障が出たと伺った。そのため、救援活動中の現場では、救えた命を救うことが出来ない事例もあったようだ。東日本大震災の前年には、大地震を想定して大型の訓練を東北で実施していた。想定していた為に、活動できた側面も有る。同じ過ちは繰り返してはいけないと、強く思う。憂いがあるのに放置するとすれば、政治家の怠慢だ。
>いずれにしても、大災害に襲われた場所で、国民の生命及び財産等を守り抜く為に、円滑に救援活動を実施するには、私権の制限に踏み込まざるを得ない。具体的な事例を持って憲法改正の必要性を訴えれば、国民は必要性を理解してくれる。備えあれば憂い無しの状態にすることこそ、政治家たるものの責任だ。
緊急事態条項の必要性の検討については主に初動の救命活動と復旧・復興過程の2つのケースに分けて考えるべきだろうと思います。佐藤議員は初動の救命活動に問題があると仰っているようです。緊急事態条項に関しては筆者は否定的な論調でこれまでにも意見を述べてきましたが、自民党の議論の進捗にあわせて改めて検討してみます。まずは、今回問題提起がなされていない復旧・復興過程についてです。
筆者も含めて緊急事態条項に否定的な人というのは、緊急事態条項の創設で特に復旧・復興過程で状況が悪くなることを怖れていると思います。復旧・復興において特に人間関係が濃密な地方において財産権/個人の権利を無視した復旧・復興は有り得ないと思います。反対論を無視して緊急事態条項を利用して復旧・復興を成し遂げたところで、地域の絆を弱めるだけで上手くいくはずがありません。多少遠回りに見えても合意形成を怠らず復旧・復興を進めていくことが復興の早道だと考えます。急がば回れです。
本日の読売新聞社説「大震災7年 復興加速へ的確な対処が要る」で高台移転の工事は90%以上完了しているが、「宅地用のかさ上げ地の60%で、当面は利用予定のない実態が判明した」とあります。緊急事態条項がない現在でも必要が無い工事を行ってしまっている可能性があります。空き家を量産して復興も何もありません。一気に造って余裕を持たせたほうがいいと考えたとしても、現状は行過ぎているように見えます。この良くないように見える現状を更に良くないようにしてもどうしようもありません。住民の意志確認をキチンと行った上で復興を進めていればこうはなっていなかったはずです。反対を押し切って宅地を造成したところで、じゃあ移住するとか言われたら止めようがありませんよね。共産主義国じゃあるまいし、逆らう奴を強制収容所に送ったり、虐殺したりして「問題解決」する訳にはいきません。仮に高台移転したくないと言い張る人がいたとしても個人の意志を尊重するべきです。強制連行する訳にはいかないのですから。高台移転に合意する人達だけで高台移転するのが復興の常道でそれを支援するというのが原則だと思います。
ここでこの問題に絡んで2点考えたいことがあります。ひとつは空港建設や道路建設・ダム建設といったインフラ整備の反対をどう考えるかです。
一人反対するがゆえに地域の経済発展等が遅れるという問題が日本にはずっとあって、これがあるがゆえに特に保守派の人達の間で時の政権が決断したら反対を押し切って工事をするべきではないかと考える人達が多いのではないかと考えられます。極端な例では成田闘争や関西の空港の問題があると思います。筆者もこうしたことを考えることにおいて例外ではありません。ただ、土地収用(ウィキペディア)を参照しましたが、土地収用法がありますので、現在でも必要な土地収用は可能です。更には「公共用地の取得に関する特別措置法に基づき、公共の利害に特に重大な関係があり、かつ、緊急に施行することを要する事業として行われる特定公共事業(高速道路や国道、新幹線、成田国際空港など国家的に重要な事業が指定されている)について、国土交通大臣による特定公共事業の認定を受けることができ、その場合で、起業者の申請に基づき、収用委員会に対し補償の額について審理が終了していない場合でも、仮補償金の払渡しまたは供託を条件として権利取得裁決及び明渡裁決をすることができる」とあり、重要なインフラに関しては更に建設し易いようになっているようです。日本の左翼の方々はあたかも土地収用をする方が悪だと騒ぎたがりますが、土地収用法の個別の問題点を議論することは有り得ても、総論反対が有り得ません。有り得ないことを言って最初の第一歩を間違い死ぬまで間違い続けるのが日本の左翼です。総論反対を貫くならまだしも絶対にあいつらは中国が土地収用しまくっていることには口をつぐんで中国の勢力拡張の動きに対して一切戦おうとしません。どうみてもスパイ同然です。そして昔は(今もそうかもしれませんが)彼らは本当に共産主義陣営のスパイで(あるいはスパイと協力して)政権転覆を狙っていたのであって、今とは比較にならないぐらい勢力が強かったのだと理解しています。現在はご本尊の退潮を受け日本での勢力は減退していると思いますが、また新しく台頭してきた国や核武装して暴れようという国もいて、戦いが終わった訳ではありません。知ってか知らずかちょいちょい共産主義陣営の代理人みたいなことを言って頑張る方々がいらっしゃいますよね。それはさておき緊急事態だからと言って、土地収用法のプロセスが邪魔になると考える必要はないと考えますし、復興過程は寧ろ拙速だったのであり巧遅の方が必要だったのではないかと考えます。筆者も菅政権~野田政権と反対して、安倍政権を支持しましたが、十分復興について考察していなかったかもしれませんし、意見が言えなかったのかもしれません。
もう一つは戦争の問題です。戦争に負けると土地が接収されます。これは如何ともしがたいところがあります。納得いかないなら降伏すべきでないのであって、日本は降伏して今があります。沖縄では米軍に接収されてつくられた基地が多い事情は理解できますし、何とかフォローしていかねばなりませんが、米軍が悪だから米軍は土地を返せなどと言って米軍と戦う訳にはいきません。「守らないぞ」「もう一回やるか?」になるでしょう?それだけで済むならまだしも寝返るつもりを見透かされ非常に考えたくない事態になることも予想されます。総論で言えば、現状を受け入れ何ができるかを考えるべきだとしか言いようがないと思います。米軍と協力しつつ問題を考えようということですね。
○○人は戦後のドサクサに紛れて駅前の一等地を奪ったとかそういう話もありますが、おまえらは敗戦国の住民だろうがと真面目に考えると腸が煮えくり返る問題もあります。筆者が生まれていない時代の話ですし、随分時間が経っていますが、別に忘れた訳ではありません。
戦後の復興の歴史を意識して、古い街や設備が一度瓦礫になった方が良い設備を入れられて伸びるのでは?と考える人もいるかもしれませんが、共産主義陣営との戦争が残っていたというラッキーはあると思います。先の大戦が最終戦争だったら、日本は発展しないままにさせられていたのではないでしょうか?またそういう状況だったら時の政権中枢の方々は降伏を決断しなかったかもしれません。いずれにせよ、決断さえすれば何時でも自分の持っているものは壊せる訳で、何時来るかも分からない天災の力に期待する必要はありません。
権利者が亡くなってしまう大災害に備えて、事前に計画を作っておくという考え方はあるかもしれません。またあまり時間をかけずに安否が確認できない方の権利を停止・廃止する必要もあると思います。安否が確認できなければ合意のとりようもありませんが、例えば津波で流されてしまうと安否の確認もとりようがありません。この辺に関して法律はどうなっているか勉強不足で良く分かりませんが、できないことをやろうとしているのであれば間違っています。生存が絶望的と見られる時期が来たら、権利は無くなるものと考えて止むを得ないとするべきだと思います。注意すべきは後で権利者が現れたケースで補償をしないあるいは薄い補償に止めるべきです。そうしないと、必ず意図的に行方をくらます人が出てきます。行方不明であった理由に確証がある時だけ例外的に通常の補償をすることは考えられますが、それでも賠償的な厚い補償は認めるべきではありません。口裏をあわせるケースも考えられますし、何処の住民であっても天災が起こって被害が出ることは避けられないと考えるしかありません。
考えたいことの2点目は、初動の救命活動・救急活動における緊急事態条項です。救命活動・救急活動というのは本来的には消防の仕事ではないかと思います。江戸時代において延焼を防ぐため周囲の家をぶっ壊したという話もありますし、救命活動・救急活動にはしばしば他人の権利を無視しなければならないことがあります。消防車がサイレンを鳴らして他の車をどかせようとするのもそうですし、人の家に許可がとれなくても勝手に水をかけるのもそうです。消防士が何をやってもいいと言っている訳では勿論ありませんが、消防活動の邪魔になる活動をする権利が守られることはありません。消防という仕事は何時でも緊急事態です。
ただ、大災害ではというか大災害であればあるほど消防では対処不能になります。何時起こるか分からないし滅多に起こらない大災害に対して消防だけで万全の準備をすることは不可能です。ここで自衛隊という別組織の出動が必要になってきます。東日本大震災ぐらいの災害になると自衛隊を投入しても足りなかったという話もあり、その場合では友好国の力を借りる必要も当然に出てきます。
自衛隊という組織は警察予備隊から発足しましたが、主任務は当然災害時の救急救命活動ではありません。ですから、現状では災害時の救急救命活動任務を遂行する上で、あるいは法的不備もある可能性があります。それができないなら法改正を考えるべきですが、消防の東日本大震災での活動に支障があったという話は聞きませんし、基本的には現行憲法で災害時の救急救命活動に支障があると考えるべきではなく、自衛隊法の改正で対処すべきということになると思います。そしてそれは現状で緊急時に軍票を受け取らせたり、私有地で塹壕を構築できたりするなら、憲法改正の必要なく可能であると考えられます。また、自衛隊の主任務は自衛にありますから、まれにしか行われない災害対応に関しては訓練が欠けており混乱が発生している可能性もあります。自衛隊アレルギーの左翼の方々の暴走的抵抗がある可能性もありますが、基本的には消防の消防活動が邪魔されない(少なくとも聞いたことがありません)のと同じで自衛隊の災害救助活動は邪魔されないと考えるべきだと思います。テロリストの系譜に連なるテロリスト同然の「軍隊」アレルギーの方々がどれくらいいらっしゃるのか知りませんが(安全保障を考えていること議論していることが右翼に見え問題だと考える人こそ自分がテロリスト同然なのだと気付く必要があると思います)、この問題には一歩一歩着々と対処するしかないと考えます。
ひとつあまり議論されないので懸念しているのは、東京直下地震の想定です。東日本大震災では住民は全般的に大人しかったという話ですが、それは勿論住民の方々がシッカリしていたというのはあると思いますが、あれだけの大災害にも関わらず、支援がある程度スムーズにいったことも関係していると思います。東京直下地震が仮に起きると想定するとあまりの大人口ですから水と食料が不足して東日本大震災の比でない大混乱が起きる可能性がないとは言えません。実際に関東大震災では乱暴狼藉する連中が湧き出て住民と争いが発生したと言われています。大都市の方が人間関係希薄ですし、人間関係が希薄なネット上では人は乱暴になりますよね(この辺は筆者にも問題がないとは言えません)。大災害で警察機能が上手く働かなくなった時(平時だから犯罪を犯せば警察に行くことになると抑止が効いている訳です)、どう治安を維持するか考えなければなりません。これは災害救助と同じく現行憲法下で警察が治安を維持できている訳ですから、必要に応じて自衛隊法を改正して平時に大災害時の治安維持出動を想定して訓練をしておく必要があるのではないかと思います。またトモダチ作戦で出動した米軍関係者の本を読みましたが、軍隊というのは兵站が極めて重要で工兵を抱えロジスティクス構築は寧ろプロと言えますから(建設業者・土建業者もそれなりにプロかもしれませんが、消防や警察は素人だと思います)、大規模災害時は「軍隊」組織の出動が極めて重要になってくると思います(本来は他所の国の軍隊と戦うのが仕事ですから、何処までも本来任務を手薄にできる訳では勿論ありません)。日本に常時駐留する大規模軍隊は米軍だけですが、必要あればドモダチ作戦がそうであったように米軍にも出動してもらえる体制を平時から築いておくことが重要ではないかと思います。
外国には緊急事態条項があることを挙げ、日本でも必要だと言う方がいますが、恐らく外国でも大規模災害で何をしてもいいと思っている訳ではないと思います。9.11テロでディック・チェイニー副大統領はテロリストに乗っ取られた航空機を撃ち落すよう戦闘機に命じた(実行されなかった)らしいですが、そういう事態が緊急事態と言えるのではないかと思います。究極の問題に近いですが、どう考えてもテロリストにのっとられた飛行機は助けられませんので、ビルなどにつっこまれないよう可能であれば撃ち落さなければなりません。これは難しい問題ですが、テロリスト対策で緊急事態条項というのは考えられなくもありません。この辺は本来は警察的任務(自衛隊の本来任務は軍隊と戦うこと)ですが、戦闘機を出して民間機を撃ち落すというような任務が警察にできるはずもありません。警察では対処できない警察的任務をどう想定するかという話になると思います。
ただ、最初の憲法改正で想定外の事態に全権委任してほしいという案を出すのは憲法改正の足を引っ張ると考えるべきではないでしょうか?そこまで信頼されていると考えるのは一種の傲慢のように思えます。
>3月7日(水)、憲法改正推進本部において、緊急事態対応を議題として、活発な議論が成された。
>大災害や外国からの攻撃があった際に、政府への権限集中やある程度の私権制限を含めた緊急事態条項を規定すべきかどうか。または、緊急時に選挙が実施できない場合に、国会議員の任期を特例で延長する根拠規定が必要ではないか。こういったことについて、国会議員間で議論された。
>佐藤は福島出身、7年前の東日本大震災発災後に、現場を実視しました。その際、災害緊急事態を宣言せず、かつ私権を制限しなかった為に人命救助等の活動に支障が出たと伺った。そのため、救援活動中の現場では、救えた命を救うことが出来ない事例もあったようだ。東日本大震災の前年には、大地震を想定して大型の訓練を東北で実施していた。想定していた為に、活動できた側面も有る。同じ過ちは繰り返してはいけないと、強く思う。憂いがあるのに放置するとすれば、政治家の怠慢だ。
>いずれにしても、大災害に襲われた場所で、国民の生命及び財産等を守り抜く為に、円滑に救援活動を実施するには、私権の制限に踏み込まざるを得ない。具体的な事例を持って憲法改正の必要性を訴えれば、国民は必要性を理解してくれる。備えあれば憂い無しの状態にすることこそ、政治家たるものの責任だ。
緊急事態条項の必要性の検討については主に初動の救命活動と復旧・復興過程の2つのケースに分けて考えるべきだろうと思います。佐藤議員は初動の救命活動に問題があると仰っているようです。緊急事態条項に関しては筆者は否定的な論調でこれまでにも意見を述べてきましたが、自民党の議論の進捗にあわせて改めて検討してみます。まずは、今回問題提起がなされていない復旧・復興過程についてです。
筆者も含めて緊急事態条項に否定的な人というのは、緊急事態条項の創設で特に復旧・復興過程で状況が悪くなることを怖れていると思います。復旧・復興において特に人間関係が濃密な地方において財産権/個人の権利を無視した復旧・復興は有り得ないと思います。反対論を無視して緊急事態条項を利用して復旧・復興を成し遂げたところで、地域の絆を弱めるだけで上手くいくはずがありません。多少遠回りに見えても合意形成を怠らず復旧・復興を進めていくことが復興の早道だと考えます。急がば回れです。
本日の読売新聞社説「大震災7年 復興加速へ的確な対処が要る」で高台移転の工事は90%以上完了しているが、「宅地用のかさ上げ地の60%で、当面は利用予定のない実態が判明した」とあります。緊急事態条項がない現在でも必要が無い工事を行ってしまっている可能性があります。空き家を量産して復興も何もありません。一気に造って余裕を持たせたほうがいいと考えたとしても、現状は行過ぎているように見えます。この良くないように見える現状を更に良くないようにしてもどうしようもありません。住民の意志確認をキチンと行った上で復興を進めていればこうはなっていなかったはずです。反対を押し切って宅地を造成したところで、じゃあ移住するとか言われたら止めようがありませんよね。共産主義国じゃあるまいし、逆らう奴を強制収容所に送ったり、虐殺したりして「問題解決」する訳にはいきません。仮に高台移転したくないと言い張る人がいたとしても個人の意志を尊重するべきです。強制連行する訳にはいかないのですから。高台移転に合意する人達だけで高台移転するのが復興の常道でそれを支援するというのが原則だと思います。
ここでこの問題に絡んで2点考えたいことがあります。ひとつは空港建設や道路建設・ダム建設といったインフラ整備の反対をどう考えるかです。
一人反対するがゆえに地域の経済発展等が遅れるという問題が日本にはずっとあって、これがあるがゆえに特に保守派の人達の間で時の政権が決断したら反対を押し切って工事をするべきではないかと考える人達が多いのではないかと考えられます。極端な例では成田闘争や関西の空港の問題があると思います。筆者もこうしたことを考えることにおいて例外ではありません。ただ、土地収用(ウィキペディア)を参照しましたが、土地収用法がありますので、現在でも必要な土地収用は可能です。更には「公共用地の取得に関する特別措置法に基づき、公共の利害に特に重大な関係があり、かつ、緊急に施行することを要する事業として行われる特定公共事業(高速道路や国道、新幹線、成田国際空港など国家的に重要な事業が指定されている)について、国土交通大臣による特定公共事業の認定を受けることができ、その場合で、起業者の申請に基づき、収用委員会に対し補償の額について審理が終了していない場合でも、仮補償金の払渡しまたは供託を条件として権利取得裁決及び明渡裁決をすることができる」とあり、重要なインフラに関しては更に建設し易いようになっているようです。日本の左翼の方々はあたかも土地収用をする方が悪だと騒ぎたがりますが、土地収用法の個別の問題点を議論することは有り得ても、総論反対が有り得ません。有り得ないことを言って最初の第一歩を間違い死ぬまで間違い続けるのが日本の左翼です。総論反対を貫くならまだしも絶対にあいつらは中国が土地収用しまくっていることには口をつぐんで中国の勢力拡張の動きに対して一切戦おうとしません。どうみてもスパイ同然です。そして昔は(今もそうかもしれませんが)彼らは本当に共産主義陣営のスパイで(あるいはスパイと協力して)政権転覆を狙っていたのであって、今とは比較にならないぐらい勢力が強かったのだと理解しています。現在はご本尊の退潮を受け日本での勢力は減退していると思いますが、また新しく台頭してきた国や核武装して暴れようという国もいて、戦いが終わった訳ではありません。知ってか知らずかちょいちょい共産主義陣営の代理人みたいなことを言って頑張る方々がいらっしゃいますよね。それはさておき緊急事態だからと言って、土地収用法のプロセスが邪魔になると考える必要はないと考えますし、復興過程は寧ろ拙速だったのであり巧遅の方が必要だったのではないかと考えます。筆者も菅政権~野田政権と反対して、安倍政権を支持しましたが、十分復興について考察していなかったかもしれませんし、意見が言えなかったのかもしれません。
もう一つは戦争の問題です。戦争に負けると土地が接収されます。これは如何ともしがたいところがあります。納得いかないなら降伏すべきでないのであって、日本は降伏して今があります。沖縄では米軍に接収されてつくられた基地が多い事情は理解できますし、何とかフォローしていかねばなりませんが、米軍が悪だから米軍は土地を返せなどと言って米軍と戦う訳にはいきません。「守らないぞ」「もう一回やるか?」になるでしょう?それだけで済むならまだしも寝返るつもりを見透かされ非常に考えたくない事態になることも予想されます。総論で言えば、現状を受け入れ何ができるかを考えるべきだとしか言いようがないと思います。米軍と協力しつつ問題を考えようということですね。
○○人は戦後のドサクサに紛れて駅前の一等地を奪ったとかそういう話もありますが、おまえらは敗戦国の住民だろうがと真面目に考えると腸が煮えくり返る問題もあります。筆者が生まれていない時代の話ですし、随分時間が経っていますが、別に忘れた訳ではありません。
戦後の復興の歴史を意識して、古い街や設備が一度瓦礫になった方が良い設備を入れられて伸びるのでは?と考える人もいるかもしれませんが、共産主義陣営との戦争が残っていたというラッキーはあると思います。先の大戦が最終戦争だったら、日本は発展しないままにさせられていたのではないでしょうか?またそういう状況だったら時の政権中枢の方々は降伏を決断しなかったかもしれません。いずれにせよ、決断さえすれば何時でも自分の持っているものは壊せる訳で、何時来るかも分からない天災の力に期待する必要はありません。
権利者が亡くなってしまう大災害に備えて、事前に計画を作っておくという考え方はあるかもしれません。またあまり時間をかけずに安否が確認できない方の権利を停止・廃止する必要もあると思います。安否が確認できなければ合意のとりようもありませんが、例えば津波で流されてしまうと安否の確認もとりようがありません。この辺に関して法律はどうなっているか勉強不足で良く分かりませんが、できないことをやろうとしているのであれば間違っています。生存が絶望的と見られる時期が来たら、権利は無くなるものと考えて止むを得ないとするべきだと思います。注意すべきは後で権利者が現れたケースで補償をしないあるいは薄い補償に止めるべきです。そうしないと、必ず意図的に行方をくらます人が出てきます。行方不明であった理由に確証がある時だけ例外的に通常の補償をすることは考えられますが、それでも賠償的な厚い補償は認めるべきではありません。口裏をあわせるケースも考えられますし、何処の住民であっても天災が起こって被害が出ることは避けられないと考えるしかありません。
考えたいことの2点目は、初動の救命活動・救急活動における緊急事態条項です。救命活動・救急活動というのは本来的には消防の仕事ではないかと思います。江戸時代において延焼を防ぐため周囲の家をぶっ壊したという話もありますし、救命活動・救急活動にはしばしば他人の権利を無視しなければならないことがあります。消防車がサイレンを鳴らして他の車をどかせようとするのもそうですし、人の家に許可がとれなくても勝手に水をかけるのもそうです。消防士が何をやってもいいと言っている訳では勿論ありませんが、消防活動の邪魔になる活動をする権利が守られることはありません。消防という仕事は何時でも緊急事態です。
ただ、大災害ではというか大災害であればあるほど消防では対処不能になります。何時起こるか分からないし滅多に起こらない大災害に対して消防だけで万全の準備をすることは不可能です。ここで自衛隊という別組織の出動が必要になってきます。東日本大震災ぐらいの災害になると自衛隊を投入しても足りなかったという話もあり、その場合では友好国の力を借りる必要も当然に出てきます。
自衛隊という組織は警察予備隊から発足しましたが、主任務は当然災害時の救急救命活動ではありません。ですから、現状では災害時の救急救命活動任務を遂行する上で、あるいは法的不備もある可能性があります。それができないなら法改正を考えるべきですが、消防の東日本大震災での活動に支障があったという話は聞きませんし、基本的には現行憲法で災害時の救急救命活動に支障があると考えるべきではなく、自衛隊法の改正で対処すべきということになると思います。そしてそれは現状で緊急時に軍票を受け取らせたり、私有地で塹壕を構築できたりするなら、憲法改正の必要なく可能であると考えられます。また、自衛隊の主任務は自衛にありますから、まれにしか行われない災害対応に関しては訓練が欠けており混乱が発生している可能性もあります。自衛隊アレルギーの左翼の方々の暴走的抵抗がある可能性もありますが、基本的には消防の消防活動が邪魔されない(少なくとも聞いたことがありません)のと同じで自衛隊の災害救助活動は邪魔されないと考えるべきだと思います。テロリストの系譜に連なるテロリスト同然の「軍隊」アレルギーの方々がどれくらいいらっしゃるのか知りませんが(安全保障を考えていること議論していることが右翼に見え問題だと考える人こそ自分がテロリスト同然なのだと気付く必要があると思います)、この問題には一歩一歩着々と対処するしかないと考えます。
ひとつあまり議論されないので懸念しているのは、東京直下地震の想定です。東日本大震災では住民は全般的に大人しかったという話ですが、それは勿論住民の方々がシッカリしていたというのはあると思いますが、あれだけの大災害にも関わらず、支援がある程度スムーズにいったことも関係していると思います。東京直下地震が仮に起きると想定するとあまりの大人口ですから水と食料が不足して東日本大震災の比でない大混乱が起きる可能性がないとは言えません。実際に関東大震災では乱暴狼藉する連中が湧き出て住民と争いが発生したと言われています。大都市の方が人間関係希薄ですし、人間関係が希薄なネット上では人は乱暴になりますよね(この辺は筆者にも問題がないとは言えません)。大災害で警察機能が上手く働かなくなった時(平時だから犯罪を犯せば警察に行くことになると抑止が効いている訳です)、どう治安を維持するか考えなければなりません。これは災害救助と同じく現行憲法下で警察が治安を維持できている訳ですから、必要に応じて自衛隊法を改正して平時に大災害時の治安維持出動を想定して訓練をしておく必要があるのではないかと思います。またトモダチ作戦で出動した米軍関係者の本を読みましたが、軍隊というのは兵站が極めて重要で工兵を抱えロジスティクス構築は寧ろプロと言えますから(建設業者・土建業者もそれなりにプロかもしれませんが、消防や警察は素人だと思います)、大規模災害時は「軍隊」組織の出動が極めて重要になってくると思います(本来は他所の国の軍隊と戦うのが仕事ですから、何処までも本来任務を手薄にできる訳では勿論ありません)。日本に常時駐留する大規模軍隊は米軍だけですが、必要あればドモダチ作戦がそうであったように米軍にも出動してもらえる体制を平時から築いておくことが重要ではないかと思います。
外国には緊急事態条項があることを挙げ、日本でも必要だと言う方がいますが、恐らく外国でも大規模災害で何をしてもいいと思っている訳ではないと思います。9.11テロでディック・チェイニー副大統領はテロリストに乗っ取られた航空機を撃ち落すよう戦闘機に命じた(実行されなかった)らしいですが、そういう事態が緊急事態と言えるのではないかと思います。究極の問題に近いですが、どう考えてもテロリストにのっとられた飛行機は助けられませんので、ビルなどにつっこまれないよう可能であれば撃ち落さなければなりません。これは難しい問題ですが、テロリスト対策で緊急事態条項というのは考えられなくもありません。この辺は本来は警察的任務(自衛隊の本来任務は軍隊と戦うこと)ですが、戦闘機を出して民間機を撃ち落すというような任務が警察にできるはずもありません。警察では対処できない警察的任務をどう想定するかという話になると思います。
ただ、最初の憲法改正で想定外の事態に全権委任してほしいという案を出すのは憲法改正の足を引っ張ると考えるべきではないでしょうか?そこまで信頼されていると考えるのは一種の傲慢のように思えます。