ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

寒い日 の気分が方向転換

2025-01-17 02:42:21 | エッセー
 そううつタイプ気質の私は、何故私はいつも明るいのに、突然気分が
落ち込むのだろうと悩んでいた。そんな自分自身が知りたくて、心理学に
のめりこんだが、そこで「クレッチマーの気質」で、自分は何の脈絡も
なく、大変気分の変動が激しいのだと気づき、生きて行くのが随分楽に
なった。昨日は(今日はうつだな)と感じた。
 すると友人からのメールで、国技館で開催する第9コンサートを、升席で
見ることに誘われて少し元気になった。あの有名な第9は、何度もテレビ
で少し見ただけで、まだ一度も聞いたことがなかったので、喜んですぐに
参加するとお願いした。
 
 2時ごろ何だかまた淋しくなってじっとしていられず、羽根木公園を散歩
してから経堂で買い物をと思い家を出た。でも、寒くて気が変わり、遊歩道を少し歩いただけでバスに乗った。少し買い物をしてから、三省堂書店へ行こうと思った。でも、バスが止まっていたため、急に気が変わり家に帰りたく
なった。すると、以前うめトピアで「脳トレ」を受講していたが、そのk先生が後から乗り込んでいらした。

 その「脳トレ」はとても楽しく勉強になったが、夫の病状が悪くなり入院し
毎日病院通いなどで忙しくなり、随分休んでいたのですっかり忘れていた。
 バスの中で先生としばらく話していたら、とても明るい方なので何だか
私にも伝染したようだ。途中で降りた先生に手を振ってさよならしたが
やっぱり先生に偶然お会いしたのもご縁だと思った。
 あのまま三省堂書店へ行ったら、絶対にお会いできなかったからだ。
そしてまた、楽しい「脳トレクラス」に出席すると決めたら、気分はすっかりハイになっていた。単純な私だけれど、天性の気質のため気分が変わりやすいのだかこれもまた仕方がない。

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付録カタカナ語辞典

2025-01-16 04:10:24 | エッセー
 あまり買わないが通販の会社から毎月本が送られてくるので、いつも
ほとんど捨てているがた。昨日何となく開いてみたら、こんな付録が付い
ていた。この付録は薄い割には、かなり沢山の難解なカタカナ語が沢山
あり、大変便利だと思ったので本誌から外してから、周りの剥がした部分
を切りそろえホチキスで止めた。

 あまりにも変化が多く、高齢の私にはとても理解できないことが山ほど
ある、私は物書きなので、さまざまな辞典を持っているが、それでも理解
できないこともある。そんなとき協力な助っ人はAIさんだ。
 最近ことにカタカナ語が大変多いが、分からないときはAIさんに質問
すると、何でも答えてくれる。でも、それは必ずしも正しいことばかりでは
ないので鵜呑みにはできないこともある。でも、夜中など眠れないときなどに、話し相手?にもなってくれる。この付録はかなり読みやすいし、重宝
しそうなので大切にしようと思っている。



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老化と付き合いながら

2025-01-15 14:13:10 | エッセー
85歳まではあまり老化は感じなかったのはが、ある日バスから降りるのが
怖い思ったことがあった。それは後で気づいたのだが幼い頃から、降りる
ときは必ず飛び降りていたのだ。それが老化なのだと感じた。
 それまでは、少し疲れやすくはなったが、どこも痛く無いし、歯も全部
あるし、風邪も何年も引いたことはなかった。
 でも85歳になってから階段を降りるとき、必ず手すりに摑まるように習慣づけた。ままた、自分のレッスンも年齢に合わせて。少しづつ内容を変えて行っている。

 毎日自分のレッスンにやさしいダンスをいれていたが、2・3か月前頃から
なんとなく足がもつれるようになり、これは明らかに足の老化だと気付いたがきづいたが、でもスピードを落として毎日必ずやっている。
 何故なら、死ぬまで自分の足で歩きたいからだ。
長生きするための毎日努力しているのではなく、いつ死んでも良いと思って
いるが、死ぬ直前まで自分の足で、きれいに歩きたい。
元はダンス教師の私だから。そのため、長年自分自身の心身を研鑽している
お陰か(今は夫の喪失感のためときどき薬を飲んでいるが)まだ元気なのだ。  これからも疲れない程度に、無理なく毎日がんばって努力するつもりです。

 口から水も飲めなくなった友人、耳がほとんど聞こえなくなった知人、杖を使わければ歩けない友人、寝たきりの知人など、みんな同世代の人たちだ。
 まだスキップできるかしら?今鏡の前でやってみたら、何とかできたが
以前のように軽やかではなかった。でも、すごいなあ!
 あんなに繊細な私が90歳まで生きるなんて(多分ですがね)でも、私の
長所は持続性で、それが楽しいから続けられるのかも知れませんが。
 それから食事も、栄養を意識して毎日楽しんで作っていますが、この年齢で新しいクラスを創ったので、それは当然かもしれません。
写真 世界心理治療学会で発表したドイツ、ロシア、ウクライナの人と
  79歳 主婦の友社「ゆうゆう」誌メークモデル 
  多分52歳頃 ブリジストン研修講師時代 
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「世界心理治療学会」で発表した小池能里子からのアドバイス

2025-01-12 11:56:08 | エッセー
☆笑うことはこんなに素晴らしい    
 あなたは毎日良く笑う方ですか?それとも、もしかしていつもむっつり
して、笑ったことなどないことなどない滅多にない方でしょうか?
 でも、同じ毎日なら明るい笑顔を振りまいて、和やかに過ごしたいものですね。笑うことは好感度が高まるだけではなく、自分自身にもこれほど効き
目があるのをご存知でしょうか?それを熟知していたので、私は滅多に
怒りませんが、認知症12年目で昨年亡くなった夫は、唯の一度も怒らせ
たことはありませんでした。そのため夫は色々な病気がありながら、男性
の平均寿命より10年も長生きしてくれ、「認知症優等生」して、穏やかに
旅立ち
※笑う効果について具体的ご紹介しましょう。
 1)副交感神経を高め(リラックス、安定)心身をくつろがせる。
 2)消化活動がよくなる。               
 3)体の抗体能力を高めるため、病気にかかりにくくなる。
 4)ガンの敵ナチュラルキラー細胞を活性化させる。
 5)リューマチなどの痛みを和らげる・
 6)気分が明るくなり、ストレスを感じにくくなる。
 7)元気や、活力や、ヤルキが出る。
 8)体が柔らかくなる。
 9)お腹全体が動くので、内が活性化する。
 10)気持ちが若返り、老化予防になる。
 11)自然に腹式呼吸になるので、気分が安定する。
 12) 心身とも若返る。
 笑うことは脳生理学的、精神免疫学的にもこんなに効果があることが
知られていますが、もしかしたら現在はもっといろいろな効き目があるかも
知れません。

世界的に有名なアメリカの有名なジャーナリスト「ノーマン・カズンズ氏」は、難病の膠原病に侵され、再起不能と言われました。
 そのため医学的な治療をしてもなかなか治らず、友人の医師と相談し
大量のビタミンCを摂取すると同時に、「ドッキリカメラ」や「面白い映画」など見続け、毎日笑い転げると言うユニークな治療法を行いました。
 すると痛みもだんだん少なくなり、その結果として完全な健康体になる
奇跡が起きたのです。それから、75歳で亡くなるまで、以前にもまして活躍をなさったのは大変有名な話です。

 カズンズ氏は、その著書の中で「寝たきり病人にとって笑うことは
体内の運動、一種の内臓ジョキングをさせることだけではなく、ほかの
あらゆる積極的な情緒まで作用する働きがあるようだ」「笑いは脳内の
エンドロフィンを刺激して、痛みを和らげ活きる意欲をよびさましたのだ」
と述べています。

これも事実ですが、たとえ自分で意識的につくった笑顔でも、それが大脳に良い情報となり、大脳は体全体に「今は大変良い状態だ」と、指令を送るので、心身が健康になるのです。昔から「笑う門には副来る」と言う有名な諺が
ありますが。気が合う友達と話していると、いつでもコロコロと笑っている
自分に気が付きますが、そんなときはとても和やかなで、幸せな気分に
なっています。

日本にもその笑いを研究する「笑い学会」がありますが、大分昔ですが、私はその学会に入会し、銀座で開かれていた研究会に時々出席していました。
 余談ですが、あるとき「笑いはどんな色かしら?」と、そのイメージが知りたくなり、自分で300通以上集めたアンケートを元、研究発表したことが
ありました。そのアンケートの多くは、「笑いの色はイエロー」でした。
 やはり笑いのイメージは、明るくハッキリした黄色なのだと、私の研究発表に皆さんとても納得していましたが……あなたも日常生活に、明るい笑いを
取り入れ、心身も健康になりましょう。

私も今はまだ夫がいなくなった寂寥感や、喪失感のため気持が暗くなりがちでした。でも、長年介護して夫を見送った方々のホンネは「気持ちが楽になり
ほっとした」と言う事を知りました。私達は考え方や価値観が合い、そのため長年喧嘩一つしなかったのです。また、私を自由に泳がしてくれたり、さま
ざまな面で、人並み以上幸せな結婚生活をしていたのに気づきました。
 あれほど色々な病気がありながら、男生の平均寿命より長生きしてくれ
た夫に感謝できました。これからもいつも前を向いて、明るい笑顔で
生きて行こうと思いました。
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思い出を辿りながら・・・久しぶりの銀座と日比谷

2025-01-11 08:57:09 | エッセー
 英会話教室でお友達になった一人が、何度か行った銀座のビルの6階に
ある高級なお寿司屋さんに案内してくれるそうで、「では年明けに行き
ましょう」と、年末に4人で話がまとまった。
 銀座の交差点の鳩居堂前で待ち合わせたが、午前中は風が冷たかった。
そのお店は並木通りの角にあったが、大きな看板も出ていない、全然
目立たないお店だった。

 お寿司を握る板前さん達は、全員丸坊主で驚いたが、衛生上そのように
しているようだ。無論予約してあったが、早い時間だったが、だんだんお客
さんが増えてきた。テーブルは朱色の塗りで、お寿司を載せる台は多聞大理石だと思った。ランチコースでお願いしたが、握り寿司の前に色々なものが出た。彩り美しかったし、とても美味しかったので、かなりのお値段だったが、それぞれ満足したようだ。

 その後コーヒーを飲んで楽しいおしゃべりをし、私は銀座から日比谷
まで歩き、千代田線に乗るからと友人達と別れた。
 亡くなった親友は有楽町駅前のビルに勤めたいたので、いつも待ち合わ
せは日比谷シャンテの入り口にある喫茶店だった。
 私は早めに家を出て霞が関で降り、日比谷公園を散歩しながら通り抜け
そこで親友が来るまで一人でコーヒーを飲んだ。
 ほとんど毎月会っていたその頃の楽しい習慣で、その後は、有楽町マリ
オンで映画を見たり、銀座まで歩いて飲んだり、食事したり・・・・
(あれは一体何年間続いたかしら、楽しかったな)と思い出しながら歩いた。

 彼女は独身だったので、海外や国内旅行など二人で何度行ったことだろう。
一度は私がフラのレッスンを受けるためハワイへ行った時、1週間付き合ってくれたやさしい人だった。彼女は私立中学のクラスメートだったで、何故か
突然中3の時彼女の自宅に先生をお願いして、3人で英会話を習っていた
ことを思い出した。それなのに、今もまだ習っているのだと可笑しくなった。
また、やはり中3のとき共同募金のため、昔あった数寄屋橋の上で「お願い
しまーす」と4人で大声を上げていたら、傍にいた靴磨きのおじさんに
「そこにいられたら、お客さんが来ないからもっと遠くへ行って」と
怒られて、みんなでキャーキャー言いながら逃げ出したこともあった。
 
 銀座も日比谷も随分変わったが、雰囲気は昔とあまり変わってはいない。
日比谷交差点角にある地下鉄の入り口は、円形の階段でいつも(まるで
宝塚のステジーのような雰囲気)と思いながら降りたが、とても懐かしかった。過ぎ去った昔を思い出しながら、ひとしお感慨深く歩いた銀座と
日比谷周辺だった。

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