昨夜は東京オペラシティ出演のための、最終レッスンだったが、歌唱指導の先生は私達が指導したように歌えないので、きっとイライラなさっていたのだと思う。素人で高齢者のメンバーなので、一生懸命歌ったつもりでも、先生の期待どおりにはいかないのだ。申し訳ないのだが、これも限界なのだろうが、土曜日に東京オペラシティに出演するのは、とても嬉しい。実は私は幼い頃から大ステージは、何度か立ったことがあった。
※ その頃新聞や雑誌に掲載された写真
私は3歳の時麻布にあった音楽学校(といつも両親は言っていた)へオーデションを受けて入ったが、それは雨が降っている日で、兄も受けたが落ちたようだ。先生は音楽家の「桑原哲郎先生」だったが、幼児の合唱団をつくりたいと思っていたようだ。私はそれから毎週母に連れられて、新橋から都電に乗り換え麻布まで通ったが、何より嬉しかったのは、その日は声のためにとアメ、チョコレートなど好きなものを必ず買ってくれたことだ。思えば「声に悪いから」と食べさせてもらえないものが沢山あった。その頃は大変有名で海外へ紹介されたり、新聞や子供の雑誌などにも随分掲載されたようだ。
父の妹が上野音楽学校(現在芸大)を卒業して声楽家だったが、私がその血をひいたと思ったのか、父は大変熱心だった。その頃キングレコード専属の「桑原豆歌手隊」は大変有名だったようで、海外まで紹介されていたようだ。だんだん戦争が激しくなるにつれ、自然に解散されたようだが、幼い私は怒涛のような大喝采は、何度も体験していた。この年齢で思いがけなく大ステージに出るが、最後に歌うので、多分客席はガラガラではないかと思っているが、でも人生にはいろいろな事があるものだ。ましてや、私が元でできたオリジナル「魔女の唄」を歌うなんて・・
多分ドイツの新聞に掲載された記事 右前が私
またさっき学会関係の弁護士さんから、こんなSMが入っていた「84歳にして30歳位のピチピチワクワクの元気さ、ますます素晴らしいとおもいます。また、ご主人に対する丁寧で愛情のこもった介護は頭がさがります。お元気で人生を楽しんで下さい。またお会いする日を楽しみにしています」と。ちょっとご機嫌になった午後だった。
桑原先生の記事を検索中、こちらのブログにたどり着き、お邪魔させていただきました。
日々の素敵なお暮らしぶりを拝見して、憧れの目で『お姉さま(と勝手にお呼びしても、お許し下さいますでしょうか…)』を見つめております( *´艸)。
さて、少し前の記事へのコメントで恐縮ですが、少し私事をお話しさせて戴きたく存じます。
と言いますのも、どうやらお姉さまは、私の母と近い時期に桑原先生の御指導を受けていらしたようなのです。
戦前、母も麻布で先生から歌を習い、キングレコード専属となって吹込をしたと聞いております。
その後、女学校入学を機に活動は止めたそうですが、もしかしたらこちらの記事の時分には、お姉さまと擦れ違っていたかもしれません(*^^*)。
今も母は、一緒にカラオケへ参りますと、機械の採点で私の歌にビブラート判定が出る度に
「そうかしら?これ、随分採点が甘いのね(笑)」
と、ニコニコしながらダメ出しをしてきます(笑)。
それでは、御主人様のお身体を大切にされつつ、かつパワフルに人生を謳歌されていらっしゃる素敵なお姉さまを、これからも影ながら尊敬して参ります!
長文にて、大変失礼致しましたm(_ _)m。
青函連絡船 羊蹄丸