ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

命の尊さを再確認して

2020-03-31 08:56:38 | エッセー

 昨日は志村けんさんがコロナ性肺炎で亡くなり、世代を問わずに人気者だった

ので、大勢の人がショックを受けた。そのために沢山の方々が、コロナウイルスの

恐ろしさを改めて再確認し、きっと生活態度も随分変わるのではないかと思った。

 また、先月私が属しているある学会の、理事仲間の歯科医のSさんが、お風呂の

中で亡くなったと聞いて驚いた。まだ50歳代で、とても元気で明るく楽しい方

だったが、きっと心臓病による突然死だと思った。ところが昨日知人からの電話で

病気ではなく、泥酔して入浴したためて溺死だったと知り、私は何とも言えない複雑

な気持ちになった。

 年齢にはまったく関係なく、事故、事件、病気、天災などで、私達はいつ命を落

とすかも知れない。言うなれば「一寸先は闇」で、いつも薄氷の上を歩いているの

だろう。そう捉えると、高齢になっても一応元気で生きていられるだけでも

「幸せで感謝」だと感じた。結婚以来大家族の葛藤から、長年自分を抑圧していたが

社会に出てある程度自由に生きられるようになり、その開放感が嬉しくて、30歳代の

終わり頃から現在まで、「自分自身のためだけならいつ死んでも惜しくない」と思って

長年生きていた。でも、これは、不遜と言うのか、傲慢というのか、ピッタリした言葉

では表せないが、良くない考えだと改めて大いに反省した。

 これからはもっと謙虚に、命を大切に生きなければと思ったのは、私は相当愚か

なのかも知れない。

 

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ヘルスメーターの呪縛から解放されて

2020-03-30 06:28:56 | エッセー

 仕事柄絶対太ってはいけないと、私は40歳代から毎朝体重を計って、55歳までは

ベスト体重をキープしていた。それは毎日記録していたが、同じ食生活をしているのに

ジリジリふえてきた。代謝率が落ちたのか、ダイエットしたり、その他数えきれない

ほど色々な努力をしても、年齢と共にだんだん増えてきた。

 間食はゼロ、果物は好きだが、甘いものは好きではなく、そう食べる方ではないし

ことにこの25年以上は寝る前には絶対に物をたべない。それなのに、ああそれなのに

体重増加は止めることはできなかった。アルコールを完全に止めると減るのは確か

だけど「あれ我慢、これガマン」では、生きている楽しみがないから止めたくはない。

※ベスト体重だった頃

            

 今ではちょっと言えないほど、昔から比べるとデブになったが、手足が細いので

自分で思うほど、他人は感じてくれないようで助かっているが、でもシワが中から

埋まってくるのは確かだ。そんな私だったが、ヘルスメーターの電池が切れたようで

計れなくなった。二日間電池切れで新しいのを入れても、なぜか電源が入らなかった。

 最新のヘルスメーターは二年前に買ったが、土日でメーカーに問い合わせられない。

そのため、何日か計れないが、何だか気持ちが軽いのは何故だろう?

 最近は毎日体温を測るのも習慣になった。それは嬉しいからで、80歳まで34度8分

の体温が、日によっては36度3分もあるからだ。長年の努力の成果が上がったことは

確かだ。「もうこの年だから少しデブでもいいや」と思いつつも、何だか呪縛から解放

されたようで、この何日か気持ちがとても軽い私である。

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雪の日曜日

2020-03-29 09:19:16 | エッセー

 昨日は一歩も家から出なかったが、ニュースを見たらまたコロナ感染者がもっと

多くなったようだ。私達は免疫能力が強いと思っていたが、さすがに不安になった。

無論今日も外出しないつもりだったが、ガラス戸を開けたら、何と雪が降っていて

夫と二人でしばらく眺めた。すると、突然大昔のことを思い出した。

それは結婚した年の4月確か二日のことだったが、渋谷駅で待ち合わせたその日に

雨が雪に変わり、薄着の私はまだ来なかった彼を、改札口で震えながら待っていた。

 10分ほどしてやっと来た彼に、「凄く寒かったんだから」と言ったら「ごめんね」

と謝って、自分が着ていたコートをサッと脱いで私に着せて、近くの喫茶店に入った。

 

その時入った喫茶店がとても暖かくて嬉しかったし、熱いコーヒーが美味しかった

ことなど、今でもありありとイメージできる。最近とみに記憶力が悪くなり困って

いるのに、なぜ65年も前のことはハッキリ覚えているのだろう?

 昨日地方の友人からのメールは「命を支え合う相手がある事は最高の幸せ」また

友人夫婦の名言は「お互いに、はよ死ねと言いあいながら、最後までくっついてい

るのが良いのよ」だそうだが、私絶対にそうは思わないけれど・・・

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目標は自分の身近にあった!

2020-03-28 08:50:39 | エッセー

 私は今でも目標があるが、この時代でもあるし、私自身も高齢なので、実現しな

いかも知れないけど、まだ希望的観測はしている。でも、昨年末あたりから実現

するか、どうか分からないこと目標にしていても、あまり楽しくないことに気が

付いた。「だったら可能性がある事をターゲットにしよう」と思って、「夫を男性

の平均寿命より10年以上長生きさせる」ことに決めた。夫はすでに87歳、とうに

平均寿命81・5歳を過ぎているし、認知症歴はすでに10年になった。

 でも、記憶こそできないが、ほとんど自立しているし、その場では物事が理解

でき、見た目は他人に分からないほどの「認知症優等生」だ。

 さらに、私は過去に、何年もかけて「夫と自分の体質改善した」実績があるでは

ないか。老化はしたが過去の経験からして、その可能性は大で、これこそ私の幸せの

元点ではないかと、ハット気づいた。すると毎日がとたんに楽しくなった。

 それを夫に話したら大変嬉しそうで、ニコニコしながら「有難うございます。

これからもお世話になりますと」と言ったが、彼はホントに素直な人だ。

 長年にわたる手づくりのバランスの摂れた食生活と、心理カウンセラーとして

心のケアは多分行き届いているはず。さらにホームドクター、10年目の治療を受け

ている精神科の先生、歯科、眼科の先生方にも定期的にお世話になり、現在毎週3日

デイケアサービスに通い、その手厚く効果的なサポートも受けている。

 認知症になってから10年目、最近食欲が少なくなったが、夫が完食してくれると、それ

もまた小さな喜びになった。

 認知症になってから一度も怒らせたことがないので、穏やかで明るく、いつも二人

で笑っていることが多い。コロナ騒ぎでお花見ができない人が多いが、私達は一足先

に新宿御苑、成城学園前駅の思い出の通学路だった桜並木、羽根木公園、すでに3回も

きれいな桜を沢山見てお花見をした。昔は確かこんな言葉があった。

「世の中で一番美しいものは老夫婦」、今ではあまりに老夫婦が増えたためか、死語

になったようだ。美しくなくても、子供達に迷惑かけず、友人達はすべて未亡人なった今

2人で仲良く暮らせればそれが一番幸せだと思った。コロナ戦争のため、今日と明日は

家から一歩も出ないで、大人しくしていようと思っている。

 

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春爛漫で例年はウキウキしているはずなのに・・・

2020-03-27 09:22:06 | エッセー

 羽根木公園へ桜を見に行ったが、約60年前に植えた桜はかなり老木だが、きれいな

花をつけていた。公園は暑いほどだったが、人影はあまり多くはなかったのは、コロナ

騒ぎのためだろう。でも何か所かの保育園の幼児達が、ところどころにいて、嬉しそうな

歓声を上げていた。

公園は「まさしく春」と思えるほど、新緑が芽生えて、つつじのつぼみが膨らんでいた。

 帰りにス-パーへ寄ったら、大混雑で、前夜に小池都知事のテレビ出演し都内の

感染率が高くなったため、「不要の土日の外出を自粛を避けるように」のことが

大きく影響し不安感を煽った結果だと思った。レジに並んだのはおよそ30分、ところ

どころの棚が何もなかったが、欲しかった納豆は一つもなかった。

 ますます増える感染者、戦時中は「非常時」と言われ、国民が一体となりすべてに

従うのが当然だったが、今現在もそれに類似した状況だと感じ、私はどうしても「細菌戦争」

としか思えず、これからどうなるのだろう?と、背筋が寒くなった。

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