ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

夏日の歩行会

2017-05-31 03:40:35 | エッセー
 今回は都内を歩く企画でJR五反田駅付近で集合、出席者は20名。
天気予報では相当暑くなると言われていたが、みんな高齢者なので体力がある人
でなければ参加できない。我がクラスは男女各4人づつで、ダントツの出席率。
 その辺りは昔山だったようで、大変坂が多いようだが、はじめに皇后陛下の
ご生家でもあり、現在は「ねむの木の庭」と言われている旧正田邸を見学した。
 
 



それから池田山公園へ行きお弁当を食べた。そこは旧池田藩の屋敷跡だが
あまりにもアップダウンが多くちょっとビックリ!でも大変美しい公園だった。
 それから慶応大学の創始者「福沢諭吉」先生が眠るお寺を見学したが、その
あたりはお寺が10軒ぐらい集まっているようだ。、その辺を歩いている頃から
猛烈に暑くなった。木陰のお寺の境内で一休みしてから目黒方向へ歩いたが、帽子
をかぶって日傘を指していたが、だんだん辛くなってきた。

 

次は国立自然教育園へ入って一休みしてから、その自然林を歩いたが、そのあまり
に広大さに都内にこれほど広い森があるなんてと、大変驚いてしまい、車の音など
まったくせず、まるで山の中にいるような気分になった。
 木陰を歩いていても何だか頭がフラフラしてきて、写真どころではなかった、私は
水がなくなり友人にもらって飲んで随分助かったが、もしかしたら熱射病になりかけた
のかも知れない。帰りは目黒駅まで歩いたが、途中の喫茶店で一休みし、クラスメート達との
楽しいお喋りでスッカリ元気になった。

 家に帰り「国立自然教育園」をネットで調べたら、四季折々色々な花が咲いて大変美しい
ようだ。またその森林の全体像を見たが、そのあまりの大きさに本当に驚いてしまった。
それにしても東京は緑が大変多いと、とても感動し嬉しくなった。
 東京に生まれ育っても、知らないところが沢山あるのだと感じ、改めてもう一度ぜひ行きたいと
思った。生涯大学OB歩行会は、4つの班に分かれているが、それぞれの班が色々考え工夫をして
さまざまな場所へ連れて行ってくれる。私は本当に有難いと思った、5月とは思えない、とても
とても暑い日だった。

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神様に愛された初々しい憧れのスターの?私

2017-05-30 08:43:07 | エッセー
 今朝のメールで、お調子者の私はスッカリ嬉しくなってご機嫌になった。
しかも相手は只今精神世界をご教示頂いている、スゴーイ先生だから。
今ご自分が心臓病だから私の健康状態を実は羨ましがっている、社交辞令だと思う。
 でもときどき「アモレ」なんて書いてくるから、満更でもないのかも・・・
疑うことがない私、実に単純に素直に、ポジティブな事は受け止める方だ。

 そう言えば今まで言われた色々な言葉を思い出したら「女神、お姫様、女王様
無邪気新幹線、マイ、エンジェル、我儘素直、ピュア過ぎて騙されないか心配
まるで少女、エイジレス・ベービー」などなど。
 でも自分でもこれがもっとも私らしいと思うのは、20年ほど前インドの
先生がいつも笑いながらおっしゃった「エイジレス・ベービー」かも知れない。
 あれから何年経っても、こんなおバーさんになっても、成長しないらしい。
それは自分でも十分認識しているから、初対面の方や、仕事面ではより心して
言動に注意しているけど、でも何故そう言われるのか、自分でも分からないから
困るのだ。早く心だけ年を取りたい!
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ジョギングブームのはしりの頃懐かしい雑誌

2017-05-29 03:33:24 | エッセー
 それは昭和50年5月1日講談社発行の月刊「陸上競技」だった。
その頃からジョギングブームがはじまったようだ。
 夫がいつもあまりにも肩こりがひどく、「走ると肩を動かすので、肩こり
にも大変効果がある」と聞いて、夫を誘って早朝に羽根木公園で走るよう
になった。私は多分34歳でダンス教師になりたて、夫は37歳だったと思う。

 しばらく二人で走っていたら「これからクラブを作るから入らないか」
と誘われたのが、これから発足する「世田谷ジョギングクラブ」だった。
 現在と違ってその頃は比較的若い世代が多かったが、私達も参加して
発会式をした。夫婦で参加は私達だけで私が一番若かった。
 だんだん会員が増えて、皇居マラソンに参加したことがあり、私も
一緒に走ったが、今でも警視庁の参加証はどこかにあるはずだ。

 多分発会してから一年後位に、この雑誌で取材されたのがこの写真だ。
全員で走っているところ、体操しているところ、また私達夫婦も雑誌に
掲載された懐かしい写真だ。あれから40年近く、この写真に写っている方は
ほとんどもう亡くなられこの世にいない。そのクラブは今年は参加者が少なくなり最近
閉会したが、これを見ながら月日の流れはあまりにも早い事を痛感した。

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今日のセミナーは「スピリチュアル」

2017-05-28 03:48:06 | エッセー
 今日はセミナー5回目、初めて「スピリチュアルな面」について指導する。
過去にはヒーラーとして私が創案した「セルフ・ヒーリング」は、スタジオや
著書や講演などで度々話したことはあるが、これほどダイレクトなのは実は初め
てだ。幸運なことに一年以上前からその道では凄い先生に、ご教示頂いている
ので、新しい方法も随分学習できたとし、すぐにアドバイス頂けるから安心だ。
 見えない世界があることは昔から信じているし、「神秘体験」も何度か経験した
こともある。でも私としては、日常的にはあまり言葉にはしないつもりだ。

 WHO(世界保健機構)の健康の定義では「精神性、社会性性、肉体性」の
他に、もう何年も前から論議されているのは「スピリチュアル」だ。
 多分20年以上前に、オランダの・ライデンで開催された「国際心理学会」に出席
したことがあった。田園風景の中にある「チューリップホテルに」多分4日間位缶詰
状態だったので、当時WHOの事務局長で、フランス在住の精神科医中島先生と、フラ
ンス人の奥様と仲良くなった。そのため、友人と私はほとんど毎日ご一緒に、食事を
しながら、色々な国際的なお話を伺ったのも楽しい思い出だった。
 その時点WHOでは「スピリチュアル(霊的)を加えるべきと討議されていたが
先進国の強硬な反対で却下された。中島先生は「将来必ず加えられるべき重要なもの」
で、「現代は霊的な世界に近づきつつある」と講演された。
 しかし色々討議されながら、今現在でも未だ加えられてはいないのは、宗教問題
など各国での捉え方の違いもあり、大変難しいものなのだからだろう。

 私自身は霊感などはないし、ごくふつうの人間だが「見えない不思議な力」が存在
するのは事実だと思う。それを言葉にして具体的な指導をするのは大変難しいが
存在していると信じているし、セミナーの受講者も同じ価値観なので話しやすい。
 いずれにしても・・・私達の周りに存在する「見えないエネルギーの方向」を実験
しながら指導するが、何だかワクワクしてまた夜中に目覚めてしまった。
気がついたら外は明るくなっていた。
※オランダの写真が見つからず、その何年後に出席したロシア。エカテリンブルグ
「中央アジア 国際学会」参加、モスクワの写真
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都会に住む幸せを実感した日

2017-05-27 03:31:21 | エッセー
 ヨーガは出会った途端に「これは絶対に仕事にしたい」と思った。
 でも、ダンス、心理学、精神世界、物書きの道その他、すべて趣味が仕事になり、その道では一流の
先生方に直接ご指導頂いた。家庭的にも恵まれ、比較的いつも「日の当たる道を」を歩いてきて、幸運
な人生だと自分だと思っていた。ところが3月に私に大きなストレスを感じる事件があり、そのため
時々どうしようもない激情が、私を襲うことがあり一昨日がそうだった。
 その日はダンスの指導があり、友人達にも話したりして少しは気分転換になった。
でも、夕食でビールを飲んだら、またネガティブな感情がこみ上げてきたて、とてもじっとしていられず
夫に「ちょっと散歩に行く」と告げてから外へ出たが、唯ひたすら歩きたかったのだ、時間は8時10分。
 初めは渋谷方面へ歩こうと思ったが、急に気が変わって経堂方面へ歩いた。
小田急線の梅ヶ丘から経堂までは二駅だが、その距離は3・4分弱で大変短い。
 
いつも行くバス通りを歩いてみようと思った、少し小雨が落ちてきたがすぐ止んで、私はバス通りをひたすら」
歩いた。人通りはほとんどないが、車が沢山走っているので恐ろしくはない。多分30分ほどで経堂駅に着き
駅にある喫茶店へ入ったが、いつも混んでいるのに、時間のためかほとんど人はいなかった。
 ワインを頼んで座ったが、何だかじっとしていられないような、激しい感情はスッカリ無くなっていた。
急ぎ足でひたすら歩き、汗をかいたので気分転換になったのだろう。
 ワインを飲みながら、今現在の気持ちを友人達3人にメールしたら、心配してくれたのか則返信が来たが
友人達の存在はとても有難い。

 それから30分ほど何も考えずに、ワインを飲んでいたら、気持ちが随分落ち着いてきて、お店の閉店で
電車で梅ヶ丘へ帰りスーパーに入ったら、ピアニストの心友から「能里子さん大丈夫?」と電話が入った。
 しばらく話していたが、彼女は2年程前まで経堂に住んでいたが、そこで待ち合わせた事も何度かあった。
今横須賀市に住んでいるが、「都会はいいわね。ここではそんなこととてもできない」と言われ、改めて
「都会の空間に憩える幸せ」を感謝できた。
 今朝はスッカリいつもの自分にもどれ、昨夜心配をかけた友人達にお礼メールしたら、すぐに返信があり
「さすが能里子さん、気分の切り替えはバツグン」と褒めてくれた。
また地方に住む心理カウンセラーの友人から電話があり、ついでにそれを話したら、「人間生身なんだから
ときにはそんな感情の爆発も必要」と言ってくれたが、感情が最高にオーバーヒートした日だった。
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