ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

公園の燃える命に癒されて

2017-04-30 07:43:38 | エッセー
 色々な事が起きて、さすがの私もエネルギー切れと感じた午後、外は爽やかな
風が吹いてた。私は夫を誘って近くの羽根木公園へ行った。
 この前行った時梅林は新緑が芽ばえ、美しくなりつつあったが、周りに植えて
ある「さつき」はっ全然咲いていなかった。今日は梅林の周りにある「さつき」が
満開で華やかでとても美しかった。




 あまりにキレイで何枚も写真を撮った。公園を一周したが、どの樹木もまさしく
目に沁みるような新緑で、私にはことにイチョウ並木がステキだった。
 私は燃えている命を感じた。季節のうつろいは何と素晴らしいのだろう。
我が家の老々家族でゆっくり歩いたが、エネルギーダウンしていた私の心にも
「生きている素晴らしさ」がチャージされたような気がした。

 
それにしても、長年梅ヶ丘に住んでいるが、私達が結婚した頃に羽根木公園は
造成中だった。あれから60年あまり・・・月日の流れは何と早いのだろう。
 幼かった子供達が根津山(その頃はそう呼んでいた)へ行くと、我が家の物干し台
から子供達が遊んでいる姿がが見えたが、今ではビルが立ち並び、景色がまったく
変わった。その後一瞬夕立がきたが、心身がとてもリフレッシュした午後だった。
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急に気が変わって

2017-04-29 07:31:52 | エッセー
 お昼はジャージャー麺をつくるつもりだったのに、突然冷やし中華が食べた
くなった。ハムときゅうりの千切り、うす焼き卵をつくるはずが、何故かフライ
パンにくっついてダメになり、仕方なくいり卵にした。
 酢、砂糖、ごま油、テンメンジャンを少し加えたたれは私好みだが、スリゴマも
たっぷりかけた。冷たくてさっぱりした、久し振りに食べた冷やし中華はとても
美味しくて、緑、ピンク、黄色、赤は彩もキレイでご紹介したくなった。、

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「介護難民」が10年後には43万人になる  後 一部補足 再投稿

2017-04-28 07:12:35 | エッセー
  ☆ 努力は必ず報われる  27:6:15 
 命の長さは自分ではどうにもならないが、これからますます深刻化する高齢者の問題。高齢者達も
行政や、家族を頼ることだけでなく、また若い世代の負担にならないように、甘えてばかりいず
押し寄せる老化現象と上手に付き合いながら、自立して生きる術を学習すべきではないかと思う。
 そのためには最も大切なのは「食事」と「運動」だが、面倒だからとできあいの惣菜や、レトルト
食品、お弁当などばかり食べていたら絶対に健康でいられるはずはない。
 時間があるのだから、できるだけヘルシーな手づくりの食生活が必要だと思う。
まったく添加物の入っていない、薄味でバランスとれた食事を毎日することが、健康の基本だ。
 高齢世帯になると時間があっても、つくるのが面倒だから、昼食はお惣菜やお弁当を買ったり
外食と決めている家庭も多いようだが、それでは健康は保てないと思う。

 また運動は体に負担をいかけずに、効率よく体幹のインナーマッスルを鍛えたり、足を鍛えた
りすることも必要だ。私はそう思って、長年それらを毎日実行している。
 これは私の実体験だが、20年位前には少し重たいものを持つと手がブラブラになっていたが
この2・3年は以前に比べたら、私にとっては重たいものが持てるようになった。
 それは工夫して鍛えたお陰だと思ったが、「荷物は腕だけで持つのではなく、肩、背中、腰など
全身で持つのだ」と、先日のテレビ番組で知った。それは意識的に体幹のインナーマッスルを鍛える
レッスンに変えた結果だとハッキリ分かって、本当に嬉しかった。
 自慢できるのは20年前より体調が良いことで、今現在何の治療も受けていない。

 できるだけ長期間介護を受けずに、また長生きしたければ、高齢者といえども努力することは
絶対に必要でそれらを続けている人達は、あまり寝込むことなく(迷惑をかけないで)人生の最後を
迎えることができると信じている。「いまさら、この年で」とか「何をやったって変わらないよ」など
と思わず、思い立ったら 今日が吉日、何故なら「今日が人生の中で、もっとも若い日」なのだから。
 それは当然だと思うが、時間がある今だからこそ必要だと思う。私の同世代前後の友人達は、自分
なりに努力をしている人が多い。それぞれのポリシーで、自分の最後を見据えながら生きているのは
友人として尊敬できる存在だ。私自身の理想は「命終わるまで凛として生きること」だ。
 81歳の現在も自分で企画した心身両面のセミナーを開き、またボランティアとは言え社交ダンス教師
として活躍できるのは、その証明の一端かも知れない。
 おそらくそんな気概を持って生きていれば、多分そう老残をさらすことなく、人生を全うできるので
はないかと信じている・・・でも、それはあくまで希望的な観測であって、先のことは未知数だと思って
はいる。いずれにしても、自分の人生の最終章まで、寝たきりにならず、ある程度体を動かせるためにも
高齢者達も遊んでばかりいないで、運動したり、学習したりすることが絶対に必要だ。
 これからますます増えると言われる「認知症」予防のためにも・・・
 そう長くない命だからこそ、私はいつも燃焼しながら生きていたいし、長く介護をされないように
努力と工夫とを重ねながら、これからも楽しく過ごしたいと思っている。   
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新緑の街路樹が見たくて

2017-04-27 06:49:33 | エッセー
 プリンターのインクの一つは間もなくキレそう。セミナーのため資料を沢山
要するので、インクはホントに早くなくなる。
 インクを買いに行くのは新宿か渋谷で、その日の気分で色々だが、今日は
バスで街路樹の新緑を見たくて渋谷へ行った。

 今日からバスはゴールデンウイークスケジュールだそうで、なかなかこない。
渋谷まで25分ほどだが、粟島から曲がると、思い通り街路樹がとても美しかった。
 その間には公園や、学校、マンションなど大きい建物が多く、世田谷区から
目黒区に変わるがとても樹木が多く、私がとても大好きな道路だ。
 美しい新緑を往復楽しんだ、ちょっと涼しい爽やか風の午後だった。

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「介護難民」が10年後には43万人になる 中

2017-04-26 05:56:49 | エッセー
 ☆ もしも死を選択できたとしたら   27:6;12日
 これは私が日頃から考えていることだが、ある程度の高齢にになったら、「十分人生を楽しんだから
もうこの世にお別れしたい」とか、「この病気はいくら治療しても治らないし、このまま生きているの
は辛いから、もう生きていたくない」などと思ったら、自分で申告して、自由に死ねるような法律は
できないものだろうか? 神の倫理に反するし、「そんなことなどとんでもない!」と、お叱りを受け
そうだし、おそらく不可能だとは思うが。でも、こんな高齢者達が経済をひっ迫状態にしているのだと
したら、「無きにしも非ず」ではなかろうか?
 
 私はいたって健康だが、夫の介護がなかったら「もう十分人生を楽しんだのでこの世にまったく未練
がないし、すぐにでもさよならしても良い」と、何年も前から思っている。
 それに、またきっと生まれ変われると信じているし、次の世もまた面白そうだし・・
高齢者の中には、私と同じような考え方をしている人も、結構いるのだと知って頂きたいのも
ホンネだ。でも生かされている限りは、誰にも迷惑をかけたくないが、それは誰でも思うのがごく一般
常識だと思う。これは私自身が体験したことだが、何年か寝たきりで、それを長年介護している親孝行と
評判だと言われている人がいた。ところが、もう間もなく亡くなると、医師告げられると、何だかいそ
いそして、そのための準備をしていたからだ。

 当人はまったく気がつかないだろうが、他人から見ると明らかだったが、でも長年十分介護をしたので
心残りはないのだろうが、内心「ホッと」したのが無意識に態度に出たのだと感じたが、これも
また真実なのだろう。私はその時すごく感じた。もしも子供達に「もういい加減逝って欲しいな」
と思われたとしたら、どんなに辛く淋しいだろうと・・・
 だから、子供達に介護をされるのは、最低限の期間にしたいと絶えず思っている。
また、たとえ病気になっても、体を動かせるような状態でいたいから、そのためにも毎日運動を
欠かせない。ある程度自分のことができる状態をキープするため、よほどの自己管理が必要だ。
 「介護難民」が10年後には43万人になるそうだが、そうはなりたくないのが本音だから。

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