ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

今年も沢山の方に読んでいただき有難うございました。

2018-12-30 07:01:15 | エッセー
あっという間に一年間が終わろうとしていますが、「光陰矢の如し」
と言いますが、月日の流れは何と早いことでしょう。
 まだお若いあなたにも、高齢の私にも、同じように歳月は過ぎて行きます。
ですから私はその貴重で、再び巡ってこないひと時を、できるだけ自分で満足して
生きられるよう努力しています。私の心の中の時の流れの尺度は・・・
「過去1 現在7 未来2」ですが、この価値観は若い頃から全く変わりなく
いつも「今」を生きています。

 今年は自然災害が大変多く、そのためご苦労している方が沢山いらっしゃいます。
また今難しい問題に直面していても、希望を捨てないで下さいね。
でもね。これだけは覚えていてくださいね。「暗い顔をしていると、幸せが逃げていく」
のですから・・・私は幼い頃に叱られているとき、涙を流しながら、この中で
(これはいつまで続くんじゃないんだ、きっともうすぐに終わる)と思っていました。
 そんな幼児体験が私の中に今でも息づいていて、それが「プラス思考の元」かも
しれません。来年はイノシシ年の年女ですので、自分の年齢をたたき台にして
「ビビッドエイジング研究家」として、人生100歳時代を、心身共健康で、見た目も
若々しくきれいでいられるかを、研究して皆様方にお伝えしたいと思います。

 ※来年は4日より投稿いたします。過去に沢山書いていますので、お暇なときお読み
下さると嬉しく思います。皆様どうぞ良いお年をお迎えくださいませ。
                     ビビットエイジング研究家 小池能里子
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20年ぶりぐらいに卵かけご飯を食べて

2018-12-29 07:59:03 | エッセー
昔卵は高級品で病気見舞い品でもあった。それは赤い箱に「鶏卵」と書いてあり
もみ殻の中に入っていて、お見舞いの定番だった。若い人は信じられないほど
昔は質素な暮らしで、卵など滅多に食べられなかったからだ。
 おそらく20年以上昔だと思うが、ある小説家のエッセーを読んだが、それは
その頃道端を歩いていた鶏のことが書いてあった。それを正直に書くと、多分
感覚的な人は生卵を食べられなくなるので、今まで誰にも言ったことはないし
これからも言うつもりはない。

 娘がもみ殻を敷き詰めたきれいな箱に入った卵をくれて「これ頂き物だけど
一人では食べきれないから、持ってきたの、卵かけご飯がおいしいから」と茶色い
卵を4つくれたが、息子にも分けたようだ。「折角だから久しぶりに食べてみよう
かしらと勇気を出して食べたら、とても懐かしい味で、案外美味しかった。
 夫も久しぶりでとても美味そうだった。それにしても・・・
幼い頃からあまりに感覚的な私は、悪いイメージがあると絶対に食べられない。
 その一つがうなぎだ。「こんな美味しいものを、どうして食べないの?」と、よく
聞かれ「だって蛇の親戚みたいだから嫌なの」と言うと、みんなが笑うが、ホントに
そうだから仕方がない。ホンネではあまり玉子かけご飯は食べたくはないが、お付き
合いなら食べられそうな気がしている。
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枯れ木の美しさを初めて感じて

2018-12-28 06:26:03 | エッセー
 午後から夫と羽根木公園へ散歩に行った。いつも二人と1匹だったけど、今日は
二人だけで何だか淋しかった。公園は人影もほとんどなく静かで暖かった。
空は雲一つなく美しいブルーだったが、公園はほとんど枯れ木になっていたので
空が広くなったように感じた。枯れ木の銀杏並木がとても美しかったいと気づき
改めて眺めて「枯れ木も美しいわね」と夫に言ったら「自分が年取ったからそう
感じるんじゃないの」と混ぜ返され、二人で大笑いしたが、もしかしたら本当に
そうなのかも知れない。


ゆっくり一周したが、野球場で一人が凧を上げていたが、なかなか上がらない
ほとんど風がないからだろう。公園で一番大きいのは「ゆりの木」だが、随分太く
なったので「手を回してみない」、と二人で樹に両手を回したが届かなかった。
よく見たら大体10センチ位、私達の手の間隔は離れていた。
思えば私達が結婚したときいは、まだ「根津山」と呼ばれていたが、その頃は
公園を造成中だった。


公園ができてからも、まだ幼かった子供達が、公園へ遊びに行くと我が家の
物干し台からその姿がハッキリ見えたのは、その時代はまだ樹木が小さくスカスカ
だったからだ。今では梅も他の樹木も太く立派になったが、私達も年をとった。
最近めっきり足が弱くなり、手すりにつかまって階段を降りる夫、その後ろ姿を
見ながら「あなたが車椅子になっても、私しっかり面倒見るからね」と、心の
中でつぶやいた、空のきれいな年末の午後だった。



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「あなた長生きしてね」幸せな介護をして8年間 (8)

2018-12-27 07:16:43 | エッセー
 私は夫が認知症だと診断されたときに、「心理カウンセラーとして、夫を絶対
怒らせない介護をしよう」と、心に決めた。もともと穏和な人だし、日常生活
ではほとんど以前と変わらず、また不自由はなく、平穏に暮らしていた。
 確か認知症と診断され間もなくだったが、こんな事件が起こった。
ある日私がどうしても出かなければならない用事があり、地元にある信用金庫へ
お使いを頼んだ。何しろ長年通っていて、我が家の並びの一本道なので、私は
安心していた。私が帰ってきてすぐに夫に聞いたら「行ってきたよ」と言うが、家の
中のどこを探してもなかった。「どうしたの?通帳もお金もないけど」と聞いても
分からない。私はすぐに信用金庫へ走ったが、確かに夫は行ったし、下ろしたお金
を持って帰ったことも確認できた。それはかなり大金だったが、私はそれより夫が
一本道の家に帰る途中に紛失したのが、どうしても理解できず、途中で盗られたのか
とも思ったりした。

 私には大変ショックだった。さんざん探したうえ、やっぱり紛失したのだと諦めた
が、自分の気持ちがどうにもコントロールできなくなり、とても家に帰る気がせず
羽根木公園へ行った。梅林の誰もいないベンチで、「これから夫はどうなるのだろう」
ととても悲しくなり、一人で涙を流したのは決して忘れられない。
 それは梅がまだ咲いていなかった、とても寒く空のきれいな日だった。
認知症だと分かっている夫に、私が頼んだのが悪かったのだと、夫を一言も責めな
かった。でも早急に印鑑だけは作らなければと、次の日下北沢にあるお店で印鑑を
注文した。間もなく出来上がったが、その日に何と玄関の入り口にあるスリッパ立の
後ろから、通帳と、お金と、印鑑が出てきた。それが私にとって何より嬉しかった
のは夫が途中でなくしたのではない事実だった

後日分かったのは、お金を下ろして家に帰る途中に、朝の仲間の友人と偶然会って
お茶に誘われたそうだ。その現金を一度家に置きに帰り、3階に上がるのは友人を
待たせるので、入口のスリッパ立の見えないところへ隠したようだ。
それをすっかり忘れたのが、紛失の原因だったが、私はまだ夫は大丈夫だと胸を
なでおろしたことがあった。それからは重要なことは決して夫に頼めないのだと
覚悟し現在に至っている。でも8年間にこれほど心配したのは、只の一度だけだった。
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今の願望は平凡な幸せ

2018-12-26 07:39:46 | エッセー
昔はヨーガ教室、ダンススタジオ、カウンセリングルーム経営指導、講演活動
執筆活動、世界学会でプレゼンテーションなどなど、その願望のほとんどは実現
しました。でも、私の価値観は、有名になる、お金持ちになる、社会的地位を得る
などではありませんでした。自分の好きな事しかやらず、「仕事を通して人様の心身
の健康に役立つこと」それが嬉しくて、楽しみながら一生懸命にがんばりました。
その根底は「いつも健康で、精神的な安定状態で暮らせること」でした。
ですからそのために、他人と競争したことは皆無で「自分で本当に感じる幸せ」で
決して「他人の目に写る幸せ」ではありませんでした。

女として生まれてその幸せを十分享受できたし、家庭も自分では十分満ち足りて
いました。夫は長年治療を受けていますが、80歳代の二人がどこも痛くはなく
好きなものが食べられ、旅行や散歩もできる、お酒を楽しく飲める、これほど幸せ
はありません。まして私の年齢では、すでに夫が亡くなっている人が多いけど、私に
は認知症ですが、まあまあ元気な夫がいてくれます。

そして今私はどこも悪くないし、何の治療も受けずに、まだ元気で素早く行動できる
若い人には当然な事でも、この年齢になると、そんな 人は滅多にいないようです。
 今私はもう少し夢を持っていますが、それは相手があることなどで、実現できるかどうか
分かりません。でも、「夫を元気で長生きさせる」目標は、ある程度の努力で実現は可能です。
 そのため、夫をいつも「ああ、幸せだなあ」と感じさせるよう、楽しく努力したいと
改めて感じたほろ酔いのクリスマスでした。
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