ひょんな事がきっかけで、私はキングレコード専属「桑原豆歌手隊」の一員で
ステージ体験も多く、海外まで紹介されたほど有名だったと、大分以前投稿した
ことがあった。それは多分、小学生以前の「幼児だけのグループ」だったからかも
知れないが、当時の新聞、雑誌などでも大きく取り上げられ、一同で移動すると
いつも人垣ができたのは、幼な心に忘れられない思い出だ。
その一部をご紹介させて頂くと・・・
「桑原先生の記事を検索中、こちらのブログにたどり着き、お邪魔させていただきました。
中略、どうやらお姉さまは、私の母と近い時期に桑原先生の御指導を受けていらした
ようなのです。戦前、母も麻布で先生から歌を習い、キングレコード専属となって吹込
をしたと聞いております。その後、女学校入学を機に活動は止めたそうですが、もしか
したらこちらの記事の時分には、お姉さまと擦れ違っていたかもしれません 後略」
大昔3歳から6歳児(戦争が激しくなり自然消滅?)だが、その時代を共有して
いた方、またそれをお知らせ下さったがいらしたなんて・・・
何だかとても懐かしく嬉しかった。ブログ投稿のきっかけは、私の著書を愛読
して下さる方からの提案だった。でも、(もう長年書いたし私も年だし、そろそろ
書くのは止めようかしら?)と、時折思ったこともあった。
でも、「メンター」「ロールモデル」などとメールを下さる方もあり、またこんな
懐かしく嬉しいお便りと、ほとんど長年1位の「専門職日記」も、私に書く努力の
後押ししてくれた。時代の趨勢、また能力なさ、年齢の壁などから、多数の著書が
ありながら、物書きとして発表する機会がなくなった。
今はヤッパリ続けようと今は思っている。これからもガンバって投稿しますね。
羊蹄丸さん有難うございました。
小池能里子
恥をお話しするようですが、当時母(S6生まれ)は小学5年で父親を亡くし、子供心に(経済的憂慮から)大好きな歌を一時は諦めようとしたそうです。
それでわざと月謝を払わず、レッスンも無断で休んだ時期があったとか…
しかし桑原先生はそんな母を見捨てず、何度も仲間を家まで迎えによこして誘って下さった、と聞きました。
今思えば或いは、そうした『仲間』の一人はお姉さまだった可能性も???
それで母も思い直し、また改めて習い始めたと話しておりました(*^-^*)。
また、そうした桑原先生の細やかなお心遣いには本当に感謝して、以降は『裏方的な面』でもお役に立ちたいと決心したとか・・・
もう時効(?)ですから、白状致しますね(笑)。
実は、母はそれ以降、(お名前は伏せますが)別の童謡歌手の方の「影武者」を引き受けました。
数人の方の代わりに、何枚ものレコードを吹込したそうです。
ですから、母名義のレコードは一枚もありませんが、当時確かに母は『童謡歌手』だった訳です( ^-^)ノ∠※。.:*:・'°☆
「どんな形であれ、歌を続けさせて下さった桑原先生には今も感謝しかない」
と、懐かしそうによく話してくれます。
その後、(お話ししました通り)女学校入学を機に芸能活動は一切止めましたが、入学直後クラスメイトの一人がキングレコードの副社長(?)の
お嬢さんだったとかで、
「ウチの専属だった◯◯さん!!」
などと話し掛けられてしまい、素知らぬフリをするのに冷汗モノ(^^;だったらしいですが(笑)。
そして実は更に、母は戦後とある御縁があって『川田3姉妹』の家庭教師もしておりました。
よく考えると、川田さまはコロムビア専属ですから、戦前はライバル関係だった筈で・・・
大層な奇縁です(*^-^)
またも長々と、大変失礼致しましたm(_ _)m。
大変な社会状況下ですが、お姉さまもどうぞご健勝にお過ごし下さいませ。
箱根、久しぶりに私も訪ねたいです!
丁度,我が子が現在、箱根駅伝の強豪校に在籍中です。
何とかこの災厄が去って、新しい年には頑張っている学生たちの夢が叶いますように……
青函連絡船 羊蹄丸