ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

編集者を待つベルグソン時間

2018-10-30 07:11:55 | エッセー
 あまりにお天気が良いので、家にいるのがもったいないような気分になった。
すると突然箱根仙石原の風にゆれていた、白いすすきを思い出したが、あの日も
とても晴れた美しい日だったが、今まですると、過去に行った秋の自然の風景を
いろいろ思い出した。お天気によって気分が左右されるのは、随分幼い頃から
だったのは、その頃からきっと感受性が強かったのだろう。
 現在1時15分、2時に編集者の方が二人取材に訪れる時間だが、過去に随分沢山
取材されたけれど、早めに準備して「どんな方が現われるのかしら?」と、いろ
いろ想像しながら待つのも、私には幸せなベルグソン時間だ

 取材依頼や執筆依頼の来る方は、時間が正確で絶対に早くなったり、遅くなったり
しない。過去のそんな懐かしい時間を思い出したが、あの時代は私にとっては
人生の最も充実した頃だったかも知れない。洗濯物をとりこもうとベランダに出たら
男性が二人家の前に立っていた。時間は10分前この方達はきっとそうだと気づき
階段を駆け下りた。ドアを開けて「どうぞ」と言って招き入れた。
 それから約一時間あまり・・・おしゃべりの私は余計な事ばかり言って少々反省。
その取材はマキノ出版社「ゆほびか」内容は「ピンクの呼吸」。
さて、どんな記事になるのかしら?久しぶりにとっても楽しい時間だった。
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老夫婦で誓った朝

2018-10-29 09:48:09 | エッセー
 今日も素晴らしいお天気だ。今NHKの朝ドラは終戦当時のことをやっているが
夫は中学生、私は小学生だったので、その当時のことはハッキリ覚えている。
 二人共戦災で家を焼かれ、疎開した経験も同じで、食べるものもろくろくなく
親達はそのために子供達に食べさせるために、相当苦労したようだ。
 戦後の目覚ましい復興から現在までの、日本の変化をつぶさに目ながら私達は
大人になった。その頃と比べると現代は「隔世の観」で、日本の歴史始まって以来
戦争のない長く平和な時代に、その人生のほとんどを重ねられた私達は、本当に
有難いと思っている。

朝ドラの中で、「美味しいものを食べることが、一番幸せだ」と言っていたけれど
私達は子供の頃から考えると、今は夢のような幸せな生活をしている。
認知症8年目、心臓の持病がある夫だが、治療を受けながらもとても元気だ。
長い結婚生活だけれど、お蔭様で比較的平和で、子育ても楽しかったし、家族
で喧嘩などほとんど全然なく、いつも穏やかで明るく、楽しく平和に暮らしていた。
夫は入浴後に晩酌するとき「あー幸せ」と、つぶやくことも時折ある。
 いろいろな自然災害、事故、事件などでご苦労している方々も、広い世の中には
沢山いるけど、「私達は良い時代に生まれて幸せだったね。これからはあまり文句を
言わず感謝して生きようね」と、夫と指切りしてハグした朝だった。
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梅丘ハロウイン ちょっと楽しかった日

2018-10-28 08:35:50 | エッセー
 梅丘の街はハロウインで賑わっていたが、忙しいので全然気にしなかったが、
私の出がけに、家の前でブラスバンドが待機していて、その後街を練り歩いた
ようだ。娘が孫を連れてきたが、間もなく2歳になる男の子は、動きも激しく
物凄く素早い。見ていて驚くほどだが、我が家の娘も息子もおとなしく、とても
育て安かった。自分の孫に娘は振り回されているが、同じ幼児でもこんなに違うの
だと、自分が随分楽だった子育てを思い出した。ほとんど心配もかけられずに成人
し、社会に巣立っていった子供達。私達夫婦の思い出は「子育ては楽しかった」
ことだった。

 スーパーマーケットへ買い物に行って、その荷物を詰めているとき、「今日のこれ
凄く安いですよね」と、若い男性に話しかけられた。同じものを買った私に声をかけ
たようだが、その日特売のめんつゆについて、色々と話した。
私は加工食品や00の素は全く使わないが、これは無添加で美味しいし、便利なので
長年使っている。すると彼は「僕今日休みなんです。だから缶チューハイ3本も買いま
した、これから飲むんです」と嬉しそうだった。「ではお先に失礼します」と、手を振って
エスカレータを降りて行ったが、「何と可愛い人だろう」と、ほのぼのした気分になった。



 家に帰りしばらくしたら、駅前から音楽が聞こえてきて、べランダから覗いたら、大勢
人垣ができている。「何だか面白そうよ。行ってみないい」と夫と一緒に、駅前に
行ったら、音楽に合わせて子供達のダンスだった。幼児から小学生だったが、しばらく
見ていたが、ダンスはなかなか上手だった。我が家の前のお店の3軒が、子供達にお菓子を
配っているようだ。いろいろ衣装の子供達が、大勢お菓子をもらいに来ていたが、電話が入り
写真が撮れなくて残念だった。
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いつまでも「認知症優等生」で、期待を込めて介護する毎日

2018-10-27 07:38:09 | エッセー
 高校時代の親友で、友人の中では夫が最も尊敬していた人が、やはり認知症に
なった。多分2年ほど前に我が家の隣のビルで開かれた「ジャズライブ」に誘って
Mさんはとても楽しんでくれた。ところが、小田急沿線からバスで帰るはずが、その
日はなかなか帰らず、奥さんから心配して電話があった。
Mさんは高校時代から音楽に詳しく、そのため彼の影響で夫はジャズが好きに
なったようで、人格的にも素晴らしい人だと尊敬していた。多分50歳代の頃は、定期
的に4人グループで集まり、色々な場所で交流をしたが、その時友人他達の要望で
私はいつも出席していたので、夫の友人達とはかなり親しい間柄だった。
でも年齢とともに解散したが、夫はMさんに誘われて、野鳥の会や、色々な催しに
二人で一緒に何年間も参加していた。

 実は来月初めにまたジャズライブがあるので、もしも誘えたら?と、Mさんの
その後のことも気になったので、奥さんに電話をした。すると認知症は大分進んで
近所へ行っても帰ってこられないそうだ。さらに最近は気に入らないと、一日中怒
鳴っていて大変だとか。あれほど温厚な方が・・・と、私は一瞬言葉に詰まったが
奥さんが本当にお気の毒になった。奥さんは「私もはっきりしているから、間違える
と怒るし、黙っていられないので」と言ったが、それがふつうの家族の対応法だと思う。
夫を8年間唯の一度も怒らせないのは、私の心理カウンセラーとしての知識以外に
自分の年齢も日付も分からない夫が、気の毒でならないからで、夫が何を間違えても
私は決して怒らないことにしている。
※ もしも迷ったらと作った一度も使わない名札 あれから満7年

と言っても時には大きな声を出すこともある、私が何で怒ったのか素直な彼は
理解しているからだ。また頼めばできることは何でもやってくれるし、一つなら買い物
もできる。実は昨日は家から10分以上歩く、知り合いの金物屋さんへ買い物に行った。
「一人で大丈夫かしら?」と言ったら「オレ梅丘で育ったんだからね、行ってくるね」
と家を出た。夫が出かけて10分ほどしてから、私は急に心配になり、半走りでそのお店
へ向かった。すると「少し前にカギを買って帰りました」と言われ、ホッとして夫を追い
かけて走った。夫は家に着いたが、インターホンの暗証番号が分からず、入れないので
待っていた。こんな状態の我が家だが、夫の親友Mさんに比べたら、その進行度は
物凄くゆっくりだ。これからも、「あー幸せ!」と、ときどき自然に口から出る夫の
気持ちに寄り添って、できるだけ「認知症優等生」でいられるように、やさしく介護を
したいと思っている。
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カール・ラーション展を見て

2018-10-26 10:34:37 | エッセー

新宿駅から近い損保ジャパン美術館は、時々一人で行く美術館だ。
そこは我が家から近いし、42階にありそこからの展望はとても良いので、ビル
ばかりだが、その景色を眺めると気分が晴れるからだ。
他の美術館と違って、いつも比較的静かな雰囲気がとても好きなので、ゆったり
見られるので、最高の気分転換になる。展示物は芸術家夫妻の家庭生活なので、夫も
楽しいのではないかと一緒に行ったが、あまりそうではなかったようだ。



 昨日は小学生の団体もいて、いつもと違って、会場は人が溢れていたが、小学生が
あれほど沢山いたけれど、本当に静かだった。手づくりらしい作品案内を見ながら
熱心に絵を見ていたり、それに一生懸命書き入れていていた。
 家族や、室内などの家庭生活の絵は、ほのぼのとして、とても楽しく見られた。
やはり芸術家である奥さんの手づくりの洋服、ベットカバーなど、などいろいろな作品
が、沢山展示されたが、それらは愛情が感じられて、きっと幸せな家庭だったの
だろうと想像できて、ほのぼのとした気分になれた。
※本物は撮影禁止 一緒に写真が撮れるレプリカ

 常設展示のゴッホの50億円と言われる「ひまわり」の周りには、いつも人が大勢
いて、今までの雰囲気とは全く違っていた。また常設展示の、大好きなお目当ての
「グランマ・モーゼス」の絵は、「夕暮れ」という初めの見た絵だった。
 帰りのエレベーターで並んだのは初めてだったが、いつもひっそりしている方が
私は好きだと思った。外に出たら新宿の空は高いビルばかりで、本当に空が狭いと
感じた。夫は山手線で一つ目の「新大久保」の高校へ通っていたので、新宿はホーム
グランドだったし、西口が真っ暗な時代をよく知っている。
 無論私も知っているので、デパートの喫茶店で、コーヒーを飲みながら、青春時代の
懐かしい新宿の昔話に、しばらく花が咲いた昼下がりだった。


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