ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

こんなことがあるなんて

2020-11-30 18:20:54 | エッセー

 昨日は実家の兄嫁がなくなりその納骨の日で、お寺に親戚一同はお寺に

集まった。事前にお塔婆を頼んであったが、いつもは法要する本堂に飾られて

いるが、施主の名前が1本しかない。何故なのかと不思議に思っていたが

「お塔婆代は?」と、実家の長男の施主に聞いた。すると、「きちんと名前

を書いてその本数を、ファックスで大分以前にお願いしたのだけれど、どうも

和尚さんが忘れたらしいので、すみません」と言われ、私はビックリした。

法要に参加する人はお塔婆を出すのがふつうだが、それを和尚さんが忘れた

なんて、とても信じられないことだ。

 すると「どうも和尚さんが少し変で、もしかしたら認知症かもしれない。

以前父の3年前の葬儀の時にも、何だか変だったので・・・」と、甥は

言ったが・・・住職がお塔婆を忘れるなんて、とても考えられないことだ。

 白金高輪にあり史跡にもなっている、とても由緒ある立派なお寺だ。

幼い頃から両親に連れられて長年通ったが、今では両親、兄も埋葬されている。

 昨日は住職の奥さんだけしかいなかったが、大分以前に大改装し、法要

のための立派な待合室も3室完備されて、地下は駐車場になっている。

 お寺でお塔婆がない法要なんて、私は生まれて初めてだが、今でも信じら

れないような複雑な思いだった。

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成城学園前の銀杏並木

2020-11-28 20:59:15 | エッセー

 成城学園前駅は夫が都立中学へ通った街で、4月に桜を見に行ったので

「また銀杏を見に行こうね」と約束していた。今日行ったら冷たい風が吹いて

とても寒かった。銀杏並木は成城大学前から、まっすぐに伸びているが、残念

ながら時期が少し遅かった。かなり落葉していて、道路に面しているガレージは、

まっ黄色な銀杏の落葉がいっぱいだった。それがとてもキレイにだなと感じ

ながら、しばらく銀杏並木を歩いた。

 

帰り道の駅に向かう道の両脇の豪邸を見ながら歩いたが、昔(現在はあるか

どうか分からないが)「成城憲法」で決められていたと言う「隅切り」がある

お宅もあった。駅前でコーヒーを飲もうとお店に入ったが、急にピザが食べ

たくなり、ビールに変わった。飲んべーの私達は、そんな時実によく気が合う。

 ビールを飲みながら「銀杏の葉に虫が付くと、その葉はすぐに落ちるため

他の葉に移らない」とか、「銀杏はあまり虫が付かないと木だ」と初めて

聞いた話しで、私は成程だから落ち葉はきれいなのだと思った。

昔は梅が丘駅に陸橋があった時、春先になるとお地蔵さんの脇に合った大きな

銀杏の梢が窓からつぶさに見えた、初めから銀杏の葉の形をしている、可愛い

葉を見るのが、春先の私の楽しみだったことを思い出した。

 夫が中学生の時は、ほとんど畑ばかりだった小田急沿線もすっかり変わった

でも成城学園の豪邸の立ち並ぶ街並みは、その頃とあまり変化がないと夫は

言ったが、多分現在も「成城憲法」が存在しているためかも知れない。

 外に出たらもっと寒くなっていたが、2人で仲良く梅が丘まで帰った夕方

だった。

 

 

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ヨーガと私(1)

2020-11-28 09:24:41 | エッセー

 ダンス教師だった私がヨーガを始めたと知って、友人達は皆驚き、「続く

はずなんてないよ」「信じられない」などと言われた。私はダンス教師に

なってすぐに(これは一生できる仕事ではない)と感じたのは、自分にその

素質がないこと,また教師資格を取っていても、その頃はホステスもダンス

教師も、世間では同じような目で見られた社会的な地位、またその環境から

でもあった。一生できる仕事はないかと模索し、出合ったのがヨーガで

その時代は宗教臭が強く、初めは夫を誘って二人で通ったが、夫はそれが

嫌だと夫は4か月で止めた。

その頃ヨーガはほとんど知られていなかったが、ヨーガに出合った途端に私は

「これを仕事に一生のしたい」と思った。

 その頃は1週間1度しか通っていなかったが、間もなく経営者の先生に

「これから必ずもっと普及するはずで、あなたはダンスの先生で指導力

もあるはずだから、ぜひ、インストラクターになってくれないか」と

声をかけられたのは、多分半年ほど経ってからだった。

私は即「お引き受けいたします」と返事をしたのは、その精神性にだんだん

惹かれていったからだった。

 その頃代々木駅前にあった「東京高等ダンス学校」で、週3回の夜クラス

レッスンを指導していて、昼間は時折予約で個人指導をしていた。

 そのダンス学校の指導の後に、毎週3回インストラクターとしての特訓

を受けることに話がまとまった。それから夫の同意を得て、私は毎週3回

代々木から、丸ノ内新宿3丁目の「東京ヨガセンター」へ通うことになった。

私が指導を受けていたのはインド人の先生だった、でも、インストラクターの

特訓は経営者の先生だった。先生はその時間まで私を待っていて下さって

、夜9時頃から約1時間色々と教えて頂いた。特別レッスンはすべて無料だったが

その条件としては「東京ヨガセンター」で働くことだった。

 

 

 

 

 

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老老介護は楽ではない

2020-11-26 19:59:29 | エッセー

 今私は世田谷区で開催している「認知症介護者のためのストレスケア」講座に

通っている。世田谷区は大変福祉が整っていると言われるそうだが、そんな催し

が定期的にあるのは有難い。それは1時間半の6回コースで、出席者は17名だが

3回目は2・3人減っているようだ。参加者の多くは子どもの世代で、老々介護

は少ない。3回目は「薬の活用」は薬剤師のお話で「カラダを栄養から考える」

は管理栄養士のお話だった。バランスの摂れた栄養豊かな長年の食生活を心がけ

必要と思えるサプリメントの摂取などは、必ず夫の精神衛生にも効き目がある

と信じていた。でも、改めて専門家のお話を聴いて、やはりそうだとたと実感

できた。

 認知症10年目に夫は要介護1で、友人の心理学系の大学教授は「10年で

まだ介護度が1なんて、ホント凄い事よね」と褒めてくれる。

 10年間責めない、怒らせない、それは私が心理のプロとして、自分の心に

決めた約束だ。でも、時折どうしようもない感情にかられ、大声を出すことも

実はたまにはあるが、それは自分自身にメンタリティのためでもある。

 必ず一度だけでどんなに腹が立っても、決してそれ以上は言わないことにして

いる。そんな時夫は黙っているのは、私の気持ちを理解しているからだが

もしも何度かくり返したら怒り出すのは確かだ。月日、その日の出来事、たった

今のこと、自分の年齢も定かでない。でも、食事、入浴、着替えなどは全て

一人でできる優等生で、知らない人は夫を認知症だとは気がつかないほどだ。

 でも、最近進行したと感じられることが、だんだん増えてきて、今朝も3時に

突然テレビの音で目が覚めた。こんなことはかってなかった、しばらく我慢し

たがこらえ切れず起きたら、夫はウトウトしていたので消した。

 「他の凄惨な介護をしている人に比べたら、私は幸せな介護をしている」と

絶えず自分に言い聞かせている。でも、精密検査しても異常がなく、時々起こる

目まい症状は、もしかしたら私の心の悲鳴かも知れない。

 辛いことは忘れるようにして、できるだけプラス方向に考え介護していても

これっていつまで続けられるのだろう?と不安になった今朝だった。

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呼吸には冷たい息がある (再投稿)

2020-11-26 06:53:48 | エッセー

 ピンク色のシクラメンが欲しくて行った花屋で、シクラメンに似ているが

とても可愛いなと思って買ったのは、プリンセチアという新種だった。

 いつも行くスーパーが内装工事のためか休んでいるので、違うお店で

買い物したら、そのお店の店員は中国らしいが、実に不愛想で何だか腹が

立った。私はそう短気な方ではないが、何故こんなに腹が立つのだろうと

考えて歩いていたら、突然こんなことを思い出した。「呼吸は二種類あるが

それは暖かい息と冷たい息だ。怒っているときや、敵対心や攻撃心を持って

いるときには冷たい息をしている」私は今冷たい息をしているのだと思った。

 認知症の余命は5年と言われるそうだが、認知症そのもので亡くなるのでは

なく絶えず憤っているので、そのため体の各部分に悪影響(ことに心臓や消化

器系らしい)を及ぼして亡くなるようだ。私の知り合いの男性は、夫より4・5

年後に認知症と診断されたが、一人は昨年もう一人は今年亡くなったが、夫

より10歳と3歳年下だった。怒ると動悸がするが、私は夫に対して腹が立っと

瞬時に強烈な言葉を思い出すことにしている。それは「怒りは自分で毒を生産

していること」それは自分自身に最も悪いが、その悪影響は夫にもろに与えて

しまう そのため10年間も只の一度も夫を怒らせたことはないが、買って

来たばかりのお花を見ながら、「私はこれからも、誰にでも暖かい息で接し

たいと」思った。

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