ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

下北沢を歩いて

2021-05-30 20:40:44 | エッセー

 夫は家にいると一日ベッドにいる、眠っている訳ではないが、まったく刺激が

ないので、私は意識的に夫を外へ連れ出している。今日は下北沢を歩こうと思った。

 夫の母の実家は下北沢の駅に近く、昔は農家だったそうだが、また父も世田谷

生まれのため、小学校時代は田舎がなく、友達が羨ましくてならなかったそうだ。

 以前も何度か行ったが、認知症のため全く覚えていないので、まだある親戚の家

の通りを歩いても「全然昔と違う、こんなに変わったのだ」と驚いていた。

 昔映画館だったオデオン座は分かったが、その傍に踏み切りの傍に、まだ交番があり

懐かしそうに見ていたが、「下北線路広場」は本当に驚いていた。

 相変わらず若者ばかりが多く、古着屋が実に多い。しばらく歩いていたら雨が

降り出し、喫茶店に入るつもりだったが、家の窓も全部開け放してきたので、そのまま

まっすぐ家へ帰った。私が結婚した頃とすっかり変わってしまい、昔のような商店が

なくなり、下北沢は、何だかなじめない街になったが、これも時の流れの変化だろう。

 

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自分に役立つ心理テストとそのアドバイス(11)

2021-05-30 08:44:58 | エッセー

 ◆ 今あなたの心の状態は?

全く違う0点 ほとんどない1点 たまにそうなる2点

 ときどきそうなる3点  いつもそうだ4点

  記入した得点を合計してください。

 

1 物事の決断がなかなかできない。

2 心が何時も沈みがちだ。

3 人と会うのがとても疲れる。

4 自分の未来を悲観的に考える。

5 じっとしているのがもっとも楽だ。

6 あまりよく眠れない。

7 いつも体の調子が良くない。

8 生きている価値があるのかと時々考える。

9 異性に関心がなくなった。

10 以前より深酒をするようになった。

11 手慣れたこともミスが多い。

12 絶えずイライラして落ち着かない。

13 他人と比べて自分は劣っているように思える。

14 朝の気分が最も悪く職場(学校)へ行きたくない。

15 好奇心がほとんどなくなった。

16 判断力や思考力が低下していると思う。

17 世間で起きていることに無関心になった。

18 ときどきたまらなく不安になる。

19 便秘や肩こりに悩まされている。

20 夜になるとだんだん元気になる。   得点合計(  )

 

                小池能里子創案、無断で使用を禁じます。

※ 解説

 これはうつ度のテストです。

20~34 正常 32~50神経症または神経的な症状がある

45~62 軽度のうつ病 50~80重症のうつ病と判断できる

得点が重複していますが、これはあくまで目安であることをお忘れなく。

 もしもご自分で可笑しいなと感じたら、心療内科、精神科などを受診して下さい。

たとえどんなに精神的に辛いことがあっても、およそ1週間位過ぎると立ち直るのが

ふつうです。あまり長くそんな気持ちが続くようでいたら、大変危険ですので、必ず

精神科を受診しましょう。と申し上げても、実は性格的な要因もかなり影響する

ことがあり、得点が高くても心配ない場合もあるのも理解してください。

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末期高齢者の私が・・・ホントお恥ずかしい!

2021-05-29 11:04:11 | エッセー

 事件はこうして起きた。新宿へ買い物に行ったが、小田急線は西口側にあり

JRの連絡口があり、以前は駅のコンコースを通り東口で降りられた。

 ところがしばらく前西口と東口を結ぶ「自由通路」ができて、それからその連絡口

はJRだけの乗り換えだけになった。小田急線の改札を出て東口へ行くのは随分遠く

なった。そのため帰りはJR口から乗り、渋谷まで行きバスで梅が丘へ帰るか、それ

とも代々木で降り、昔駅前にあり私が教えていた「東京高等ダンス学校」辺りの道を

懐かしい思い出を辿りながら、小田急線の「南新宿」駅まで歩こうと考えていた。

 電車に乗ったら、山手線ではなく色が違う総武線に乗った、ホームグランドだった

新宿駅で、電車を間違えるなんてヤッパリ齢だと感じた。

※しばらく休ませて頂いた代々木駅救護室

 千駄ヶ谷で降りまた代々木まで戻り、降りるつもりだったが、山手線が滑り込んで

きたら、急に渋谷へ行きたくなりホームを走ったら、車両の一番後ろ辺りで転んだ。

痛くて立てない、すると車掌さんが近づいてきて「大丈夫ですか?」と声をかけられ

すぐ駅に連絡してくれたが、山手線はドアを閉めたまましばらく停車していた。

「今駅員がすぐきますからね」と電車は走っていった。

 周りには誰もいないからよかったが、痛いけれど猛烈に恥ずかしかった。

 何とか立ち上がったら、車椅子を持って駅員さんが二人きて、「大丈夫ですか?

救急車呼びましょうか?」と言われ「とんでもない、大丈夫です今痛いけど・・・」

「とりあえず駅で休んで下さい」と、駅の救護室で20分ほど休ませてもらったら

痛いけど起き上がれたので、丁寧にお礼を言ってそこを出たが、車掌さん、駅員さん

達の丁寧で親切な対応は、本当に有難いと思い、とても感謝できた。 

 少し痛かったが、ほぼふつうに歩けたので、南新宿駅へ行き、電車を待ったが

ホームドアがないため、進行してくる電車がよく撮れた。

 しばらく前から、「青信号に点滅では決して走らない」「階段を降りる時は手すり

に掴まって」と心に決めていたのに・・・

 左手にかすり傷、膝も打ったようで赤くなっていたが、左肋骨の下あたりがとても

痛かったが、夫の帰ってくるまで何とか夕食の準備はができた。

やはり体を動かすととても痛い、寝る前に体と対話し「朝まで良くなるように」と

知っている限りのマントラを唱え、入浴もせずにベッドに入ったが、後悔と反省とで

しばらく眠れなかった。そして今朝・・・まだ動くと左下の肋骨の辺り痛いが、整形外科

へ行かなくてもよいと判断できた。「いい年してご迷惑をかけて申し訳なかった、これ

からは何があっても走らない」と心に決めた。大変お恥ずかしい事だったが、でも軽く

すんで良かったと、神様にもとても感謝もできた。これからしばらくはおとなしく

しているつもりです。

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75歳で目じりのコジワが消えた!

2021-05-28 09:53:34 | エッセー

 100歳時代を迎えつつある現代は、サプリメント、化粧品、健康食品、健康器具など

毎日物凄い数の宣伝で溢れている。それらは無論効果はあるのだろうが、その宣伝内

容は、それを使用するとこれほど変れると言う写真やイラストが多い。

 昨日の新聞一面の広告だが、その絵を見て驚いたのは、そのあまりにオーバーな

変化のイラストだった。

それを飲むだけでこれほど良くなる、誤解されるか知れないが、若さや健康や美し

さは、努力なしでは保てない。まして人生の終りに近くなってからこれほど、大きく

変われるなんて、そんなにイージーではない。でも、私はある方法をしばらく続けたら

75歳で目じりのコジワが消えた経験があった。それは本当に嬉しくて、高齢でも努力

の成果はあるのだと大感動した。また、60代初めまでダンスで傷めた膝で、いつも悩

んでいた。地方のスポーツトレーナの治療院で、治療を受けると同時に、膝の運動を

習った。それからずっと続けているので、80歳代の今ではひざ痛は全くない。

 

私は老化を意識したのは、40歳代の前半だったが、それ以来運動、食生活、サプリ

美容など絶えず意識して生活しているから、高齢でもこの程度でいられるのだ。

60歳代より80歳代の方が体調が良く、長生きしたい訳ではないが、「死ぬまで介護

されたくない」と、体の中の声をききながら、何時も努力しているからだと思う。

 高齢でもふつうに歩けて、どこも痛くなく、人並以上元気でいたかったら、40歳代

からの努力が必要、これは「経験者だからお伝えできる真実」なのです。

※79歳 主婦の友社「ゆうゆう」誌でメークモデルになりました。

 

 

 

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淋しさを紛らわせて

2021-05-27 03:21:52 | エッセー

 コロナ禍のため、私の日常は随分変化した。いつも明るく元気印に見える私は

実は賑やか好きで超淋しがりだ。臆病、いろいろ恐怖症、その他数え上げたらきり

がないほど、ある意味欠陥人間かも知れない。その大きな原因は生育時にあった

と気づかせてくれたのが50代で、親しかった精神科医が言った言葉だった。

 子育てしていて幸せなはずの20歳代に、真夜中に心の中に冷たい風が吹いている

ような寂寥感で悩んだ。色々な本を読み漁り、出合ったのが「ふたりでもひとり

一人でも一人、人間生ずるも死せるも、みな一人なり」「一遍上人」の言葉だった。

それで「人間はだれでもそんなものなのだ」と、心の中が随分平穏になった記憶が

あるが・・・最近仕事は全然入らないし、誰にも会えない淋しさは、文章を書いたり

料理で紛らわしているが、一所懸命に作っても高齢だから自然かもしれないが

夫の食欲は最近ことに減りあまり食べてくれない。

独身の友人は「しばらく誰ともしゃべらなかったら、声が出なくなった」と、電話

で言っていたけれど。長年生きていてこんなことは初めてだ。

でも、高齢の私でもこれほど人恋しいのに、今が一生で一番楽しいはずの若い人達

は本当に気の毒で仕方がない。ワクチン接種が進めば、必ず以前のような生活状態に

戻れると信じたい。毎日のように夜中に目覚めるが、これも多分そのストレスだと思う。

ピクチュアを見ていたら、懐かしいインドリシケシ出の事を、ありあり思い出した

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