26日に投稿した「毎日朝晩体の中の細胞さん達と対話して」を読んでみて
大切なことを忘れていた事に気づきました。それは「チャクラ・マントラ」を
唱えた後にスワミマハラジ(ヨーガ道場最高の指導者)から授与された
「私だけのマントラ」(呪文)を必ず唱えることなのです。
マハラジハお目にかかる以前に、日本の「たま出版」から「魂の科学」という
ご著書も出されていた大変優れた方でした。
まだ私が40代の頃、すでにヨーガ教室を開いていて、ヨーガ指導者なのに
自分で納得できる瞑想状態をどうしても体感できず、悩んでいてそのために、座禅
をしたリ、その他の精神世界の勉強をしたりなど、色々と努力をしていました。
でもなかなかその境地は得られず悩んでいた時、週刊誌で空間に浮かぶ写真を
紹介され、有名になったヨーガ指導者がいました。
私はその先生のセミナーに参加し、その実技でそのヨーガパワーの凄さに感動し
先生の教室に入会しました。それからすぐ「リシケシに一週間滞在し修業をする
ツアー」がありました。リシケシはインドのヨーガやヒンズーの聖地ですが
ヨーガを学んでいる人達の憧れの地でした。その聖地へ行けば「きっと瞑想状態を
得られるに違いない」と早速参加しました。首都デりーからおんぼろバスで約
8時間で、雨が降っていてとても寒いるリシケシに着きました。
予約してあるはずのビートルズが修行し有名になった「シバニケタン、アシュラム」の門前で
4時間も待たされ、結局宿泊できなかったのです。
そのため、まだ星が出ている暗い早朝に、宿泊したツーリストバンガローから
毎日通いました。そこには私が望んだ瞑想の時間は全然なかったのです。
わざわざリシケシへ来たのに、求めていた瞑想は得られず、私はその後観光を
すべてパスし、帰国するデリーで落ち合う事を約束し、同志の女性2人と
リシケシに残り、違うアシュラムの門を叩き、そこで修業をしたいと意見がまと
まりました。幸い英語が流暢な二人でしたので、結局3人でヨガニケタン、アシュラムに宿泊できることが決まり、短い期間でしたが、そこで修業することができたのです。 そこはガンジス河を見下ろす山の上で、心が洗われるような素晴らしい環境でした。が、そのアシュラムでは、大変嬉しい事に朝晩瞑想があり、私はそこで長年求めて
いた「瞑想を体験できた」のです。その感動や歓喜は、今思い出しても身体が震える
程で、決して忘れることはできません。
その時代アシュラムの修行者は、ヨーロッパ系の男性が多く、日本人など
まったくいなかったためか、私達3人はアシュラムのスタッフや、先生方にも
大歓迎されました。
そして瞑想の指導者だった女性のアルナ先生が、その頃ご高齢のためご指導
はせず、療養していたスワミに会わせて下さったのです。
マハラジハ3階のベランダで、コウモリ傘をさして座ってましたが、ニコニコ
なさってやさしい感じの方でした。多分アルナ先生が「はるばる日本から瞑想を
求めてリシケシに来た」とマハラジに説明して下さったのでしょう。
後で修業中のヨーローパの男性達に「マハラジに会えたなんて」と大変羨まし
がられました。二度目にマハラジにお会いした時、「マントラを上げようか?」
とおっしゃったのです。「何とラッキーなのでしょう」私達は驚くと同時に大変
喜びました。私にはマントラに入れるが「仏陀とシヴァと、ヴィシュヌとどれが
良いか?」と聞いて下さり、私は迷わず「破壊と創造とダンスの神様シヴァ神
にします」ととお願いしたのです。本当に幸運な事に、ヨーガの最高の指導者
から、私達3人は世界でただ一つの「自分だけのマントラ」を給わったのです。
私はその後アシュラムへ何度か通って、「ヨーガ指導者ネーム」授与されました。
※動物質タンパク質はゼロ、無論アルコールはなしで、そのためか、体が柔ら
かくなり、今では信じられなっけれど頭の後ろで両足が組めたのです。
そのマントラは毎日チャクラ・マントラの後に必ず唱えますが、すると体の中の
細胞さん達のうごめきが聞こえてくるのです。大切な事を忘れたので、後から書き
加えましたが、その頃の写真ご紹介しますね。
※首都デリーからおんぼろバスで8時間、でもエキサイティングでした
大切なことを忘れていた事に気づきました。それは「チャクラ・マントラ」を
唱えた後にスワミマハラジ(ヨーガ道場最高の指導者)から授与された
「私だけのマントラ」(呪文)を必ず唱えることなのです。
マハラジハお目にかかる以前に、日本の「たま出版」から「魂の科学」という
ご著書も出されていた大変優れた方でした。
まだ私が40代の頃、すでにヨーガ教室を開いていて、ヨーガ指導者なのに
自分で納得できる瞑想状態をどうしても体感できず、悩んでいてそのために、座禅
をしたリ、その他の精神世界の勉強をしたりなど、色々と努力をしていました。
でもなかなかその境地は得られず悩んでいた時、週刊誌で空間に浮かぶ写真を
紹介され、有名になったヨーガ指導者がいました。
私はその先生のセミナーに参加し、その実技でそのヨーガパワーの凄さに感動し
先生の教室に入会しました。それからすぐ「リシケシに一週間滞在し修業をする
ツアー」がありました。リシケシはインドのヨーガやヒンズーの聖地ですが
ヨーガを学んでいる人達の憧れの地でした。その聖地へ行けば「きっと瞑想状態を
得られるに違いない」と早速参加しました。首都デりーからおんぼろバスで約
8時間で、雨が降っていてとても寒いるリシケシに着きました。
予約してあるはずのビートルズが修行し有名になった「シバニケタン、アシュラム」の門前で
4時間も待たされ、結局宿泊できなかったのです。
そのため、まだ星が出ている暗い早朝に、宿泊したツーリストバンガローから
毎日通いました。そこには私が望んだ瞑想の時間は全然なかったのです。
わざわざリシケシへ来たのに、求めていた瞑想は得られず、私はその後観光を
すべてパスし、帰国するデリーで落ち合う事を約束し、同志の女性2人と
リシケシに残り、違うアシュラムの門を叩き、そこで修業をしたいと意見がまと
まりました。幸い英語が流暢な二人でしたので、結局3人でヨガニケタン、アシュラムに宿泊できることが決まり、短い期間でしたが、そこで修業することができたのです。 そこはガンジス河を見下ろす山の上で、心が洗われるような素晴らしい環境でした。が、そのアシュラムでは、大変嬉しい事に朝晩瞑想があり、私はそこで長年求めて
いた「瞑想を体験できた」のです。その感動や歓喜は、今思い出しても身体が震える
程で、決して忘れることはできません。
その時代アシュラムの修行者は、ヨーロッパ系の男性が多く、日本人など
まったくいなかったためか、私達3人はアシュラムのスタッフや、先生方にも
大歓迎されました。
そして瞑想の指導者だった女性のアルナ先生が、その頃ご高齢のためご指導
はせず、療養していたスワミに会わせて下さったのです。
マハラジハ3階のベランダで、コウモリ傘をさして座ってましたが、ニコニコ
なさってやさしい感じの方でした。多分アルナ先生が「はるばる日本から瞑想を
求めてリシケシに来た」とマハラジに説明して下さったのでしょう。
後で修業中のヨーローパの男性達に「マハラジに会えたなんて」と大変羨まし
がられました。二度目にマハラジにお会いした時、「マントラを上げようか?」
とおっしゃったのです。「何とラッキーなのでしょう」私達は驚くと同時に大変
喜びました。私にはマントラに入れるが「仏陀とシヴァと、ヴィシュヌとどれが
良いか?」と聞いて下さり、私は迷わず「破壊と創造とダンスの神様シヴァ神
にします」ととお願いしたのです。本当に幸運な事に、ヨーガの最高の指導者
から、私達3人は世界でただ一つの「自分だけのマントラ」を給わったのです。
私はその後アシュラムへ何度か通って、「ヨーガ指導者ネーム」授与されました。
※動物質タンパク質はゼロ、無論アルコールはなしで、そのためか、体が柔ら
かくなり、今では信じられなっけれど頭の後ろで両足が組めたのです。
そのマントラは毎日チャクラ・マントラの後に必ず唱えますが、すると体の中の
細胞さん達のうごめきが聞こえてくるのです。大切な事を忘れたので、後から書き
加えましたが、その頃の写真ご紹介しますね。
※首都デリーからおんぼろバスで8時間、でもエキサイティングでした