ビビッド能里子トーク・サロン

医学的にも珍しい満十年の認知症介護について。自己分析や気分転換、幸せを感じる心の癖の付け方、メチャ料理など楽しく書きます

世界でただ一つのマントラを頂いて

2017-11-29 18:12:30 | エッセー
 26日に投稿した「毎日朝晩体の中の細胞さん達と対話して」を読んでみて
大切なことを忘れていた事に気づきました。それは「チャクラ・マントラ」を
唱えた後にスワミマハラジ(ヨーガ道場最高の指導者)から授与された
「私だけのマントラ」(呪文)を必ず唱えることなのです。
 マハラジハお目にかかる以前に、日本の「たま出版」から「魂の科学」という
ご著書も出されていた大変優れた方でした。



 まだ私が40代の頃、すでにヨーガ教室を開いていて、ヨーガ指導者なのに
自分で納得できる瞑想状態をどうしても体感できず、悩んでいてそのために、座禅
をしたリ、その他の精神世界の勉強をしたりなど、色々と努力をしていました。
 でもなかなかその境地は得られず悩んでいた時、週刊誌で空間に浮かぶ写真を
紹介され、有名になったヨーガ指導者がいました。
 私はその先生のセミナーに参加し、その実技でそのヨーガパワーの凄さに感動し
先生の教室に入会しました。それからすぐ「リシケシに一週間滞在し修業をする
ツアー」がありました。リシケシはインドのヨーガやヒンズーの聖地ですが
ヨーガを学んでいる人達の憧れの地でした。その聖地へ行けば「きっと瞑想状態を
得られるに違いない」と早速参加しました。首都デりーからおんぼろバスで約
8時間で、雨が降っていてとても寒いるリシケシに着きました。
 予約してあるはずのビートルズが修行し有名になった「シバニケタン、アシュラム」の門前で
4時間も待たされ、結局宿泊できなかったのです。
 そのため、まだ星が出ている暗い早朝に、宿泊したツーリストバンガローから
毎日通いました。そこには私が望んだ瞑想の時間は全然なかったのです。
 


 わざわざリシケシへ来たのに、求めていた瞑想は得られず、私はその後観光を
すべてパスし、帰国するデリーで落ち合う事を約束し、同志の女性2人と
リシケシに残り、違うアシュラムの門を叩き、そこで修業をしたいと意見がまと
まりました。幸い英語が流暢な二人でしたので、結局3人でヨガニケタン、アシュラムに宿泊できることが決まり、短い期間でしたが、そこで修業することができたのです。 そこはガンジス河を見下ろす山の上で、心が洗われるような素晴らしい環境でした。が、そのアシュラムでは、大変嬉しい事に朝晩瞑想があり、私はそこで長年求めて
いた「瞑想を体験できた」のです。その感動や歓喜は、今思い出しても身体が震える
程で、決して忘れることはできません。
 その時代アシュラムの修行者は、ヨーロッパ系の男性が多く、日本人など
まったくいなかったためか、私達3人はアシュラムのスタッフや、先生方にも
大歓迎されました。      





 そして瞑想の指導者だった女性のアルナ先生が、その頃ご高齢のためご指導
はせず、療養していたスワミに会わせて下さったのです。
 マハラジハ3階のベランダで、コウモリ傘をさして座ってましたが、ニコニコ
なさってやさしい感じの方でした。多分アルナ先生が「はるばる日本から瞑想を
求めてリシケシに来た」とマハラジに説明して下さったのでしょう。
 後で修業中のヨーローパの男性達に「マハラジに会えたなんて」と大変羨まし
がられました。二度目にマハラジにお会いした時、「マントラを上げようか?」
とおっしゃったのです。「何とラッキーなのでしょう」私達は驚くと同時に大変
喜びました。私にはマントラに入れるが「仏陀とシヴァと、ヴィシュヌとどれが
良いか?」と聞いて下さり、私は迷わず「破壊と創造とダンスの神様シヴァ神
にします」ととお願いしたのです。本当に幸運な事に、ヨーガの最高の指導者
から、私達3人は世界でただ一つの「自分だけのマントラ」を給わったのです。
 私はその後アシュラムへ何度か通って、「ヨーガ指導者ネーム」授与されました。
※動物質タンパク質はゼロ、無論アルコールはなしで、そのためか、体が柔ら
かくなり、今では信じられなっけれど頭の後ろで両足が組めたのです。




 そのマントラは毎日チャクラ・マントラの後に必ず唱えますが、すると体の中の
細胞さん達のうごめきが聞こえてくるのです。大切な事を忘れたので、後から書き
加えましたが、その頃の写真ご紹介しますね。
※首都デリーからおんぼろバスで8時間、でもエキサイティングでした













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のどかな昼下がりの黄葉、紅葉散歩

2017-11-29 01:11:49 | エッセー
 時々晴れたり、曇ったりしたが、風もなくとても暖かい。
夫と一緒に代々木公園へ散歩へ行った。地下鉄の代々木公園で降り、代々木公園
を歩いて、明治神宮を通り、帰りは小田急線の南新宿から帰るコースにした。
 きっと今は黄葉が美しいと思ったが、代々木公園はあまり人もいないし静かで
思った通りに黄葉も紅葉もとても美しかった。
 






 
噴水の前にはベンチが沢山あり、そこで噴水のバックにある紅葉や、黄葉がとても美しくそこで座って眺めている
人は沢山いた。カラスが何羽か水浴びしていて、とてものどかだった。
 しばらくベンチで休みながら噴水の美しい風景を眺めていたが、多分ここは
代々木公園の中心で最も景色の良いところなのだろう。
 代々木公園はとても広いが、枯れ葉を踏みしめながら歩いたが、夫は「暑い暑い」
と言ってコートを脱いで歩いていた。

 代々木公園を抜けて明治神宮へ向かっていたら、大きな鳥を持って歩いている
女性とすれ違った。じっと女性の腕に止まっていて、とても可愛らしい。
 もしかしたら鷲?でも何だか違うと思ったので、私は声をかけて聞いたら、すると
「ベンガル鷲みみづく」と言う鳥で、その鳥を扱うお仕事をしているそうだ。
 「これから代々木公園へお散歩です。とっても大人しくて可愛いですよ」と笑った。 私は触らせてもらったが、じっとしていたが、とても可愛いなと思い写真を撮らせて貰った。(不思議なのは写真をPCに送ったのに何故かないのです。残念)



 

 明治神宮は代々木公園と違って、とても人が多かった。参道は思いのほか紅葉が
美しかった。時折きている明治神宮だけれど、もしかしたらこの時期に歩いたことが
ないかも知れないと思った。この森は人工的な森で、全国から木を寄付して造られた
そうだが、夫も小学生の時に、リヤカーで大きな木を一緒に運んだ事を聞いて、私は
ビックリした。「ここは昔代々木が原だったんだよ」と彼は言ったが、自然に見える
広大な明治神宮も、代々木公園も、大勢の人の力で造られたのだと改めて感じた。
 明治神宮を出たあたりも、イチョウがとても美しかったが、間もなくみんな枯れ木
になるのだろう。美しい時期にゆっくり見られて、とても幸せだった。。
 参宮橋の駅の近くの喫茶店で、アイスコーヒーを飲んで一休みしたが、暖かい
のどかな午後、とて楽しく素敵なお散歩だった。
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毎日朝晩体の中の細胞さんと対話して

2017-11-28 05:21:10 | エッセー
 ヨーガを学んで15年ほど経ったのに、求めていた瞑想が得られず、何度もインド
へ通い、そのアシュラムで、求め。求めていた瞑想を体験した。
 それから私の人生は大きく変化した。ダンス、スタジオも経営していたので夜型の
生活だったが、それ以来すっかり朝方の生活になった。
 インドで教えられた「チャクラ・マントラ」長年毎朝の習慣だが、それを唱えると
体の中の細胞のうごめきのような、反応するようなざわめきを感じる。
 それを元に「セルフ・ヒーリング法」を創案し、およそ10年は過ぎた事だろう。

 それらは、カウンセリングのクライアントや、ヨーガの生徒さん、また著書の
中、講演でもご指導したが、それはヨーガだけではなく、レイキティチャー以前
からの長い期間の精神世界の研鑽が元でもあった。
 チャクラマントラを唱えると、大脳や手足に反応があり、その後セルフヒーリング
を行くと体幹部が答えてくれる。私は毎日オーバーに表現すると、精神的な修行を
続けている。相対的には両親から受け継いだ健康体だが、神経が人一倍敏感なため
肉体的にはそれが大きく作用したようだ。

 最も忙しかった40歳代から20年間以上、長生きするはずはないと、70歳に
なったとき、長年の記録、写真など思い切ってすべて整理した。
 でも、何故かその中の体調と共に、仕事の一部を記録したノートが一冊だけ
残っていた。それを丹念に読んだら、そのままでいたらとっくに死んでいると思える
状態だった。改めて「私は生かされているのだ」と感謝できると同時に、これからも
ずっと「人様の心身の健康を守るお手伝いをしたい」と思った。
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もうすぐ冬

2017-11-27 08:39:17 | エッセー
 梅丘のバス停で待っていた時、目の前のケヤキの葉がハラハラ散るのを見ていて
もうすぐ枯れ木になるのだと思った。そして帰りの経堂のバス停には、イチョウの
黄色い落ち葉が沢山落ちていた。比較的暖かい日だが、あと何日かで間もなく師走。
 一年が過ぎるのは何と早いのだろう。(私も年齢的は冬の季節なのだ)と枯れ葉を
見ながら思ったけれど・・・どうして気持ちは冬にならないのかしら?
 
 いつも思うのだけれど、自分の年齢なりの気分でいたら、生きて行くのがきっと
随分楽なのに・・・ビビッド能里子と自認し、インドの先生からエイジレスベービー
と言われた私だから仕方ないかと思った。でも・・・・いつか枯れ葉になるのも
面白いな、などと考えた昼さがりだった。


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万感こもごも、ほろ酔いの気分

2017-11-26 19:53:34 | エッセー
 こんな言葉若い方は知っているのかしら?と思いながらほろ酔いの私は思いました。
夫が寝てしまって、一人で飲んだワイン、ほんわかした気持ちで「私達後何年一緒に
暮らせるのかしら?」と思うと同時に、「私いつまで生きるのかしら?どんなに長く
生きても後15年位」と決めました。年々寿命は延びていても、健康寿命はそう長く
ない。と言うことは自立して生きるのは難しい。長生きなんて絶対したくない、まだ
女性の平均年齢以下だから、でも、超健康な私は生かされるかも知れない。

 自分の事は全部出来て、おしゃれ心があって、食欲もあり、ビビッドで生活を
楽しめる、もしもそれらが失われたとしたら、私はすぐに死にたい。
 介護難民になるなんて、耐えられない、でも、現実は全く未知数。
マンガで好評の「傘寿まりこ」あれは子供の世代から見た高齢者の姿で、今の老人
では至極当然過ぎると思う。私から見ればまったく現実感はないし、現在の高齢者
には特別なことではない。若い世代からみれば、「あの年齢になれば、考えられない、もっと大人しくなるのだろう、それにしては・・・」の話だ。
 同じ物書きとして、実体験がないからこそ、書ける話しだと思うが、それが若い
世代に好評なのは、そんな高齢になった自分の憧れの姿かも知れない。
 何故なら、私達高齢者は若い人とまったく変わりなく、生きて生活を楽しみ
無論恋愛だってする。ただし連れ合いがあれば、家庭を傷つけない程度に・・・
 それが若い世代と違うのかもと、実感したが、お断りしておきますが、肉体的
には老化しても、気持ちは、あなた方とはあまり変わらず、年をとらないのですから。
 と言っても、人によってなのは確かですが・・・
ちょっと酩酊し興奮して、今日は二度目の投稿してしまった。
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